乱 (映画)
| 乱 | |
|---|---|
| Ran | |
| 監督 | 黒澤明 |
| 脚本 |
黒澤明 小國英雄 井手雅人 |
| 製作 |
セルジュ・シルベルマン 原正人 |
| 製作総指揮 | 古川勝巳 |
| 出演者 |
仲代達矢 寺尾聰 根津甚八 隆大介 原田美枝子 井川比佐志 ピーター 植木等 田崎潤 |
| 音楽 | 武満徹 |
| 撮影 |
斎藤孝雄 上田正治 |
| 編集 | 黒澤明 |
| 製作会社 |
ヘラルド・エース グリニッチ・フィルム・プロダクション |
| 配給 |
東宝 日本ヘラルド映画 |
| 公開 |
|
| 上映時間 | 162分 |
| 製作国 |
|
| 言語 | 日本語 |
| 製作費 | $11,500,000 (概算) |
| 配給収入 |
(1985年邦画配給収入3位) |
『乱』(らん)は、1985年(昭和60年)に公開された日本とフランスの合作映画である。東宝配給。監督は黒澤明、主演は仲代達矢。カラー、ビスタ、162分。
黒澤明が監督した最後の時代劇であり、黒澤はこの作品を「ライフワーク」と位置づけ、また「人類への遺言」でもあるとしていた。架空の戦国武将・一文字秀虎を主人公にその晩年と3人の息子との確執、兄弟同士の擾乱を描く。物語の骨格はウィリアム・シェイクスピアの悲劇『リア王』であり、毛利元就の「三本の矢」の逸話(三子教訓状)なども取り入れられている。
第58回アカデミー賞衣裳デザイン賞(ワダ・エミ)、英国アカデミー賞 外国語作品賞、全米映画批評家協会賞作品賞、ブルーリボン賞作品賞など、国内外で多くの賞を受賞した。
あらすじ[編集]
戦国時代、齢70の武将、一文字秀虎は、隣国の領主2人を招いた巻狩りの場にて、うたた寝の中で見た悪夢のため、突然隠居することを表明する。秀虎は「1本の矢はすぐ折れるが、3本束ねると折れぬ」と3人の息子たちの団結の要を説くが、三男の三郎は示された3本の矢を力ずくでへし折り、父親の弱気と兄弟衝突の懸念を訴える。秀虎は激怒し、三郎とそれを庇う重臣の平山丹後をその場で追放する。しかし隣国の領主、藤巻は三郎を気に入り、婿に迎え入れる。
家督を継いだ太郎だが、正室の楓の方に「馬印が無いのでは、形ばかりの家督譲渡に過ぎぬ」と言われ、馬印を父から取り戻そうとする。そこで家来同士の小競り合いが起こり、秀虎は太郎の家来の一人を弓矢で射殺す。太郎は父を呼び出し、今後一切のことは領主である自分に従うようにと迫る。立腹した秀虎は家来を連れて、次郎の城に赴くが、太郎から事の次第を知らされていた次郎もまた「家来抜きであれば父上を迎え入れる」と秀虎を袖にする。秀虎は失意とともに、主を失って無人となった三郎の城に入るしかなかった。
そこに太郎・次郎の大軍勢が来襲する。城は燃え、秀虎の家来や女たちは皆殺しにされる。更にどさくさに紛れ、太郎は次郎の家臣に射殺される。秀虎はひとり発狂した姿で、次郎の前をいずことも知れず去る。
夫を失った楓の方は今度は次郎を篭絡し、次郎の正室である末の方を殺して自分を正室にしろと迫る。そんな時、父秀虎を引き取らんと、三郎率いる軍勢が国境の川を越えて現れる。続いて藤巻の軍勢も出現したため、次郎も出陣。さらに三郎、次郎の両軍がにらみ合う場を見下ろすようにもうひとつの隣国綾部の軍勢も現れる。三郎は秀虎を引き取るのに、夜を待とうとするが、秀虎の従者狂阿弥から秀虎を見失ったと聞き、やむを得ず即座に動き出す。次郎はそれを追って三郎を討ち取れと鉄砲隊に命じる。次郎の側近たちは今は戦う時ではないと諌めるものの、楓の方に焚きつけられた次郎は耳を貸さず、さらにその場に残った三郎軍に向っての突撃命令を下す。その時、綾部の大軍が一文字領に侵入したとの報が入る。目の前の綾部軍が囮であったことに気づく次郎。一方、三郎は、正気を取り戻した秀虎と和解を果たすが、次郎の手下に射殺され、それを見た秀虎もすべての力を失し死す。燃え落ちんとしている城に戻った次郎に、楓の方は自分の一族を滅ぼした一文字家が滅ぶのをこの目で見たかったのだと言う。
キャスト[編集]
- 一文字秀虎:仲代達矢
- 一文字太郎孝虎:寺尾聰
- 一文字次郎正虎:根津甚八
- 一文字三郎直虎:隆大介
- 楓の方:原田美枝子
- 末の方:宮崎美子
- 鶴丸:野村武司
- 鉄修理:井川比佐志
- 狂阿弥:ピーター
- 平山丹後:油井昌由樹
- 生駒勘解由:加藤和夫
- 小倉主馬助:松井範雄
- 長沼主水:伊藤敏八
- 藤巻の老将:鈴木平八郎
- 白根左門:児玉謙次
- 藤巻の老将:渡辺隆
- 楓の老女:東郷晴子
- 秀虎の側室:南條玲子
- 末の老女:神田時枝
- 秀虎の側室:古知佐知子
- 秀虎の側室の老女:音羽久米子
- 畠山小彌太:加藤武
- 綾部政治:田崎潤
- 藤巻信弘:植木等
- 畠山小彌太の声:加藤精三 ※ノンクレジット[2]
- 頭師孝雄、頭師佳孝、天田益男、木村栄、山田明郷、須藤正裕、渡辺哲、高橋利道 ほか
スタッフ[編集]
- 監督・編集:黒澤明
- エグゼグティブプロデューサー:古川勝巳
- プロデューサー:セルジュ・シルベルマン、原正人
- プロダクションコーディネーター:黒澤久雄
- 脚本:黒澤明、小國英雄、井手雅人
- 演出補佐:本多猪四郎
- 撮影:斎藤孝雄、上田正治
- 撮影協力:中井朝一
- 美術:村木与四郎、村木忍
- 照明:佐野武治
- 録音:矢野口文雄、吉田庄太郎
- 整音:安藤精八
- 効果:三縄一郎
- 衣裳デザイナー:ワダ・エミ
- 助監督:岡田文亮
- ゼネラル・プロダクション・マネージャー:ウーリー・ピカール
- プロダクションマネージャー:野上照代、飯泉征吉、井関惺
- アシスタント・プロダクション・コーディネーター:ベルナルド・コーン
- 音楽:武満徹
- 指揮:岩城宏之
- 演奏:札幌交響楽団
- 狂言指導:野村万作
- 能作法指導:本田光洋
- 横笛演奏指導:鯉沼廣行
- 殺陣:久世竜、久世浩
- 題字:今井凌雪
- 監督助手:小泉堯史、山本伊知郎、米田興弘、渡辺恭子、ビットレオ・ダッレ・オレ、野崎邦夫
- ネガ編集:南とめ
- アクション:久世七曜会、ジャパン・アクション・クラブ、若駒
- 視覚効果:デン・フィルム・エフェクト
- 現像:東洋現像所
- 協力:大分県、熊本市、御殿場市、九重町、阿蘇町、庄内町、大分県観光協会、熊本県観光協会、九重町観光協会、姫路城、熊本城、名護屋城、東亜国内航空 ほか
作品解説[編集]
シナリオは『デルス・ウザーラ』の完成後から書かれていたが、資金調達が難航したことから映画化が実現せず、先に東宝と20世紀フォックスの出資で『影武者』を完成させた。その後フランスのグリニッチ・フィルムと東宝と日本ヘラルド映画の出資で映画化が実現した[3]。富士山麓に巨大な城郭のセットを作り、レンタルより安く済むという理由でアメリカ合衆国から50頭のクォーターホースを輸入して調教した[3]。これは『影武者』を観た調教師から「戦国時代にあのような格好のいい馬(サラブレッド)はいない」と指摘されたためであった[4]。合戦シーンは飯田高原で撮影され、2日間のロケで1000人のエキストラ、200頭の馬が動員された[3]。
2015年(平成27年)に4K解像度によるデジタル修復が行われ、2017年(平成29年)4月1日に再公開された[5]。
音楽[編集]
かつて『どですかでん』を手がけた武満徹が再び音楽を担当したが、黒澤とはこの映画では激しく対立する。ダビング作業中に黒澤が武満の意向を確認せず、低音を強調する指示を出した際に「黒澤さんの好きなように音楽を切り貼りしてもらって結構ですが、僕の名前はクレジットからはずしてください」と激昂し、事実上の降板を宣言してダビングルームを飛び出した。結局降板こそしなかったものの「これ以後あなたの作品に関わるつもりはない」と言い、実際に武満が関わった最後の黒澤映画となった。
黒澤は演奏にロンドン交響楽団の起用を希望していたが、武満が「ロンドン交響楽団は映画音楽の仕事をやりすぎて、仕事が荒れている」と強く反対し、札幌交響楽団による録音(1985年4月、千歳市民文化センター)となる。札幌交響楽団のような、日本でも有名とは言えない地方オーケストラを使うことに強い不満を抱いていた黒澤は、録音開始前は楽団員の顔をろくに見ようとさえしない態度であった。しかし、演奏の予想外の素晴らしさに、昼食時の解散前に指揮台に上がると「みなさんありがとう、千歳まで来て良かったです」と深々と頭を下げ、しばらく顔を上げなかったという[6]。
評価・受賞[編集]
国内外で多くの賞を受賞しており、第58回アカデミー賞では監督賞、美術賞、撮影賞にノミネートされ、ワダ・エミが衣裳デザイン賞を受賞した。1995年(平成7年)にBBCが発表した「21世紀に残したい映画100本」には、『西鶴一代女』(1952年、溝口健二監督)、『東京物語』(1953年、小津安二郎監督)、『椿三十郎』(1962年、黒澤監督)、『ソナチネ』(1993年、北野武監督)とともに選出された。また、イギリス『エンパイア』誌が選ぶ「史上最高の外国語映画100本」(100 Best Films of World Cinema)では第98位にランキングされた[7]。
『キネマ旬報』関連では、1985年度のベスト・テンで第2位、2009年(平成21年)の「オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇」で第59位に選ばれている[8][9]。
主な受賞・ノミネートは以下の通り
| 賞 | 年 | 部門 | 対象 | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| アカデミー賞 | 1985年 | 監督賞 | 黒澤明 | ノミネート |
| 美術賞 | 村木与四郎、村木忍 | ノミネート | ||
| 撮影賞 | 斎藤孝雄、上田正治、中井朝一 | ノミネート | ||
| 衣裳デザイン賞 | ワダ・エミ | 受賞 | ||
| ゴールデングローブ賞 | 1985年 | 外国語映画賞 | ノミネート | |
| 英国アカデミー賞 | 1986年 | 脚色賞 | 黒澤明、小国英雄、井出雅人 | ノミネート |
| 外国語作品賞 | 受賞 | |||
| 撮影賞 | 斎藤孝雄、上田正治 | ノミネート | ||
| プロダクションデザイン賞 | 村木与四郎、村木忍 | ノミネート | ||
| 衣装デザイン賞 | ワダ・エミ | ノミネート | ||
| メイクアップ賞 | 受賞 | |||
| 全米映画批評家協会賞 | 1985年 | 作品賞 | 受賞 | |
| 監督賞 | 黒澤明 | 次点 | ||
| 撮影賞 | 斎藤孝雄、上田正治、中井朝一 | 受賞 | ||
| ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 | 1985年 | 監督賞 | 黒澤明 | 受賞 |
| 外国語映画賞 | 受賞 | |||
| ニューヨーク映画批評家協会賞 | 1985年 | 監督賞 | 黒澤明 | 次点 |
| 外国語映画賞 | 受賞 | |||
| ロサンゼルス映画批評家協会賞 | 1985年 | 監督賞 | 黒澤明 | 次点 |
| 外国語映画賞 | 受賞 | |||
| 音楽賞 | 武満徹 | 受賞 | ||
| ボストン映画批評家協会賞 | 1985年 | 作品賞 | 受賞 | |
| 撮影賞 | 斎藤孝雄、上田正治 | 受賞 | ||
| 日本アカデミー賞 | 1985年 | 助演男優賞 | 植木等 | ノミネート |
| 音楽賞 | 武満徹 | 受賞 | ||
| 撮影賞 | 斎藤孝雄、上田正治 | ノミネート | ||
| 照明賞 | 佐野武治 | ノミネート | ||
| 美術賞 | 村木与四郎、村木忍 | 受賞 | ||
| 録音賞 | 矢野口文雄、吉田庄太郎 | 受賞 | ||
| ブルーリボン賞 | 1985年 | 作品賞 | 受賞 | |
| 監督賞 | 黒澤明 | 受賞 | ||
| 毎日映画コンクール | 1985年 | 日本映画大賞 | 受賞 | |
| 監督賞 | 黒澤明 | 受賞 | ||
| 男優助演賞 | 井川比佐志 | 受賞 | ||
| ゴールデングロス賞 | 1985年 | 優秀銀賞 | 受賞 | |
| ロンドン映画批評家協会賞 | 1986年 | 監督賞 | 黒澤明 | 受賞 |
| 外国語映画賞 | 受賞 | |||
| セザール賞 | 1986年 | 外国映画賞 | ノミネート | |
| ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 | 1986年 | 外国監督賞 | 黒澤明 | 受賞 |
エピソード[編集]
- 脚本家橋本忍によると、脚本執筆の際、黒澤と共同脚本家の小国英雄は人物設定に関して激しく対立、大喧嘩の末、小国が執筆途中で降りた。
- 公開に合わせ、黒澤自身の『乱 絵とシナリオ』(集英社)と、伊東弘祐『黒澤明 「乱」の世界』(講談社)が刊行。シナリオ・エッセーは『全集黒澤明 第六巻』(岩波書店、1988年)に所収。他に『黒沢映画の現在 ドキュメント乱』 (報知新聞文化部特別取材班、シネ・フロント社、1985年12月)がある。
- 一文字秀虎の旗印は、太陽と月であるが、これは黒澤明の「明」を図案化したものである。黒澤は宮崎美子に「秀虎は私だ」とも語っており、秀虎が黒澤本人を強く反映した登場人物であることを示す証拠のひとつである。なお脚本の初期稿段階では、秀虎が側近たちに裏切られる過程は、より詳細に描かれていたので、その登場人物のモデルが誰なのか事情を知っている人なら解ったともいう。
- 息子たちから追われた秀虎が炎天下で座り込んでいる場面で、背後の山に、登山者2人が写っていた。これにただ一人気付いたCキャメラ担当の中井朝一は、黒澤には内緒で現像処理によって消した。なお、この処理には500万円を要した(野上照代の記述。東宝DVD付録冊子、「乱」製作の現場より)。
- 黒澤と親交のあったロシアのニキータ・ミハルコフ監督は、「『乱』の準備中に来日した際に、ひとつのアイデアを提案したら、完成品の中に見ることができた。とても幸せに感じ、私にとって大きな価値があった」 と語っている。
- 2007年には『乱』のメイキング映像から、黒澤の映像をCGで合成した、桑田佳祐出演のアサヒ飲料「ワンダ モーニングショット」CMが放送された。
- プロデューサーのセルジュ・シルベルマンは製作にあたり、当初かなり高圧的な態度で接し、黒澤に対して「この映画でアカデミー賞をとらせてやる」と言った。黒澤はそれに対し「アカデミー賞ならもう2回貰っているよ」(『羅生門』『デルス・ウザーラ』)と返した。そしてさらに1990年にはアカデミー名誉賞を受賞することになる。
- 鉄修理役は当初高倉健にオファーされていた[10][11]。黒澤は自ら高倉の自宅を4度訪れ直談判したが、高倉が『居酒屋兆治』の準備が進み、監督の降旗康男に義理立てしたため、出演を断った[12]。黒澤に「あなたは難しい人」だと言われた高倉だが、その後偶然『乱』のロケ地を通ったことがあって、出演すれば良かったと後悔している[12]。
- 合戦シーンのエキストラは、一般に募集するとともに、大分県および熊本県等の大学映画研究部を動員し撮影された。
- 阿蘇火口付近での撮影では、火山ガスの濃度が濃く2日ほど撮影ができなかった。
- ピーターは当初、本作から本名の池畑慎之介名義で活動する予定でいたが、実際には逆に本作がピーター名義での最後の俳優活動となった(歌手としてはその後も2018年までピーター名義で活動)。
ロケ地[編集]
脚注[編集]
- ^ 1985年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
- ^ 撮影中、加藤武が落馬し骨折、アフレコが出来なくなったので代役。なお、2人は親戚である。
- ^ a b c 都築政昭『黒澤明 全作品と全生涯』、岩波書店、2010年3月5日、p.390
- ^ 毎日新聞 まいまいクラブ 市民記者ニュース[リンク切れ]
- ^ 黒澤明「乱」4Kデジタル修復版が4月1日公開!、映画.com、2017年3月15日閲覧
- ^ 竹津宜男「札響物語 VII 札響と黒澤監督」「札響くらぶ」第6号 1998年10月[リンク切れ]
- ^ 英エンパイア誌の「史上最高の外国語映画100本」 第1位に「七人の侍」、映画.com、2017年3月15日閲覧
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』、キネマ旬報社、2012年5月23日、p.432
- ^ 「オールタイム・ベスト 映画遺産200」全ランキング公開、キネマ旬報映画データベース、2017年3月15日閲覧
- ^ 乗杉純(国際共同製作契約を担当した弁護士)によるテキスト
- ^ 黒澤明の絵コンテ
- ^ a b “「高倉健さんインタビュー」5/7ページ”. 時事ドットコム. (2012年) 2013年8月5日閲覧。
関連項目[編集]
- 丸岡城 - 天守閣の外に階段がついており、三の城のモデルとなった。
外部リンク[編集]
- 乱 - 日本映画データベース
- 乱 - allcinema
- 乱 - KINENOTE
- Ran - オールムービー(英語)
- Ran - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- 乱のチラシ - ぴあ
- 映画「乱」製作秘話
- 黒澤明生誕100年プロジェクト AK100project[リンク切れ]
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