ベルナルド・ベルトルッチ
ベルナルド・ベルトルッチ Bernardo Bertolucci | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生年月日 | 1941年3月16日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没年月日 | 2018年11月26日(77歳没) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出生地 |
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死没地 |
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職業 | 映画監督、脚本家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
活動期間 |
1962年 - 2003年 2012年 - 2018年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
配偶者 |
アドリアーナ・アスティ クレア・ペプロー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『殺し』 『暗殺の森』 『ラストタンゴ・イン・パリ』 『1900年』 『ラストエンペラー』 『シェルタリング・スカイ』 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ベルナルド・ベルトルッチ (Bernardo Bertolucci, 1941年3月16日[2] - 2018年11月26日[2][3][4])は、イタリアの映画監督。日本語では慣用的にベルトリッチと表記される場合もある。
来歴[編集]
1941年3月16日にパルマで生まれる[2][5]。父は詩人・作家のアッティリオ・ベルトルッチ[2]、母は教師。父の影響を受け、15歳で詩や小説の執筆を始め、いくつかの文学賞を受賞する。
ローマ大学在学中の1961年にはピエル・パオロ・パゾリーニ監督のデビュー作『アッカトーネ』の助監督を務めた。翌1962年にローマ大学を中退する[2]と、パゾリーニの原案を元にした長編『殺し』を発表し、映画監督としてデビュー。1964年に発表した2作目『革命前夜』はコミュニストであることを公言する22歳の青年を主人公にしたベルトルッチの自伝的作品と言われている[2]。同作は第17回カンヌ国際映画祭では批評家週間部門に出品され、新評論家賞を受賞[6]した。
1970年、イタリアにおけるファシズムの台頭と崩壊を描いた『暗殺の森』を発表。全米映画批評家協会賞の監督賞を受賞するなど高く評価された。1972年、マーロン・ブランドとマリア・シュナイダーを起用して製作した『ラストタンゴ・イン・パリ』を発表。ポルノか芸術かの二項対立の論議を生み出したが、第46回アカデミー賞では監督賞にノミネートされた。1976年に発表した『1900年』はロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューを起用し、20世紀前半のイタリア現代史を総括した5時間16分の大作であった。
1987年、清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀の生涯を描いた『ラストエンペラー』を発表。第60回アカデミー賞作品賞・監督賞[1]など多数の賞を受賞し、世界的な成功を収めた。その後発表した『シェルタリング・スカイ』(1990年)、『リトル・ブッダ』(1993年)とともに「東洋三部作」として知られる。
2003年の『ドリーマーズ』以降、長らく闘病生活を送っていたが、2012年に『孤独な天使たち』で9年ぶりに復帰。闘病中の2011年には第64回カンヌ国際映画祭で名誉パルム・ドールを受賞している[7]。2013年、第70回ヴェネツィア国際映画祭で自身2度目となる審査員長を務めた[8]。
2018年11月26日、癌のため[2]ローマ市内の自宅で死去。77歳没[2][3][4]。
フィルモグラフィー[編集]
監督作品[編集]
- 殺し La Commare secca (1962年)
- 革命前夜 Prima della rivoluzione (1964年)
- ベルトルッチの分身 Partner. (1968年)
- 臨終 Agonia (1969年) オムニバス『愛と怒り』Amore e rabbiaの一篇
- 暗殺のオペラ Strategia del ragno (1970年)
- 暗殺の森 Il Conformista (1970年)
- ラストタンゴ・イン・パリ Ultimo tango a Parigi (Last Tango in Paris) (1972年)
- 1900年 Novecento (1900) (1976年)
- ルナ La luna (Luna) (1979年)
- ある愚か者の悲劇 La Tragedia di un uomo ridicolo (1981年)
- ラストエンペラー L'ultimo imperatore (The Last Emperor) (1987年)
- シェルタリング・スカイ Il tè nel deserto (The Sheltering Sky) (1990年)
- リトル・ブッダ Piccolo Buddha (Little Buddha) (1993年)
- 魅せられて Io ballo da sola (Stealing Beauty) (1996年)
- シャンドライの恋 L'assedio (Besieged) (1998年)
- 水の寓話 Histoire d'eaux (2002年) オムニバス『10ミニッツ・オールダー イデアの森』の一篇
- ドリーマーズ I sognatori (The Dreamers) (2003年)
- 孤独な天使たち Io e te (2012年)
製作作品[編集]
- Sconcerto Rock (1982年) 監督:Luciano Manuzzi
- Io con te non ci sto più (1982年) 監督:Gianni Amico
- Il trionfo dell'amore (The Triumph of Love) (2001年) 監督:Clare Peploe
出演作品[編集]
- ゴーレム、さまよえる魂 Golem - Lo spirito dell'esilio (Golem, l'esprit de l'exil) (1992年) 監督:アモス・ギタイ
脚注[編集]
- ^ a b 外部リンクに映像
- ^ a b c d e f g h “「ラストタンゴ・イン・パリ」「ラストエンペラー」ベルナルド・ベルトルッチ監督死去”. 映画.com. (2018年11月26日) 2018年11月27日閲覧。
- ^ a b “映画監督B・ベルトルッチ氏死去 イタリアの巨匠”. 共同通信社. (2018年11月26日) 2018年11月27日閲覧。
- ^ a b “映画監督ベルナルド・ベルトルッチ氏死去「ラストエンペラー」”. NHK NEWS WEB (日本放送協会). (2018年11月26日) 2018年11月27日閲覧。
- ^ “Bernardo Bertolucci”. AlloCiné. 2015年9月16日閲覧。
- ^ “映画監督B・ベルトルッチ氏死去 イタリアの巨匠”. www.chunichi.co.jp (2018年11月26日). 2018年12月2日閲覧。
- ^ “Bernardo Bertolucci to receive Palme d'Or honour”. BBC. 2012年8月25日閲覧。
- ^ “Bernardo Bertolucci President of the international Jury of the Venezia 70 Competition”. Venice. 2013年7月26日閲覧。
外部リンク[編集]
- ベルナルド・ベルトルッチ - allcinema
- ベルナルド・ベルトルッチ - KINENOTE
- Bernardo Bertolucci - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- アカデミー作品賞&監督賞「ラストエンペラー」ベルナルド・ベルトルッチ 受賞映像 - YouTube
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