フランシス・フォード・コッポラ

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フランシス・フォード・コッポラ
Francis Ford Coppola
Francis Ford Coppola
生年月日 (1939-04-07) 1939年4月7日(82歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミシガン州デトロイト
民族 イタリア系アメリカ人
職業 映画監督・映画プロデューサー・脚本家・実業家
活動期間 1962年 - 活動中
配偶者 エレニア・ジェシー・ニール
(1963年 - 現在)
著名な家族 カーマイン・コッポラ(父)
イタリア・コッポラ(母)
アントン・コッポラ(叔父)
オーガスト・コッポラ(兄)
タリア・シャイア(妹)
ジャン=カルロ・コッポラ(息子)
ロマン・コッポラ(息子)
ソフィア・コッポラ(娘)
マーク・コッポラ(甥)
ニコラス・ケイジ(甥)
クリストファー・コッポラ(甥)
ジェイソン・シュワルツマン(甥)
ロバート・シュワルツマン(甥)
ジア・コッポラ(孫)
主な作品
ゴッドファーザー』(1972年)
カンバセーション…盗聴…』(1973年)
ゴッドファーザー PART II』(1974年)
地獄の黙示録』(1979年)
 
受賞
アカデミー賞
作品賞
1974年ゴッドファーザー PART II
監督賞
1974年『ゴッドファーザー PART II』
脚本賞
1970年パットン大戦車軍団
脚色賞
1972年ゴッドファーザー
1974年『ゴッドファーザー PART II』
アービング・G・タルバーグ賞
2010年 映画界への貢献に対して
カンヌ国際映画祭
パルム・ドール
1974年カンバセーション…盗聴…
1979年地獄の黙示録
国際映画批評家連盟賞
1979年『地獄の黙示録
ヴェネツィア国際映画祭
栄誉金獅子賞
1992年
全米映画批評家協会賞
監督賞
1974年『ゴッドファーザー PART II』『カンバセーション…盗聴…』
AFI賞
ギャング映画トップ10(第1位)
2008年『ゴッドファーザー』
英国アカデミー賞
監督賞
1979年『地獄の黙示録』
ゴールデングローブ賞
監督賞
1972年『ゴッドファーザー』
1979年『地獄の黙示録』
脚本賞
1972年『ゴッドファーザー』
作曲賞
1979年『地獄の黙示録』
その他の賞
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フランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola, 1939年4月7日 - )は、アメリカ合衆国映画監督映画プロデューサー脚本家実業家

娘は映画監督のソフィア・コッポラ、息子は映画監督のロマン・コッポラ。甥は俳優のニコラス・ケイジ(フランシスの兄オーガストの子)、ジェイソン・シュワルツマン(タリア・シャイアの子)。

来歴[編集]

祖父はイタリア人で、南イタリアの町ベルナルダ出身。1904年にアメリカに移住した。父は元NBC交響楽団フルート奏者で作曲家のカーマイン・コッポラ、妹は女優のタリア・シャイア

コッポラはデトロイト出身、ニューヨーク郊外で育った。ホフストラ大学で演劇を学ぶ傍ら、セルゲイ・エイゼンシュテインの作品を研究する。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で学び、在学中からピンク映画や恐怖映画の演出を手がける。

ロジャー・コーマンのもとで低予算映画の監督としてキャリアをスタートし、『大人になれば…』ではジェラルディン・ペイジアカデミー助演女優賞ノミネートをもたらす。また『雨のニューオリンズ』(1965年)、『パリは燃えているか』(1966年)、『禁じられた情事の森』(1967年、クレジットなし)[1]などの作品では脚本を執筆。『パットン大戦車軍団』(1970年)ではアカデミー脚本賞を受賞した。

1969年11月19日、映画制作会社アメリカン・ゾエトロープ社を設立[2]ワーナー・ブラザースと7本の映画製作の契約を結ぶが、第1作のジョージ・ルーカス監督作の『THX 1138』の内容をワーナー幹部に酷評され、契約を破棄された上に勝手な編集を加えられ、公開された映画は興行的、批評的に失敗する。その結果、ゾエトロープ社とその社長のコッポラは危機に追い込まれる。

しかし、1972年に自身が監督した『ゴッドファーザー』が公開され、当時の歴代世界興行収入ランキングで一位を記録。マフィア映画としては異例の大ヒットを記録し、第45回アカデミー賞では作品賞を受賞し、自身も脚色賞を受賞。本作により、落ち目と目されていたマーロン・ブランドアカデミー主演男優賞受賞によって復活を果たし、アル・パチーノロバート・デュヴァルジェームズ・カーンダイアン・キートンの出世作ともなった。同時にコッポラ自身も会社の立て直しに成功する。

本作の成功により経済的余裕ができたコッポラは、翌年の1973年にルーカスが監督した『アメリカン・グラフィティ』で製作を担当。前作の『THX 1138』での失敗を見事に跳ね返す成功となるが、ルーカスは同時に次作として温めていた企画である『スター・ウォーズ』に対するコッポラの介入を恐れるようになり、それを避けるためにジョセフ・コンラッドの『闇の奥』をベトナム戦争に置き換えた映画化企画を無償で譲ることになり、それが後の『地獄の黙示録』となる。

1974年に『ゴッドファーザー』の続編である『ゴッドファーザー PART II』と、自身のオリジナル脚本によるサスペンス映画カンバセーション…盗聴…』を発表。前者では元々は制作に乗り気ではなく、自身は製作に回り、監督はマーティン・スコセッシに任せるつもりであった。しかし、パラマウント映画から無条件予算と全権を渡されたことから契約書にサインした。後者に関しては、『ゴッドファーザー PART II』と同時期に制作していたため、録音担当のウォルター・マーチが編集作業にも携わり、完成された。公開後、前者は続編物としては唯一のアカデミー作品賞を受賞し、コッポラの父であるカーマイン・コッポラアカデミー作曲賞を受賞。興行的にも大成功を収める。後者は興行的には失敗したものの、批評家からは大絶賛され、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。また、アカデミー作品賞にもノミネートされ、コッポラにとっては、監督した2作品が同年の作品賞にダブルノミネートされることとなった。

1979年、ルーカスから渡された企画である『地獄の黙示録』を発表する。本作はフィリピンの奥地で撮影されたが、自然災害やキャストとの衝突、スタッフ間でのドラッグの蔓延により大幅にスケジュールが遅れ、コッポラも相次ぐトラブルから来るストレスによって倒れてしまう。しかし、撮影終了後、未完成のまま作品はカンヌ国際映画祭に出品され、物議を醸しながらも再びパルム・ドールを受賞。本国でも興行的に成功を収め、巨額の制作費を無事に回収する。 また、その翌年には黒澤明の『影武者』の外国版プロデューサーとして参加し、資金を援助した。

しかし、『ワン・フロム・ザ・ハート』が興行的、批評的に失敗、経済的に苦しい立場に追い込まれて、1980年代以降には3度の破産を経験している。

1990年、『ゴッドファーザー PART III』を発表。当時、すでに破産によってハリウッドで力を失っていたコッポラには権利が殆どなく、完成した作品も前2作に及ぶ興行成績を残せなかった。また、娘のソフィア・コッポラは役者として出演したものの、ゴールデンラズベリー賞受賞という不本意な結果になってしまい、アカデミー賞でも作品賞を含む6部門にノミネートされたものの、受賞はなかった。

2000年以降は監督としての作品数は減ったものの、2003年には娘のソフィアが監督した『ロスト・イン・トランスレーション』で製作総指揮を務め、ソフィアがアカデミー脚本賞を受賞。親子3代でアカデミー賞受賞者となった。

作品[編集]

監督[編集]

脚本[編集]

製作・製作総指揮[編集]

出演[編集]

  • 戦場の追跡 War Hunt (1962年)陸軍のトラック運転手(クレジットなし)
  • ヤングレーサー The Young Racers (1963年)(クレジットなし)
  • 地獄の黙示録 Apocalypse Now (1979年)テレビ・ディレクター (クレジットなし)
  • ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録 Hearts of Darkness: A Filmmaker's Apocalypse (1991年)エレノア・コッポラ監督、ドキュメンタリー映画。
  • アメリカン・ニューシネマ 反逆と再生のハリウッド史 A Decade Under the Influence (2003年)ドキュメンタリー映画
  • パロアルト・ストーリー Palo Alto (2013年)声の出演(クレジットなし)- ジア・コッポラ長編映画監督デビュー作。

受賞[編集]

部門 作品 結果
アカデミー賞 1970年 脚本賞 パットン大戦車軍団 受賞[4]
1972年 作品賞 ゴッドファーザー 受賞
脚色賞 受賞[5]
監督賞 ノミネート
1973年 作品賞 アメリカン・グラフィティ ノミネート[6]
1974年 作品賞 ゴッドファーザー PART II 受賞[7]
監督賞 受賞
脚色賞 受賞[5]
作品賞 カンバセーション…盗聴… ノミネート
脚本賞 ノミネート
1979年 作品賞 地獄の黙示録 ノミネート[8]
監督賞 ノミネート
脚色賞 ノミネート[9]
1990年 作品賞 ゴッドファーザー PART III ノミネート
監督賞 ノミネート
2010年 アービング・G・タルバーグ賞 - 受賞
カンヌ国際映画祭 1967年 パルム・ドール 大人になれば… ノミネート
1974年 パルム・ドール カンバセーション…盗聴… 受賞
エキュメニカル審査員賞 特別賞 受賞
1979年 パルムドール 地獄の黙示録 受賞
国際批評家連盟賞 受賞
ヴェネチア国際映画祭 1992年 栄誉金獅子賞 - 受賞
ベルリン国際映画祭 1991年 ベルリナーレ・カメラ(功労賞) - 受賞
ゴールデン・グローブ賞 1972年 作品賞(ドラマ部門) ゴッドファーザー 受賞
監督賞 受賞
脚本賞 受賞[5]
1973年 作品賞(ミュージカル・コメディ部門) アメリカン・グラフィティ 受賞[10]
1974年 作品賞(ドラマ部門) ゴッドファーザー PART II ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 ノミネート[11]
作品賞(ドラマ部門) カンバセーション…盗聴… ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 ノミネート
1979年 監督賞 地獄の黙示録 受賞
作曲賞 受賞[12]
1984年 監督賞 コットンクラブ ノミネート
1990年 監督賞 ゴッドファーザー PART III ノミネート
脚本賞 ノミネート[11]
ニューヨーク映画批評家協会賞 1972年 作品賞 ゴッドファーザー ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 ノミネート[11]
1974年 脚本賞 カンバセーション…盗聴… ノミネート
作品賞 ゴッドファーザー PART II ノミネート
監督賞 ノミネート
全米映画批評家協会 1972年 監督賞 ゴッドファーザー ノミネート
脚本賞 ノミネート[11]
1974年 監督賞 カンバセーション…盗聴…
ゴッドファーザー PART II
受賞
全米監督協会賞 1972年 長編映画監督賞 ゴッドファーザー 受賞
1974年 長編映画監督賞 ゴッドファーザー PART II 受賞
長編映画監督賞 カンバセーション…盗聴… ノミネート
1998年 生涯功績賞 - 受賞
全米脚本家組合賞 1967年 コメディ脚本賞(映画部門) 大人になれば… ノミネート
1970年 脚本賞(映画部門) パットン大戦車軍団 受賞[4]
1972年 脚色賞(映画部門) ゴッドファーザー 受賞[5]
1974年 脚色賞(映画部門) ゴッドファーザー PART II 受賞[5]
脚本賞(映画部門) カンバセーション…盗聴… ノミネート
1979年 脚本賞(映画部門) 地獄の黙示録 ノミネート[9]
全米撮影監督協会賞 1998年 理事会賞 - 受賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー 1974年 監督賞 カンバセーション…盗聴… 受賞
1997年 ビリー・ワイルダー賞 - 受賞
英国アカデミー賞 1974年 監督賞 カンバセーション…盗聴… ノミネート
脚本賞 ノミネート
1979年 監督賞 地獄の黙示録 受賞
アンソニー・アスキス賞(作曲賞) ノミネート[13]
モスクワ国際映画祭 1983年 金賞 アウトサイダー ノミネート
1987年 金賞 友よ、風に抱かれて ノミネート
サン・セバスティアン国際映画祭 1969年 ゴールデン・シェル(最優秀映画賞) 雨のなかの女 受賞
1984年 OCIC賞 ランブルフィッシュ 受賞
国際映画批評家連盟賞 受賞
2002年 50周年特別賞 - 受賞
テッサロニキ国際映画祭 2005年 ゴールデン・アレクサンダー名誉賞 - 受賞
セザール賞 1979年 外国映画賞 地獄の黙示録 ノミネート
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 1973年 外国作品賞 ゴッドファーザー 受賞
1980年 外国監督賞 地獄の黙示録 受賞
1981年 外国プロデューサー賞 影武者 受賞[14]
リンカーン・センター映画協会 2002年 Chaplin Award Gala - 受賞
サテライト賞 2001年 メアリー・ピックフォード賞 - 受賞
エドガー賞 1974年 脚本賞(映画部門) カンバセーション…盗聴… ノミネート
サターン賞 1992年 監督賞 ドラキュラ 受賞
ヒューゴー賞 1993年 映像部門 ドラキュラ ノミネート
グラミー賞 1980年 映画・テレビサウンドトラック部門 地獄の黙示録 ノミネート[13]
プライムタイム・エミー賞 1997年 作品賞 (ミニシリーズ部門) オデッセイ ノミネート
1998年 作品賞 (ミニシリーズ部門) モビー・ディック ノミネート

備考[編集]

コッポラワイナリー産の「カベルネ・ソーヴィニョン」

脚注[編集]

  1. ^ ハーラン・リーボ、河原一久、鈴木勉訳 『ザ・ゴッドファーザー』 ソニーマガジンズ、2001年11月22日、43頁。ISBN 978-4789717748 
  2. ^ ハーラン・リーボ 『ザ・ゴッドファーザー』前掲書、50頁。
  3. ^ ソビエト映画『大宇宙基地』(1959年、原題:Небо зовёт)をロジャー・コーマンが大幅に改変して公開した作品。コッポラはアメリカ版で追加撮影されたパートの監督を務めた。
  4. ^ a b エドマンド・H・ノースと共に受賞。
  5. ^ a b c d e マリオ・プーゾと共に受賞。
  6. ^ ゲイリー・カーツと共にノミネート。
  7. ^ グレイ・フレデリクソン、フレッド・ルースと共に受賞。
  8. ^ フレッド・ルース、グレイ・フレデリクソン、トム・スターンバーグと共にノミネート。
  9. ^ a b ジョン・ミリアスと共にノミネート。
  10. ^ ゲイリー・カーツと共に受賞。
  11. ^ a b c d マリオ・プーゾと共にノミネート。
  12. ^ カーマイン・コッポラと主に受賞。
  13. ^ a b カーマイン・コッポラと共にノミネート。
  14. ^ ジョージ・ルーカスと共に受賞。
  15. ^ 高松宮殿下記念世界文化賞 2013年 第25回 演劇・映像部門 フランシス・フォード・コッポラ”. 2013年10月25日閲覧。
  16. ^ 2013 Praemium Imperiale Press Conference”. 2013年10月25日閲覧。
  17. ^ Francis Ford Coppola, 2013 Laureate of Theatre/Film”. 2013年10月25日閲覧。
  18. ^ 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、ヤマハミュージックメディア(原著2012年5月27日)、62 - 73頁。ISBN 4636885198
  19. ^ Rubicon Shuttered | News | News & Features”. Wine Spectator. 2018年6月18日閲覧。

外部リンク[編集]