みづうみ

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みづうみ
The Lake
著者 川端康成
イラスト 装幀:徳岡神泉、題簽:町春草
発行日 1955年4月15日
発行元 新潮社
ジャンル 長編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本、クロス装
ページ数 207
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みづうみ』は、川端康成長編小説現代仮名遣いでは『みずうみ』表記となる。川端の日本的鎮魂歌の路線とは異質で、発表当初、衝撃的な作品として受け取られ、好悪の分れた作品である[1]。気に入った美しい女を見かけると、その後を追ってしまう奇行癖のある男が、ある聖少女の美しい黒い目の中のみずうみを裸で泳ぎたいと願う物語。様々な女性への秘めた情念を、回顧、現実、妄想幻想などの微妙な連想を織り交ぜた「意識の流れ」で描写し、「永遠の憧れの姿」に象徴化させている[1]

1954年(昭和29年)、雑誌『新潮』1月号から12月号に連載された(全12回)。翌年1955年(昭和30年)4月15日に新潮社より単行本刊行された[2][注釈 1]。文庫版は新潮文庫で刊行されている。翻訳版は1974年(昭和49年)のReiko Tsukimura(月村麗子)訳(英題:“The Lake”)をはじめ、各国で行われている。

1966年(昭和41年)に本作を原案とした映画『女のみづうみ』が岡田茉莉子主演で制作された。

作品構成など[編集]

初出誌では、作品冒頭部と末尾が照応しており、円環構造となっていたが、単行本刊行に際し、連載第11回の後半と最終回の第12回の全文(主人公が逃避行して信州の温泉場にいる)が切り捨てられたため、円環構造が崩れ[2][3][4]、瑕瑾を残したまま未完のまま放置された作品である[5]

なお、川端康成は1961年(昭和36年)に、について以下のように述べている。

湖の多くは遠いむかし地の奥から火を噴きあげた火口に水をたたへてできた。火はしづまる時が来るが、水にはがない。

川端康成「まえがき」(『湖』)[6]

あらすじ[編集]

桃井銀平は或る女の魔性に惹かれて後をつけ、その女が銀平から逃げる間際に落としていったハンドバッグから金を盗んでしまい、いたたまれなくなり東京から信州へ逃げた。夏の終り、軽井沢トルコ風呂へやって来た銀平は、湯女マッサージを受けながら、高校教師だった頃に初めて後をつけた教え子・玉木久子のことや、母方の従姉・やよいへの少年時代の初恋を回顧する。銀平の母親は湖近くの名家の出で美しかったが、銀平は父親ゆずりののような甲の皮が厚い醜い足だった。父がその湖で変死して以来、母の親類は銀平の一家を忌み嫌い、やよいも露骨に銀平を見下した。玉木久子と銀平は、生徒と教師の間柄で密会し、そのことが原因で銀平は教職を追われ、久子は別の学校へ転校した。その後も二人は関係を続けて、久子の部屋に忍び込んだことが家人に見つかったこともあったが、結局は二人は別れを決めた。

銀平に後をつけられハンドバッグを落とした水木宮子は、元は良家の娘だったが敗戦で家の財産がなくなり、金持の有田老人の愛人をして暮らしている。美貌の宮子はよく見知らぬ男たちにつけられた。落としたバッグの中には通帳とおろしたばかりの大金があったが、パトロンの有田や女中には金を引き出したことは内緒だったので警察には届けなかった。宮子には大学に入学する弟・啓助がいて、そのための資金だった。啓助と同級の友人・水野には、15歳の恋人・町枝がいた。町枝は両親に水野との交際を反対されていたため、犬の散歩の時に土手で二人は会っていたが、ある日そこへ向う坂道で、町枝は不審な男(銀平)に後をつけられ、声をかけられた。

銀平は我を忘れて、犬を散歩させている可憐な色白の少女(町枝)を追跡していた。その少女は古里のやよいや、元教え子の玉木久子よりも美しかった。銀平は声をかけたが、少女は何も答えず相手にしなかった。少女のその美しい目の「黒いみずうみに裸で泳ぎたい」という奇妙な憧憬と絶望を銀平は覚えた。恋人らしき学生(水野)と芝生の上で談笑する少女を呪わしく見つめながら、銀平は父親を殺した犯人を見つけて仇討ちを誓った頃のことを思い出す。少女が帰った後、学生にからんだ銀平は土手から突き飛ばされた。銀平は突っ伏しながら、やよいや久子のことを回想する。

6月に堀で催された狩りに少女(町枝)が現われた。必ずそこへ来ると見込んでいた銀平は天女のような少女を見つめ、来世は自分が美しい足の若者に生まれ変って、二人で白のバレエを踊りましょうと、独り言を言った。銀平は帰りの坂道で土手を登るとき、戦時中に自分と関係した娼婦が産んだ捨て子の赤ん坊の幽霊が土手の土の中を這うのを見る。銀平は、久子が別れる時に、いつかどうしても先生に会いたくなったら、上野の地下道に先生がいても会いに行くと言った言葉を思い出し、上野駅に向った。駅を出ると、ゴム長靴をはいた醜い女が、銀平が目くばせしたと言ってついて来たので、一緒におでん屋で飲んだ。店を出ると女はしなだれかかり、銀平も自分に似合いの女だと調子を合わせた。銀平は、おそらく不恰好で醜いであろう女の長靴の中の足を見たいと思ったが、それが自分の醜い足を並んでいるところを想像すると嘔吐を催し、安宿へ入ろうとする女の腕を振り解いて逃げた。女に小石をぶつけられ、情けない気持でアパートに戻った銀平は靴下を脱ぎ、くるぶしが薄赤くなっているのを見た。

登場人物[編集]

桃井銀平
34歳。元高校の国語教師。甲が厚くて黒ずみ、土踏まずに皺が多く、節立った長い指の、のような醜い足に劣等感を持つ。裏日本の海辺の生まれ。子供の頃、両親と祖父母と、出戻りの叔母(父の姉)と住んでいた。母は名家の出だったが格の違う醜い父と結婚した。11歳の時に父が、母の古里の村の湖で、自殺か他殺か判らない奇怪な死を遂げる。母は銀平が東京で苦学している頃に胸を患い死去。犬嫌い。美しい女の後を追跡する奇癖がある。この世の果てまで後をつけるというのは、その女を殺してしまうしかないことだと考えている。
湯女
20歳前くらいの娘。軽井沢のトルコ風呂の湯女。ミス・トルコと呼ばれている。天女のようなきれいな声。新潟県出身。
玉木久子
銀平の元教え子。銀平がはじめて後をつけた女。家は戦後に建てた豪華な洋館。浅黒い肌。銀平に身をまかし、山の手の焼跡となっている久子の元の屋敷の塀の中(「草葉のかげ」)で密会する。のちに「草葉のかげ」に建つ家は、結婚した久子の新居になる。
恩田信子
玉木久子の同級生で親友。銀平と久子との関係を校長と久子の父に告発し、秘密を漏らす。成績は良いが自我も強い。
久子の両親
娘と銀平との仲を知り、娘を転校させる。空襲で家が焼けたが、戦後すぐに立派な洋館を建てられた金持ち。父親が秘密の裏の仕事をしているらしい。久子の部屋で密会しているのを見つかった時、銀平はピストルで久子と親を殺し、自分も死ぬ妄想を抱く。
ストリート・ガール
街娼。銀平が久子の後をつけ、門前から逃げた後、盛り場で声をかけてきた女。自称・女子学生。
やよい
銀平の従姉(母の兄の娘)。銀平よりも2歳年上。12、3歳の頃の銀平の初恋。湖のほとりを二人でよく歩いた。銀平の母は実家にいる兄に、嫁ぎ先の生活の不満を訴えていた。やよいは、銀平の父親は殺されたのだと銀平に言う。やよいは海軍士官と結婚した後、未亡人となる。
水木宮子
25歳。美貌の女。歳より若く見られる。銀平に後をつけられ、ハンドバッグで追い払って、それを落として逃げる。老人の愛人をしながら、屋敷町に住んでいる。裕福な家庭で育ったが、敗戦で宮子の一家は財産を失い、初恋の人も戦死した。銀平にすれ違いざま、同じ「魔界の住人」と思われる。
有田音二
70歳間近の老人。会社社長。水木宮子のパトロン。自宅にも家政婦という名目の30代の美人の愛人・梅子がいる。梅子も宮子もお互い、その存在を承知している。有田が30代の時、妻は嫉妬で自殺。よく悪夢にうなされる。有田の秘書は、銀平の学生時代の友人で、有田の演説の代作の仕事を銀平に廻している。有田は玉木久子の父親と知り合いで、久子の転向先の女学校の理事長
たつ
水木宮子の家の女中。宮子の弱味につけこんで、自分の娘・さち子も女中として呼び入れ、娘に有田老人を宮子から盗ませ、愛人にさせようと企んでいる。有田老人が旅行中に宮子に預ける宿代やチップを、ごまかしてピンハネするように宮子にアドバイスする。同じように、自分も宮子から買物代をピンハネし、こつこつ貯金している。戦死した夫に苦労させられた。
さち子
17歳。たつの娘。水木宮子の家の女中。行儀がよい。母・たつの指南で香水をつけさせられている。子供の頃、父親が夫婦喧嘩で投げた火箸が首に刺さって怪我をし、小さな傷が残っている。
水木啓助
水木宮子の弟。おとなしい性格。頭はいいが臆病な性格で大学入試の試験場で脳貧血を起こしたりする。受かっても入学金が払えないと思い、余計に気弱になり遺書を書く。啓助の母は、息子を入学させるために、夫の友人に借金をしてまでお金を使った。宮子は貯金をおろし母に渡そうと考えていた。
水野
啓助の仲のいい友人。気の弱い啓助が同じ大学に入るために試験場で答案を二枚書いてもいいと言ってくれる。15歳の恋人・町枝がいる。
町枝
15歳。水野の恋人。どこか愁いがある清らかな少女。色白で濡れたような美しい黒い目。両親に水野との交際を反対されている。柴犬・ふくを連れて散歩中に銀平に目をつけられる。天上の匂いのするような輝く白い肌。
西村
戦時中の銀平の悪友。娼婦が産んだ銀平の子らしき赤ん坊が、銀平の下宿の前に捨てられていたのを、銀平と一緒に娼家の前に戻す。西村は戦死。
小母さん
学生の銀平が下宿していた家の主婦。門の前に置かれた捨て子の赤ん坊を見て騒ぐ。
ゴム長靴をはいた女
40歳前くらい。日焼けした顔で、薄よごれた身なりの醜い女。街娼。夫はなく、家には13歳の娘がいる。

作品評価・解釈[編集]

『みづうみ』は発表当初、川端作品の愛読者や追随者の間でも、困惑し、嫌悪を示した者も多かったが[1]、後期の川端の思想が如実に表わされている作品という評価も多く[7]、その「魔界」世界がよく示されている作品でもある[5]。また『みづうみ』は主人公の意識を主観的に描いているが、こういった試みは初期作品の『水晶幻想』(1931年)などにも見られていた[1][4]

三島由紀夫は、「因縁の糸がそれぞれ全部つながっていて、偶然をものともせず人物がみなつながっていて、すべて因果応報の理によって動くようなところ」が、草双紙だと思うとして[8]、『みづうみ』を「川端氏が草双紙風の筋立てで書いた、華麗な暗黒小説」だと表現し[9]、以下のように評している。

美少女の腰にゆらめく籠の仄明り、みづうみに映る対岸の夜火事の火……、美的な官能的な関心と、への関心とが、桃井銀平といふ奇怪な男の中で、あわただしく手を携へて、彼をして神出鬼没せしめる。この男の妄念にみたされた目に映る世界には、何一つ不可能なものはない。現実の障壁を完全に取去つた幻妖な物語世界が出現する。

三島由紀夫「川端康成著『みづうみ』」[9]

そして三島は、その「悪」は、「まったく感性的な悪」、「全然無害な無気力な悪」であり、「日本的な悪というのは背徳ではなくて、感性をそのままほっぽり出しておけば人間は悪になるという考え」であるから、主人公の銀平のような「普通の日本的な男をほっぽり出して彼の感性のままに行動させれば必然的に悪になる」とし、その悪が他の人間とぶつかり合う時には、人間関係が生じずに「美学だけが生じてしまう」というのが、川端文学のモチーフとなっていると解説している[8]

その三島から『みづうみ』の「不快な読後感を情熱的に」、「独特の繊細な表現」で聞かされ、興味をそそられたという中村真一郎は、「私は直ちに一読し、三嘆した。この作品は私にとっては戦後の日本小説の最も注目すべき見事な達成だと感じられた」と述べ[1]、主人公の「意識の流れ」の描写の美しさに驚いたとし、従来的な十九世紀の客観主義の手法で描けば、ただの「偏執者」になりかねない主人公が、その西欧二十世紀の作家たちの創造した「意識の流れ」の主観的表現方法を使用することで、心の動きが「内部」から描かれることにより、「その執念、その情念が、永遠の憧れの姿にまで、象徴化されることができた」と解説し[1]、その「抒情的感覚的映像」の断片によって、一つの小説に「幾つかの華やかな布地の綴織りのような面影」が作られているとしている[1]

そして中村は、『みづうみ』の手法と似ているクロード・モーリアックモーリアックの息子)の『全ての女は宿命的』も、主人公の意識から多くの女性の思い出を混ぜ合わせていることに触れ、川端がモーリアックと違う点を、その「混ぜ合せ方」が同じく超現実主義的ではあるものの、「日本的超現実主義――中世連歌における“匂い付け”と呼ばれるような、不思議な微妙な連想作用によって行われている」と解説し[1]、以下のように評している。

従ってこの作品は、西欧の最も新しい文学的冒険と照応しながら、一方で古い日本の美学の最も本質的なものの現代的再現と云える。それは屢々ホアン・ミロの幻想に似ている。と同時に、我国王朝末期の頽唐期の物語の世界でもある。

中村真一郎「解説」[1]

また、『みづうみ』の構成、映像、筋立て、後味が「夢」に似ていているとし、「大概の小説は現実に似ていることで迫真性を持っているとすれば、この小説はその逆なのである」と中村は説明しつつ[1]、夢のように「心の奥底への遍歴」に我々を促すような作用をする『みづうみ』は、ノヴァーリスティークのドイツ浪漫派や、それを受け継いだフランスのネルヴァルの作品とも、遥かに通い合っていると考察している[1]

『みづうみ』を、「時空間の拘束」にとらわれることなく、主人公銀平が幼少時に負った心の傷をひたすら追っていく物語であるとする田村充正は、その方法が、分析や解明を主とする西欧的な小説と違い、様々な感情を「芸術の言葉」に変えて、「和歌への結晶を志向する歌物語」と同様の方向性を持っているとし[4]、その点でも「西洋の前衛と日本の古典」の融合という川端作品の特質が見られると考察している[4]

そして田村は、『みづうみ』の終結部が、初出誌連載時では、主人公・銀平がアパートに戻った5、6日後に宮子の後をつけてハンドバッグを拾い、東京から信州へ行き、その温泉場の宿から出てバスに乗るという流れの終わり方で、再び冒頭部へ繋がる円環構造となっていたことを鑑み[4]、宮子の視点の第2章は別にして、『みづうみ』が、「信州から信州へという構成においても、やよいからやよいへという主人公の意識においても完全な円環性をその特徴としている」と説明しながら[4]、銀平が、その「円環の中心にある〈みづうみ〉」に立ち返り、自身が受けた心の傷の謎を解明しようとする志向がなく、もし解明されても傷が癒えることがないことを銀平は知っているため、「癒やして過去に訣別する方途がない」なら、「銀平は宮子のあとに続く第四、第五の女を追い続ける宿命にあるはずである」と田村は論考し[4]、それゆえに、単行本刊行に際して削除された雑誌結末部分は、あえて削除する必然性がなかったと述べ[4]、以下のようにまとめている。

作品の内的生命は初出のとおり銀平の永遠の彷徨を示唆してその輪を閉じようとしていた。いやすでに閉じたのである。この永遠の堂々巡りを、作品内では自壊していない円環構造を、力づくで断ち切ったのは作家川端康成であり、その意味でもこの「みづうみ」という作品は、作家川端の生を反映しているのかも知れない。

田村充正「川端康成『みづうみ』の基礎研究――作品『みづうみ』はいかに構築されているか」[4]

原善は、主人公・銀平の追跡者としての姿と川端を重ね合せ、「銀平の美への追跡」は、「作家川端の文学における美の追求」の具現化であり、銀平は川端自身の分身であるとし[5]、川端文学の「魔界」について、「一見するとそれと誤認される皮相な背徳や悪の世界のみではなく、そういった淪落への志向と同時に自己浄化の志向をも持った人物の、その両志向の二律背反的な拮抗によって裏打ちされるところの、美と倫理の危うい均衡の中で燃焼するエロスの世界だとする理解が導ける」と考察している[5]

また原は、三島が『みづうみ』を「草双紙」と言ったことに触れ、宮子のパトロンが銀平にも繋がる人物だという「因果」、「因縁の糸」を所々に含めている川端の、「運命・因縁」へのこだわりを、辻邦生が川端について指摘した「“孤児”という宿命的な状況は、氏をして、生の底面にある、動かしがない何ものかの存在を、いや応なく認めさせずにはおかなかった」[10]という言葉を引きながら、多くの血縁の死を経験した川端が、新たな血縁を求めるも子宝に恵まれず、そういった、「自らを支配する暗い宿命」を意識せざるをえなかった川端の作品にも、「運命・因縁」が主題となることが多いと考察している[11]

林武志は、『みづうみ』において注目すべき点は、「自失」(「忘我」)と「狂気」であるとし[12]、「〈自失〉の追跡」、「〈狂気〉の世界」のいずれも、「人間的日常的時間が切断された〈虚の時空〉、非日常的な〈幻の時空〉」であり、銀平が追い求め続けた「魔界」は、「常住不能な非連続の世界」だと論じている[12]岩田光子は、『雪国』の「温泉」と、『みづうみ』の「トルコ風呂」との類似性を指摘しながら、それを「現実から非現実への移行」のための「通路」だとしている[13]

映画化[編集]

女のみづうみ
監督 吉田喜重
脚本 石堂淑朗大野靖子、吉田喜重
原作 川端康成『みづうみ』
製作 駒崎秋夫久保圭之介
出演者 岡田茉莉子露口茂
音楽 池野成
撮影 鈴木達夫
編集 清水幸子
製作会社 現代映画社
配給 松竹
公開 日本の旗1966年8月27日
上映時間 98分(モノクロ)
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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『女のみづうみ』モノクロ 98分。1966年(昭和41年)8月27日封切。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

テレビドラマ化[編集]

おもな刊行本[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 単行本刊行に際し、大幅な加筆訂正がなされ、連載第11回の後半と第12回の全文が削除されている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 中村真一郎「解説」(文庫版『みづうみ』)(新潮文庫、1960年。改版1991年)
  2. ^ a b 「解題」(『川端康成全集第18巻』)(新潮社、1980年)
  3. ^ 月村麗子「川端康成著『みづうみ』の主題と手法」(解釈 1977年1月号に掲載。のち寧楽書房、1977年)
  4. ^ a b c d e f g h i 田村充正「川端康成『みづうみ』の基礎研究――作品『みづうみ』はいかに構築されているか」(静岡大学人文論集、1996年)
  5. ^ a b c d 原善「川端康成『みづうみ』論」(文芸空間 第3号 1979年12月号に掲載)。『川端康成の魔界』(有精堂、1984年)に所収。
  6. ^ 川端康成「まえがき」(『湖』)(有紀書房、1961年)
  7. ^ 山中正樹「銀平の変容――『みづうみ』における〈時間〉と〈空間〉」(桜花学園大学人文学部研究紀要、2004年3月)
  8. ^ a b 三島由紀夫大岡昇平寺田透「創作合評」(群像 1964年2月号に掲載)
  9. ^ a b 三島由紀夫]「川端康成著『みづうみ』」(朝日新聞 1955年4月16日号に掲載)
  10. ^ 辻邦生「川端康成諭――宿命について」(文藝 1963年8月号に掲載)
  11. ^ 原善「『千羽鶴』論」(『川端康成の魔界』)(有精堂、1984年)
  12. ^ a b 林武志『鑑賞日本現代文学15 川端康成』(角川書店、1982年)
  13. ^ 岩田光子『川端文学の諸相―近代の幽艶―』(桜楓社、1983年)

参考文献[編集]

  • 文庫版『みずうみ』(付録・解説 中村真一郎)(新潮文庫、1960年。改版1991年)
  • 『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)
  • 『川端康成全集第18巻』(新潮社、1980年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第28巻・評論3』(新潮社、2003年)
  • 『文芸読本 川端康成』(河出書房新社、1977年。新装版1984年)
  • 田村充正「川端康成『みづうみ』の基礎研究――作品『みづうみ』はいかに構築されているか」(静岡大学人文論集、1996年) [1]
  • 山中正樹「銀平の変容――『みづうみ』における〈時間〉と〈空間〉」(桜花学園大学人文学部研究紀要、2004年3月) [2]
  • 原善『川端康成の魔界』(有精堂、1984年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]