茂山千作

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茂山 千作(しげやま せんさく)は、狂言大蔵流の名跡。四世を数える。

初世[編集]

茂山千五郎正虎の隠居名。

2世[編集]

二世千作(1947年)

元治元年9月27日1864年10月27日) - 昭和25年(1950年2月5日

初世の三男。京都生まれ。本名市蔵。1888年、10世千五郎正重を襲名、1906年、巌谷小波久留島武彦らとお伽倶楽部を作り、子供への狂言普及に尽くした。1946年、2世千作を名乗る。谷崎潤一郎と親しく、その随筆「月と狂言師」(1949)に、息子たちとともに登場する。

3世[編集]

1896年8月22日 - 1986年7月19日

2世の養子。京都生まれ、本名真一(まさかず)。1946年、養父が千作になるのに従い11世千五郎を襲名、1966年、3世千作となる。1976年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。『狂言85年茂山千作』(淡交社、1984)の著書がある。

4世[編集]

1919年12月28日 - 2013年5月23日

3世の長男。本名七五三(しめ)。1924年、「以呂波」で初舞台。戦時中召集され、戦後舞台に復帰。1966年、12世千五郎を襲名する。1977年、日本芸術院賞受賞[1]。1983年、芸術選奨文部大臣賞受賞、1985年、紫綬褒章受章。1989年、各個認定の重要無形文化財保持者(人間国宝)。1991年より日本芸術院会員、1994年、4世千作を名乗る。2000年、文化功労者。2007年、狂言界で初の文化勲章を受章する。没後、従三位追贈。新作狂言、武智鉄二らの協力でジャンルの歌舞伎、舞台、ドラマなどでも活躍。弟に茂山千之丞(2世)、子に茂山千五郎(13世)茂山七五三(2世)、茂山千三郎がいる。弟子に田賀屋夙生松本薫網谷正美がいる。著書に、『千五郎狂言咄』(講談社、1983)、『京都の狂言師』(世界文化社、2004)がある。

脚注[編集]

  1. ^ 『朝日新聞』1977年3月18日(東京本社発行)朝刊、3頁。

関連項目[編集]