生きものの記録
生きものの記録 | |
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監督 | 黒澤明 |
脚本 | 橋本忍 小國英雄 黒澤明 |
製作 | 本木荘二郎 |
出演者 | 三船敏郎 志村喬 |
音楽 | 早坂文雄 |
撮影 | 中井朝一 |
編集 | 小畑長蔵 |
製作会社 | 東宝 |
配給 | 東宝 |
公開 | ![]() |
上映時間 | 103分 |
製作国 | ![]() |
言語 | 日本語 |
『生きものの記録』(いきもののきろく)は、1955年(昭和30年)11月22日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は黒澤明、主演は三船敏郎。モノクロ、スタンダード、103分。
米ソの核軍備競争やビキニ環礁での第五福竜丸被爆事件などで加熱した反核世相に触発されて、原水爆の恐怖を真正面から取り上げた社会派ドラマ[1]。当時35歳の三船が70歳の老人を演じたことが話題となった。また、作曲家・早坂文雄の最後の映画音楽作となった。第29回キネマ旬報ベスト・テン第4位。
あらすじ[編集]
歯科医の原田は、家庭裁判所の調停委員をしている。彼はある日、家族から出された中島喜一への準禁治産者申し立ての裁判を担当することになった。鋳物工場を経営する喜一は、原水爆の恐怖から逃れるためと称してブラジル移住を計画し、そのために全財産を投げ打とうとしていた。家族は、喜一の放射能に対する被害妄想を強く訴え、喜一を準禁治産者にしなければ生活が崩壊すると主張する。しかし、喜一は裁判を無視してブラジル移住を性急に進め、ブラジル移民の老人を連れて来て、家族の前で現地のフィルムを見せて唖然とさせる。
喜一の「死ぬのはやむを得ん、だが殺されるのは嫌だ」という言葉に心を動かされた原田は、彼に理解を示すも、結局は申し立てを認めるしかなかった。準禁治産者となった喜一は財産を自由に使えなくなり、計画は挫折。家族に手をついてブラジル行きを懇願した後に倒れる。夜半に意識を回復した喜一は工場に放火した。精神病院に収容された喜一を原田が見舞いに行くと、喜一は明るい顔をしていた。彼は地球を脱出して別の惑星に来たと思っていたのだった。病室の窓から太陽を見て喜一は、原田に「地球が燃えとる」と叫んだ。
スタッフ[編集]
- 監督:黒澤明
- 製作:本木荘二郎
- 脚本:橋本忍、小国英雄、黒澤明
- 撮影:中井朝一
- 美術:村木与四郎
- 録音:矢野口文雄
- 照明:岸田九一郎
- 音楽:早坂文雄(遺作)
- 監督助手:丸林久信
- 編集:小畑長蔵
- 製作担当者:根津博
- 助監督:野長瀬三摩地、田実泰良、佐野健、中村哮夫
- 撮影助手:斉藤孝雄
- 美術助手:加藤親子
- 照明助手:羽田三郎
- 音楽:佐藤勝、松井八郎
- 記録:野上照代
- 音響効果:三縄一郎
- スチール:副田正男
- 美術小道具:戸田清
- 衣裳:鈴木身幸(京都衣裳)
- 結髪:岡田さだ子
- 粧髪:山田順次郎
キャスト[編集]
- 中島喜一:三船敏郎
- 原田:志村喬
- 中島二郎(喜一の次男):千秋実
- 山崎隆雄(よしの夫):清水将夫
- 中島とよ(喜一の妻):三好栄子
- 中島すえ(喜一の次女):青山京子
- 山崎よし(喜一の長女):東郷晴子
- 一郎の妻・君江:千石規子(東映)
- 栗林朝子(喜一の四妾):根岸明美
- 須山良一(二妾の三男):太刀川洋一
- 朝子の父:上田吉二郎
- ブラジルの老人:東野英治郎
- 中島一郎(長男):佐田豊
- 岡本:藤原釜足
- 荒木(判事):三津田健
- 石田:渡辺篤
- 里子(喜一の三妾):水の也清美
- 鋳造所職長:清水元
- 堀(弁護士):小川虎之助
- 精神科医:中村伸郎
- 地主:左卜全
- 鋳造所職員:土屋嘉男
- 留置人A:谷晃
- 工員の父:高堂國典
- 工員の母:本間文子
- 原田の息子・進:加藤和夫
- 田宮書記:宮田芳子
- 進の妻・澄子:大久保豊子
- 妙子(三妾の三女):米村佐保子
- 鋳造所職員:桜井巨郎
- 留置人B:大村千吉
- 鋳造所職員:中島春雄(ノンクレジット)
- 精神科看護士:熊谷二良(ノンクレジット)
作品解説[編集]
黒澤の盟友である早坂文雄がビキニ環礁での水爆実験のニュースを見て、「こんな時代では、安心して仕事ができない」ともらし、これがきっかけで本作の製作が行われた。しかし、早坂は、本作の撮影中に結核で亡くなったため、名コンビだった黒澤と早坂が組んだ最後の作品となった。黒澤は、早坂の死にひどく悲しみ、撮影が1週間中断された[2]。早坂は、タイトルバックなどのデッサンを残しており、弟子の佐藤勝がその遺志を継いで全体の音楽を完成させた[2]。
『七人の侍』で採用した、複数のカメラで同時に撮影するマルチカム撮影法を本作で本格的に導入しており、3台のカメラを別々の角度から同時に撮影することで、俳優がカメラを意識せず自然な演技を引き出している[3]。主人公の放火によって焼け落ちた工場のセットは、東宝撮影所内にある新築されたばかりの第8スタジオの前で組まれ、新築のスタジオの壁面を焼け跡に見立てて塗装したため、会社から大目玉をくらった[4][5]。また、都電・大塚駅のセットは都電の先頭車両を含めて、本物そっくりに作られた。
主人公の中島喜一役には、初め志村喬を予定していたが、生活力が旺盛で動物的生命力の強い男というイメージから三船敏郎に決まり、彼が70歳の老人を演じた[6]。志村は代わりに家庭裁判所参事の原田役でもう一人の主人公を演じたが、加齢のため本作を最後に主役級を退き、以後の黒澤作品では脇役及び悪役に転じていくこととなる。
題名についてクレジットには「丸岡明氏の好意による」とあるが、これは先に丸岡の同題の小説があり、丸岡がクレームを付けたためである。もっとも、題名は著作権保護の対象にはならないため、丸岡の抗議に法的根拠はない。また、丸岡の小説と本作とは内容的には何の関連性もなく、タイトルが同じというだけである。
評価[編集]
この映画のみどころは、三船敏郎演ずる老人が日本の状況に危機感を持ち行動を起こすが、日常の生活を優先する家族に締め上げられ次第に狂っていく綿密な描写にある。
『あらかじめ分かっている問題にどうして対処しようとしないのか』というのがテーマとなっている。映画監督の大島渚は鉄棒で頭を殴られたような衝撃を受けたとしており[7]、徳川夢声は、黒澤に対して「この映画を撮ったんだから、君はもういつ死んでもいいよ」と激賞したという。また映画評論家の佐藤忠男は「黒澤作品の中でも問題作」と述べている[8]。
しかし、脚本家の橋本忍の回想によると『生きる』『七人の侍』の大ヒットに続いた作品にもかかわらず、記録的な不入りで興行失敗に終わった。その原因を、脚本作りのミスと、原爆という扱いづらいテーマを取り扱ってしまったことによる、と橋本は分析している。
鈴木敏夫は東日本大震災後に本作品を改めて見た解釈として「以前にくらべて「受け取る印象がこうも違うのか」と思いましたし、すごくリアリティがあった。黒澤っていう人は面白いなと、つくづく思いましたね。」「今観ると言いたいこともはっきりしているからすごくリアリティがあって。多くの人に、今観てほしい作品」「黒澤監督は、関東大震災を目の当たりにしているそうなんですね。たくさんの瓦礫と人の死が自分の記憶の底に残った、と著書に書いていて、そういう意味でも戦争や核の問題に対して敏感だったんでしょう。昔観たときは、『生きものの記録』はむしろ「喜劇映画かよ」っていう印象でしたが、震災を経ることによって、黒澤監督が作品に込めた考えが、やっと伝わってきたような気がしています。」と述べている[9]。
黒澤自身はこの映画について「自身の映画の中で唯一赤字だった」と言い、その理由について「日本人が現実を直視出来なかったからではないか」と分析している[10]。
その他[編集]
当時衆議院議員であった中村梅吉が試写に来た際に黒澤に対して「原水爆の何が恐い、あんな物はへでもない。」と言ったと黒澤は語っている。それに対して黒澤は東宝に「(中村の発言を)新聞に出せ」と言ったが、東宝はそうしなかった[10]。
脚注[編集]
- ^ 生きものの記録、allcinema、2015年5月31日閲覧
- ^ a b 『黒澤明MEMORIAL 10 別巻+1「野良犬」』、小学館、2011年、p.27
- ^ 黒澤明第1部-PAGE8、キネマ写真館、2015年5月31日閲覧
- ^ 黒澤明第3部-PAGE4、キネマ写真館、2015年5月31日閲覧
- ^ 西村雄一郎『黒澤明と早坂文雄 風のように侍は』、筑摩書房、2005年、p.211
- ^ 都築政昭『黒澤明 全作品と全生涯』、東京書籍、2010年、p.232
- ^ DVD版の冊子18頁より
- ^ DVD版の冊子15頁より
- ^ “「起きてほしくない未来」を描く映画 岩井俊二×鈴木敏夫対談”. CINRA.NET (2011年12月30日). 2016年3月27日閲覧。
- ^ a b 黒澤明(出演)大島渚(出演) (日本語). わが映画人生 黒澤明監督. 日本映画監督協会. 2018年3月29日閲覧。
外部リンク[編集]
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