太陽と鉄

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太陽と鉄
Sun and Steel
Mishima..jpg
著者 三島由紀夫
イラスト 装幀:横山明
発行日 1968年10月20日
発行元 講談社
ジャンル 自伝随筆評論
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本 クロス装、段ボール機械函
ページ数 150
公式サイト [1]
コード NCID BN12350049
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太陽と鉄』(たいようとてつ)は、三島由紀夫自伝随筆評論。三島自身は、「告白批評との中間形態」としている。主に自らの肉体精神を主題に書かれたもので、三島の文学思想、その死(三島事件)を論じるにあたり重要な作品である[1]。刊行に際しては、終章として自衛隊戦闘機F104機」に搭乗し、成層圏超音速飛行した経験の随筆と長を付加している。〈太陽〉との2度の出会い(昭和20年の夏の敗戦と昭和27年海外旅行体験)を通じて「思考」が語られ、〈〉はボディビルの鉄塊の重量(肉体をあるべきであつた姿に押し戻す働き)」として「筋肉」との関連で語られている。

発表経過[編集]

1965年(昭和40年)、同人季刊雑誌『批評』11月号から1968年(昭和43年)6月号まで10回連載された[1][注釈 1]。その後、1968年(昭和43年)、文芸雑誌『文藝』2月号に掲載された随筆「F104」(のち「太陽と鉄 エピロオグ―F104」)と、1967年(昭和42年)3月14日に即興で執筆していた長詩「イカロス」を終章として加え、1968年(昭和43年)10月に講談社より単行本刊行された[3][4]

翻訳版はジョン・ベスター訳(英題:Sun and Steel)をはじめ、イタリア(伊題:Sole e acciaio)、フランス(仏題:Le soleil et l’ acier)、ポルトガル(葡題:Sol e aço)、中国(中題:太陽與鐵/太阳与铁)などで行われている[5]

作品成立・背景[編集]

三島由紀夫は『太陽と鉄』を、「甚だ長い時間をかけて書き、自分の文学行動精神肉体の関係について、能ふかぎり公平客観的な立場から分析したもの」だとし[6]、「この〈公平〉といふこと、肉体と精神の双方に対して〈公平〉であるといふ態度ほど、日本知識人にとつて難解な態度はないらしく、このエッセイに深甚な関心を示されたのは、虫明氏や秋山駿氏や少数の人だけであつた」と残念がりながら、以下のように語っている[6]

実際、肉体と精神双方に対して公平であることが、無私に通ずるかどうかは疑はしい。無私は多くは自虐の仮面によつて受け入れられやすいものだからである。「太陽と鉄」は、私のほとんど宿命的な二元論的思考の絵解きのやうなものであり、二元論的思考の発生の生理学必然性の物語でもあるが、日本の風土のなかでは、「一如」はあつても二元論はない。それは又、西欧的な意味の「」を成立たせる基盤がないことでもある。私が二元論者であること、文学と行動とどちらをも等分に重視すること、私が劇作家であること、私の小説は劇的構造に偏しすぎること、私の政治的思考が極端な対立状況に傾きがちなこと、……全く、「物が二つになるが悪しきなり」といふ精神風土で、この態度は一体何たることであらうか。私の「絶対矛盾自己同一」はそもそもどこに存在するのか。 — 三島由紀夫「序文」(『三島由紀夫文学論集』)[6]

また自著『作家論』の「あとがき」では、その書と共に『太陽と鉄』を、「私の数少ない批評の仕事の二本の柱を成すものと考へられてよい」と述べている[7]

内容・あらまし[編集]

太陽と鉄
世の通常の人と違い、幼時から「言葉」の「腐食作用」に「現実」が蝕まれ、肉体的な存在感というものに欠けていた「私」(三島由紀夫)は、「現実・肉体・行為」を他者の側に置いていた。その二律背反誤解や仮構であったが、「私」はずっと「あるべき肉体」、「〈肉体〉の言葉」を渇望していた。
敗戦の日の〈太陽〉の「のイメージ」から、〈太陽〉から肉体の恵みを受けるとは思っていなかった「私」だったが、世界旅行(『アポロの杯』)の船上で〈太陽〉と「和解」して以来、自身の「家屋」(自我)を取り巻く「果樹園」(肉体)を〈太陽〉と〈〉で耕し、遅れながらもようやく、存在と行為の感覚を体得し、「肉体の言葉」を学んだ。そして「私」は、神輿担ぎの肉体的な苦痛の中で見上げた「集団視覚の一片」である「」の澄明を見て、〈悲劇的なもの〉の本質が、「平均的な感受性が或る瞬間に人を寄せつけぬ特権的な崇高さを身につけるところ」に生じ、「悲劇」「全的な存在」に参加することで初めて「感受性の普遍性」、他者と同一性を掴むことができるのを知った。
ボディビルで肉体が鍛錬されるにしたがって、言葉が抽象化機能を持つように、筋肉にも、「われわれが通例好加減に信じてゐる存在の感覚」を噛み砕き、それを「透明の感覚」に変化させる「抽象性」を帯びることを「私」は看取した。その力の感覚の先には、言語表現想像力で〈〉を作る)の対極にある「実在」が潜んでいた。それは「私」を見返す「」であり、「敵」(見返す実在)とは、究極的には「」に他ならなかった。「私」(三島)は明晰な意識で「死」を捉えようとする。
意識は一見受身のやうに思はれ、行動する肉体こそ「果敢」の本質のやうに見えるのだが、肉体的勇気のドラマに於ては、この役割は実は逆になる。肉体は自己防衛の機能へひたすら退行し、明晰な意識のみが、肉体を飛び翔たせる自己放棄の決断を司る。その意識の明晰さの極限が、自己放棄のもつとも強い動因をなすのである。

苦痛を引受けるのは、つねに肉体的勇気の役割であり、いはば肉体的勇気とは、死を理解して味ははうとする嗜欲の源であり、それこそ死への認識能力の第一条件なのであつた。書斎哲学者が、いかに死を思ひめぐらしても、死の認識能力の前提をなす肉体的勇気と縁がなければ、ついにその本質の片鱗をもつかむことがないだらう。

— 三島由紀夫「太陽と鉄」
文学芸術)の世界において「私」が練磨した「文体」は、胸を張った軍人のような「式典風な荘重な歩行」を保つ「筋肉的な装飾」の文体であった。姿勢を崩さねば見えない真実があることは知っているが、それは他人の文体に委せておけばよかった。行動の世界においては、「」(芸術)の反対の「」の原理である「充溢した力や絶頂の花々しさや戦ひ意志」の倫理を希求し、「文武両道」の理念を「私」は夢みた。
「文」の原理とは、死は抑圧されつつ私かに動力として利用され、力はひたすら虚妄の構築に捧げられ、生はつねに保留され、ストックされ、死と適度にまぜ合はされ、防腐剤を施され、不気味な永生を保つ芸術作品の制作に費やされることであつた。むしろかう言つたらよからう。「武」とはと散ることであり、「文」とは不朽の花を育てることだ、と。そして不朽の花とはすなはち造花である。かくて「文武両道」とは、散る花と散らぬ花とを兼ねることであり、人間性の最も相反する二つの欲求、およびその欲求の実現の二つのを、一身に兼ねることであつた。(中略)「文武両道」はその絶対的な形態をとることはきはめて稀であり、よし実現されても、一瞬にして終るやうな理念なのである。 — 三島由紀夫「太陽と鉄」
自衛隊体験入隊の訓練において、「言葉の要らない幸福」を得た「私」は、その一瞬で瓦解する「完璧な存在感」が、言葉でなく「筋肉」を以てしか保障されないことを知り、見るだけでは触れえない「存在感覚の根本」との距離を埋めて、「存在の確証」を得たいと願ったとき、「自意識と存在との間の微妙な背理」が「私」を悩ませた。「私」は破壊される林檎運命を身に負うていた。
私が幸福と呼ぶところのものは、もしかしたら、人が危機と呼ぶところのものと同じ地点にあるのかもしれない。言葉を介さずに私が融合し、そのことによつて私が幸福を感じる世界とは、とりもなほさず、悲劇的世界であつたからである。(中略)そこでだけ私がのびやかに呼吸をすることのできる世界、完全に日常性を欠き、完全に未来を欠いた世界、それこそあの戦争がをはつた時以来、たえず私が灼きつくやうな焦燥を以て追ひ求めてゐたものであつたが、言葉は決して私にこれを与へなかつたのみか、むしろそこから遠ざかるやうに遠ざかるやうにと私を打つた。なぜなら、どんな破滅的な言語表現も、芸術家の「日々の仕事(ターゲヴェルク)」に属してゐたからである。 — 三島由紀夫「太陽と鉄」
言葉はいくら破壊的な装いをしていても、「生存本能」と関わり、「私」が〈生きたい〉と望んだ時、回復術として有効に使用されたのだ。いまや「私」は行動の「修羅道」に入っていたが、それは一方では「言葉に無垢の作用のみ」を見ていた少年時代の幸福への「復元」でもあり、「私」の「黄金時代への回帰」でもあったのだ。戦争中の少年の「私」は、言葉の世界に放蕩していたが、それでも同時に〈終り〉を認識していたことは確かである。
「私」は特攻隊遺書江田島参考館で読み、精神が〈終り〉(死)を認識した時、その精神にとって「言葉」がどう作用するのかを見た。特攻隊の美しい二種の(口ごもる、あるいは既成の簡潔な成句に託した)遺書に比して、「私」の言葉は「芸術性」に犯されていたが、〈終り〉を認識していたことに同一性があったといえまいか。「私」の精神は再び、〈終り〉を認識しなければ、「真の自由」はないのである。
「私」が逃したのは「集団の悲劇」だった。肉体的な能力に欠けていた「私」は、いつもそこから拒まれているように感じていたが、今や「私」は集団の一人として〈同苦〉の概念を得て、「神聖な青空」を見た。「集団といふものは肉体の原理にちがひない」と「私」が幼時に直感していたことは正しかったのである。「私」はすでにあの時から、「個性」を越えた「集団の意味」に目覚める日の到来を予見していたのかもしれない。
早春の朝またぎ、集団の一人になつて、額には日の丸を染めなした鉢巻を締め、身も凍る半裸の姿で、駆けつづけてゐた私は、その同苦、その同じ懸声、その同じ歩調、その合唱を貫ぬいて、自分のに次第ににじんで来るのやうに、同一性の確認に他ならぬあの「悲劇的なもの」が君臨してくるのをひしひしと感じた。それは凛烈な朝風の底からかすかに芽生えてくる肉のであり、さう云つてよければ、崇高さのかすかな萌芽であつた。「身を挺してゐる」といふ感覚は、筋肉を躍らせてゐた。われわれは等しく栄光と死を望んでゐた。望んでゐるのは私一人ではなかつた。 — 三島由紀夫「太陽と鉄」
エピロオグ――F104
地上において、じっと机上に向い「知的冒険」をし、「精神の」へと「虚無への落下の危険」を冒すとき、精神も、「肉体の縁」のような極度の肉体疲労の中に見える〈肉体のあけぼの〉と同様の「黎明」を垣間見ることがある。だがこの両者は似通うことはなかった。しかしどこかで繋がる筈である。
私には地球を取り巻く巨きな巨きなが見えはじめた。すべての対極性を、われとわがを嚥(の)みつづけることによつて鎮める蛇。すべての相反性に対する嘲笑をひびかせてゐる最終の巨大な蛇。私にはその姿が見えはじめた。相反するものはその極致において似通ひ、お互ひにもつとも遠く隔たつたものは、ますます遠ざかることによつて相近づく。蛇の環はこの秘義を説いてゐた。肉体と精神、感覚的なものと知的なもの、外側と内側とは、どこかで、この地球からやや離れ、白いの蛇の環が地球をめぐつてつながる、それよりもさらに高方においてつながるだらう。 — 三島由紀夫「エピロオグ――F104」
「肉体の縁」と「精神の縁」にだけ興味を寄せてきた「私」は、その二つが繋がる「運動の極みが静止であり、静止の極みが運動であるやうな領域」、「高い原理」を「死」だと考えていたが、それを神秘的にも捉えすぎていた。
地球は死に包まれてゐる。空気のない上空には、はるか地上に、物理的条件に縛められて歩き回る人間を眺め下ろしながら、他ならぬその物理的条件によつてここまでは気楽に昇れず、したがつて物理的に人を死なすこときはめて稀な、純潔な死がひしめいてゐる。人が素面で宇宙に接すればそれは死だ。宇宙に接してなほ生きるためには、仮面をかぶらねばならない。酸素マスクといふあの仮面を。精神や知性がすでに通ひ馴れてゐるあの息苦しい高空へ、肉体を率いて行けば、そこで会ふのは死かもしれない。精神や知性だけが昇つて行つても、死ははつきりした顔をあらはさない。そこで精神はいつも満ち足りぬ思ひで、しぶしぶと、地上の肉体の棲家へ舞ひ戻つて来る。彼だけが昇つて行つたのでは、つひに統一原理は顔をあらはさない。 — 三島由紀夫「エピロオグ――F104」
酸素マスクをつけた「私」は或る日、銀色に輝くF104超音速ジェット戦闘機気密室の中にいた。風防ガラスにふりそそぐ太陽の光の中、「私」は、危険な宇宙線に充ちた「超人間的な光り」である「裸かの光輝」に、「栄光の観念」を見る。「私」の心はのびやかであった。そのとき「私」は、地球を取り巻いている「蛇」を見た。
ほんのつかのまでも、われわれの裡に浮んだことは存在する。現に存在しなくても、かつてどこかに存在したか、あるひはいつか存在するであらう。(中略)今、私の意識はジュラルミンのやうに澄明だつた。あらゆる対極性を一つのものにしてしまふ巨大な蛇の環は、もしそれが私の脳裡に泛んだとすれば、すでに存在してゐてふしぎはなかつた。蛇は永遠に自分の尾を嚥んでゐた。それは死よりも大きな環、かつて気密室で私がほのかに匂ひをかいだ死よりももつと芳香に充ちた蛇、それこそはかがやく天空の彼方にあつて、われわれを瞰下(みお)ろしてゐる統一原理の蛇だつた。 — 三島由紀夫「エピロオグ――F104」
イカロス
三島が創作したシンメトリカルな形式となっている抒情詩である。詩の前半部は、現実離反、昇天への願望、〈太陽〉への接近が語られている。前半の一部分は以下のようなものである。
私はそもそもに属するのか? さうでなければ何故天は かくも絶えざるの注視を私へ投げ 私をいざなひ心もそらに もつと高くもつと高く 人間的なものよりもはるか高みへ たえず私をおびき寄せる? 均衡は厳密に考究され 飛翔合理的に計算され 何一つ狂ほしいものはない筈なのに 何故かくも昇天の欲望は それ自体が狂気に似てゐるのか? 私を満ち足らはせるものは何一つなく 地上のいかなる新も忽ち倦かれ より高くより高くより不安定に より太陽の光輝に近くおびき寄せられ 何故その理性光源は私を灼き 何故その理性の光源は私を滅ぼす? — 三島由紀夫「イカロス」
後半部では、前半部を相対させて、昇天の欲望を「」の仕組んだ「懲罰」と捉えられ、自己の「柔らかさ」(地上を嫌悪する弱い心)が墜落により、〈〉と化した大地に打ちすえられる。最後の一節は以下のようになる。
されば そもそも私は地に属するのか? さうでなければ何故地は かくも急速に私の下降を促し 思考感情もその暇を与へられず 何故かくもあの柔らかなものうい地は 鉄板の一打で私に応へたのか? 私の柔らかさを思ひ知らせるためにのみ 柔らかな大地は鉄と化したのか? 堕落は飛翔よりもはるかに自然で あの不可解な情熱よりもはるかに自然だと 自然が私に思ひ知らせるために?
空の青は一つの仮想であり すべてははじめからの つかのまの灼熱の陶酔のために 私の属する地が仕組み かつは天がひそかにその企図を助け 私に懲罰を下したのか? 私が私といふものを信ぜず あるひは私が私といふものを信じすぎ 自分が何に属するかを性急に知りたがり あるひはすべてを知つたと傲り 未知へ あるひは既知へ いづれも一点の青い表象へ 私が飛び翔たうとした罪の懲罰に? — 三島由紀夫「イカロス」

文壇の反響[編集]

同時代評の反応としては、好意的に読み取るものと、否定的なものが混ざっている。虫明亜呂無は、三島の克己と忍辱の美学を高く評価し[8]秋山駿も、「そこにある言葉、あるいは精神が、他から何も借りないで、実に純粋にそれ自身の働きによって一つの空間を作っている」とし[9]ニーチェ風の「病者の光学」を看取して好意的に評している[10]。その一方、森川達也は、肉体存在の追及というテーマを描こうとした三島の意図は評価しながらも、そこに新しい発見が見出せないと評している[11]石川淳は、観念的な論理への危惧を呈して、『太陽と鉄』を「本朝ますらおの道の記」と述べている[12]

磯田光一は『太陽と鉄』に、芸術本質限界を悟った芸術家宿命を看取し、「天皇への愛慕を叙情的に語れば、それが滑稽に見えるであろうこと」を自覚していた三島が文学で、戦時の「原体験を造形することだけ」では救われない地点にあり、『太陽と鉄』が「創作への懐疑」に彩られていることを鑑みて[13]、「滑稽に堕することなく、しかも自己救済を達成するにはどうしたらよいか。それは“喜劇”ならぬ“悲劇”にふさわしいだけの肉体をもち、同時に「天皇」を無限遠のかなたに究極目的として設定することである」とし、以下のように考察している[13]

しかしそういう形での救済が、はたして完璧な形をとって三島氏を訪れているであろうか。『太陽と鉄』のエピローグが「イカロス」と題するになっていることは、この救済が大きな逆説性をはらんでいることを示している。ギリシャ神話イカロスに昇ろうと試みながら、やがてを失って地上に墜落するように、三島氏は男性共同体の「同苦」のうちに最高の幸福を予感しながら、なおかつ失墜を承知で天皇(太陽神)への渇望を語るのである。 — 磯田光一「三島由紀夫と現代 擬装せる予言者――偶像としての三島由紀夫」[13]

作品評価・研究[編集]

『太陽と鉄』は三島の思想文学を語る上で、いくつもの重要な論点が含まれ、その内容には、三島の現実に関わるものがあるため、数多くの論究や分析がなされているが、三島の強い個性が表明されている作品ゆえに、その評価も好悪が分かれており、三島文学のバイブルとして熱烈な支持がある一方で、直に向き合わない言及も見られる[1][14]ドナルド・キーンなどは、『太陽と鉄』を解らないとし、「全体としては、なんともいえない不愉快な作品なんです」と述べている[15]

上野昂志は、『太陽と鉄』には「三島自身のことばと肉体についての思考が明確なかたちで対象化していて、あますところがない」とし、「読者に沈黙を強いるところがある」と述べている[16]。比較的近年のものとしては、小杉英了が、肉体改造によって生命力を意識的に捉えた三島の軌跡を論究し[17]養老孟司は、言葉身体が乖離しているために、逆に身体が追求される社会状況を、三島は先取りしていたと考察している[18]。なお、英訳の出版が三島の自決直後であったために、海外でもかなりの反響を呼んだ[14]

田坂昂は、『仮面の告白』を「肉体の喪失篇」とするならば、『太陽と鉄』は「肉体の形成篇」であり、「両者はジャンルを異にしながらも、あたかも陰画陽画のように、二十年の歳月をへだてて多くの点で照応している」とし[19]、前者では〈集団悲劇〉から、〈拒まれた者〉〈見る者〉であった三島が、後者では、「向う岸の〈与る者〉の側」に移行して、〈拒まれた者〉の孤独の目に映っていた〈至純の青空〉が、〈集団的視覚〉に映る〈初秋の絶対の青空〉になっていると考察しながら、「集団的陶酔」は、ニーチェのいう〈ディオニュソス的陶酔〉〈個体破壊とその根源的存在との合一〉と等質のものだとし、以下のように論考している[19]

肉体を得た三島氏は、「現代文化の荒廃と衰弱のさなかにあって」(ニーチェ)、いまこそニーチェとともに、こんな叫びをあげたいとは思わないであろうか。すなわち「(レーベン)と(ライト)と(ルスト)のこの過剰のただなかに、悲劇の女神崇高な恍惚にひたりながら坐っている。彼女は、はるかな哀愁の歌に耳をかたむける――歌は存在の母たちのことを語っている。その名は妄想(ヴァーン)・意志(ヴィレ)・悲嘆(ヴェー)というのだ。――おお、友らよ、私とともにディオニュソス的生命を、そして悲劇の再生を信じたまえ!……今はただ、敢然として悲劇的人間となれ!」(『悲劇の誕生』)。悲劇への道――それが三島氏にとって何であるかをわれわれはすでに知っている。 — 田坂昂「『太陽と鉄』―〈悲劇的なもの〉への憧れから〈悲劇〉への参加へ―」[19]

佐伯彰一は『太陽と鉄』を、三島が『私の遍歴時代』の中で述べていた〈現在の、瞬時の、刻々の観念[20]を中核とする三島の「メタフィシックスの首尾一貫した展開であり、見事な的結晶」だと評している[21]。そしてそういった「超越的な飛翔の一つの詩的頂点」の謳い上げともいうべきものが、「エピロオグ」のF104搭乗体験の描写だとし、三島が「ほとんど一切を自意識しながら、壮絶な自死を敢行したと、呟かざるを得ない」としながら、「三島流ミスチシズムの精髄――少なくともその基本構造」は、『太陽と鉄』のうちに、「冷たいパトス」をもって、縦横に説き明かされ定着している」と佐伯は解説している[21]

西部邁は、「(保守派が)胸元にぶらさげる正義名誉、そして人知れずその背中に負う虚無自由」というテーマに「身を焦がした」のが三島だとし、様々な三島論に見られる、ホモセクシャルマゾヒズムナルシシズムタナトス仮面だの素面だと、こねくり回した「過度に文学的な」論に疑問を呈し、〈無意識といふものは、絶対におれにはないのだ〉と安部公房に向って堂々と「意識の自己制御」を示していた三島にとっては[22]、それら過度に文学的な「凡百の動機論はせいぜいのところその脇腹をかする程度の話」だとして[23]、三島の政治的な側面を全く無視して「三島の晩年を文学的な視角からだけみるのは納得がいかない」としながら『太陽と鉄』を論じて、同意する部分と不同意の部分を分析して、以下のように語っている[23]

保守は彼の矯激を嫌う、しかしその情念と決断の烈しさは買う。保守は彼の不明晰を批判する、しかしその修辞法が思想表現に不可欠であることは認める。保守は彼の単純な二分法論理に与しない、しかし言葉が結局は二分法の秩序に従うことは承認する。保守は彼の日常性からの逃走に反撥する、しかし精神が非日常性のなかで孤立したり狂乱したりするのには寛大である。保守は彼と同じく伝統を保守する、しかし保守の思う伝統は、それが平衡の智慧であるために、彼のような平板さや硬直を免れている。保守は彼のように死神と交際するのを好まない、しかし死がひたひたとわれわれを追っていることには敏感である。保守は彼の自己信仰とそれに由来する自己放棄の途はとらない、しかし、自己懐疑と自己把持に品位をもたせるためにも、自己を信じ自己を捨ててかからなければならないことはわかっている。 — 西部邁「明晰さの欠如」[23]

中野新治は、終章に付された長『イカロス』を、「三島の本質を解明に表現したものとして注目に価する」とし、その詩の形式や疑問符の数などの細かい点にまで「シンメトリカルへの希求」「形式美」が見られることを指摘しながら、それを、「人間の世界のありのまま=混沌・無秩序への否定と嫌悪から成立するもの」と考察し、〈詩とは、に住んでを飛びたかっている動物記録である〉と言ったカール・サンドバーグや、『よだかの星』で「この世からの離脱・天上での永生を願った」宮沢賢治、『水中花』を吟じ、を仰いでいた伊東静雄と、三島は「同じ資質を持つ者」だと考察している[24]

そして中野は、野口武彦が三島を「形而上種族」と呼び、「その未生以前である時期に何ものかを見て網膜を強く灼かれた記憶の中に蔵していて、爾後、それと同程度に強烈な体験を求めて、或る形而上的彷徨に出発するという宿命を負う」性質を持つ種族と捉えて、三島に「アンジェリスム」(ロマン主義的人間のの輪郭)を看取していること[25]に同意し[24]、『イカロス』の後半で、〈彼方〉(太陽)への憧れの〈昇天の欲望〉が〈〉が仕組んだ〈懲罰〉とされ「鉄板と化した大地でしたたかに打ちすえられる」という宿命の結末に、「三島の〈形而上的彷徨〉がこの上なく真摯なものであったこと」が明らかだとし[24]、三島が「楯の会」を設立して自死に至ったことと、宮沢賢治が〈怒りの苦さまた青さ/四月の気層のひかりの底を/唾し はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ〉(『春と修羅』)と吟じ、自己を「天上から追放された〈修羅〉」と位置づけ、その行き場のない「青い怒り」を治めるかのように、「羅須地人協会」を設立し早世したことに「同質」を看取し、以下のように論考している[24]

地にあるものを無化する「絶えざるの注視」は、天から与えられたものなのであり、その自死は強いられた「形而上的彷徨」に終止符を打つものであったと言う他はない。(中略)疑問符の多様は、彼が自己追求によって切り開いた〈書く世界〉の困難を示している。三島にとっては、自己を信じないことが、自己を信じる唯一の根拠であった。自己が属する世界はどこにもないと知ることが、自己が属する世界を指し示していた。それこそが「青い表象」の世界、〈書く世界〉であった。それは足場のない所に建造物を組み立てることにたとえられるだろう。あるいはまた、その反自然性と意識の過剰による言葉の扼殺の世界と見なせるかもしれない。 — 中野新治「文学を否定する文学者―三島由紀夫小論―」[24]

映画化[編集]

おもな刊行本[編集]

  • 『太陽と鉄』(講談社、1968年10月20日)
    • 装幀:横山明。カバー(著者肖像写真)撮影:篠山紀信、玉井瑞夫)。クロス装。段ボール機械函(黒装白函)。灰色帯。
    • 収録作品:「太陽と鉄」「エピロオグ――F104
    • 初刷には、表紙の箔押しの星型図案の角度が異なり、白色段ボール機械函入のものもあり。
    • ※ のちにカバー(裏)写真、帯変更。
  • 文庫版『太陽と鉄』(講談社文庫、1971年12月15日)
  • 文庫版『太陽と鉄』(中公文庫、1987年11月10日)
    • カバー装幀:宮田雅之。解説:佐伯彰一
    • 収録作品:「太陽と鉄」「エピロオグ――F104」「私の遍歴時代」
  • 『三島由紀夫文学論集 I』虫明亜呂無編(講談社文芸文庫、2006年4月11日)
    • 装幀:菊地信義。解説:高橋睦郎「批評の筋肉」
    • 収録作品:「序文」「太陽と鉄」「小説家の休暇」「『われら』からの遁走」「私の中の『男らしさ』の告白」「精神の不純」「わが非文学的生活」「自己改造の試み」「実感的スポーツ論」「体操」「ボクシングと小説」「私の健康」「私の商売道具」
  • 『近代浪漫派文庫42 三島由紀夫』(新学社、2007年7月)
  • 『告白――三島由紀夫未公開インタビュー』TBSヴィンテージ クラシックス編(講談社、2017年8月8日)
    • 収録作品:生前未公開インタビュー(1970年2月19日実施のジョン・ベスターとの対談)、「太陽と鉄」
    • あとがき:小島英人「発見のこと――燦爛へ」
  • 英文版『太陽と鉄――Sun and Steel』(訳:ジョン・ベスター)(講談社インターナショナル、1970年。新装版2009年)

全集収録[編集]

  • 『三島由紀夫全集32巻(評論VIII)』(新潮社、1975年12月25日)
    • 装幀:杉山寧四六判。背革紙継ぎ装。貼函。
    • 月報:ジョン・ネイスン「『午後の曳航』のころ」。《評伝・三島由紀夫32》佐伯彰一「三島由紀夫以前(その8)」。《三島由紀夫論7》田中美代子「美神の冒険」。
    • 口絵写真撮影:柿沼和夫
    • 収録作品:昭和40年3月から昭和42年3月の評論90篇。
    • ※ 同一内容で豪華限定版(装幀:杉山寧。総革装。天金。緑革貼函。段ボール夫婦外函。A5変型版。本文2色刷)が1,000部あり。
  • 『決定版 三島由紀夫全集33巻・評論8』(新潮社、2003年8月10日)
    • 装幀:新潮社装幀室。装画:柄澤齊。四六判。貼函。布クロス装。丸背。箔押し2色。
    • 月報:小島千加子「三島さんと音楽」。久保田裕子「三島由紀夫の海外における翻訳作品」。[思想の航海術8]田中美代子「筋肉の扉」
    • 収録作品:[評論]昭和39年4月から昭和41年2月まで(連載物は初回が)の評論126篇。「実感的スポーツ論」「反貞女大学」「太陽と鉄」「日本人の誇り」「危険な芸術家」「をはりの美学」ほか

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 同人誌『批評』は1965年(昭和40年)4月に南北社から復刊した季刊誌[2]。連載5回目(1967年4月号)から、『批評』の発行元が南北社から番町書房に変わり、その5回目は、新稿を加えた初回からの全文が一挙掲載された[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 井上隆史「太陽と鉄」(事典 2000, pp. 218-221)
  2. ^ 田中美代子「解題――太陽と鉄」(33巻 2003, pp. 765-766)
  3. ^ 井上隆史「作品目録――昭和40年-昭和43年」(42巻 2005, pp. 438-452)
  4. ^ 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540-561)
  5. ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」(事典 2000, pp. 695-729)
  6. ^ a b c 「序文」(『三島由紀夫文学論集』講談社、1970年3月)。36巻 2003, pp. 64-65、論集I 2006, pp. 9-11
  7. ^ 「あとがき」(『作家論』中央公論社、1970年10月)。36巻 2003, pp. 354-355
  8. ^ 虫明亜呂無「書評」(週刊読書人 1969年2月3日号)。事典 2000, pp. 220
  9. ^ 秋山駿(三島由紀夫との対談)「私の文学を語る」(三田文学 1968年4月号)。40巻 2004, pp. 7-42
  10. ^ 秋山駿「書評」(月刊ペン 1969年3月号)。事典 2000, pp. 220
  11. ^ 森川達也「書評」(図書新聞 1968年12月7日号)。事典 2000, pp. 220
  12. ^ 石川淳「文芸時評」(朝日新聞夕刊 1970年4月28日号)。事典 2000, pp. 220、旧事典 1976, p. 240
  13. ^ a b c 磯田光一「文芸時評」(読売新聞 1968年11月19日号)。「三島由紀夫と現代 擬装せる予言者――偶像としての三島由紀夫」(磯田 1979, pp. 148-161)
  14. ^ a b 上田真「太陽と鉄」(旧事典 1976, pp. 239-240)
  15. ^ 「垣間見た痛々しさ」(悼友 1973, pp. 114-128)
  16. ^ 上野昂志「太陽と鉄」(ユリイカ 1976年10月号)。事典 2000, pp. 221
  17. ^ 小杉英了『三島由紀夫論』(三一書房、1997年9月)。事典 2000, pp. 220
  18. ^ 養老孟司『身体の文学史』(新潮社、1997年1月)。事典 2000, pp. 220
  19. ^ a b c 「『太陽と鉄』―〈悲劇的なもの〉への憧れから〈悲劇〉への参加へ―」(田坂 1977, pp. 243-258)
  20. ^ 私の遍歴時代」(東京新聞夕刊 1963年1月10日 - 5月23日号)。『私の遍歴時代』(講談社、1964年4月)、32巻 2003, pp. 271-323
  21. ^ a b 佐伯彰一「解説」(太陽と鉄 1987, pp. 199-207)
  22. ^ 安部公房との対談「二十世紀の文学」(文藝 1966年2月号)。39巻 2004, pp. 508-543
  23. ^ a b c 「明晰さの欠如」(海燕 1988年11月号)。西部 1997, pp. 11-52
  24. ^ a b c d e 中野新治「文学を否定する文学者―三島由紀夫小論―」(読む 2011, pp. 51-69)
  25. ^ 「第二章 終末感の美学―初期短篇の世界―」「第七章 世界破滅の思想―『金閣寺』と『鏡子の家』―」「第八章 永劫回帰と輪廻―『宴のあと』その他―」(野口 1968, pp. 36-62,165-220)

参考文献[編集]

関連項目[編集]