フランシス・フォード・コッポラ

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フランシス・フォード・コッポラ
Francis Ford Coppola
Francis Ford Coppola
2001年、カンヌにて
生年月日 1939年4月7日(76歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミシガン州デトロイト
民族 イタリア系アメリカ人
職業 映画監督・映画プロデューサー・脚本家・実業家
活動期間 1962年 - 活動中
配偶者 エレニア・ジェシー・ニール
(1963年 - 現在)
著名な家族 カーマイン・コッポラ(父)
イタリア・コッポラ(母)
アントン・コッポラ(叔父)
オーガスト・コッポラ(兄)
タリア・シャイア(妹)
ジャン=カルロ・コッポラ(息子)
ロマン・コッポラ(息子)
ソフィア・コッポラ(娘)
マーク・コッポラ(甥)
ニコラス・ケイジ(甥)
クリストファー・コッポラ(甥)
ジェイソン・シュワルツマン(甥)
ロバート・シュワルツマン(甥)
ジア・コッポラ(孫)
主な作品
ゴッドファーザー』(1972年)
カンバセーション…盗聴…』(1973年)
ゴッドファーザー PART II』(1974年)
地獄の黙示録』(1979年)

フランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola, 1939年4月7日 - )は、アメリカ合衆国映画監督映画プロデューサー脚本家実業家

娘は映画監督のソフィア・コッポラ、息子は映画監督のロマン・コッポラ。甥は俳優のニコラス・ケイジ(フランシスの兄オーガストの子)、ジェイソン・シュワルツマン(タリア・シャイアの子)。

来歴[編集]

祖父はイタリア人で、南イタリアの町ベルナルダ出身。1904年にアメリカに移住した。父は元NBC交響楽団フルート奏者で作曲家のカーマイン・コッポラ、妹は女優のタリア・シャイア

コッポラはデトロイト出身、ニューヨーク郊外で育った。ホフストラ大学で演劇を学ぶ傍ら、セルゲイ・エイゼンシュテインの作品を研究する。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で学び、在学中からピンク映画や恐怖映画の演出を手がける。黒澤明のファンでもある彼は学生時代に、ノーベル文学賞を特例として黒澤に授与すべき、という旨の手紙をノーベル事務局へ送った。

ロジャー・コーマンのもとで低予算映画を製作し、キャリアをスタートした。1969年には映画制作会社アメリカン・ゾエトロープ社を設立し、ワーナー・ブラザーズと7本の映画製作の契約を結ぶが、第1作の『THX 1138』の内容をワーナー幹部に酷評され、契約を破棄される。その結果、ゾエトロープ社とその社長のコッポラは危機に追い込まれるが、1972年の『ゴッドファーザー』の世界的ヒットにより、複数の映画賞を獲得し、シリーズ化もされた。

1970年代中頃、コッポラは東映岡田茂へ「千葉真一アル・パチーノの共演による映画を製作したい」とオファーしていたが、岡田に断られている[1]1979年の『地獄の黙示録』はカンヌ国際映画祭グランプリを獲得したが、続く1982年の『ワン・フロム・ザ・ハート』が興行的に失敗、経済的に苦しい立場に追い込まれて、1980年代以降には3度の破産を経験している。『影武者』の外国版プロデューサーとして参加し、資金を援助した。

カリフォルニア州ナパバレーでニバウム・コッポラ・ワイナリーを経営し、「ルビコン」ワインは世界的評価を受けた。ジョージ・ルーカススカイウォーカーランチと提携して「スカイウォーカー」ワインも販売している。コッポラは、このワインビジネスで多大な利益を得、アメリカでも屈指の富豪となった。

作品[編集]

監督[編集]

脚本[編集]

製作・製作総指揮[編集]

出演[編集]

  • 戦場の追跡 War Hunt (1962年)陸軍のトラック運転手(クレジットなし)
  • ヤングレーサー The Young Racers (1963年)クレジットなし
  • 地獄の黙示録 Apocalypse Now (1979年)テレビ・ディレクター (クレジットなし)
  • ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録 Hearts of Darkness: A Filmmaker's Apocalypse (1991年)エレノア・コッポラ監督、ドキュメンタリー映画。
  • アメリカン・ニューシネマ 反逆と再生のハリウッド史 A Decade Under the Influence (2003年)ドキュメンタリー映画
  • パロアルト・ストーリー Palo Alto (2013年)声の出演(クレジットなし)- ジア・コッポラ長編映画監督デビュー作。

受賞[編集]

部門 作品 結果
アカデミー賞 1970年 脚本賞 パットン大戦車軍団 受賞[3]
1972年 作品賞 ゴッドファーザー 受賞
脚色賞 受賞[4]
監督賞 ノミネート
1973年 作品賞 アメリカン・グラフィティ ノミネート[5]
1974年 作品賞 ゴッドファーザー PART II 受賞[6]
監督賞 受賞
脚色賞 受賞[4]
作品賞 カンバセーション…盗聴… ノミネート
脚本賞 ノミネート
1979年 作品賞 地獄の黙示録 ノミネート[7]
監督賞 ノミネート
脚色賞 ノミネート[8]
1990年 作品賞 ゴッドファーザー PART III ノミネート
監督賞 ノミネート
2010年 アービング・G・タルバーグ賞 - 受賞
カンヌ国際映画祭 1967年 パルム・ドール 大人になれば… ノミネート
1974年 パルム・ドール カンバセーション…盗聴… 受賞
エキュメニカル審査員賞 特別賞 受賞
1979年 パルムドール 地獄の黙示録 受賞
国際批評家連盟賞 受賞
ヴェネチア国際映画祭 1992年 栄誉金獅子賞 - 受賞
ベルリン国際映画祭 1991年 ベルリナーレ・カメラ(功労賞) - 受賞
ゴールデン・グローブ賞 1972年 作品賞(ドラマ部門) ゴッドファーザー 受賞
監督賞 受賞
脚本賞 受賞[4]
1973年 作品賞(ミュージカル・コメディ部門) アメリカン・グラフィティ 受賞[9]
1974年 作品賞(ドラマ部門) ゴッドファーザー PART II ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 ノミネート[10]
作品賞(ドラマ部門) カンバセーション…盗聴… ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 ノミネート
1979年 監督賞 地獄の黙示録 受賞
作曲賞 受賞[11]
1984年 監督賞 コットンクラブ ノミネート
1990年 監督賞 ゴッドファーザー PART III ノミネート
脚本賞 ノミネート[10]
ニューヨーク映画批評家協会賞 1972年 作品賞 ゴッドファーザー ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 ノミネート[10]
1974年 脚本賞 カンバセーション…盗聴… ノミネート
作品賞 ゴッドファーザー PART II ノミネート
監督賞 ノミネート
全米映画批評家協会 1972年 監督賞 ゴッドファーザー ノミネート
脚本賞 ノミネート[10]
1974年 監督賞 カンバセーション…盗聴…
ゴッドファーザー PART II
受賞
全米監督協会賞 1972年 長編映画監督賞 ゴッドファーザー 受賞
1974年 長編映画監督賞 ゴッドファーザー PART II 受賞
長編映画監督賞 カンバセーション…盗聴… ノミネート
1998年 生涯功績賞 - 受賞
全米脚本家組合賞 1967年 コメディ脚本賞(映画部門) 大人になれば… ノミネート
1970年 脚本賞(映画部門) パットン大戦車軍団 受賞[3]
1972年 脚色賞(映画部門) ゴッドファーザー 受賞[4]
1974年 脚色賞(映画部門) ゴッドファーザー PART II 受賞[4]
脚本賞(映画部門) カンバセーション…盗聴… ノミネート
1979年 脚本賞(映画部門) 地獄の黙示録 ノミネート[8]
全米撮影監督協会賞 1998年 理事会賞 - 受賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー 1974年 監督賞 カンバセーション…盗聴… 受賞
1997年 ビリー・ワイルダー賞 - 受賞
英国アカデミー賞 1974年 監督賞 カンバセーション…盗聴… ノミネート
脚本賞 ノミネート
1979年 監督賞 地獄の黙示録 受賞
アンソニー・アスキス賞(作曲賞) ノミネート[12]
モスクワ国際映画祭 1983年 金賞 アウトサイダー ノミネート
1987年 金賞 友よ、風に抱かれて ノミネート
サン・セバスティアン国際映画祭 1969年 ゴールデン・シェル(最優秀映画賞) 雨のなかの女 受賞
1984年 OCIC賞 ランブルフィッシュ 受賞
国際映画批評家連盟賞 受賞
2002年 50周年特別賞 - 受賞
テッサロニキ国際映画祭 2005年 ゴールデン・アレクサンダー名誉賞 - 受賞
セザール賞 1979年 外国映画賞 地獄の黙示録 ノミネート
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 1973年 外国作品賞 ゴッドファーザー 受賞
1980年 外国監督賞 地獄の黙示録 受賞
1981年 外国プロデューサー賞 影武者 受賞[13]
リンカーン・センター映画協会 2002年 Chaplin Award Gala - 受賞
サテライト賞 2001年 メアリー・ピックフォード賞 - 受賞
エドガー賞 1974年 脚本賞(映画部門) カンバセーション…盗聴… ノミネート
サターン賞 1992年 監督賞 ドラキュラ 受賞
ヒューゴー賞 1993年 映像部門 ドラキュラ ノミネート
グラミー賞 1980年 映画・テレビサウンドトラック部門 地獄の黙示録 ノミネート[12]
プライムタイム・エミー賞 1997年 作品賞 (ミニシリーズ部門) オデッセイ ノミネート
1998年 作品賞 (ミニシリーズ部門) モビー・ディック ノミネート

脚注[編集]

  1. ^ 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』 文化通信社、ヤマハミュージックメディア(原著2012年5月27日)、62 - 73頁。ISBN 4636885198
  2. ^ ソビエト映画『大宇宙基地』(1959年、原題:Небо зовёт)をロジャー・コーマンが大幅に改変して公開した作品。コッポラはアメリカ版で追加撮影されたパートの監督を務めた。
  3. ^ a b エドマンド・H・ノースと共に受賞。
  4. ^ a b c d e マリオ・プーゾと共に受賞。
  5. ^ ゲイリー・カーツと共にノミネート。
  6. ^ グレイ・フレデリクソン、フレッド・ルースと共に受賞。
  7. ^ フレッド・ルース、グレイ・フレデリクソン、トム・スターンバーグと共にノミネート。
  8. ^ a b ジョン・ミリアスと共にノミネート。
  9. ^ ゲイリー・カーツと共に受賞。
  10. ^ a b c d マリオ・プーゾと共にノミネート。
  11. ^ カーマイン・コッポラと主に受賞。
  12. ^ a b カーマイン・コッポラと共にノミネート。
  13. ^ ジョージ・ルーカスと共に受賞。
  14. ^ 高松宮殿下記念世界文化賞 2013年 第25回 演劇・映像部門 フランシス・フォード・コッポラ”. 2013年10月25日閲覧。
  15. ^ 2013 Praemium Imperiale Press Conference”. 2013年10月25日閲覧。
  16. ^ Francis Ford Coppola, 2013 Laureate of Theatre/Film”. 2013年10月25日閲覧。

外部リンク[編集]