ジョン・アーヴィング

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ジョン・アーヴィング
ワルシャワにて(2006年9月10日)

ジョン・ウィンズロー・アーヴィングJohn Winslow Irving1942年3月2日 - )とは、アメリカ合衆国の小説家である。本名ジョン・ウォレス・ブラント・ジュニア(John Wallace Blunt, Jr)。

人物[編集]

物語の解体や時間軸の交錯など、いわゆる「ポストモダン文学」に代表される20世紀の文学潮流のさなかで「チャールズ・ディケンズを尊敬する」と公言し、ポスト・モダン文学の首魁として扱われがちなジョイスを「ゴミ」「オナニー本の作者」とまで言い切った[1]ように、アーヴィングは19世紀的な「物語の復権」を目指した作家といえる。彼が発表する作品のほとんどは主人公たちによる人間喜劇のような波乱万丈のストーリー展開をもつ。彼の小説は次々に映画化されて話題となり、いまでは現代アメリカ文学を代表する作家となった。

特に初期作品にはアーヴィング本人の人生が反映されているといわれる。また彼の処女作『熊を放つ』を村上春樹が翻訳し、柴田元幸がその訳文のチェックを行ったことが現在の両者の親交のきっかけだったというエピソードはよく知られている。

経歴[編集]

  • 1942年3月2日、ニューハンプシャー州エクセターに生まれる。
  • 物心つかぬうちに母が、実父と離婚したため、エクセターのフロント・ストリートにある母の実家で育てられる。
  • 1948年 母が、フィリップス・エクセター・アカデミーの教師、コリン・F・N・アーヴィングと再婚。
  • 幼少時に、文学好きの祖母の影響を受ける。
  • 1957年、フィリップス・エクセター・アカデミー入学。レスリング部主将として活躍。また、文学にも興味を示し、習作をいくつか書く。
  • 1961年、同アカデミー卒業後、レスリングの腕を買われてピッツバーグ大学へ入学。
  • 1962年、レスリング選手を諦めて大学を退学、ニューハンプシャー大学へ入学。
  • 1963年、大学をドロップアウト。ハーヴァード大学の夏期ドイツ語集中講座を受講している間に、パーティで妻となるシャイラ・リアリと知り合う。
  • 1963-64年、ウィーン大学に学ぶ。
  • 1964年、シャイラ・リアリと結婚。ニューハンプシャー大学に復学する。
  • 1965年、長男コリン誕生。ニューハンプシャー大学英語科卒業。短編『冬の枝』が雑誌に掲載される。特別奨学金でアイオワ大学へ入り、創作科でカート・ヴォネガットに師事。
  • 1967年、同大学の修士論文として『熊を放つ』を執筆し、修士号を授与される。
  • 1968年、『熊を放つ』で作家デビュー。
  • 1978年、『ガープの世界』を発表、一躍、注目を浴びる。ハードカバーだけで10万部のベストセラーとなり、1980年にはペイパーバック部門のアメリカ図書賞を受賞。
  • 1985年、来日。
  • 1999年、『サイダーハウス・ルール』でアカデミー脚色賞を受賞。

エピソード[編集]

  • アーヴィングが『ホテル・ニューハンプシャー』を執筆中に、完成前の原稿の朗読会を行ったが、ある女子学生が、ある登場人物の運命に、大泣きしてしまったという[要出典]

主な作品[編集]

映画化[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本一怖い!ブック・オブ・ザ・イヤー2006』ロッキング・オン、2005年、50p

外部リンク[編集]