NEMO/ニモ

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NEMO/ニモ』は、ウィンザー・マッケイによる20世紀初頭のコミックストリップリトル・ニモ』を原作としたアニメ映画。日本とアメリカ合衆国の共同製作で、1989年に公開された。監督は波多正美、ウィリアム・T・ハーツ。15年にわたる製作期間と55億円もの巨額の費用が投じられ、宮崎駿大塚康生レイ・ブラッドベリメビウスなど多くの著名人が製作に関わったが、商業的には不成功に終わった。公開当時のキャッチコピーは「少年には夢の降る夜がある Would you like to go into“Dream World”?」。

企画・製作[編集]

日本のテレコム・アニメーションフィルム(以下「テレコム」)が製作に関与した作品である。東京ムービー社長の藤岡豊は、国内市場しかないテレビアニメでの活動に限界を感じ、アメリカ市場に進出するために1975年に傘下にテレコムを創設した。そして、そのアメリカ進出第一作として文字通り社運をかけて製作に臨んだのが本作である。かつてディズニーが2度に渡ってアニメ化を検討した本作が素材に選ばれたのは、「週刊少年マガジン」の編集長だった内田勝の推薦によるものだった。

製作は日本とアメリカの合作で進められ、日本側のプロデューサーには藤岡豊が就任。藤岡は当初は主に資金調達の役目を担い、消費者金融レイクから出資を受けることに成功する。1978年、藤岡は、当初、ジョージ・ルーカスにアプローチするが、ルーカスは、原案のストーリーに難があるとして謝絶、チャック・ジョーンズも断ったため、ルーカスの紹介で『スター・ウォーズ』を製作したゲイリー・カーツが就任して、米国サイドでレイ・ブラッドベリとエドワード・サマーにストーリーを全面的に書き直させるとともに、アメリカ法人キネトTMSを設立。「ナイン・オールドメン」とよばれるディズニーの長老アニメーター、フランク・トーマスオーリー・ジョンストンが顧問となり、フルアニメーションができる日本人スタッフを育成するための特別体制が組まれた。メインスタッフとして高畑勲、宮崎駿、大塚康生、近藤喜文友永和秀山本二三らが招聘されて日米を往復した。

準備中にアメリカ側の監督として、アンディ・ガスカル、続けてロジャー・アラーズと後にディズニー作品の演出家となる面々が参加した。日本側監督の候補には高畑と宮崎が予定されていたが、このうち宮崎が1982年11月22日に本作のアニメ企画に否定的な立場を取りテレコムを退社。高畑が日本側監督にノミネートされて、1983年2月8日の製作発表会に出席した。しかし高畑もゲーリー・カーツとの確執から監督を降板しテレコムを退社。さらに後には近藤もテレコムを去っている。この他にも、準備段階では様々な人物が本作に関わっており、前記のブラッドベリのほかにもバンド・デシネ作家のジャン・ジロー・メビウス、ブライアン・フラウドなどの著名なクリエイターが関わっている。これは、藤岡プロデューサーの意向によるもので、アメリカ公開で知名度のある人物が宣伝になるという興行的な意図だった。

日本側演出が不在のまま、ゲーリー・カーツが本作と掛け持ちで別作品『ダーククリスタル』の製作を進めていたこともあって、準備期間は2年と長期化したことで、作画作業に入るまでに45億円の資金が底を突いてしまう。脚本と膨大なスケッチやコンテを残して、制作は1984年8月にいったん中断することとなった。

月岡貞夫によるもの、近藤と友永によるもの、出崎統杉野昭夫によるものなど3バージョンのパイロット・フィルムが制作された。1987年にレイクが10億円の追加出資に応じたことから、ゲーリー・カーツとの契約を解除してスタッフの変更を行った上で、新たに設立したロサンゼルスTMSで制作を再開。藤岡が製作の全面的な指揮を執った。最終的に日本側の演出はサンリオアニメ映画フルアニメーションの経験がある波多正美を起用。二転三転したアメリカ側の監督には、フランク・トーマスとオーリー・ジョンストンの推薦でウィリアム・T・ハーツが決定。ただし、本作に最初から関わる大塚康生は、監督といってもこれまでの準備段階で大量に蓄積された素材をさばいてまとめる処理屋としての性格が強いものである、と言っている。このような事実上の監督不在の製作過程において、現場では、米国主導で、ケン・アンダーソンやレオ・サルキンら、ディズニースタジオ出身のアニメーターが各シーンの原画を描いており、出来上がった作品も、表情や動作にくねりのあるディズニー独特のオーバーアクションのパターンが多く、全体の雰囲気もディズニー作品に酷似している。

公開・頒布[編集]

1988年にフィルムは完成し、日本では『NEMO/ニモ』のタイトルで1989年7月15日東宝東和系で公開された。しかし、製作費を使いきり満足な宣伝が出来なかったこともあり、それまでに投じられた約55億円という資金に対して興行収入は9億円前後と芳しくなかった。肝心のアメリカ公開も、日本での失敗が響いて、ディズニーとの交渉は決裂し、ヘムデール社の配給で予定より2年遅れ(1992年7月24日)の公開を余儀なくされる。米国での新聞その他の評価は高く、579館で上映したが、まったく客が入らず、興行収益も総計137万ドル弱(約1億4000万円)という記録的な大失敗作となる。その3年後、アメリカで発売されたビデオはかろうじて200万本を売り上げるが、東京ムービーへ還元されることはなく、本作の失敗が原因で藤岡は東京ムービーから退く結果となった。

2005年12月にバンダイビジュアルから発売されたDVDには、2種のパイロットフィルム(近藤・友永版、出崎・杉野版)が特典映像として収録されている。日本版は劇場公開版・ビデオグラムともに94分だが[1]、アメリカでは、85分に編集されて劇場公開され[2]、VHSでの発売時も劇場公開と同じ85分だったが[3]、DVDで発売される際に100分に再編集された[4]

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

出典・参考文献[編集]

  1. ^ ニモ 日本映画データベース
  2. ^ Little Nemo: Adventures in Slumberland (1989) The Internet Movie Database
  3. ^ ASIN 6302650046, Little Nemo: Adventures in Slumberland (VHS) (1992) amazon.com
  4. ^ ASIN B0002IQC5M, Little Nemo: Adventures in Slumberland (1992) amazon.com

外部リンク[編集]