茂山千作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
二世茂山千作(1947年)

茂山 千作(しげやま せんさく)は、狂言大蔵流の名跡。四世を数える。

初世[編集]

初世 茂山 千作(しょせ しげやま せんさく、文化7年旧暦5月17日1810年6月18日)- 明治19年(1886年5月11日

九世茂山千五郎正虎の隠居名。

二世[編集]

二世 茂山 千作(にせ しげやま せんさく、元治元年旧暦9月27日1864年10月27日)- 昭和25年(1950年2月5日

初世の三男。京都生まれ。本名市蔵。1888年、十世茂山千五郎正重を襲名、1906年、巌谷小波久留島武彦らとお伽倶楽部を作り、子供への狂言普及に尽くした。1946年、二世茂山千作を襲名。谷崎潤一郎と親しく、その随筆『月と狂言師』(1949年)に、息子たちとともに登場する。

三世[編集]

三世 茂山 千作(さんせ しげやま せんさく、明治29年(1896年8月22日 - 昭和61年(1986年7月19日

二世の養子。京都生まれ。本名は茂山 真一(しげやま まさかず)。1946年、養父が千作を襲名するのに伴い十一世茂山千五郎を襲名、1966年、三世茂山千作を襲名。1976年、人間国宝に認定。著書に『狂言85年茂山千作』(淡交社、1984年)がある。

四世[編集]

四世 茂山 千作(よんせ しげやま せんさく、大正8年(1919年12月28日 - 平成25年(2013年5月23日

三世の長男。本名は茂山 七五三(しげやま しめ)。1924年、茂山以呂波を名乗って初舞台。戦時中召集され、戦後舞台に復帰。1966年、十二世茂山千五郎を襲名する。1977年、日本芸術院賞受賞[1]。1983年、芸術選奨文部大臣賞受賞、1985年、紫綬褒章受章。1989年、人間国宝に認定。1991年より日本芸術院会員。1994年、四世茂山千作を襲名。2000年、文化功労者。2007年、狂言界で初の文化勲章を受章する。没後従三位追贈。新作狂言、武智鉄二らの協力で畑違いの歌舞伎・舞台・ドラマなどでも活躍。二世茂山千之丞は弟、子に十三世茂山千五郎二世茂山七五三茂山千三郎がいる。弟子には田賀屋夙生松本薫網谷正美らがいる。著書に『千五郎狂言咄』(講談社、1983年)、『京都の狂言師』(世界文化社、2004年)がある。

出典[編集]

  1. ^ 『朝日新聞』1977年3月18日(東京本社発行)朝刊、3頁。

関連項目[編集]