ゲイリー・カーツ

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ゲイリー・カーツ
Gary Kurtz
生年月日 (1940-07-27) 1940年7月27日
没年月日 (2018-09-23) 2018年9月23日(78歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ロサンゼルス[1]
死没地 イギリスの旗 イギリスロンドン北部[1]
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 プロデューサー
配偶者 Meredith Kurtz
主な作品
スター・ウォーズ
ダーク・クリスタル

ゲイリー・カーツGary Kurtz, 1940年7月27日 - 2018年9月23日[1])は、アメリカロサンゼルス出身の映画プロデューサーである[1]

スター・ウォーズ』第一作、第二作のプロデューサーとして知られている[1]

来歴[編集]

カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。サンフランシスコ郊外の町で育つ。父は本職は化学者だったが、アマチュア写真家・映画作家でもあった。母は画家・彫刻家だった。

(のちにジョージ・ルーカスも学ぶ)南カリフォルニア大学(USC)で映画を学ぶ。大学卒業後、ロジャー・コーマンのもとで数十本の映画の製作に参加し、録音、カメラ、編集、特殊効果と様々な仕事を学ぶ。

徴兵されてベトナム戦争に海兵隊として従軍するが、アメリカ軍映画班の一員となり、記録映画を製作する。

除隊後、映画プロデューサーを志望して、コーマン門下生のモンテ・ヘルマン監督の『断絶』(1971年)の製作にかかわっている時に、やはりコーマン門下生のフランシス・フォード・コッポラに技術面での助言を求めに行った際、新進監督のジョージ・ルーカスを紹介され、意気投合。ルーカスとともにルーカスフィルムを創設し、『アメリカン・グラフィティ』にプロデューサーとして参加する。

その後の、『スター・ウォーズ』製作にあたっては、想像を超える巨大なプロジェクトとなった製作の現場で、疲弊していくルーカスやスタッフ陣をフォローして名プロデューサーぶりを発揮。

続く第二作、『帝国の逆襲』では、ルーカスが監督を降板したため、監督に起用されたアーヴィン・カーシュナーとともに製作現場を守り、シリーズを代表する人気作[2]を作りあげた。

だが、『帝国の逆襲』での予算オーバーのため、ルーカスと衝突する。

そのため独立して、ジム・ヘンソンおよびフランク・オズ監督のマペット・ファンタジー『ダーククリスタル[3]、『オズの魔法使い』の続編『オズ』などを製作。批評的には高い評価を得たが、興行的に失敗し、1986年に破産して、映画の世界から引退する。

その後はイギリスに居を構え、英国放送協会(BBC)のアニメ・シリーズなどの製作を手がけていたが、2018年9月23日、ロンドン北部にてのため逝去。78歳没。逝去は家族が公表した[1]

作品[編集]

  • アメリカン・グラフィティ (1973年) 共同製作
  • スター・ウォーズ (1977年) 製作
  • スター・ウォーズ/帝国の逆襲 (1980年) 製作
  • ダーククリスタル (1982年) 製作
  • オズ (1985年) 製作総指揮
  • 風の惑星/スリップストリーム (1989年) 製作
  • 北風ジャックの物語 (2004年) テレビアニメ・プロデューサー

参考文献[編集]

  • ゲリー・ジェンキンス『ルーカス帝国の興亡』扶桑社

注釈[編集]

  1. ^ a b c d e f “G・カーツ氏死去 スター・ウォーズの製作者”. 産経新聞. (2018年9月25日). http://www.sankei.com/life/news/180925/lif1809250012-n1.html 2018年9月25日閲覧。 
  2. ^ 辛口評論で知られ、第一作を評価しなかった「ニューヨーカー」の評論家ポーリン・ケイルも、『帝国の逆襲』では高評価に転じた。また、登場人物たちのキャラクターを深く描写したことからも、『帝国の逆襲』はファンの間でも評価が高い。(ゲリー・ジェンキンス『ルーカス帝国の興亡』扶桑社より)
  3. ^ イギリスのスタジオで『ダーククリスタル』を撮影していたすぐ隣の部屋で『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』が撮影されていた。

外部リンク[編集]