土屋嘉男

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つちや よしお
土屋 嘉男
本名 土屋 嘉男
生年月日 (1927-05-18) 1927年5月18日
没年月日 (2017-02-08) 2017年2月8日(89歳没)
出生地 日本の旗 日本山梨県塩山市(現在の同県甲州市
身長 173 cm
血液型 A型
職業 俳優テレビドラマ
ジャンル 映画
活動期間 1952年 - 2017年
配偶者 あり
主な作品
映画
七人の侍』『地球防衛軍
ガス人間第一号』 『怪獣大戦争』『天国と地獄
太平洋奇跡の作戦 キスカ』『日本のいちばん長い日
連合艦隊司令長官 山本五十六』『怪獣総進撃
風林火山』『日本海大海戦』『薔薇の葬列

土屋 嘉男(つちや よしお、1927年5月18日 - 2017年2月8日[1])は、日本俳優。本名同じ。身長173cm、体重72kg。

来歴・人物[編集]

山梨県甲府盆地の北東で、大菩薩峠の登山口の七里村(旧塩山町、現甲州市)出身。旧制山梨県立医学専門学校卒業。戦国時代、甲斐武田家に仕えた譜代家老・土屋昌続(昌次)の子孫といわれる(1969年公開、稲垣浩監督作品『風林火山』では、その土屋昌次当人を演じている)。医学生時代、半田市中島飛行機工場で東南海地震で被災した。

1950年俳優座養成所に2期生として入り、1952年に映画デビュー。その後、俳優座のトイレで映画『七人の侍』のオーディションのために来ていた黒澤明監督に、土屋自身はオーディションに参加していなかったにもかかわらず着目された。養成所卒業式の当日には黒澤に呼ばれてテストを受け、『七人の侍』の利吉役に起用されるが、撮影中に火の粉を吸い込んで肺に火傷を負う。また、『七人の侍』撮影中は黒澤の家に下宿し、それ以降も公私共に交流を深め、『赤ひげ』までの黒澤作品のほとんどに出演している[2]1953年には俳優座に劇団員として入団するものの、この『七人の侍』が契機となって1954年に退座し、東宝と専属契約を結んで映画界に転身した。

東宝特撮映画にも欠かせない存在で、『七人の侍』と同時期に撮影所では『ゴジラ』の撮影が行われていたが、土屋はそれに興味を持ち、黒澤の目を盗んでは本多猪四郎円谷英二監督のいる特撮セットの見学に行くため、円谷組のスタッフの協力を得てトイレに行くと口実を作っては頻繁に通い(後に『ウルトラセブン』でゲスト出演した際も、特撮セットを熱心に見学していた)、この熱意に円谷は土屋の見学に合わせて本番を待ってくれるほどの仲だったという。そのため、東宝の俳優陣では唯一、黒澤組と本多組(円谷組)を多く行き来していた俳優でもある。

初めての特撮への出演は1954年の『透明人間』で、ゴジラシリーズ1955年の『ゴジラの逆襲』であるが、どちらも土屋にとっては印象が薄い作品であるという。というのも、土屋は一癖も二癖もある人物を演じるのが好みで、東宝時代はスマートな役柄が来ると会社に直訴して断っていたほどである。

1957年の『地球防衛軍』では、当初顔出しの主役級で配役されていたが、敵側の宇宙人の方が面白いと考え、「顔が見えなくてもいいから宇宙人をやりたい」と演技課に要望するも「顔が見えないからダメ」と止められ、「俳優は顔が見えればいいってもんじゃないんだ!」と抗議した後に本多へ直訴し(本多は土屋の言動に、いたく感激していたという)、地球を侵略する宇宙人・ミステリアン統領役に回った(この時、土屋が断った役は佐原健二が演じている)。この際、前もって黒澤に「今度宇宙人を演りたいんだけど」とうかがいを立てたところ、「おかしな映画に出るんじゃないぞ。たとえばゴジラとかな。」と釘を刺していた黒澤も「イノさん(本多監督)とこの仕事ならいいよ」と答えたそうである。日本人俳優として初めて宇宙人を演じた土屋はこのミステリアン役やのちのX星人役において独自に「宇宙語」を考案し、これに自動翻訳された片言の日本語の台詞を被せるというアイディアを出すことで、劇中のリアリティを高めた[3][4]。なお、その後日談として、某テレビ局から「『ワレワレは宇宙人ダ』という宇宙人のしゃべり方を最初に発明したのは土屋さんですか?」という問い合わせの電話に土屋が「そうです」と答えたことから、彼がこのフレーズの考案者ということになっている[5]。また、X星人の言葉は芥川龍之介の『河童』に出てくる河童語をもじったものを混ぜ、ミステリアンはこれにドイツ語とフランス語をさらに混ぜたものであるとも語っている。

他に特撮作品では『怪獣大戦争』のX星人統制官、『ガス人間第一号』のガス人間・水野役で知られる。『ゴジラvsキングギドラ』では、シリーズ初のゴジラと交流のある役(本人談)を演じている。また、岡豊熊谷二良渋谷英男らと並び、変身人間シリーズ全作出演者でもある。

これらSF特撮映画への出演から、日本国外にもファンが多い。アメリカでの講演ではファンたちがX星人統制官の手真似や、ガス人間での右手を懐に入れる仕草で出迎えたり、ホテルのボーイが「ガス人間水野!」と声をかけてきたという。イタリアでは、タクシーの運転手が運転中に『マタンゴ』の話題を出してきたと語っている。

UFOにも興味が強く、「日本宇宙旅行協会」という団体があったので、田中友幸藤本真澄、本多、円谷といった面々を(事後承諾で)道連れに入会していた。昭和30年代中頃に銀座の百貨店ビル屋上で行われた、この協会主催のUFO召喚の集いに参加したこともある。この集いには、三島由紀夫石原慎太郎らの姿もあったという。

東宝退社後は主にテレビドラマで活躍した。趣味は登山フラメンコギター釣りモトクロスなど多岐に渡り、サンテレビ制作の釣り番組『ビッグフィッシング』では司会を務めた。また、かつては黒柳徹子のトーク番組『徹子の部屋』の常連ゲストでもあった。上岡龍太郎とも親交が深く、彼がよく珍エピソードを紹介していた。

フラメンコギターにまつわるエピソードでは、スペインに単独で旅行した際、とある小村にてギターの調べに吸い寄せられて訪れた宴たけなわの民家で、演奏に参加して歓迎されるまま数日間投宿したが、あとで人に聞いたところ、その家は盗賊の一族だったという。海外旅行の経験を豊富に持つうえに語学にも堪能で、日仏合作テレビドラマ『スパイ』(1966年)に出演した際には、フランス側の監督から「本当のフランス人のよう」と絶賛された。

2017年2月8日に肺癌で死去。その死が報じられたのは、約7か月後の9月6日だった[1][2]

逸話[編集]

  • 上記の通り、俳優座養成所出身であるが、俳優デビューは舞台ではなく、映画の『殺人容疑者』であった[6]
  • 黒澤明によると、本人は明るい性格なのだが笑うとどこか影のある笑顔になるとのこと。
  • また、山が大好きで公演終了後の休暇を利用して山へ行くこともしばしばあった。しかし『七人の侍』のクランク・インに入ろうとしていた矢先に、土屋が勝手に山に行こうとしたため、それを知った監督の黒澤は「勝手な事をされては困る!!」と慌てて、土屋を自分の家に寝泊りさせたとの事である。
  • ゴジラの逆襲』で初登場した怪獣アンギラスの名前が決まっていなかった時期、土屋は「ギョットス」という名前を考えて公募したことを、佐原健二高島忠夫との対談で明らかにした。
  • マタンゴ』では、出演者達が食べる劇中のキノコは蒸し菓子で米粉を練った和菓子素材で作られており、食紅などで色がつけられていた。菓子は風月堂が映画用に作っており、毎朝撮影所に蒸したてが届けられた。そのままでは、味気なかったため、彼の提案で砂糖を加えて食べやすくしたところ大変好評で、スタッフたちも撮影の合間につまみ食いをしており、水野久美は特に気に入って食べていたという。
  • ニック・アダムスとは特に息が合い、彼をからかい、女性に対しての挨拶は「もうかりまっか?」や朝のあいさつ「ああ、腹減ったなあ」などの日本語をあいさつとして教えていたが、そのうちに「誰が(アダムス)にでたらめを教えたんだ」と騒動になり、張本人の土屋は他人のふりをしてとぼけたという。アダムスの離日時、彼にサインをプレゼントし、「大事に家に飾っておくよ」と約束された。土屋は「すぐ捨てるんだろう」と本気にしていなかったが、数年後、田中友幸が訪米した際にアダムスの自宅を訪ねたところ、本当に自宅に飾ってあったという[7]
  • ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』といったウルトラシリーズにゲスト出演したのが縁で当初は『帰ってきたウルトラマン』の伊吹竜隊長の候補に挙がっていた[8]
  • 特撮映画においては、ナチュラルでかつシリアスな芝居を抑制して演じることを心がけており、当たり役となったガス人間では、自然体な言動を淡々とメリハリの利いた芝居に混ぜて演じることに終始し、『ゴジラvsキングギドラ』でのゴジラとの対面場面では敢えて微動だにしない芝居を行った。また特撮にありがちな顔の見えないキャラクターが大げさな身振りや手ぶりをしがちになることには懐疑的で、指先などの細かい部分での芝居が重要だとの自論を持っている。
  • 1959年の『宇宙大戦争』撮影当時、まだアポロが月に行っておらず月面での正確な動きが分かっていなかったのだが、土屋は「月面は重力が地球の3分の1だから、フワフワした歩き方になる。役者はそう芝居しなきゃウソだ」と強硬に主張して、カッコ悪さや見栄えを懸念するスタッフを、最終的に本多監督が賛同したこともあって押し通した。10年後、実際に月面探査が実現した際、撮影中だった土屋はロケ先の六甲山ホテルのロビーで中継映像を鑑賞し、自説が正しかったことを見届けて「ブラボー(ざまぁみろ)!」と叫んだという[7]

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

オリジナルビデオ[編集]

吹き替え[編集]

バラエティー番組[編集]

著作[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b “土屋嘉男氏が死去 俳優”. 日本経済新聞. (2017年9月6日). https://www.nikkei.com/article/DGXLZO20808650W7A900C1CZ8000/ 2017年9月6日閲覧。 
  2. ^ a b 俳優の土屋嘉男さん死去 黒澤映画の脇役として活躍 朝日新聞DIGITAL 2017年9月6日03時04分(2017年9月21日閲覧)
  3. ^ 高木圭介 (2014年8月3日). “468:「ワレワレハ宇宙人ダ」の元ネタは?”. 東スポWeb. http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-takagi/1205/ 2017年9月6日閲覧。 
  4. ^ 福永聖二 (2015年9月26日). “真っ正面からゴジラに向かう…本多猪四郎”. YOMIURI ONLINE. オリジナル2015年9月27日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/20150927034144/http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20150925-OYT8T50135.html 2017年9月6日閲覧。 
  5. ^ 『ゴジラとともに特撮VIPインタビュー集』 別冊映画秘宝編集部 編、洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年、37頁。ISBN 978-4800310507
  6. ^ 木全公彦. “鈴木英夫〈その11〉 インタビュー:土屋嘉男”. 木全公彦 コラム「日本映画の(ギョク)」. 映画の國. 2017年9月6日閲覧。
  7. ^ a b 『怪獣大戦争』DVDのオーディオコメンタリーより。
  8. ^ 『不滅のヒーロー ウルトラマン白書』 朝日ソノラマ1982年、85頁。

参考文献[編集]

  • 中村深海/著『永遠の東宝映画俳優』土屋嘉男インタビュー くまがい書房、2014年

外部リンク[編集]