名誉

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名誉(めいよ、: honourオナー)とは、

  • よい評判を得ること[1]。能力や行為について、すぐれた評価を得ていること[2]
  • 社会的に認められている、ある個人あるいは集団の人格的価値[2]
  • 世間から尊敬され称賛されること[1]
  • 功績をたたえて、なんらかの地位や職を形式的に贈るときに、その地位や職名の上(前)に付ける語(接頭辞)[1]

概説[編集]

名誉を大切にするということは、「人間らしさ」のひとつである。動物、獣では名誉を大切にしているものなど無い。

逆にいえば、人であっても自分や他人の名誉を重んじないということは、けだもの同然、動物同然だ、と判断されることになる。

古代人でも、中世の人でも、現代の人でも、名誉を重んじる人と、名誉の大切さが理解できていない人がいる。

日本の武士は名誉を重んじた。別の言い方をすると、「名(な)」を重んじた。「名を重んじる」という場合の「名」というのは、「名誉」とほぼ同義で用いられている。人々の間で自分がどのような人だと語られるのか、自分の名とどのような行いや人格が結び付けられて語られるのか、ということを武士は非常に重視したのである。時には、名誉のためならば命すら捨てることを厭わなかった。別の言い方をすると、「」を自覚する心も持っていた、ということになる。

武士は、名誉を守ることを重んじ、自己を規律し、節制した。もしも自分の名誉が誰かから傷つけられるような場合には、それをした者を赦しはせず、決闘を挑む、ということもあった。もしも自分の親が誰かに殺されるというような不名誉なことがあれば、仇討ちをすることで名誉をとりもどした。ただし、名誉を回復するための闘いであるので、「何でもいいから殺せばいい」というものではなく、あくまで正々堂々と、自分の名をしっかり名乗り、作法にのっとって闘いを挑んで相手を倒さなければならなかった。

江戸幕府が日本を統治する時代も長くなると、町人文化や商人文化のほうが優勢になり、その結果、いつのまにか次第に名誉を重んじる心が失われていってしまい、「武士の魂」が失われていってしまったわけだが、そんな状況の中で、赤穂四十七士は、命よりも名誉を重んじてみせる行動をとり、幕府の幹部の見識を問いただしてみせたのだ、と指摘されることがある。

法律[編集]

現代の法律上(も)、人には、自分の名誉(評判)を守る権利がある、とされている。これを名誉権と言う。

他人を誹謗したり中傷して名誉を傷つけることは名誉毀損と言う。 名誉棄損は、犯罪であり、法的には名誉毀損罪に当たる。損害賠償を命じられる場合もある。名誉棄損が行われた場合に、それを放置せず、名誉(評判)を何らかの方法で回復する手段・手続きを名誉回復という。

日本国憲法においても、名誉権に関係する規定がある。(日本国憲法第13条

なお、「言論の自由」ということが、マスコミ上では、あたかも "最重要なこと" であるかのように(法律な事実に反して、彼らの商売の都合によってねじまげられて誇張されて)語られることがあるが、マスコミ関係者がまことしやかに語っている内容は実は正確ではなく、決して「何を言ってもいい」「どんなことでも言っていい」、というわけではなく、あくまで「言ってもさしさわりのないことならば言ってもいい」ということなのであって、つまり法的には、「言っていいこと」と「言ってはいけないこと」がある。その「言ってはいけないこと」のひとつが、ひとを誹謗中傷すること、(本当でないことなどを言い連ねることなどで)ひとの名誉を棄損することである。

名誉に関連する事件[編集]

  • 北方ジャーナル事件
  • 発明者名誉権
  • 著作権(著作権は、分解するといくつかの要素に分けられるが、その中のひとつは、ある内容を作りだしたという名誉・栄誉が与えられ称賛されるべき人が誰なのか明示されるべきだ、とする論理がある。たとえ金銭が一円もからまない場合でも、誰に栄誉があるのか、という点で誤謬があってはいけない、という思想が込められている。)

名誉にまつわる言葉[編集]

  • 地位と名誉:社会的に高い地位と名声・名望があること。
  • 名誉ある撤退:大義ある撤退のこと。
  • 名誉なこと:表彰される場合に、答礼として述べる。「光栄なこと」と同義。


形式的なもの[編集]

功績をたたえて、なんらかの地位や職を形式的に贈るときに、その地位や職名の上(前)に付ける語(接頭辞)。

功績をたたえたいが、かといって地位を与えたり、本当に職を与えて任にあたらせたりするわけにはいかない場合に、(言葉の上で)あたかもある地位についてもらったかのように、言葉の上で形式的に扱うよう時に、地位名や職名の前に冠する言葉。あくまで形式なので、実質的内容は伴わないことが多い。

例えば「名誉市民」と言えば、ある人物のことを、その市の市政府や市の住民たちが尊敬していたり愛着を感じている、ということを表明するために、あるいは(著名な)人物と関わりのある市だとのイメージを人々から持たれることでPRに役立てたい、などという考えで「名誉市民」の地位を贈る。だが、「名誉市民」はあくまで言葉(形式)であり(でしかなく)、実際には住民票(や本籍)は無く、市民の諸権利は無いし、また市民税なども治めさせられることはない。

職に関しては、「名誉職」や「栄誉職」などと言う。基本的にはあくまで形式的で、実際には職務をほとんどまかされていないこと、全く権限を持っていないこと(あるいはほぼ持っていないこと)が一般的である。

例えば、長年、会長の職を行ってきた人物がいたとする。その人物が次第に高齢化し体力的な面で従来どおりに職務をまっとうすることが困難になったり、次世代の人材も順調に育ってきていて(実力では同じようなものでも、あるいは次世代のほうがまだ若干劣っていても)「組織の健全な新陳代謝」という観点からは世代への交代を行ったほうがよい場合、当人の判断として、あるいは組織全体の判断として、次世代の相対的に若い人に その会長職をまかせたほうが良いという判断になる。だが、次世代の人に会長職に就いてもらい、現会長には辞めてもらうにしても、いきなり現会長を「組織とは無関係の人」にしてしまったり 引退させることになるのは、当人にとっても、周囲の人々にとっても、つらく、寂しく、人間としては心情的に受け入れがたいということが一般的である。そういう場合に「名誉会長」という形式的な地位があることにし、現会長には一旦その「名誉会長」に就任していただいたことにすると、組織的には多方面から見て丸くおさまることになる(「八方まるくおさまる」ことになる、と言う)。こうすれば、その大切な人物が、いきなり組織と無関係になったりせず、仲間のままでいてくれ、実質的には決定権はほぼ無いにしても、フルタイムではなく時々でしかなくても、組織の現役の上層部の人間と交流を続け、もしも組織の現役の上層部が何か判断に迷うことが起きて、以前の幹部からヒントやアドヴァイスを引きだしたいと願った場合は、そうしてもらえる可能性も残しておける。

名誉教授の場合は、「名誉教授」の記事を参照のこと。国ごとに位置づけは若干ことなる。

将棋界の「名誉名人」は、実際には名人になっていないが、名人級の功績のある者に与えられる。

「名誉会員」は、会費納付などの義務も無く、議決権行使の権利なども有しないことが多い。

[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 広辞苑「名誉」
  2. ^ a b 大辞泉「名誉」
  3. ^ 例えば次のようなものがある。

文献情報[編集]

  • 「名誉の政治学-バークの政党論を手がかりに」苅谷千尋(政策科学14(1)立命大学)[1][2][3]
  • 「欧州共同体の国際交通権及び名誉権」川崎晴朗(外務省調査月報2007.No.4)[4]
  • 「名誉の社会学 -現代における名誉の可能性-」大野道邦(奈良女子大学社会学論集2005.3.1)[5][6]

関連項目[編集]