ポール・ニューマン
| ポール・ニューマン Paul Newman | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1954年『銀の盃』出演時のニューマン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1925年1月26日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 没年月日 | 2008年9月26日(83歳没) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 出生地 |
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| 死没地 |
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| 国籍 |
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| 職業 | 俳優 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ジャンル | 映画、テレビドラマ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 活動期間 | 1954年 - 2007年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 活動内容 |
1952年:アクターズ・スタジオへ 1954年:映画デビュー 1958年:アカデミー賞ノミネート 1985年:初のアカデミー賞 1986年:アカデミー主演男優賞 2007年:引退を宣言 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 配偶者 |
ジャッキー・ウィット(1949年 - 1958年) ジョアン・ウッドワード(1958年 - 2008年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 主な作品 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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『熱いトタン屋根の猫』『ハスラー』 『暴力脱獄』『脱走大作戦』 『明日に向って撃て!』 『スティング』 『タワーリング・インフェルノ』 『スラップ・ショット』『評決』 『ハスラー2』『未来は今』 『メッセージ・イン・ア・ボトル』 『ロード・トゥ・パーディション』 『カーズ』 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 食品製造会社「ニューマンズ・オウン」設立者 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ポール・ニューマン(Paul Newman, 1925年1月26日 - 2008年9月26日)はアメリカ合衆国出身の俳優である。3度のアカデミー賞受賞を初めとして数多くの受賞歴を持つ。また食品製造会社「ニューマンズ・オウン」の設立者であり、1982年の設立以降挙げた純利益2億2千万ドルを全額寄付。その他レーサー、政治運動家としても多くの功績を残した。1950年代以降半世紀以上にわたり第一線で活躍した人物である。
来歴・人物[編集]
生誕から終戦まで[編集]
オハイオ州クリーブランドで、スポーツ用品店を経営するハンガリー系ユダヤ人の父・アーサー[1]と同じくカトリックの母・テレサとの間に生まれる[2][3][4]。幼い頃は脆弱で学校でいじめを受けていた。7歳の時、演劇好きの母の勧めで児童演劇団に入団。『ロビン・フッド』の道化師役で舞台に立つもポールは演劇に関心を示さなかった。12歳の時、クリーブランドの児童演劇部に入部。高校卒業後は定職に就かず百科事典の訪問販売などで生計を立てていた。その後、家業を継ぐためにアセンズのオハイオ大学経済学部で学ぶが第二次世界大戦が勃発し海軍に入隊[5]。航空機操縦士を志願するが色盲により叶わず[5][6]、爆撃機や雷撃機の後部銃座手(兼無線手)の訓練を受ける。1944年、航空機無線手としてハワイのバーバーズポイントに割り当てられ、その後雷撃隊に配置される。TBF/TBM アベンジャーの後部銃座手となり1945年春、空母・バンカーヒルに乗艦し沖縄戦に参加。
紆余曲折を経て演技の道へ[編集]
終戦後にオハイオ大学を経て進学したケニヨン・カレッジではフットボールに打ち込むも、チーム内の喧嘩が原因で除名処分を受けたため子供の頃に学んだ演劇の道を志す。卒業後、地方の劇団を渡り歩き演劇の修行に励む[5]傍ら1949年に結婚。翌年に父親が他界すると一旦家業を継いだが、演劇講師になるための学費を工面するために父の代から続いた店を売却。進学先であるイェール大学大学院で披露した演技がプロデューサーの目に留まり、ニューヨークに招かれた。テレビドラマや舞台における演技が認められ、1952年にジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドと共にアクターズ・スタジオに入学[5]。
賞賛と挫折[編集]
初の大役となったブロードウェイの舞台『ピクニック』での演技が映画関係者から高い評価を受け、ワーナー・ブラザースと5年間の専属契約を交わす。アクターズ・スタジオに同期で入学したディーンが主役を演じた『エデンの東』では当初主人公の兄を演じる予定でスクリーン・テストまで行ったものの、監督のエリア・カザンがニューマンの出演を却下。1954年に『銀の盃』でスクリーンデビューを果たすものの、作品自体が映画評論家から失敗作の烙印を押されるという不本意なデビューとなった。ディーンとブランドがそれぞれ『エデンの東』『波止場』で世界的トップスターへと上り詰める一方でニューマンは満足のいく作品に出演できないうえ、スタジオや批評家から「第2のマーロン・ブランド」と称されることに失望し映画を離れ活動の拠点を舞台とテレビドラマへ移した。
俳優としての成功と再婚[編集]
舞台とテレビドラマにおける演技が賞賛されたニューマンは、ディーンの急逝により主演のポストが空白となっていた映画『傷だらけの栄光』に、監督のロバート・ワイズの依頼を受け出演。実在のプロボクサー、ロッキー・グラジアノの話し方や癖を模倣するなど徹底した役作りを敢行した末に臨んだ同作は高く評価され、一躍注目を浴びる存在となった。1956年に最初の妻と離婚。1958年、先述の舞台『ピクニック』で知り合った女優、ジョアン・ウッドワードと映画『長く熱い夜』での再共演を機に再婚。3人の娘をもうける鴛鴦夫婦となる。さらに同年の映画『熱いトタン屋根の猫』で初めてアカデミー主演男優賞にノミネートされるなど、公私共に充実した時期を迎えた。
No.1スターから監督業進出[編集]
1960年代はニューマンにとって順風満帆そのものであった。1961年の『ハスラー』で英国アカデミー賞の男優賞を受賞すると1963年の『ハッド』での受賞を機に1965年と1967年の3度、ゴールデングローブ賞の「世界で最も好かれた男優」に選出された。
さらに、妻のジョアン・ウッドワードーを主演に起用した初監督作品『レーチェル レーチェル』では同年度のアカデミー賞で作品賞を初めとした4部門にノミネートされたほか、ゴールデングローブ賞とニューヨーク映画批評家協会賞では監督賞受賞に加えて妻に女優賞をもたらした。
1969年にロバート・レッドフォードと共演したアメリカン・ニューシネマの西部劇『明日に向って撃て!』は生涯最高のヒットを記録。マネー・メイキングスターの1位に選出され、世界的トップスターとしての地位を不動のものにした。さらに製作者としての飛躍を求めてシドニー・ポワチエ、バーブラ・ストライサンドと共に映画製作会社「ファースト・アーティスツ」を設立した。
1973年の監督作品『まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響』では、再び妻のジョアン・ウッドワードーを主演として、妻がカンヌ国際映画祭女優賞を受賞。同作には、ジョアンとの娘であるネル・ポッツが、娘役で出演している。
レーサー・父子共演・政治運動家[編集]
「ファースト・アーティスツ」設立後初めて製作を担当した映画『レーサー』でのレーシング・スクールへの参加を機にカーレースに熱中するようになり、44歳にしてレーサーとしてプロフェショナルデビューを果たした。俳優業でも成功は続き、レッドフォードとの競演した1973年の『スティング』は、同年度のアカデミー作品賞を受賞。翌1974年の『タワーリング・インフェルノ』での報酬は100万ドルに達し、前妻との息子スコット・ニューマンとの共演も実現した。
ジョン・F・ケネディ政権時の1961年より始められたベトナムにおけるアメリカ軍の派兵拡大を目の当たりにしたニューマンは、1960年代から1970年代にかけて積極的な反戦運動ならびに公民権運動を展開。活発な運動と過激な発言は、1973年に行われたアメリカ軍のベトナムからの撤退を指揮したリチャード・ニクソン大統領までをも敵に回す結果になり[7]、1973年にホワイトハウスが公表したブラックリストにその氏名が記載された。
出演作品の不発と愛息の死[編集]
レーサーとしては1977年のデイトナ24時間レースで5位、1979年のル・マン24時間レースでは2位を記録するなど、華やかな成功を収めた。1975年にはカール・ハースとともにニューマン・ハース・レーシングを結成し、CARTに参戦した。
その一方で俳優業は不振が続き『タワーリング・インフェルノ』のアーウィン・アレンと再びタッグを組んだパニック映画『世界崩壊の序曲』は興行的に大失敗したうえ批評家からは「史上最低のパニック映画」と酷評され、ポール自身も同作への出演を後悔する旨の発言をする始末であった。さらに1978年には、息子スコットが酒とドラッグに溺れ命を落とした[8]。愛息の死を嘆いたポールは、麻薬撲滅運動の展開を決意。ドラッグで命を絶たれた息子の名を冠した「スコット・ニューマン基金」を設立[9][出典無効] し、ドラッグの弊害を描いた映画やテレビ番組に対する資金提供を行っている。
ニューマンズ・オウン設立とアカデミー賞受賞[編集]
1970年代後半は不振続きであった俳優業も、1980年代に入ると1981年の『スクープ 悪意の不在』から『アパッチ砦・ブロンクス』『評決』と立て続けに出演した社会派作品でリアリティのある演技を披露し新境地を開拓した。また自家製のサラダを自慢していたニューマンは1982年、冗談半分で食品会社「ニューマンズ・オウン」を設立した。極力食品添加物を排除したフレンチ・ドレッシングやランチドレッシングは好評を博し、スパゲッティー(あるいはパスタ)のソースやポップコーンの販売にも着手する。日本では日本アムウェイが商品の販売に参入するなどポールの知名度も相乗効果を齎し、瞬く間に世界規模での事業拡大に成功。純利益を全額、貧困に喘ぐ子供たちに寄付している。
俳優としても1983年にゴールデングローブ賞の生涯功労賞に相当するセシル・B・デミル賞を受賞。さらに1985年、長年の功績を称えられアカデミー名誉賞を受賞。翌1986年には『ハスラー2』での演技が認められアカデミー主演男優賞を受賞。2年連続でオスカー像が授与され、世界的にその名を残す人物となった。
俳優・実業家としての成果、引退[編集]
還暦を超えても第一線での映画出演を続けたニューマンは、1994年の『ノーバディーズ・フール』でベルリン国際映画祭などで数多くの男優賞を受賞。2002年の『ロード・トゥ・パーディション』で9度目となるアカデミー賞ノミネート(初の助演男優賞部門)を果たすと、80歳を迎えた2005年にはテレビドラマ『追憶の街 エンパイア・フォールズ』でゴールデングローブ賞とエミー賞を受賞。2006年には、ピクサーのアニメーション映画『カーズ』でメインキャストのドック・ハドソン役で声の出演を担当。止め処無く活躍を続けるニューマンに対し一部映画関係者からロバート・レッドフォードとの最後の共演作品が企画されるなどしていたが2007年5月25日、出演したABCテレビの番組において加齢による演技力・記憶力の衰退から自分の納得する演技が不可能になったと語り、俳優としての活動を引退することを正式に発表した[10]。
ニューマンにとって私生活での著名な活動の1つである「ニューマンズ・オウン」は四半世紀に及ぶ運営で挙げた2億2000万ドルの純利益を全額恵まれない子供たちに寄付。1993年にはその功績に対しアカデミー賞のジーン・ハーショルト友愛賞が贈られた。俳優としての活動に終止符を打った後は、これらの事業や家族とのコミュニケーションに専念する意向を示していた。
2007年6月、中西部オハイオ州ガンビアの母校ケニヨン大に対し、奨学基金の設立資金として1000万ドル(約10億円)の寄付を申し出た[11]。今回の寄付について「母校への個人的愛情や恩義」と説明。奨学金は家庭の事情で学費が払えない非白人のマイノリティー(少数派)の学生らに支給されていくという。
がんとの闘病 - 死去[編集]
2008年5月に同年後半に予定していた舞台の監督を健康面を理由に降板すると発表して以降、健康状態について末期の肺がんで闘病生活を送っているとの報道が相次いでなされ、配給会社は「元気でやっている」とだけのコメントを発表をした[12]。
その後、報道は鎮静化。一時がんの化学治療のためニューヨークの専門病院に入院していたが、経過は芳しくなく8月に退院し自宅治療に専念。現地時間の2008年9月26日、コネチカット州ウェストポートの私邸に於いて死去。83歳没[13][14]。
エピソード[編集]
- 日本では日産自動車の6代目R30型スカイライン(1981年-1985年)のTVCMに出演しており、「ニューマン・スカイライン」の名で広告展開されていたことで、6代目R30型スカイラインの生産販売が終了してから30年以上経った現在も「ニューマン」の愛称で自動車ファンからも広く親しまれている。
- 50年の長きにわたり連れ添っているジョアンとのおしどり夫婦ぶりについてニューマンは「家でステーキを食べられるのに、わざわざ外でハンバーガーを食べる必要はないさ」と語っている。
- 政治的にはリベラルであり、ウォーターゲート事件で押収されたニクソンのメモの中に「敵」としてリストアップされていた[7]。2004年アメリカ合衆国大統領選挙ではジョン・ケリーを支持し、ブッシュ政権の富裕層減税に対して「私のような富豪から税金を取らないのは馬鹿げている」と批判した。
- ロレックスのクロノグラフである「コスモグラフ・デイトナ」を愛用していたことがきっかけで、デイトナに「ポール・ニューマン・モデル」と俗称されるモデル[注釈 1]がある。
- ル・マン24時間レースで総合2位という成果を残したが、レース中にパパラッチがしつこく付きまとってくることに嫌気が差し、それ以来二度とル・マンに姿を見せることはなかったという。
- レースにおける生前最後で最高位は1994年のデイトナ24時間レースで"Team Nobody's Fool Ford"のフォード・マスタングを駆って記録した総合2位、IMSA-GTSクラス優勝。
主な出演作[編集]
| 公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1954 | 銀の盃 The Silver Chalice |
バジル | |
| 1956 | 傷だらけの栄光 Somebody Up There Likes Me |
ロッキー・グラジアノ | |
| 1957 | 追憶 The Helen Morgan Story |
ラリー | |
| 1958 | 長く熱い夜 The Long Hot Summer |
ベン・クイック | カンヌ国際映画祭 男優賞 受賞 |
| 左きゝの拳銃 The Left Handed Gun |
ビリー・ザ・キッド | ||
| 熱いトタン屋根の猫 Cat on a Hot Tin Roof |
ブリック | ||
| ポール・ニューマンの 女房万歳! Rally 'Round the Flag, Boys! |
ハリー・バナーマン | ||
| 1959 | 都会のジャングル The Young Philadelphians |
アンソニー | |
| 1960 | 孤独な関係 From the Terrace |
デヴィッド・アルフレッド・イートン | |
| 栄光への脱出 Exodus |
アリ・ベン・カナン | ||
| 1961 | ハスラー The Hustler |
エディ・フェルソン | 英国アカデミー賞 主演男優賞 受賞 |
| パリの旅愁 Paris Blues |
ラム・ボーウェン | ||
| 1962 | 渇いた太陽 Sweet Bird of Youth |
チャンス・ウェイン | |
| 青年 Hemingway's Adventures of a Young Man |
アド・フランシス | ||
| 1963 | ハッド Hud |
ハッド・バノン | |
| パリが恋するとき A New Kind of Love |
スティーヴ・シャーマン | ||
| 逆転 The Prize |
アンドリュー・クレイグ | ||
| 1964 | 何という行き方! What a Way to Go!' |
ラリー・フリント | |
| 暴行 The Outrage |
フアン・カラスコ | ||
| 1965 | レディL Lady L |
アーマンド・デニス | |
| 1966 | 動く標的 Harper |
ルー・ハーパー | |
| 引き裂かれたカーテン Torn Curtain |
マイケル・アームストロング | ||
| 1967 | 太陽の中の対決 Hombre |
ジョン・ラッセル | |
| 暴力脱獄 Cool Hand Luke |
ルーク・ジャクソン | ||
| 1968 | 脱走大作戦 The Secret War of Harry Frigg |
ハリー・フリッグ | |
| レーチェル レーチェル Rachel, Rachel |
N/A | 監督のみ ゴールデングローブ賞 監督賞 受賞 | |
| 1969 | レーサー Winning |
フランク・キャプア | |
| 明日に向って撃て! Butch Cassidy and the Sundance Kid |
ブッチ・キャシディ | ||
| 1970 | WUSA WUSA |
ラインハルト | 兼製作 |
| 1971 | オレゴン大森林/わが緑の大地 Sometimes a Great Notion |
ハンク | 兼監督 |
| 1972 | ポケットマネー Pocket Money |
ジム・ケーン | |
| ロイ・ビーン The Life and Times of Judge Roy Bean |
ロイ・ビーン | ||
| まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響 The Effect of Gamma Rays on Man-in-the-Moon Marigolds |
N/A | 監督のみ | |
| 1973 | マッキントッシュの男 The MacKintosh Man |
ジョセフ・リアデン | |
| スティング The Sting |
ヘンリー・ゴンドルフ | ||
| 1974 | タワーリング・インフェルノ The Towering Inferno |
ダグ・ロバーツ | |
| 1975 | 新・動く標的 The Drowning Pool |
ルー・ハーパー | |
| 1976 | メル・ブルックスのサイレント・ムービー Silent Movie |
本人役 | |
| ビッグ・アメリカン Buffalo Bill and the Indians |
バッファロー・ビル | ||
| 1977 | スラップ・ショット Slap Shot |
レジー・ダンロップ | |
| 1979 | クィンテット Quintet |
エセックス | |
| 1980 | 世界崩壊の序曲 The Day World Ended |
ハンク・アンダーソン | |
| ポール・ニューマン/遠い追憶の日々 The Shadow Box |
テレビ映画 監督のみ | ||
| 1981 | アパッチ砦・ブロンクス Fort Apache, The Bronx |
マーフィー | |
| スクープ 悪意の不在 Absence of Malice |
マイケル・コリン・ギャラガー | ||
| 1982 | 評決 The Verdict |
フランク・ギャルビン | |
| 1984 | ポール・ニューマンの ハリー&サン Harry & Son |
ハリー | 兼監督・脚本・製作 |
| 1986 | ハスラー2 The Color of Money |
エディ・フェルソン | アカデミー主演男優賞 受賞 |
| 1987 | ガラスの動物園 The Glass Menagerie |
N/A | 監督のみ |
| 1989 | シャドー・メーカーズ Fat Man and Little Boy |
レズリー・グローヴス | |
| ブレイズ Blaze |
アール・ロング | ||
| 1990 | ミスター&ミセス・ブリッジ Mr. & Mrs. Bridge |
ウォルター・ブリッジ | |
| 1994 | 未来は今 The Hudsucker Proxy |
シドニー・J・マスバーガー | |
| ノーバディーズ・フール Nobody's Fool |
ドナルド・J・サリヴァン | ベルリン国際映画祭 男優賞 受賞 全米映画批評家協会賞 主演男優賞 受賞 | |
| 1998 | トワイライト 葬られた過去 Twilight |
ハリー・ロス | ビデオ・スルー |
| 1999 | メッセージ・イン・ア・ボトル Message in a bottle |
ドッジ・ブレイク | |
| 2000 | ゲット・ア・チャンス! Where the Money Is |
ヘンリー・マニング | |
| 2002 | ロード・トゥ・パーディション Road to Perdition |
ジョン・ルーニー | |
| 2005 | 追憶の街 エンパイア・フォールズ Empire Falls |
マックス・ロディ | テレビ映画 兼製作総指揮 エミー賞助演男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門) 受賞 ゴールデングローブ賞助演男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門) 受賞 |
| ウォーキング・オン・ザ・ムーン 3D Magnificent Desolation: Walking on the Moon 3D |
デイヴィッド・スコット | 声の出演 | |
| 2006 | カーズ Cars |
ドック・ハドソン | 声の出演 |
| 2008 | ミーアキャット The Meerkats |
ナレーション | |
| 2017 | カーズ/クロスロード
Cars 3 |
ドック・ハドソン | 声の出演 (アーカイブオーディオ) |
受賞歴[編集]
アカデミー賞[編集]
- ノミネート
- 1959年 アカデミー主演男優賞:『熱いトタン屋根の猫』
- 1962年 アカデミー主演男優賞:『ハスラー』
- 1964年 アカデミー主演男優賞:『ハッド』
- 1968年 アカデミー主演男優賞:『暴力脱獄』
- 1969年 アカデミー作品賞:『レーチェル レーチェル』
- 1982年 アカデミー主演男優賞:『スクープ 悪意の不在』
- 1983年 アカデミー主演男優賞:『評決』
- 1995年 アカデミー主演男優賞:『ノーバディーズ・フール』
- 2003年 アカデミー助演男優賞:『ロード・トゥ・パーディション』
英国アカデミー賞[編集]
- ノミネート
- 1959年 最優秀外国男優賞:『熱いトタン屋根の猫』
- 1964年 最優秀外国男優賞:『ハッド』
- 1971年 主演男優賞:『明日に向って撃て!』
- 2003年 助演男優賞:『ロード・トゥ・パーディション』
ゴールデングローブ賞[編集]
- 受賞
- 1957年 有望若手男優賞
- 1964年 ヘンリエッタ賞
- 1966年 ヘンリエッタ賞
- 1969年 監督賞:『レーチェル レーチェル』
- 1984年 セシル・B・デミル賞
- 2006年 助演男優賞 (ミニシリーズ・テレビ映画部門):『追憶の街 エンパイア・フォールズ』
- ノミネート
- 1962年 主演男優賞 (ドラマ部門):『ハスラー』
- 1963年 主演男優賞 (ドラマ部門):『渇いた太陽』
- 1963年 助演男優賞:『青年』
- 1964年 主演男優賞 (ドラマ部門):『ハッド』
- 1968年 主演男優賞 (ドラマ部門):『暴力脱獄』
- 1983年 主演男優賞 (ドラマ部門):『評決』
- 1987年 主演男優賞 (ドラマ部門):『ハスラー2』
- 1995年 主演男優賞 (ドラマ部門):『ノーバディーズ・フール』
- 2003年 助演男優賞:『ロード・トゥ・パーディション』
ニューヨーク映画批評家協会賞[編集]
- 受賞
- 1969年 監督賞:『レーチェル レーチェル』
- 1995年 主演男優賞:『ノーバディーズ・フール』
カンヌ国際映画祭[編集]
- ノミネート
- 1973年 パルム・ドール:『まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響』
- 1987年 パルム・ドール:『ガラスの動物園』
関連文献[編集]
- SCREEN特別編集『少年の心を持った反逆児ポール・ニューマン』 近代映画社 2006年
- ジョー・モレラ/エドワード・Z・エプスタイン著、相原真理子訳『ポールとジョアン―ポール・ニューマン夫妻の仕事と生活』 早川書房 1990年
- エレナ・ウーマノ、川口敦子訳『ポール・ニューマン』 近代映画社 1989年
- 三谷宏次/梶原和男責任編集『ポール・ニューマン 孤独な彷徨とロマン』 シネアルバム20 芳賀書店 1988年
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ Paul Newman: A Biography
- ^ Morella, Joe; Epstein, Edward Z. (1988). – Paul and Joanne: A Biography of Paul Newman and Joanne Woodward. – Delacorte Press. – ISBN 0-440-50004-4.
- ^ Paul Newman Biography (1925–). – FilmReference.com.
- ^ “Paul Newman: A Life, by Shawn Levy - Excerpt”. Scribd.com (2009年11月5日). 2012年2月1日閲覧。
- ^ a b c d Paul Newman biography Archived 2007年10月23日, at the Wayback Machine.. – Tiscali.co.uk.com.
- ^ a b “Facts on File”. Web.archive.org. 2003年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月10日閲覧。
- ^ Clark, Hunter S. People. Time magazine. February 17, 1986.
- ^ Welcome. Scott Newman Center.org.
- ^ “ポール・ニューマン 俳優人生に幕”. (2007年5月26日) 2012年9月15日閲覧。
- ^ “寛大なセレブリティベスト30を発表!第1位は人気司会者オプラ・ウィンフリー”. eiga.com 映画ニュース. (2008年9月12日) 2012年9月15日閲覧。
- ^ “俳優ポール・ニューマン、「末期の肺がん」の報道”. AFPBB News. (2008年6月12日) 2012年9月15日閲覧。
- ^ CNN「Paul Newman dies at 83」 2008年9月27日
- ^ “訃報:ポール・ニューマンさん死去「明日に向って撃て!」”. 毎日新聞. (2008年9月27日). オリジナルの2008年9月30日時点によるアーカイブ。
外部リンク[編集]
- ポール・ニューマン - allcinema
- ポール・ニューマン - KINENOTE
- Paul Newman - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- Newman/Haas Racing
- Newman's Own
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