一番美しく

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一番美しく
監督 黒澤明
脚本 黒澤明
製作 宇佐美仁
出演者 矢口陽子
入江たか子
志村喬
音楽 鈴木静一
撮影 原譲治
編集 矢口良江
製作会社 東宝
配給 映画配給社(紅系)
公開 日本の旗 1944年4月13日
上映時間 85分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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一番美しく』(いちばんうつくしく)は、1944年(昭和19年)4月13日公開の日本映画である。東宝製作、映画配給社(紅系)配給。監督は黒澤明モノクロスタンダード、85分。

第二次世界大戦中に、軍需工場で働く女子挺身隊員達の姿を描いたヒューマンドラマ。21名の女優を実際にロケ地の日本光学工業に入寮させ工員同様の生活を行わせることで[1]、女子挺身隊の日常をドキュメンタリータッチに描いた。

あらすじ[編集]

兵器に搭載される光学機器を生産している東亜光学平塚製作所では、戦時非常態勢により生産の倍増を計画発令する。男子工員は通常の2倍、女子工員は1.5倍という目標数値が出されるが、女子組長の渡辺ツルを筆頭とする女子工員達は、男子の半分ではなく2/3を目標にしてくれと懇願、受け入れられる。奮発する女子達だが目標達成は生易しくはなく、一時的に上昇した生産高は疲労や怪我、苛立ちから来る仲違い等により下降する。しかし、女子工員達の寮母や工場の上司達の暖かい協力、そして種々の問題を試行錯誤しながら解決し、更に結束を強めた彼女達の懸命な努力は再び報われ始める。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

作品解説[編集]

戦時下に製作された映画は全て、何がしかの形で戦争協力を表現していなければならなかった。登場人物の言動が非協力的に描かれる事は許されず、本作品においても、戦争そのものを間接的にでも否定するような表現は為されてはおらず、プロパガンダとしての役割を帯びていたのは否めない。しかし、本作品の舞台は本当に稼働していた工場であり、俳優達は実際の生産作業の場に組み込まれ、その中において撮影が進められた。また鼓笛隊を組織、実際に朝の往来を演奏行進し、就労時間外にはバレーボールをやり、寮生活まで実際に経験させられた女優達は、各々が本当の女子工員であるが如く働き、喜び・苛立ち・悲しみなどの感情表現を豊かに見せている。リアリティを求める監督の狙いが充分に功を奏している出来映えと評価された作品であった。

登場人物は全員献身的かつ謙譲に努めており、彼等の言動は多分に美化されすぎているように映るが、当時の宣伝映画としてはそれが狙いであり、個人的な苦労や悲哀を強調することのほうが避けられるべきことであった。女子工員の一人が病弱を理由に帰省するのだが、それは本人の口から「帰りたい」と言われるのではなく、本人はむしろ自分を帰さないでくれとまで懇願する。彼女を帰省させるのは寮母及び工場の管理職員である。現代の眼からすれば、彼女達の献身振りは却って奇異でありさえする。戦争という特殊な状況における一種の集団的躁状態と見る向きもあるが、ある意味では、現代日本人が忘れているかもしれない「他を尊重する心」を題字の如く美しく語っている、という見方もある。ラストシーンで、郷里の親の訃報に涙しつつレンズ調整に精を出す渡辺ツルの姿は痛々しくもあるが、他のために我が身を粉にする意味を考えさせる。今作品では、それはあくまで「お国のために」であるが、「何故そこまでして」と問う以前に、謙譲の美・献身の徳を再確認できる作品ともいえる。

女工たちが工場で敵国アメリカと戦う兵器生産のために熱心に働いている場面に敵国アメリカの作曲家スーザの行進曲を使うなど、黒澤らしい反骨精神も垣間見ることができる。この件に関し、黒澤はかつて自分の作品の描写に「米英的でけしからん」と何度もケチを付けた検閲官が、アメリカの行進曲を使ったのにもかかわらず何の文句もいわなかったことを皮肉っぽく『蝦蟇の油』(自伝)の中で述懐している。

備考[編集]

  • 撮影は日本光学工業(現・ニコン)の戸塚製作所(横浜市戸塚区)で行われたが、劇中では「東亜光学」という社名で平塚が舞台となっている。
  • 中盤で、渡辺ツル以下女子工員達が行進の途中に通りの掲示板に見る「タラワ」「マキン」「クエゼリン」「ルオット」等の地名は、この作品が作られた時期より少し前の1943年(昭和18年)末から1944年(昭和19年)始めにかけての日米戦争における日本軍の玉砕地である。
  • 後盤の、矢口陽子演じる渡辺ツルが徹夜で未修正のレンズを探し出すシーンで、彼女が歌う歌は軍歌元寇」である。また、矢口は1945年(昭和20年)に黒澤監督と結婚した。
  • 黒澤と監督デビュー年が同じの木下恵介は、本作を黒澤作品の中で最も秀逸な作品と賞している。
  • 本作品の公開は、1943年(昭和18年)9月の「女子勤労動員ノ促進ニ関スル件」を皮切りに、未婚女性の勤労動員が活発になった時期であった。ひめゆり学徒隊の結成は、本作公開年の暮れである。
  • 黒澤には、1945年(昭和20年)に原節子を主役に据えた未完成の戦意高揚作品『荒姫様』がある。
  • 渋谷陽一のインタビューで黒澤は、渋谷の「(「一番美しく」は)反戦映画ですよね?」の問いに、明言はしなかったものの、そういう「含み」もあった映画だと認めている。

脚注[編集]

  1. ^ 都築政昭『黒澤明 全作品と全生涯』、東京書籍、2010年、p.118

外部リンク[編集]