文章読本

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文章読本』(ぶんしょうどくほん)は、谷崎潤一郎が読者向けに文章の書き方、読み方を分かりやすく記した文章講座の随筆集。川端康成三島由紀夫をはじめ、他の作家も同じタイトルを踏襲した文章講座をそれぞれ出版している。本項ではおもに谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫の『文章読本』について述べる。

谷崎潤一郎[編集]

文章讀本
著者 谷崎潤一郎
発行日 1934年11月
発行元 中央公論社
ジャンル 随筆評論
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本
公式サイト [1]
コード NCID BN01422159
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文章讀本』のタイトルで1934年(昭和9年)11月に中央公論社より単行本刊行された[1]谷崎潤一郎自身が、「いろいろの階級の、なるべく多くの人々に読んで貰ふ目的で、通俗を旨として書いた」と前書きで記しているように一般読者向けに、

  1. 「文章とは何か」
  2. 「文章上達法」
  3. 「文章の要素」

と大きく3つの項目に分けて、以下のような主旨の内容を綴っている。

  • 言語思想を伝達する機関であると同時に、思想に一つの形態を与える、纏まりをつける、と云う働きを持っている。
  • 言語は万能なものではないこと、その働きは不自由であり、時には有害なものであることを、忘れてはならない。
  • 文章のコツ、すなわち人に「わからせる」ように書く秘訣は、言葉や文字で表現出来ることと出来ないこととの限界を知り、その限界内に止まること。
  • 文章に実用的と藝術的の区別はない。
  • 出来るだけ多くのものを繰り返して読むこと、実際自分で作ってみること。
  • 余りはっきりさせようとせぬこと。

数万部を売り上げとされる谷崎の『文章讀本』には様々な反響があったが、総じて文壇では否定的な論調が多かった[2]。しかしながら、小林秀雄川端康成は、谷崎の『文章讀本』を積極的に支持した[2]

おもな刊行本[編集]

  • 『文章讀本』(中央公論社、1934年11月)
  • 『文章讀本』(旺文社文庫、1970年12月)
  • 『文章讀本』(中公文庫、1975年1月10日。改版1996年2月18日、2003年4月15日)
    • カバーデザイン:初刊本の扉による。解説:吉行淳之介

全集収録[編集]

川端康成[編集]

新文章讀本
著者 川端康成
発行日 1950年11月
発行元 あかね書房
ジャンル 随筆評論
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本、紙装
ページ数 196
公式サイト [2]
コード NCID BN10157999
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1949年(昭和24年)2月から1950年(昭和25年)11月まで、「新文章講座」として雑誌『文藝往来』に連載され、11月10日にあかね書房より『新文章讀本』のタイトルで単行本刊行された[3][注釈 1]

少年時代から『源氏物語』『枕草子』を音読し親しんできた川端康成は、その「生命ある文章」へのノスタルジーから文章講座の筆をとった。「つねに新しい文章を知ることは、それ自身小説の秘密を知ることである。同時にまた、新しい文章を知ることは、古い文章を正しく理解することであるかも知れぬ」と前書きで記している[4]

文芸評論家でもあった川端は、多くの作家の文章を引用し、名文の秘密を論じた文章論を展開している。内容は、第1章から第10章までに分かれ、さらに一つの章がいくつかの項目に分けられている。

古典作品以外に引用されている作家は、芥川龍之介石川淳宇野浩二泉鏡花永井荷風室生犀星横光利一志賀直哉佐藤春夫菊池寛久保田万太郎田山花袋フローベール武者小路実篤などが挙げられる。川端の評論家随筆家としての気質が発揮されている書である[2]

なお、向井敏は、川端の文章読本は「別人の代作だそう」とあいまいな伝聞として一言触れているが(根拠は全く書かれない)[5]伊藤整瀬沼茂樹との合作だと判明している評論『小説の研究』などは文庫で再版していないのに比し、『新文章讀本』は川端本人の著作として2007年(平成19年)にタチバナ教養文庫で再版されている。

おもな刊行本[編集]

  • 『新文章讀本』(あかね書房、1950年11月10日)
    • B6判。紙装。
    • まえがき:川端康成
    • 収録作品:「新文章讀本」「綴方について」「綴方の話」
  • 『新文章讀本』(創元文庫、1952年5月)
  • 『新文章讀本』(新潮文庫、1954年9月)
    • 解説:伊藤整
    • 収録作品:初刊本と同じ。
  • 『新文章讀本』(角川文庫、1954年9月)
  • 『新文章讀本』(タチバナ教養文庫、2007年12月16日)
    • 解説:川端香男里
    • 収録作品:「新文章讀本」「文章學講話(大正14年7月)」「新文章論(大正12年11月)」「新文章論(昭和27年4月)」

全集収録[編集]

  • 『川端康成全集第32巻 評論4』(新潮社、1982年7月20日)
    • 四六判。函入。布装。
    • 収録作品:「現代作家の文章を論ず」「新文章論」「文章学講話」「現代作家の文章」「書簡の書き方」「走馬燈的文章論」「文章について」「文章」「わが愛する文章」「新文章読本」「新文章論」「竹取物語」ほか

三島由紀夫[編集]

文章読本
著者 三島由紀夫
イラスト 装幀:三島由紀夫
発行日 1959年6月25日
発行元 中央公論社
ジャンル 随筆評論
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本 背クロス紙継ぎ装、機械函
ページ数 207
公式サイト [3]
コード NCID BN05330824
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1959年(昭和34年)、雑誌『婦人公論』1月号の別冊付録として掲載され、同年6月25日に中央公論社より単行本刊行された[6][7]

三島の『文章読本』の特徴は、「素人文学隆盛」の風潮で誰でも作家になれる形式の安易な文章入門書が跋扈していることに反対し、本物の作家にしか書けない「観賞的文章」を解説することで、レクトゥール(普通読者。小説を娯楽で読む者)であった人を、作家としての必要条件であるリズール(精読者。小説の世界を実在のものとして生きて深く味わう者)へと導くことを主眼においている[8][9]

具体的な解説項目は第二章から第八章に分かれ、日本語の特質や、散文韻文の違い、短編小説長編小説文体評論戯曲の文章、翻訳の文章の特色などが紹介され、それぞれを鑑賞する際の注意などが具体的に書かれ、最後に「質疑応答」が付されている。特に三島らしい点は、文章の「格調と気品」を重んじているところである[9]

約60名の日本人作家と約50名の外国人作家の文章について解説し、珍しいところでは山下清の文章にまでコメントは及ぶ。文中にて特に多く言及された作家としては、森鴎外(21ページ)、谷崎潤一郎(19ページ)、志賀直哉(11ページ)、プルースト(11ページ)、コクトー(7ページ)、ドストエフスキー(6ページ)、ゲーテ(6ページ)、ラディゲ(5ページ)などが挙げられる。(括弧内は現れるページの総数)

おもな刊行本[編集]

  • 『文章読本』(中央公論社、1959年6月25日)
    • 装幀:三島由紀夫。背クロス紙継ぎ装。菊判。機械函。
    • ※ 1969年(昭和44年)7月25日発行の2刷で本扉、函改装。帯変更。
  • 文庫版『文章読本』(中公文庫、1973年8月10日。改版1995年12月18日、2001年1月25日)

全集収録[編集]

  • 『三島由紀夫全集28巻(評論IV)』(新潮社、1975年8月25日)
    • 装幀:杉山寧四六判。背革紙継ぎ装。貼函。
    • 月報:開高健「匿名の自然」。《評伝・三島由紀夫28》佐伯彰一「三島由紀夫以前(その4)」。《三島由紀夫論3》田中美代子「女神をめぐって」。
    • 収録作品:昭和33年3月から昭和34年1月の評論36篇。
    • ※ 同一内容で豪華限定版(装幀:杉山寧。総革装。天金。緑革貼函。段ボール夫婦外函。A5変型版。本文2色刷)が1,000部あり。
  • 『決定版 三島由紀夫全集31巻・評論6』(新潮社、2003年6月10日)
    • 装幀:新潮社装幀室。装画:柄澤齊。四六判。貼函。布クロス装。丸背。箔押し2色。
    • 月報:寺崎裕則「私の心の中に生きる三島さん」。粉川宏「三島さんの思い出」。[思想の航海術6]田中美代子「メビウスの輪の中に」
    • 収録作品:昭和34年1月から昭和36年12月まで(連載物は初回が)の評論149篇。「文章読本」「憂楽帳」「十八歳と三十四歳の肖像画」「ぼくはオブジェになりたい」「社会料理三島亭」「発射塔」「美に逆らふもの」「アメリカ人の日本神話」「法律と文学」ほか

その他の作家の文章読本[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 『文藝往来』は、鎌倉文庫の主力雑誌『人間』の娯楽雑誌版として企画された雑誌である[2]
  2. ^ 向井敏は、「別人の代作だそう」と一言触れているが根拠は示されていない[5]

出典[編集]

  1. ^ 「主要書誌目録」(アルバム谷崎 1985, p. 111)
  2. ^ a b c d 川端香男里「解説」(川端読本 2007, pp. 201-208)
  3. ^ 川端香男里「作品年表――昭和24年-昭和25年」(雑纂2 1983, pp. 546-551)
  4. ^ 川端康成「まへがき」(川端読本 2007, pp. 7-8)
  5. ^ a b 「後記」(向井読本 1988, p. 258)
  6. ^ 井上隆史「作品目録――昭和34年」(42巻 2005, pp. 419-422)
  7. ^ 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540-561)
  8. ^ 「第一章 この文章読本の目的」(三島読本 2001, pp. 7-13)。31巻 2003, pp. 15-19に所収
  9. ^ a b 野口武彦「解説」(三島読本 2001, pp. 229-236)

参考文献[編集]