雪国 (小説)

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雪国
Snow Country
著者 川端康成
イラスト 装幀:芹沢銈介
発行日 1937年6月
発行元 創元社
ジャンル 長編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本
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雪国』(ゆきぐに)は、川端康成長編小説で、名作として国内外で名高い。雪国を訪れた男が、温泉町でひたむきに生きる女たちの諸相、ゆらめき、定めないの各瞬間の純粋を見つめる物語[1]。愛し生きる女の情熱の美しく哀しい徒労が、男の無情に研ぎ澄まされたのような心理の抒情に映されながら、美的に抽出されて描かれている。

1935年(昭和10年)から各雑誌に断続的に断章が書きつがれ、初版単行本刊行時の1937年(昭和12年)に文芸懇話会賞を受賞した。その後も約13年の歳月が傾けられて最終的な完成に至った[2]

発表経過[編集]

まず1935年(昭和10年)、雑誌『文藝春秋』1月号に「夕景色の鏡」、雑誌『改造』1月号に「白い朝の鏡」、雑誌『日本評論』11月号に「物語」、同誌12月号に「徒労」が断章として分載された。翌1936年(昭和11年)、雑誌『中央公論』8月号に「萱の花」、雑誌『文藝春秋』10月号に「火の枕」が分載された。翌1937年(昭和12年)、雑誌『改造』5月号に「手毬歌」が掲載された。

以上の断章をまとめ、書下ろしの新稿を加えた単行本『雪国』は、同年6月に創元社より刊行され、第3回文芸懇話会賞を受賞した[注釈 1]

1940年(昭和15年)、雑誌『公論』12月号に「雪中火事」、翌1941年(昭和16年)、雑誌『文藝春秋』8月号に「天の河」、戦後の1946年(昭和21年)、雑誌『暁鐘』5月号に「雪国妙」が掲載された。

そして、翌1947年(昭和22年)に、これらをまとめ加筆された「続雪国」が雑誌『小説新潮』10月号に掲載された。以上をもって最終的な完成作となった。「続雪国」も収録した完本『雪国』は、翌1948年(昭和23年)に創元社より刊行された。

なお、川端が亡くなる前年の1971年(昭和46年)に『定本 雪国』が刊行された。文庫版は新潮文庫角川文庫などで刊行されている。翻訳版は1956年(昭和31年)のエドワード・サイデンステッカー訳(英題:“Snow Country”)をはじめ、世界各国語に翻訳され出版されている。

作品背景・モデル[編集]

松栄。駒子のモデルとなった女性

『雪国』の主な舞台は、上越国境の清水トンネルを抜けた湯沢温泉であるが、この作品も『伊豆の踊子』同様に、川端康成の旅の出会いから生まれたもので[2]、雪中の火事も実際に起ったことだと川端は語っている[3]。川端は故意に地名を隠しているが、1934年(昭和9年)6月13日より1937年まで新潟県湯沢町の高半旅館(現:高半ホテル)に逗留していたことを随筆『「雪国」の旅』(1959年10月)で述べている。その時出会ったのが駒子のモデルとなる芸者の松栄である。なお川端は、主人公の島村については、「島村は私ではありません。男としての存在ですらないやうで、ただ駒子をうつすのやうなもの、でしょうか」と述べている[4]

川端が滞在した高半旅館は建替えられているが、雪国を執筆したという「かすみの間」は保存されている[5]。また、湯沢町歴史民俗資料館に、モデルの芸者が住んでいた部屋を再現した「駒子の部屋」がある。なお、村松友視の『「雪国」あそび』には、このモデルの女性について言及されている。

雪国』というタイトルが決定したのは、最初の単行本刊行時で、有名な冒頭文の書き出しに「雪国」という言葉が表われるのもこの時点である[2]。初出誌版の「夕景色の鏡」での冒頭文は当初、「国境のトンネルを抜けると、窓の外の夜の底が白くなった」となっており、その前段にも文章があったが単行本刊行時に削除改稿された。また、「続雪国」には鈴木牧之著『北越雪譜』からの引用や参考にしたと思われる文章も見られるという。

また、作中の時系列(三度目に島村が温泉町を訪れた年)が、作者の錯誤により、統一されていない部分があることが何人かの研究者に指摘されているが、その不統一も追憶の順不同の手法によって、多くのあいまいさが許されているしくみになっているという[6]

あらすじ[編集]

12月初め、島村は雪国に向かう汽車の中で、病人の男に付き添う恋人らしき若い娘(葉子)に興味を惹かれる。島村が降りた駅で、その二人も降りた。旅館に着いた島村は、芸者の駒子を呼んでもらい、朝まで過ごす。

島村が駒子に出会ったのは去年の新緑の5月、山歩きをした後、初めての温泉場を訪れた時のことであった。芸者の手が足りないため、島村の部屋にお酌に来たのが、三味線踊り見習いの19歳の駒子であった。次の日島村が、女を世話するよう頼むと駒子は断ったが、夜になると酔った駒子が部屋にやってきて、二人は一夜を共にしたのだった(以上、回想)。駒子はその後まもなく芸者になっていた。

昼、冬の温泉町を散歩中、島村は駒子に誘われ、彼女の住んでいる踊の師匠の家の屋根裏部屋に行った。昨晩車内で見かけた病人は、師匠の息子・行男で、付添っていた葉子は駒子と知り合いらしかった。行男は腸結核で長くない命のため帰郷したという。島村は按摩から、駒子は行男の許婚で、治療費のため芸者に出たのだと、聞かされるが、駒子は否定した。

島村は温泉宿に滞在中、毎晩駒子と過ごし、独習したという三味線の音に感動を覚えた。島村が帰る日、行男が危篤だと葉子が報せに来るが、駒子は死ぬところを見たくないと言い、そのまま島村を駅まで見送った。

翌々年の秋、島村は再び温泉宿を訪れた。去年の2月に来る約束を破ったと駒子は島村をなじる。あの後、行男は亡くなり、師匠も亡くなったと聞き、島村は嫌がる駒子と墓参りに行った。墓地には葉子がいた。

駒子はお座敷の合い間、毎日島村の部屋に通ってきた。忙しいある晩、駒子は葉子に伝言を持って来させた。島村は葉子と言葉を交わし、魅力を覚えた。東京に行くつもりの葉子は、島村が帰るときに連れて行ってくれと頼み、「駒ちゃんをよくしてあげて下さい」と言った。葉子は死んだ行雄をまだ愛しているようだった。「駒ちゃんは私が気ちがいになると言うんです」と葉子は泣きながら言った。葉子が帰った後、島村はお座敷の終った駒子を置屋(駄菓子屋の2階に間借り)まで送ったが、駒子は再び島村と旅館に戻り、酒を飲む。島村が「いい女だ」と言うと、その言葉を誤解し怒った駒子は、激しく泣いた。

島村は東京の妻子を忘れたように、その冬も温泉場に逗留を続けた。天の河のよく見える夜、映画の上映会場になっていた繭倉(兼芝居小屋)が火事になり、島村と駒子は駆けつけた。人垣が見守る中、一人の女が繭倉の2階から落ちた。落ちた女が葉子だと判った瞬間にはもう、地上でかすかに痙攣し動かなくなった。駒子は駆け寄り葉子を抱きしめた。駒子は自分の犠牲か刑罰かを抱いているように、島村には見えた。駒子は「この子、気がちがうわ。気がちがうわ」と叫んだ。

登場人物[編集]

島村
東京の下町出身。親の遺産で無為徒食の生活を送り、フランス文学(ヴァレリイアラン)や舞踊論の翻訳などをしている「文筆家の端くれ」。子供の頃から歌舞伎になじみ、以前は日本舞踊研究に携わっていたが、ふいに西洋舞踊研究に鞍替えした。旅が趣味。東京に妻子あり。小肥り。
駒子
19 - 21歳。の輪のようになめらかに伸び縮みする美しい唇。清潔な印象の女。東京に売られ、お酌をしていて旦那に落籍されたが、まもなく旦那が亡くなり、17歳で故郷の港町に戻った。島村と初めて会った直後の19歳の6月に芸者に出た。病気の許婚のために芸者になったらしい。17歳から続いている旦那が港町にいるが別れたいと思っている。
葉子
哀しいほど美しい声の娘。駒子の住む温泉町出身の娘で、駒子の許婚という噂の行男を帰郷の列車で甲斐甲斐しく看病する。行雄と恋人同士らしい。東京で看護婦を目指していたことがある。肉親は、国鉄に勤めはじめた弟が一人。地元に伝わる手鞠歌などを美しい声で歌う。
行男
26歳。病人。駒子が習っている踊の師匠の息子。駒子と幼馴染。港町で生まれ、東京の夜学に通っていたが、腸結核を患い帰郷する。駒子の許婚という噂だが、駒子は否定。親の師匠は50歳前に中風になり、港町から故郷の温泉町へ戻った。
佐一郎
葉子の弟。鉄道信号所で働いている少年。貨物列車から姉を見つけて、帽子を振って呼ぶ。
温泉町の人々
宿屋の番頭、主人、おかみ、女中。芸者たち。宿の幼女。按摩の女。列車の乗客。置屋駄菓子屋の家族。うどん屋の女。

作品評価・解釈[編集]

『雪国』は川端文学を代表する名作と呼ばれている。海外でも評価は高く、川端が受賞したノーベル文学賞の審査対象となった作品でもある。また書かれた当時は、日本国外にいる日本人が故国の郷愁を誘う作品として愛されていたという[7]。川端はそのことについて以下のように語っている。

私の作品のうちでこの『雪国』は、(中略)日本の国の外で日本人に読まれた時に懐郷の情を一入(ひとしお)そそるらしいといふことを戦争中に知つた。これは私の自覚を深めた。

川端康成「独影自命」[7]

伊藤整は、『雪国』の「抒情の道をとおって、潔癖さにいたり、心理のきびしさのをつかむという道」という「美の精神」は、『枕草子』や俳諧などの脈に通じているとし、その日本の抒情の古典は、川端の『雪国』において「新しい現代人の中に、のように完成して中空にかかった」と評している[8]。そして『雪国』の随所や終結部に見られる微妙な描写の特徴的な手法は、「現象から省略という手法によって、美の頂上を抽出する」という仕方をとっているため、「初歩の読者はそこに特有の難解さを感じ、進んだ読者は自己の人間観の汚れを残酷に突きつけられる。そういう点からは、大変音楽的な美しさと厳しさを持っている」と解説している[8]

福田和也は、『雪国』を「20世紀10大小説の一作」[9]、「ヨーロッパの世紀末文学の理想、ボードレールワイルドリラダンが求めて果たさなかったデカダンの理想を実現してしまった作品」だと評し[10]、以下のように解説している。

デカダンスにはいろいろな見方があると思いますが、近代的人間性を徹底的に否定するインヒューマニティ、その残酷さが持っている美を極限まで押し進めるとあの小説の世界になるのだと思いますね。主人公の設定もそうですし、それから自然の描写ですね。人間性をはっきり拒絶したところから出てくる自然を描いていて、メタリックといってもいいような突き抜けた力があって、ニヒリズムすら必要としない無情さが溢れている、これは本当におそろしい作家がいるという感覚を持ちました。

福田和也「本人もコレクションもおそろしい」[10]

三島由紀夫は、『雪国』の冒頭の汽車の窓ガラスの反映描写を、「川端文学の反現実的なあやしさが、一つの象徴としてかがやいてゐる」とし、それはあたかも「哲学書の序論」で、「各種の哲学用語」が定義されているように「全篇の序曲」となり、この作品の中における「人物」「風景」「自然」「事件」が何であるかが、「あらかじめ提示され、ひそかに答へ尽くされてゐる」と説明し[1]、全篇を読了した後に気づく、その序曲の意味について、作中の人物たち(駒子や葉子)は〈不思議なのなか〉で眺められ、〈夢のからくり〉のように眺められる存在で、読者や島村に〈悲しみを見てゐるといふつらさ〉を与えず、作中の風景は〈夕景色の鏡の非現実な力〉の支配下にあり、作中の事件は、火事で二階から葉子が転落しても、汽車の窓に反映した葉子の顔に火が点ったように、「人間と自然とが継ぎ目なく入りまじる静かな奇蹟の瞬間」に他ならないこと、だと解説している[1]

そして、その葉子の失心した姿を見る島村が、〈島村はやはりなぜか死は感じなかつたが、葉子の内生命が変形する、その移り目のやうなものを感じた〉と表現されていることに三島は触れ、以下のように解説している。

定めない人間のいのちの各瞬間の純粋持続にのみ賭けられたやうなこの小説に、もし主題があるとすれば、この一句の中にある。(中略)それは女の「内生命の変形」の微妙な記録であり、がすつと穂を伸ばすやうなその「移り目」の瞬間のデッサンの集成である。駒子も葉子も、ほとんど一貫した人物ですらない。一性格ですらない。彼女たちは潔癖に、生命の諸相、そのゆらめき、そのときめき、その変容のきはどい瞬間を通してしか、描かれないのである。作中に何度かあらはれる「徒労」といふ言葉は、かうして無目的に浪費される生のすがたの、危険な美しさに対する反語である。

三島由紀夫「解説 雪国」(『日本の文学38 川端康成集』)[1]

また、突然と「放り出すやうに」川端が〈空と山とは調和などしてゐない〉と書くように、川端の描く自然描写は単なる美しい描写ではないことを三島は指摘しつつ、ディテールの「純粋な持続」が、読者自らそれを綜合してしまうような作用をする『雪国』を「ユニークな小説」とし、「同時に又、もつとも普遍的な小説なのである」と評している[1]

梅澤亜由美は、川端が『浅草紅団』で都市を描いた直後に『雪国』が書かれた視点から考察し、「あきらめの世界である都市」から逃避してきた島村は、「非現実的な雪国の世界」を求めたが、そこにも「東京に散った男を巡る三角関係と東京を背負いながら雪国に埋もれていこうとする女」を見ることになり、「美しい非現実の世界」だけでなく、島村が逃げてきた「東京の影」がそこに付きまとっていると解説し[11]、そして雪国を立ち去らなければならない島村が、美しい天の河を見た直後に、雪国で最期に見た火事の虚しい光景は、絶望や失意を秘めているが、ラストにおいて島村の中へ天の河が音を立てて流れ落ちるように感じたのは、そういったもの全てを超越したものを感じたとし[11]、「そこには全てを圧倒し、包み込んでしまうような“自然の力”がある」と考察している[11]

冒頭文の読み方[編集]

本作の冒頭文、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という文の中の、この「国境」の読み方には、「くにざかい」か「こっきょう」か、という議論がある。

「国境」を「くにざかい」と読むことを主張する人々は、この「国境」とは、かつての令制国である上野国群馬県)と越後国新潟県)の境という意味であり、日本国内における旧令制国の境界の読み方は一般に「くにざかい」である、と主張する。

一方、「こっきょう」と読むことを主張する人々は、上越国境は「じょうえつこっきょう」と読むことが一般的であるとし[注釈 2]、川端自身も、「こっきょう」と読むことを認める発言をしていた[12][13]と主張する。

なお、日本国語大辞典(小学館)の記述は、「こっ‐きょう[コクキャウ] 【国境】 国と国との境界線。日本においては、近世まで行政上の一区画をなした地(「くに(国)」)の境界をもいった。(中略)くにざかい。」となっている。

鉄道にまつわる豆知識[編集]

「長いトンネル」というのは上越線清水トンネルで、はじめに列車が止まった「信号所」は土樽信号場(現、土樽駅)である[14]。なお『雪国』本文には「汽車」とあり、テレビなどで紹介される際にも蒸気機関車に牽引された列車の映像が一緒に出されることがあるが、上越線の該当区間は長大トンネルの煙害対策のために初めから直流電化で開業し、列車は電気機関車牽引だった。

清水トンネルがある湯檜曽駅~土樽駅間を複線化する際、新清水トンネルが切削され、1967年(昭和42年)より下り線用として供用を開始したため、旧来の清水トンネルは上り線用となった。そのため現在、川端が執筆した当時の清水トンネルを抜けて「雪国」を訪れることはできない。

かつて上越線には、この小説から愛称をとった急行列車「ゆきぐに」が運行されていた(1959年 - 1965年、とき (列車)の項を参照)。

映画化[編集]

テレビドラマ化[編集]

TBS 月曜22時台前半枠
前番組 番組名 次番組
雪国
【当番組よりドラマ枠
関西テレビ制作・フジテレビ系列 白雪劇場
雪国
関西テレビ制作・フジテレビ系列 川端康成名作シリーズ
(なし)
雪国
伊豆の踊り子

ラジオドラマ化[編集]

舞台化[編集]

おもな刊行本・音声資料[編集]

漫画化[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ この時の賞金で、川端は1937年(昭和12年)7月に軽井沢別荘を購入した。
  2. ^ 森鴎外渋江抽斎』に「若し丹後、南部等の生のものが紛れ入ってゐるなら、厳重に取り糺(ただ)して国境(「コクキャウ」とルビ)の外に逐へと云ふのである」という例がある。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 三島由紀夫「解説」(『日本の文学38 川端康成集』)(中央公論社、1964年3月)
  2. ^ a b c 保昌正夫『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)
  3. ^ 川端康成(三島由紀夫中村光夫との座談会)「川端康成氏に聞く」(『文芸読本 川端康成』)(河出書房新社、1962年)
  4. ^ 川端康成「『雪国』について」(1968年)
  5. ^ 藤倉朋良『図解にいいがた歴史散歩〈南魚沼〉』(新潟日報事業社出版部)23頁
  6. ^ 岡本満理子「川端康成『雪国』について」(駒沢短大国文、1981年3月)
  7. ^ a b 『川端康成全集第14巻 独影自命・続落花流水』(新潮社、1970年)
  8. ^ a b 伊藤整「『雪国』について」(文庫版『雪国』)(新潮文庫、1947年。改版1987年)
  9. ^ 福田和也「20世紀小説ベスト10冊」(文藝春秋 2007年1月号に掲載)
  10. ^ a b 福田和也(高橋睦郎との対談)「本人もコレクションもおそろしい」(芸術新潮 「おそるべし!川端康成コレクション」 2007年2月号に掲載)
  11. ^ a b c 梅澤亜由美「川端康成『雪国』―その世界と視点人物についての考察」(法政大学日本文學誌要、1992年12月
  12. ^ 武田勝彦との対談「座談会 川端康成氏に聞く」(國文學 1970年2月号に掲載)
  13. ^ 「川端康成さんのおもいで」(ソノシート付月刊誌「朝日ソノラマ」第150号、1972年5月号に掲載)
  14. ^ 郡司勝義「注解」(文庫版『雪国』)(新潮文庫、1947年。改版1987年)
  15. ^ [1]

参考文献[編集]

  • 文庫版『雪国』(付録・解説 竹西寛子伊藤整)(新潮文庫、1947年。改版1987年)
  • 『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)
  • 『川端康成全集第10巻・小説10』(新潮社、1980年)
  • 『川端康成全集第33巻・評論5』(新潮社、1982年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第32巻・評論7』(新潮社、2003年)
  • 岡本満理子「川端康成『雪国』について」(駒沢短大国文、1981年3月) [2]
  • 梅澤亜由美「川端康成『雪国』―その世界と視点人物についての考察」(法政大学日本文學誌要、1992年12月) [3]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]