掌の小説

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掌の小説
Palm-of-the-Hand Stories
著者 川端康成
イラスト カバー装画:平山郁夫
発行日 1971年3月15日
発行元 新潮社
ジャンル 掌編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 文庫本
ページ数 644
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掌の小説』(たなごころのしょうせつ)は、川端康成掌編小説集。「てのひらのしょうせつ」とルビが付されている場合もある[注釈 1]。川端が20代の頃から40年余りにわたって書き続けてきた掌編小説を収録した作品集で、1971年(昭和46年)3月15日に新潮文庫より刊行された。1話の長さは、短いもので2ページ程度、長いものでも10ページに満たない掌編小説が111編収録され、のち1989年(平成元年)改版から11編追加されて122編収録となった。なお川端の掌編小説の全総数は128編ほどになると言われている[1]。翻訳版もレーン・ダンロップとJ・マーティン・ホルマン訳(英題:“Palm-of-the-Hand Stories”)をはじめ各国で行われている。

川端の掌編小説[編集]

初期の頃の35編は1926年(大正15年)6月15日に金星堂より刊行の処女作品集『感情装飾』に初収録された[2][3]。その後の1930年(昭和5年)4月7日に新潮社より刊行の『僕の標本室』には、新作を加えた47編が収録され、1938年(昭和13年)7月19日に改造社より刊行の『川端康成選集第1巻』には77編が収録された[2][3]

これらの掌編小説群に関して、川端は1938年(昭和13年)時点の選集では、以下のように語っている[4]

私の著作のうちで、最もなつかしく、最も愛し、今も尚最も多くの人に贈りたいと思ふのは、実にこれらの掌の小説である。

この巻の作品の大半は二十代に書いた。多くの文学者が若い頃にを書くが、私は詩の代りに掌の小説を書いたのであつたらう。無理にこしらへた作もあるけれども、またおのづから流れ出たよい作も少くない。今日から見ると、この巻を「僕の標本室」とするには不満はあつても、若い日の詩精神はかなり生きてゐると思ふ。

— 川端康成「あとがき」(『川端康成選集第1巻』)[4]

しかし12年後に出された全集ではこの評価を覆し、「それらの標本の多くを私は今好まない」、「私の歩みは間違つてゐたやうに思はれる」と自己嫌悪を述べている[2]

この点に関して吉村貞司は、作家が過去の自作に対し、世の賞讃に背いて自己嫌悪や過去の幼さを恥じることもあるだろうが、この『掌の小説』の中には川端のあらゆる要素が含まれるとし[5]、「複雑な反射の作り出す目もあやな光のシンファオニイ」に喩えられるような、「作者としてのよろこびも、悲しみも、悩みも、嫌悪も反射する」多彩さがあるとしている[5]

大正末期には掌編小説が流行し、岡田三郎武野藤介なども書いていたが永続せず、ひとり川端のみが、「洗練された技法を必要とするこの形式によって、奇術師とよばれるほどの才能の花」を開かせたとされ[5]島木健作からは、「が洗はれるやうな清々しさのなかに、美しく懐かしく喜ばしく悲しい人生を眼のあたりに感じる」と高く評価されている[6]

おもな個別作品概説[編集]

自伝的な作品[編集]

骨拾ひ[編集]

短編『十六歳の日記』で描かれた祖父・三八郎の看病記に連なる内容で、亡くなった祖父の火葬の日を扱っている。

二十年[編集]

小学生の時の思い出を取り入れている[2]

[編集]

両親の死を題材にしている[2]

自伝的色彩を帯びたものには他に、がある[2][7]

日向[編集]

川端自身と思しき人物が、祖父との思い出に初恋の少女の挿話に交えて、自身の「無言のまま人を凝視する癖」について語っている。この少女との挿話は、伊藤初代との婚約が題材となって創作されている[2][8]

伊藤初代との挿話を題材にした作品は他に、弱き器火に行く彼女鋸と出産写真雨傘処女作の祟りがある[2][9]

伊豆を舞台とした作品[編集]

有難う[編集]

川端の掌編小説の中の代表的作品で、1936年(昭和11年)に清水宏により映画化(『有りがたうさん』)もされた。2010年(平成22年)には4話オムニバス『掌の小説』の第2話として、朝の爪と取り混ぜ映画化されている。

あらすじとしては、バスに乗って町へ売られていく娘を、母親がせめてもの情けで、娘の好きなバス運転手とはじめての一夜を過ごさせるが、そのために母は娘を売りに行けなくなるという物語で、「運転手の明るい人がらと、人生の底辺に生きる娘のよろこびとかなしみが、ギリギリと簡潔な表現で描かれている」と評されている[5]

三島由紀夫は、この作品を掌の小説の中でも優れたものの一つだとし、「母に連れられて売られにゆく少女が、その途中で、自分たちが乗つて行つたバスの運転手と図らずも結ばれる」という思いがけない結末を、「作中の人物も作者も皆の目がやさしくゆるしてゐる」と指摘しながら、娘を売りにゆく母親も、売られにゆく娘も、やがてその夫となる運転手も、「運命に対して極度に純潔な人々」であると解説している[10]。そして彼らについて、「到底、運命に抗争するといふやうな人柄ではない。しかも彼等は運命に盲従する怠惰にして無智無力な存在とも言ひ切れぬ。むしろかう言ふべきだ。かれらは運命に対して美しい礼節を心得てゐる人たちだと」と述べている[10]

また、南伊豆の明るい秋の風光がたぐいまれな美しさで再現されている作品として、『伊豆の踊子』と併読することを三島は推奨し[11]、さらに、世界の掌編小説の傑作群として、メリメの『トレドの真珠』、ポオの『楕円形の肖像画』『妖精の島』、リラダンの『白鳥扼殺者』『ヴィルジニイとポール』、ラディゲの『花売娘』、ラフカディオ・ハーンのいくつかの小品、里見弴の『椿』『伊予すだれ』、堀辰雄の『眠つてゐる男』『死の素描』『風景』、ヤコブセンの『ここに薔薇あらば』、アポリネールの多くの小品と共に、川端の有難う雨傘夏の靴を挙げ、これらを網羅すれば、宝石函のような美しい「世界掌編小説全集」が出来上がると述べるほど高い評価をしている[12]

伊豆物は他に、指輪お信地蔵冬近し胡頽子盗人処女の祈り神います母の眼馬美人踊子旅風俗玉台夏の靴滑り岩などがある[2][9][5]

浅草を舞台とした作品[編集]

日本人アンナ[編集]

スリの天才である白系ロシア人少女を、そのインスピレーションそのままのさわやかさで描いている作品[5]。2010年(平成22年)には4話オムニバス『掌の小説』の第3話として映画化されている。

浅草を舞台にしたものは他に、鶏と踊子白粉とガソリン縛られた夫がある[2][9]

リラダン風作品[編集]

化粧[編集]

家の窓から見える、斎場トイレ化粧直しをする喪服の女たちに不信を抱いている「私」が、トイレに化粧ではなく、ハンカチを目に当て純粋に泣きにやって来た少女を見て、女へのそれまでの悪感情が拭い去られた気持ちになるが、突然その少女が手鏡に向ってニイっと笑ってから出て行ったのを見て驚く話。

リラダン風のものは他に、質屋にて貧者の恋人金糸雀時計雀の媒酌神います朝の爪神の骨金銭の道などがある[5]

写生風作品[編集]

笑はぬ男[編集]

川端自身が1926年(大正15年)に原作脚本を手掛けたサイレント映画狂った一頁』の撮影体験を題材にして作られた掌編小説[2]。2010年(平成22年)には4話オムニバス『掌の小説』の第1話として、死面と取り混ぜ映画化されている。

写生風、あるいは作者の生活の断片やスケッチに近いものは他に、愛犬安産黒牡丹男と女と荷車夜店の微笑さざん花笹舟紅梅家庭化粧などがある[2][9][5]

夢想・幻想的な作品[編集]

不死[編集]

50年以上も前に死んだまま歳をとらない女と、そのかつての恋人だった老人が寄り添って対話する物語。2010年(平成22年)には4話オムニバス『掌の小説』の第4話として映画化もされている。

心中[編集]

逃げた夫から、9歳の娘に物音を立てさせないようにゴム毬も靴も茶碗も使わせるなと次々と手紙が届き、それに従う妻だったが、娘が御飯茶碗を出してきたのをきっかけに妻は反動のように大きな物音を立て始め、その音が夫に届くかを問うように確かめていく。夫の手紙はついに、「お前達はいっさいの物音を立てるな」と命令した。そして妻と娘は死に、夫もその横に並んで死んでいたという話。

川端自身が、〈愛のかなしさを突いたつもり〉と自解するこの作品は[2]、同時代評では梶井基次郎が注目し[13]伊藤整も、「一群の掌の小説の頂点」と述べるなど高評価された[9]。その後も、「愛情の束縛性と奪取性」[14]、「愛とそのもろさ、はかなさ」[15]遠隔透視、物体隔動などの心霊現象を効果的に使い「イロニカルな愛の形とその悲痛さをえぐった秀作」として高い評価が続いている[16][9]

星新一は、この作品に魅入られて、自分が何度生れ変っても「とても書けない」作品だと絶賛している[17]

幻想的、神秘的な作品は他に、霊柩車屋上の金魚竜宮の乙姫盲目と少女、などがある[2][9][5]

全収録作品目録[編集]

  1. 骨拾ひ
  2. 男と女と荷車
  3. 日向
  4. 弱き器
  5. 火に行く彼女
  6. 鋸と出産
  7. バッタと鈴虫
  8. 時計
  9. 指環
  10. 金糸雀
  11. 写真
  12. 白い花
  13. 落日
  14. 死顔の出来事
  15. 屋根の下の貞操
  16. 人間の足音
  17. 二十年
  18. 硝子
  19. お信地蔵
  20. 滑り岩
  21. 有難う
  22. 万歳
  23. 胡頽子盗人
  24. 玉台
  25. 夏の靴
  26. 雀の媒酌
  27. 子の立場
  28. 心中
  29. 竜宮の乙姫
  30. 処女の祈り
  31. 冬近し
  32. 霊柩車
  33. 一人の幸福
  34. 神います
  35. 帽子事件
  36. 合掌
  37. 屋上の金魚
  38. 金銭の道
  39. 朝の爪
  40. 恐しい愛
  41. 歴史
  42. 馬美人
  43. 百合
  44. 処女作の祟り
  45. 駿河の令嬢
  46. 神の骨
  47. 夜店の微笑
  48. 夫人の探偵
  49. 門松を焚く
  50. 盲目と少女
  51. 母国語の祈祷
  52. 故郷
  53. 母の眼
  54. 三等待合室
  55. 叩く子
  56. 秋の雷
  57. 家庭
  58. 時雨の駅
  59. 貧者の恋人
  60. 笑はぬ男
  61. 士族
  62. 質屋にて
  63. 黒牡丹
  64. 日本人アンナ
  65. 雪隠成仏
  66. 離婚の子
  67. 顕微鏡怪談
  68. 踊子旅風俗
  69. 望遠鏡と電話
  70. 鶏と踊子
  71. 化粧の天使達
  72. 白粉とガソリン
  73. 縛られた夫
  74. 舞踊靴
  75. 楽屋の乳房
  76. 眠り癖
  77. 雨傘
  78. 喧嘩
  79. 化粧
  80. 妹の着物
  81. 死面
  82. 舞踊会の夜
  83. 眉から
  84. 藤の花と苺
  85. 秋風の女房
  86. 愛犬安産
  87. ざくろ
  88. 十七歳
  89. わかめ
  90. 小切
  91. さと
  92. 五拾銭銀貨
  93. さざん花
  94. 紅梅
  95. 足袋
  96. かけす
  97. 夏と冬
  98. 笹舟
  99. 秋の雨
  100. 手紙
  101. 隣人
  102. 木の上
  103. 乗馬服
  104. かささぎ
  105. 不死
  106. 月下美人
  107. 白馬
  108. めずらしい人

映画化[編集]

おもな関連刊行本[編集]

  • 処女作品集『感情装飾』(金星堂、1926年6月15日)
    • 装幀:吉田謙吉
    • ※ 初期の掌の小説35編を収録。
  • 『僕の標本室』(新潮社、1930年4月7日)
    • ※ 神の骨、日本人アンナなど新作を加えた47編を収録。
  • 『川端康成選集第1巻』(改造社、1938年7月19日)
    • あとがき:川端康成「第一巻あとがき」。付録:川端康成「掌篇小説の流行」。
    • ※ 『僕の標本室』後の新作を加えた77編を収録。
  • 『短篇集』(黒白叢書二)(砂子屋書房、1939年11月20日)
    • ※ 『選集第1巻』から選んだ34編を収録。
  • 『一草一花』(青龍社、1948年1月20日)
    • あとがき:川端康成。
    • ※ 『選集第1巻』から選んだ30編を収録。
  • 文庫版『掌の小説』(新潮文庫、1971年3月15日。改版1989年、2011年)
  • 英文版『Palm-of-the-Hand Stories』(訳:レーン・ダンロップ・J・マーティン・ホルマン)(Tuttle、2006年) ISBN 480530653X

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 新潮文庫では、「てのひらのしょうせつ」としているが、『新潮日本文学アルバム16 川端康成』や、川端康成本人は「たなごころのしょうせつ」と呼んでいる。

出典[編集]

  1. ^ 小松原千里「川端康成『掌の小説』から」(神戸大学近代発行会、1991年)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 川端康成「あとがき」(『川端康成全集第11巻』)(新潮社、1950年)。『川端康成全集第14巻 独影自命・続落花流水』(新潮社、1970年)所収。
  3. ^ a b 「著書目録」(『川端康成全集第35巻 雑纂2』)(新潮社、1983年)
  4. ^ a b 川端康成「あとがき」(『川端康成選集第1巻』)(改造社、1938年)
  5. ^ a b c d e f g h i 吉村貞司「解説」(文庫版『掌の小説』)(新潮文庫、1971年。改版1989年、2011年)
  6. ^ 島木健作「川端さん」(『川端康成選集第1巻』第4回月報)(改造社、1938年)
  7. ^ 川端康成「古い日記 一」(新潮 1959年9月号に掲載)
  8. ^ 川端康成「後姿」(「父母への手紙」第二信)(文藝時代 1932年4月号に掲載)
  9. ^ a b c d e f g 羽鳥徹哉・原善編『川端康成全作品研究事典』(勉誠出版、1998年)
  10. ^ a b 三島由紀夫「川端康成論の一方法――『作品』について」(近代文学 1949年1月号に掲載)。『狩と獲物』(要書房、1951年)
  11. ^ 三島由紀夫「『伊豆の踊子』について」(文庫版『伊豆の踊子』)(新潮文庫、1950年。改版2003年)
  12. ^ 三島由紀夫『極く短かい小説の効用』(小説界 1949年12月号に掲載)
  13. ^ 梶井基次郎「川端康成第四短篇集『心中』を主題とせるヴァリエイシヨン」(青空 1926年7月号に掲載)
  14. ^ 渋川驍「掌の小説」(解釈と鑑賞 1957年2月号に掲載)
  15. ^ 上田真「心中」(『川端康成研究叢書1』)(教育出版センター、1977年)
  16. ^ 羽鳥徹哉「川端康成と心霊学」(国語と国文学 1970年5月号に掲載)。『作家川端の基底』(教育出版センター、1979年)所収。
  17. ^ 星新一「『心中』に魅入られて」(『川端康成全集第6巻』第7回月報)(新潮社、1969年)

参考文献[編集]

  • 文庫版『掌の小説』(付録・解説 吉村貞司)(新潮文庫、1971年。改版1989年、2011年)
  • 『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)
  • 『川端康成全集第14巻 独影自命・続落花流水』(新潮社、1970年)
  • 『川端康成全集第35巻 雑纂2』(新潮社、1983年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第27巻・評論2』(新潮社、2003年)
  • 小松原千里「川端康成『掌の小説』から」(神戸大学近代発行会、1991年) [1]
  • 羽鳥徹哉『作家川端の基底』(教育出版センター、1979年)
  • 羽鳥徹哉・原善編『川端康成全作品研究事典』(勉誠出版、1998年)

関連項目[編集]