どですかでん
どですかでん | |
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監督 | 黒澤明 |
脚本 |
黒澤明 小国英雄 橋本忍 |
原作 | 山本周五郎『季節のない街』 |
製作 |
黒澤明 松江陽一 |
出演者 |
頭師佳孝 菅井きん 伴淳三郎 根岸明美 吉村実子 三谷昇 下川辰平 田中邦衛 松村達雄 奈良岡朋子 |
音楽 | 武満徹 |
撮影 |
斎藤孝雄 福沢康道 |
編集 | 兼子玲子 |
製作会社 |
四騎の会 東宝 |
配給 | 東宝 |
公開 |
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上映時間 | 140分 |
製作国 |
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言語 | 日本語 |
『どですかでん』は、1970年(昭和45年)10月31日公開の日本映画である。四騎の会・東宝製作、東宝配給。監督は黒澤明。カラー、スタンダード、140分。
山本周五郎の小説『季節のない街』を原作とし、貧しくも精一杯生きる小市民の日常を明るいタッチで描いた。
黒澤映画初のカラー作品。黒澤が木下惠介・市川崑・小林正樹と結成した四騎の会の第1作である。第44回キネマ旬報ベスト・テン第3位。昭和45年度芸術祭優秀賞。
題名[編集]
題名は、作中で少年が電車ごっこをするとき口ずさむ「どですかでん」という文句からきている。詳しく言えば、車両がレールの継ぎ目を越えるときの音を模したものである。もともと日本語で成立していた擬音語ではなく、『季節のない街』の原作者、山本周五郎が創作した造語である[1][2][3]。
あらすじ[編集]
とある郊外の街の貧しい地域。六ちゃんと呼ばれる少年は、学校にも行かず毎日近所の空き地に出かけては、他人には見えない市電(路面電車)を運転し、その電車の音を「どですかでん」という擬音で表現している。当人は自分が運転手だと本気で信じ込んでいるようで、それを母親は、息子が精神に異常をきたしたと思い嘆くが、六ちゃんは母親の頭のほうがおかしいと考えている。
ヘアーブラシ職人の良太郎は、浮気性の妻が不倫の男たちと作った大勢の子供らを、自分の子供として扶養している[4]。日雇い労働者の河口と増田は夫婦交換をして、翌日には何食わぬ顔をして元の家に戻っている[5]。陰気な平さんの所にはある女が訪ねて来るが、この女と平さんとは過去に何かがあった様子。女は平さんの家事手伝いをするが、彼は終始無視していた[5]。廃車に住む乞食の親子は邸宅を建てる夢想話をしているが、子供はしめ鯖にあたって急死する。穏やかな性格で顔面神経症の島さんには無愛想な妻がいるが、妻を愛しており、同僚に妻の文句を言われると激怒する[6]。彫金師のたんばさんは人生の達人といえる人物で、日本刀を振り回す男を鎮めたり、家に押し入った泥棒に金を恵んだりする[4]。アル中の京太は家事手伝いの姪を犯して妊娠させ、姪はショックで恋人の酒屋の店員を刺してしまう[4]。
ここに暮らす人たちは、変わった人ばかりである。六ちゃんはその中で電車を走らせ、日は暮れてゆく。
スタッフ[編集]
- 監督:黒澤明
- 製作:黒澤明、松江陽一
- 脚本:黒澤明、小国英雄、橋本忍
- 企画:四騎の会(黒澤明、木下惠介、市川崑、小林正樹)
- 原作:山本周五郎『季節のない街』
- 撮影:斎藤孝雄(三船プロ)、福沢康道
- 音楽:武満徹
- 美術:村木与四郎、村木忍
- 録音:矢野口文雄
- 照明:森弘充
- 記録:野上照代
- 助監督:大森健次郎
- 撮影助手:木村大作
- 音響効果:三縄一郎
- 特殊機械:三輪野勇
キャスト[編集]
- 六ちゃん:頭師佳孝
- おくにさん:菅井きん
- 沢上良太郎:三波伸介
- 沢上みさお:楠侑子
- 島悠吉:伴淳三郎
- ワイフ:丹下キヨ子
- 井河:日野道夫
- 野本:下川辰平
- 初太郎:田中邦衛
- 良江:吉村実子
- 益夫:井川比佐志
- たつ:沖山秀子(松竹)
- 綿中京太:松村達雄
- 妻・おたね:辻伊万里
- 姪・かつ子:山崎知子
- 岡部少年(酒店員):亀谷雅彦
- 平さん:芥川比呂志
- お蝶:奈良岡朋子
- 乞食の父親:三谷昇
- その子:川瀬裕之
- 渋皮のむけた女:根岸明美
- 刑事:江角英明
- 絵描き:加藤和夫
- 小料理屋の女将:荒木道子
- ウェイトレス:塩沢とき
- レストランの主人:桑山正一
- 寿司屋のおやじ:寄山弘
- 屋台のおやじ:三井弘次
- くまん蜂の吉:ジェリー藤尾
- 惣さん:谷村昌彦
- たんばさん:渡辺篤
- 老人:藤原釜足
- 泥棒:小島三児
- くまん蜂の女房:園佳也子
- 内儀さん:牧よし子、新村礼子
- みさおに声をかける男:人見明、二瓶正也、江波多寛児
作品解説[編集]
『赤ひげ』以来、5年ぶりの黒澤明監督作品である。前作までの三船敏郎を主演とした重厚な作品と比べるとやや落ち着いた作品となっている。企画・製作した四騎の会は、1969年(昭和45年)に黒澤、木下惠介、市川崑、小林正樹の4人の監督による芸術家集団で、邦画低迷の時代に4人の力を合わせてこれを打開しようとの意図で結成された。しかし、本作の興行成績は明らかな失敗で、黒澤は以後『デルス・ウザーラ』を挟んで10年間にわたって、日本映画界の中心から遠ざかることになる。また、四騎の会もうまく機能せず、本作と小林の『化石』の2本を製作して自然消滅した。
撮影は東京都江戸川区堀江町にある約1万坪のゴミ捨て場にオープンセットを組み、28日間という早さで撮影された[7][8]。当時のシナリオには、黒澤自身の手による、画家のマルク・シャガール風の、死んだ乞食の子供が天に昇っていく絵コンテが描かれている。
受賞[編集]
- 第44回キネマ旬報ベスト・テン 第3位、男優賞(井川比佐志)
- 第25回毎日映画コンクール 女優助演賞(奈良岡朋子)
- 第25回芸術祭優秀賞
- 第44回アカデミー賞 外国語映画賞(ノミネート)
出典[編集]
- ^ 福田和也 『山本周五郎で生きる悦びを知る』 PHP研究所、2016年、68–69頁 。
- ^ 堀川弘通 『評伝黒澤明』 每日新聞社、2000年、293頁 。"原作は山本周五郎の『季節のない街』で「どですかでん」というのは、六ちゃん...が電車の運転手を夢見て呟く電車の擬音である"。
- ^ メレン、ジョーン 「黒沢明の世界」、『日本および日本人 : 論文集』 (朝日新聞社)102頁、1972年。"少年が"どですかでん"という言葉を使って自分だけの世界を創り出しているのだ。... 都電の擬音は、普通日本語で〃ガタンゴトン"であ[る]"。 (原題:Joan Mellen, "The Epic Cinema of Kurosawa)。
- ^ a b c 草壁久四郎『黒澤明の全貌』、1985年、108頁。
- ^ a b 山田和夫 『黒澤明: 人と芸術』、1999年、162頁
- ^ 山田和夫 『黒澤明: 人と芸術』、1999年、163頁
- ^ 都築政昭『黒澤明 全作品と全生涯』、東京書籍、2010年、367、371頁
- ^ 田中純一郎『日本映画発達史Ⅴ 映像時代の到来』、中央公論社、1980年、231頁
- 参考文献
- 草壁久四郎 『黒澤明の全貌』 現代演劇協会、1985年 。
- 山田和夫 『黒澤明: 人と芸術』 新日本出版社、1999年 。
外部リンク[編集]
- どですかでん - 日本映画データベース
- どですかでん - allcinema
- どですかでん - KINENOTE
- どですかでん - オールムービー(英語)
- どですかでん - インターネット・ムービー・データベース(英語)
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