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ジョン・ファロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・ファロー
John Farrow
ジョン・ファロー John Farrow
1950年撮影
本名 John Villiers Farrow
生年月日 (1904-02-10) 1904年2月10日
没年月日 (1963-01-27) 1963年1月27日(58歳没)
出生地 オーストラリアの旗 オーストラリアシドニー
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ビバリーヒルズ
職業 映画監督、映画プロデューサー、脚本家
活動期間 1927年 - 1962年
配偶者 Felice Lewin
(1924年 - 1934年)
モーリン・オサリヴァン
(1936年 - 1963年)
著名な家族 ミア・ファロー(娘)
 
受賞
アカデミー賞
第29回アカデミー脚色賞
(『八十日間世界一周』、1956年)
その他の賞
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ジョン・ファローJohn Villiers Farrow CBE, 1904年2月10日 - 1963年1月27日)は、オーストラリアシドニー出身の映画監督映画プロデューサー脚本家

1920年代に渡米し、映画界入り。当初は脚本家として活動し、1934年に映画監督デビュー。

1956年、『八十日間世界一周』で第29回アカデミー脚色賞を受賞した[1]

2番目の妻の女優・モーリン・オサリヴァン(1936年結婚)との間に3男4女をもうけ[2]、うち長女・ミア・ファローは女優になった。

1963年1月27日心臓発作で死去、58歳。

主な作品

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監督

  • ターザンの逆襲 Tarzan Escapes (1936)
  • コメット・オーバー・ブロードウェイ Comet Over Broadway (1938) バスビー・バークレーの後継(クレジットなし)
  • 恐るべき告白 Full Confession (1939)
  • 暗黒街に明日はない The Saint Strikes Back (1939)
  • 暁の勝利 Commandos Strike at Dawn (1942)
  • ウェーク島攻防戦 Wake Island (1942) 第8回ニューヨーク映画批評家協会賞 監督賞受賞
  • 大空に駈ける恋 You Came Along (1945)
  • 最後の地獄船 Two Years Before the Mast (1946)
  • カルフォルニア California (1947)
  • パンと娘と馬の鼻 Easy Come, Easy Go (1947)
  • 栄光は消えず Beyond Glory (1948)
  • 大時計 The Big Clock (1948)
  • 夜は千の眼を持つ Night Has a Thousand Eyes (1948)
  • 夜霧の誘惑 Alias Nick Beal (1949)
  • ゼロへの逃避行 Where Danger Lives (1950)
  • 銅の谷 Copper Canyon (1950)
  • 太平洋の虎鮫 Submarine Command (1951)
  • 替え玉殺人計画 His Kind of Woman (1951) 前半部分、後半部分はリチャード・フライシャー監督(クレジットなし)[3]、製作も
  • 荒原の疾走 Ride, Vaquero! (1953) 脚本も
  • ホンドー Hondo (1953)
  • 流刑の大陸 Botany Bay (1953)
  • 男の魂 The Sea Chase (1955)
  • 地獄の翼 Back from Eternity (1956) 製作も
  • 金髪の悪魔 The Unholy Wife (1957) 製作も
  • 大海戦史 John Paul Jones (1959) 脚本も

脚本

  • 三週間 Three Weekends (1928)
  • モスコーの女 The Woman from Moscow (1928)
  • 希望の船 The First Kiss (1928)
  • 暗黒街の女 Ladies of the Mob (1928)
  • 狼の唄 Wolf Song (1929)
  • 七日間の休暇 Seven Days' Leave (1930)
  • 八十日間世界一周 Around the World in 80 Days (1956)

脚注

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  1. ^ 29th Academy Awards Winners - Oscar Legacy - Academy of Motion Picture Arts and Sciences
  2. ^ California Births 1905–1995
  3. ^ 製作会社RKOの代表ハワード・ヒューズが彼の演出を気に入らず、途中で更迭した事による。

外部リンク

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