春琴堂書店

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Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼:春琴堂書店店舗外観の画像提供をお願いします。2021年2月

春琴堂書店(しゅんきんどうしょてん)は、京都府京都市左京区吉田牛ノ宮町3[1]にあった新刊書店谷崎潤一郎家の女中として働いた経験のあった久保一枝とその夫が創業した店であったため、谷崎が店名を命名し、本の注文をしていたことで知られている。

沿革[編集]

春琴堂書店は終戦直後の1947年[2]に久保義治、一枝の夫婦によって古書店の春琴書店として京都府京都市左京区吉田牛ノ宮町9[3]に創業された[4]。妻の久保一枝は1930年代に谷崎潤一郎家で5年の間、女中を務めた経験があり[5][2]、『細雪』に出てくるお手伝い「お春どん」のモデルにもなった[注釈 1][6]。夫の久保義治も復員後谷崎の納税関係の事務や出版社との連絡といった秘書のような仕事をするなど、夫婦共に谷崎家で働いた過去があったため、谷崎の『春琴抄』の主人公の名から店名をとり[注釈 2]、谷崎自身が「春琴書店」と揮毫した額を送った[7]。かつての春琴堂書店にはこの額の他にも「春琴堂の書店の主人の申すらく佐助のことく客に仕ふと」と書かれた短冊や谷崎の署名本等が残されていた[3]

後に京都大学により近い同町内3番地に移転[8]し、店名も「春琴堂書店」と改めた上で新刊書店となった。以降、谷崎潤一郎は熱海に移住してからも新刊書は久保夫婦から購入し続けたが[4]、死の一週間前の最後の注文は東京堂出版の『実存主義辞典』で、商品が届いたのは没後になってからだった[9][7]

1993年に久保義治[10]、その4年後の1996年に久保一枝が死去[11]。一枝の死後、遺品の中から谷崎及び谷崎の妻松子が夫婦二人に宛てた書簡が発見された。生前、久保夫婦は1943年から1965年までの期間にわたる、約百通の手紙[注釈 3][12]の存在を家族にも伝えていなかったが、一枝の一周忌に公に発表された[2]。書簡集からは谷崎の蔵書事情がわかるだけでなく、『細雪』等作品の典拠に関わる部分もあり、「文豪の新たな側面がうかがえる」、「貴重な資料」[12]として研究者から評価され、後に谷崎潤一郎記念館から『久保家所蔵谷崎潤一郎久保義治・一枝宛書簡』の一冊にまとめられた上で出版された[13]

店は初代夫婦の長男一家の三人が継いだが、インターネット通販の普及によって近隣の京都大学の学生や教職員が主だった客の数が減りはじめ、経営状況が悪化した。このため、2014年に店舗を改装、売り場面積を小さくし、残ったスペースを間貸するようになった[9]。この他、谷崎潤一郎関係の本のコーナーを復活させるなどしたが、店主夫婦の高齢化もあり、再開店から4年経った2018年の3月に閉店した[10][14]。このことを報じた京都新聞の記事によれば、春琴堂書店は京都大学周辺で最後の新刊書店だったという[15]

年表[編集]

  • 1935年 - 16歳の車一枝が谷崎家に奉公に入る。
  • 1941年 - 一枝と義治の結婚、一枝が谷崎家から離れる。
  • 1947年 - 春琴書店として創業。
  • 1955年 - 店舗の移転。
  • 1965年 - 谷崎潤一郎が死去。
  • 1992年 - 久保義治の死。
  • 1996年 - 一枝の死。
  • 1997年 - 谷崎潤一郎の久保夫妻宛書簡が公表される。
  • 2014年 - 経営状況の悪化に伴い、店舗の改装
  • 2018年 - 閉店。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 久保一枝への聞き取り調査は細江光稲沢秀夫などによってなされてきたが、『細雪』内の出来事と史実との対応関係、特に一枝自身とお春については細江著『谷崎潤一郎——深層のレトリック』「附録2 モデル問題ノート」中の「③お春関係」(952-955頁)が詳しい。
  2. ^ 谷崎の継子、渡邊清治によれば谷崎は数ある作品の中でも「お春どん」の「春」の字が入っているために『春琴抄』を選んで命名したという。「谷崎とお春どん」『久保家所蔵谷崎潤一郎久保義治・一枝宛書簡』11頁。
  3. ^ 1998年5月号の『國文學』に掲載された久保昭の「新発見の谷崎潤一郎の久保一枝宛書簡をめぐって」(p.107)では内訳について「義治宛——葉書17通/封書15通」、「一枝宛——葉書20通/封書43通」、「連名宛——封書3通」、「空封(なかみなし)——2通」と報告され、内容については「創作過程、谷崎家の日常、一枝への見舞、戦中の世情、風俗、衣食住に及ぶ」と紹介されていた。

出典[編集]

  1. ^ 春琴堂書店 - 全国書店案内”. tokyo-shoten.or.jp. 東京都書店商業組合. 2021年2月20日閲覧。
  2. ^ a b c 「谷崎潤一郎の新書簡発見 「細雪」の「お春」モデルあてに」『朝日新聞』、1997年8月18日、朝刊、31面。
  3. ^ a b 「久保義治・一枝の略歴および書簡について」『久保家所蔵谷崎潤一郎久保義治・一枝宛書簡』芦屋市谷崎潤一郎記念館、1999年、13頁。
  4. ^ a b 小谷野敦「京の谷崎——戦後の日々」『谷崎潤一郎伝——堂々たる人生』中央公論新社、2006年、340頁。
  5. ^ 久保昭「新発見の谷崎潤一郎の久保一枝宛書簡をめぐって」『國文學』第43巻第6号、1998年5月、 107頁。
  6. ^ 谷崎松子『湘竹居追想——潤一郎と「細雪」の世界』中央公論社、1983年、105頁。
  7. ^ a b まなび遊山 吉田キャンパス いまむかし” (日本語). 京都大学広報誌『紅萠』. 2021年2月20日閲覧。
  8. ^ 谷崎潤一郎の京都を歩く -1-”. 東京紅団. 2021年2月20日閲覧。
  9. ^ a b 佐藤剛志「谷崎とファンつなぐ書店」『朝日新聞』、2014年11月15日、大阪、夕刊、1面。
  10. ^ a b 川本三郎「十五 愛嬌者、お春どんの明るさ」『『細雪』とその時代』中央公論新社、2020年、238頁。
  11. ^ 小谷野敦「最終章 終焉」『谷崎潤一郎伝——堂々たる人生』中央公論新社、2006年、428頁。
  12. ^ a b 「「細雪」モデル女性あて100通発見 谷崎潤一郎の心遣い20年」『読売新聞』、1997年8月18日、大阪、夕刊、14面。
  13. ^ CiNii 図書 - 久保家所蔵谷崎潤一郎久保義治・一枝宛書簡”. 国立情報学研究所. 2021年2月21日閲覧。
  14. ^ 佐藤剛志「編集部から」『朝日新聞』、2018年3月24日、東京、朝刊、10面。
  15. ^ 谷崎ゆかりの書店、閉店へ 京大前で70年の春琴堂”. 京都新聞. 2018年6月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2021年2月21日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

座標: 北緯35度01分30秒 東経135度46分42秒 / 北緯35.0251318度 東経135.7783176度 / 35.0251318; 135.7783176