滅私奉公

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
桜井駅跡にある石像
(揮毫は近衛文麿

滅私奉公(めっしほうこう)は、を滅し、に奉ずることを意味する言葉である。

概要[編集]

一般的には、私心や私情を抑えて、国家地方公共団体社会世間などに対して奉仕する精神を意味する。

しばしば個人主義の対極にある思想のひとつと見なされ、過度な実践は自己犠牲を伴い、全体主義に繋がることもある。日本の戦前教育は直接的ではないものの、主に忠君愛国教育として取り入れており、個人主義の発祥の地である欧米諸国においても、公に対する忠誠や献身的精神は究極のの形として高く評価されることもあるが、日本の戦後教育は個性を重視する観点から否定的である。

日本の企業の特徴のひとつとして、企業の公共性や社会貢献の度合とは関係なく、企業内における封建制下の主君家臣のような関係性を指して、変則的に滅私奉公と表現されることがある。この企業内で完結する滅私奉公の強要が、過労サービス残業休日出勤有給休暇の未消化といった労働問題の原因になっているとの指摘もある[1]日本経済団体連合会は「戦後の教育は、権利の尊重を過度に重視してきた。その結果、自らの権利のみを主張する弊害が目立つようになっている。権利と義務は表裏一体の関係にあることを踏まえ、権利意識とバランスのとれた公共の精神、つまり社会の構成員、あるいは組織・団体の構成員としての責任と義務を教育の中で強調していくべきである」[2]との政策提言を行うなど、この変則的滅私奉公を推し進めるべきだとも取れる主張を行っている。

脚注[編集]

  1. ^ 「東方神起」「KARA」絶頂期に相次ぐK-POP分裂騒動[リンク切れ] 2011年1月29日産経ニュース
  2. ^ これからの教育の方向性に関する提言 2005年1月18日、(社)日本経済団体連合会

関連項目[編集]