悪い奴ほどよく眠る

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悪い奴ほどよく眠る
監督 黒澤明
脚本 小國英雄
久板栄二郎
黒澤明
菊島隆三
橋本忍
製作 田中友幸
黒澤明
出演者 三船敏郎
森雅之
香川京子
三橋達也
音楽 佐藤勝
撮影 逢沢譲
編集 黒澤明
製作会社 東宝
黒澤プロダクション
配給 日本の旗 東宝
公開 日本の旗 1960年9月15日
上映時間 150分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
製作費 8254万円(直接費)[1]
配給収入 5228万円[1]
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悪い奴ほどよく眠る』(わるいやつほどよくねむる)は、1960年に公開された日本映画である。監督は黒澤明で、黒澤プロダクションの第1作である。公団汚職で死に追いやられた父の復讐を果たそうとする男の姿を描く。物語はデュマの小説『モンテ・クリスト伯』を参考にしており、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の影響も指摘されている[2][3][4]

あらすじ[編集]

冒頭の結婚式

土地開発公団の副総裁、岩淵の娘・佳子と、岩淵の秘書・西の結婚式が盛大に始まる。公団の課長補佐が汚職関与の疑惑で逮捕されたばかりで雰囲気はものものしい。のみならず運ばれてきた入刀用ケーキに場がざわめく。公団のビルをかたどったケーキの7階に赤いバラの花が刺さっている。それは5年前、公団の課長補佐・古谷が飛び降り自殺した窓だったからだ。

警察に拘引されていた公団の課長補佐・和田は、刑事の尋問に黙秘を通したのち、自殺しようと火山の火口に向かうが、それを阻止したのは西であった。西は和田を車に乗せ、和田自身の葬儀の様子を見せながら、テープレコーダーで隠し取った、和田の上司の守山と白井の会話を聞かせる。守山と白井は和田の自殺に安堵し嘲笑っている。西は彼らに復讐を企んでいることを語り、和田を仲間に引き入れる。

ある日、白井が金庫をあけると、現金の代わりに公団のビルの写真がはいっており、ケーキと同様に7階の窓に×印が付けられていた。白井は公団に戻り、これが古谷の死に恨みを持つ者の報復行為であることを岩淵と守山に説明するが、逆に着服したのだろうと疑われてしまう。そして深夜に憔悴しての帰宅途中、白井は暗がりに和田の姿を見る。驚愕した白井は守山の自宅に駆け込み、和田が生きていると訴えるが、既に白井を信用していない守山は一蹴する。追い詰められた白井が客先にまで和田の件を喋り始めたため、遅まきながら岩淵と守山は白井を懐柔しようとしたが、白井は疑心暗鬼に陥っており、古谷の件も含めて何もかもぶちまけてやると言い出したため、殺し屋に狙われる羽目になる。

その殺し屋から白井を救ったのは西であったが、西は白井を深夜の公団ビルの7階に連れて行き、5年前にここから飛び降りて自殺した古谷が自分の父親だと明かし、白井を殺そうとする。恐怖のため白井は発狂する。

さらに西は仲間の板倉と戦禍の廃墟に守山を拉致する。しかしその頃、西の正体が岩淵に露呈していた。西は、父を自殺に追い込んだ岩淵の懐に飛び込むため、板倉と戸籍の交換をし、その娘、佳子と結婚したのだ。しかし、西は心を完全に鬼にすることはできず、佳子を愛してしまっていた。同情する和田により、廃墟に連れて来られた佳子は、西から父親の犯罪を知らされる。佳子の体には触れていなかった西だが、その日初めて佳子を抱擁する。

しかし佳子が兄の辰夫と廃墟へ再び来て見ると、板倉がひとり嗚咽している。西が車の事故に見せかけて殺されたのだった。岩淵に西の所在を尋ねられた佳子はこの場所を岩淵に教えてしまったのだ。辰夫は、ショックで廃人のようになった佳子を抱きかかえて岩淵の下へ行き、「親子の縁を切る」と告げて家を去る。しかし謎の人物から電話で、「一時外遊でもして、ほとぼりが冷めるのを待て」と指示された岩淵は、安堵し「お休みなさいませ」と返事をする。

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

映画のスタッフ、キャスト

製作[編集]

黒澤明は、前作『隠し砦の三悪人』の製作日数と予算が大幅超過し、頭を悩ませた東宝側の要請に応じる形で、1959年に東宝との折半出資で「黒澤プロダクション」を設立した[6][7]。黒澤は独立して最初から儲けばかりを狙う作品では観客に失礼だから、なにか社会的意義のある題材を取り上げようと考えた[8]。そこで汚職を題材とする本作を作ることになるが、そのアイデアを提供したのは黒澤の甥の井上芳男である[9]。井上は自分の書いた脚本を黒澤に見せていたが、ある日黒澤に「いつも政治や官僚の汚職のことばかり書いているけど、そういう汚職に関わる連中を成敗する話を、書いたらどうかな」と言われたことで、『悪い奴の栄華』という題名の作品を書き、これを原案に本作の脚本が練られた[9]

脚本には黒澤、小國英雄久板栄二郎橋本忍菊島隆三の5人が参加し、黒澤作品の共同脚本では最多人数となるが、最初から最後まで参加したのは黒澤と久板だけで、小國、橋本、菊島は体が空いているときにしか参加しなかった[10][6]。橋本は2週間限定で脚本料なしのボランティアのようにかかわった[11]。菊島も別の企画に追われていたため限られた期間しか参加せず、菊島が合流した時には最初の40ページほどが完成していた[12]小津安二郎はそのことをズバリ指摘し、菊島に「あれは久板と黒澤がカッカして書いて、君と橋本君は寝てたんだろう」と話したという[12]

脚本執筆には時間を要し、20日間の合宿を4回も行い、通算80日ぐらいかかった[13]。脚本はまず具体的な進め方を話し合い、それからシーンごとに分担を決めて書き、それを最後に黒澤が整理するという流れで進められたが、途中で思わぬ方向に話が進んでしまって書き直しすることが多かった[6]。また、汚職の構造にまでせまると会社が企画を認めないため、実際の事件や人物に類似しないように配慮しなければならず、汚職の実態をリアルに描くことにも難航した[10][6]

1960年1月26日に製作発表を行い、3月22日に撮影開始した[14]。主なロケーションは、守山を監禁する廃墟が愛知県豊橋市海軍工廠跡、和田が自殺未遂する火山が阿蘇山、古谷が自殺したビルが丸の内ビルディング、拘置所門前が横浜刑務所である[15][16]。7月27日にダビング作業を開始し、8月22日に検定試写が行われた[15]。製作直接費は8254万円となっている[1]

評価[編集]

第34回キネマ旬報ベスト・テンでは3位に選ばれ[17]、橋本忍が脚本賞を受賞した[18]。第15回毎日映画コンクールでは森雅之が男優助演賞、佐藤勝が音楽賞を受賞した[19]。公開当時の国内の批評は、好意的批評が黒澤の演出力と話術を評価し、否定的批評が逆に黒澤演出の力みの強さを欠点とした[20]。主人公は倫理的に正しいが、その思考と行動が庶民感覚から程遠く、その点を批判する批評もあった[20]。また、汚職というシビアな題材にサスペンスドラマの娯楽性を盛り込んでいるが、興行的には失敗した[2][10]

アメリカでの批評は賛否両論だった。タイム誌は「『悪い奴ほどよく眠る』はこれまでに黒澤が作った訴求力の強い映画と比べると劣るのかもしれないが、一流ジャーナリズムに匹敵する通俗のエネルギーがあり、鋭く、現代的で、非常に道徳的な真面目さがある」と評した[21]ニューヨーク・タイムズ紙のボズレー・クラウザーは「黒澤が作り出した力強く興味深い映画―やや冗長で、終わり近くは変に感傷的だが、主題を掴んでいる観客をずっと飽きさせない面白さを持っている」と評した[20]。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには20件のレビューがあり、批評家支持率は100%で、平均点は7.70/10となっている[22]

フランシス・フォード・コッポラは本作を高く評価しており、冒頭の結婚式のシーンについて「本音とたて前がまるっきり違うところなどは、シェイクスピアなんかよりずっとおもしろい[23]」「このシーンほど完璧なものを、他の映画で観たことがない。現代的なストーリーの要素が、分かりやすく、秩序立てて構成され、謎めいた悲劇が詩的に解明されていく[21]」と語っている。コッポラが監督した『ゴッドファーザー』(1972年)の冒頭の結婚式のシーンは、本作の冒頭の結婚披露宴のシーンから着想を得ている[21][24]2012年BFIの映画雑誌サイト・アンド・サウンドが発表した「史上最高の映画ベストテン英語版」の監督投票でも、コッポラは本作をベスト映画の1本に投票した[25][26]

その他[編集]

  • 本作で佳子を演じた香川は、終盤で三橋演じる辰夫の車から降りるシーンで、シートベルトをしていなかったので誤って車がブレーキをかけて止まった反動で、フロントガラスに頭から突っ込んでしまい、顔を何針も縫うほどの大怪我を負ってしまった。傷も大きかったので、香川は「もう女優の仕事はダメかもしれない」と引退を本気で覚悟したという。このとき香川が運ばれた病院にマスコミが集まってくるが、三船敏郎が香川の病室のドアの前に立ち、すべての取材を断っていたという[27]
  • タイトルは、「本当に悪い奴は表に自分が浮かび上がるようなことはしない。人の目の届かぬ所で、のうのうと枕を高くして寝ている」との意味であり、冒頭のみならず、ラストシーンでもタイトルが大きく出る。

テレビドラマ版[編集]

2010年3月5日フジテレビジョン系列「金曜プレステージ」に、黒澤明生誕100年企画として同作が村上弘明主演、黒沢直輔監督でリメイクされた。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『映画年鑑 1962年版』、時事通信社、1962年、211-213頁。 
  2. ^ a b 都築 2010, p. 299.
  3. ^ 黒澤明研究会 編『黒澤明 夢のあしあと』共同通信社〈MOOK21シリーズ〉、1999年12月、347頁。ISBN 9784764130418 
  4. ^ "The Bad Sleep Well": How "Hamlet" Is It?” (英語). Freer Gallery of Art & Arthur M. Sackler Gallery. Smithonian (2014年3月7日). 2020年2月16日閲覧。
  5. ^ a b 「スタッフ一覧表」(全集5 1988, pp. 442–443)
  6. ^ a b c d 佐藤 2002, pp. 229–232.
  7. ^ 浜野保樹「解説・世界のクロサワと挫折―黒澤プロダクション」(大系2 2009, pp. 695–696)
  8. ^ 黒澤明「わが映画人生の記」『キネマ旬報4月号増刊 黒澤明 その作品と顔』、キネマ旬報社、1963年、62頁。 
  9. ^ a b ガルブレイス4世 2015, pp. 340–341.
  10. ^ a b c 浜野保樹「解説・世界のクロサワと挫折―『悪い奴ほどよく眠る』」(大系2 2009, p. 696)
  11. ^ 橋本忍『複眼の映像 私と黒澤明』文藝春秋、2006年6月、206-208頁。ISBN 9784163675008 
  12. ^ a b 菊島隆三「すぐれた作品のかげにはストイックなまでの自虐」(『黒澤明ドキュメント』キネマ旬報社、1974年)。キネマ旬報 2010, pp. 108–116に所収
  13. ^ 久板栄二郎「新劇ぎらい…思想を鼻にかけるのも大きらい」(『黒澤明ドキュメント』キネマ旬報社、1974年)。キネマ旬報 2010, pp. 103–107に所収
  14. ^ 「黒澤明 関連年表」『大系黒澤明』 第4巻、講談社、2010年4月、817-818頁。ISBN 9784062155786 
  15. ^ a b 「製作メモランダ」(全集5 1988, p. 434)
  16. ^ 丹野達弥 編『村木与四郎の映画美術「聞き書き」黒澤映画のデザイン』フィルムアート社、1998年10月、122-123頁。ISBN 4845998858 
  17. ^ 85回史 2012, p. 170.
  18. ^ 85回史 2012, p. 178.
  19. ^ 毎日映画コンクール 第15回(1960年)”. 毎日新聞. 2020年8月15日閲覧。
  20. ^ a b c 岩本憲児「批評史ノート」(全集5 1988, pp. 381–382)
  21. ^ a b c ガルブレイス4世 2015, pp. 357–358.
  22. ^ THE WARUI YATSU HODO YOKU NEMURU (THE BAD SLEEP WELL)” (英語). Rotten Tomatoes. 2021年6月3日閲覧。
  23. ^ オーディ・E・ボック「素顔の黒澤明」(『話の特集』1979年6月号、佐藤美和子訳)。大系3 2010, pp. 260–271に所収
  24. ^ 浜野保樹「解説・世界のクロサワと挫折―『影武者』」(大系3 2010, pp. 725–730)
  25. ^ Votes for WARUI YATSU HODO YOKU NEMURU (1960)” (英語). BFI. 2020年8月15日閲覧。
  26. ^ 「史上最高の映画」 コッポラ、スコセッシ、タランティーノら選出作明らかに”. 映画.com. 2020年8月15日閲覧。
  27. ^ 松田美智子『サムライ 評伝三船敏郎』文藝春秋、2014年1月、45頁。ISBN 9784163900056 

参考文献[編集]

外部リンク[編集]