川端香男里
人物情報 | |
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別名 | 山本 香男里 |
生誕 |
1933年12月24日![]() |
死没 | 2021年2月3日 (87歳没) |
学問 | |
研究分野 | ロシア文学 |
研究機関 | 東京大学 |
川端 香男里(かわばた かおり、男性、1933年(昭和8年)12月24日 - 2021年(令和3年)2月3日)は、日本のロシア文学者。東京大学名誉教授。川端康成記念会理事長。旧姓・山本[1]
経歴
[編集]- 出生から修学期
1933年(昭和8年)12月24日、英文学者で翻訳家の山本政喜の三男として東京(現・品川区)で誕生[1][2]。開成中学、東京都立第六高等学校(現・東京都立新宿高等学校)を経て、東京大学教養学部教養学科フランス分科に進学。同大学を卒業後、同大学大学院人文科学研究科で比較文学比較文化(ロシア文学の比較文学的研究)を専攻。1960年よりフランス政府給費留学生としてパリ大学に留学。同期生には友人の栗原雅直がいた[3]。
- ロシア文学研究者として
1963年、北海道大学文学部の専任講師となった。1965年よりカレル大学、モスクワ大学に留学。1966年春に栗原の紹介で、川端康成の養女・政子とお見合いした。香男里の父が、一高、東京帝国大学英文科で川端と同期で顔見知りであったことから、川端と話が弾んだという[4]。1967年7月25日に入籍し、8月に留学先のモスクワの日本大使館で結婚式を挙げた後、日本に帰り10月14日に国際文化会館で披露宴をあげた。川端の家に養女にもらった娘だから、よそに出すわけにはいかないという川端康成の強い意向で、香男里が妻の姓になることになった(養嗣子になったわけではなく、養女の婿という続柄)[5][4]。
1971年に東京大学教養学部講師となった。1973年、東京大学文学部助教授となり、ロシア語ロシア文学専修課程の講座を新設。1991年、ロシア・東欧学会代表理事。1994年に東京大学を定年退官し、その後は中部大学国際関係学部教授を務めた。2000年からは川村学園女子大学教授、のち副学長。NHKラジオ「ロシア語講座応用編」講師を務めたこともある。2009年に副学長を退任し、同大学を定年退任した。
学界では、2009年に設立された日本ロシア・東欧研究連絡協議会の初代代表幹事[6]。
家族・親族
[編集]著作
[編集]単著
[編集]編著
[編集]- 『現代ロシア幻想小説』(白水社 1971年)
- 『世界幻想文学大系34 ロシア神秘小説集』(国書刊行会 1984年)
- 『ロシア文学史』(東京大学出版会 1986年)
- 『神秘主義 ヨーロッパ精神の底流』(せりか書房 1988年)
- 大泉黒石『ロシア文学史』(講談社学術文庫 1989年)校訂・解説
共編著
[編集]- 『定本北條民雄全集』川端康成補編、東京創元社 1980
- 創元ライブラリ文庫 1996
- 『ロシアの言語文化』木村彰一共著、放送大学教育振興会 1985
- 『ロシア・ソ連を知る事典』佐藤経明・中村喜和ほか編、平凡社 1989
- 改題新版『ロシアを知る事典』平凡社 2004
- 『ロシア文学』金沢美知子共著、放送大学教育振興会 1994
- 『スラブの文化』(講座スラブの世界 1)中村喜和・望月哲男共著、弘文堂 1996
- 『NHKテレビテキスト 100分de名著トルストイ 戦争と平和』日本放送協会(NHK出版 2013年6月放送
訳書
[編集]- 『世界文学大系 第93 近代小説集 Ⅲ』山本香男里訳名義、筑摩書房 1965
- 「世界の終り」コンスタンチン・フェージン
- 「ヴィクトリーヤ・カジミーロヴナ」ミハイル・ゾーシチェンコ
- 「シェフル・イ・セプスのオアシス」フセヴォルド・イヴァーノフ
- 「モスクワの夏」コンスタンチン・パウストフスキー
- 『桜の園』(世界文学全集) チェーホフ著、講談社 1968
- 新版 1975年
- 『大尉の娘・戯曲モーツァルトとサリエーリ・石の客』(世界文学全集) アレクサンドル・プーシキン著、講談社 1969
- 新版 1974年
- 『われら』ザミャーチン著、講談社 1970
- 文庫化 講談社文庫 1975年/岩波文庫 1992年
- 『19世紀ロシアの作家と社会』ロナルド・ヒングリー著、平凡社(世界大学選書) 1971
- 文庫化 中公文庫 1984
- 『評論・歴史・紀行』(プーシキン全集 5) 米川哲夫共訳、河出書房新社 1973[9]
- 『魂の遍歴』アンドレイ・ベールイ著、白水社(20世紀のロシア小説) 1973
- 『機械と狼』ボリス・ピリニャーク著、工藤正広共訳、白水社 1973
- 再版 未知谷、2010
- 『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』ミハイル・バフチン著、せりか書房 1974
- 新版 1988年
- 『ドストエフスキイ』ピエール・パスカル著、ヨルダン社(作家と人間叢書) 1975
- 『ワーニャ伯父さん』チェーホフ著、講談社(世界文学全集) 1975
- 『ペテルブルグ』(世界文学全集) ベールイ著、講談社 1977
- 文庫化 講談社文芸文庫 2000年、復刊2015年
- 『銀の鳩』ベールイ著、講談社 1977
- 『作家の日記』(ドストエフスキー全集 17・18・19 ドストエフスキー著、新潮社 1979-1980
- 『叙事詩と小説』(ミハイル・バフチン著作集 7)訳者代表、新時代社 1982
- 『ロシア・アヴァンギャルド芸術 理論と批評:1902-34年』J・E・ボウルト編、望月哲男・西中村浩共訳、岩波書店 1988
- 『ミハイール・バフチーンの世界』カテリーナ・クラーク,マイケル・ホルクイスト著、鈴木晶共訳、せりか書房 1990
- 『中世文化のカテゴリー』アーロン・グレーヴィチ著、栗原成郎共訳、岩波書店 1992
- 新版 1999年
- 『イコザメロン 奇想と転倒のユートピア』(ユートピア旅行記叢書 14) カサノーヴァ著、岩波書店 1997
- 『大尉の娘』プーシキン著、未知谷 2013[10]
脚注
[編集]- ^ a b 『人事興信録 第15版 下』 ヤ40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月29日閲覧。
- ^ 山本 政喜とは コトバンク。2019年9月29日閲覧。
- ^ 「第十章 荒涼たる世界へ――〈魔界〉の終焉 第七節 養女麻紗子の結婚と伊藤初代の死」(森本・下 2014, pp. 482–502)
- ^ a b 川端香男里「父 川端康成のこと」(臨時増刊「新潮 川端康成読本」1972年6月号)。基底 1979, p. 54、森本・下 2014, pp. 492–493
- ^ 「第四章 川端家の人びと」(秀子 1983, pp. 157–172)
- ^ JCREES 発足記念シンポジウム-記録と資料集(1999年10月発行) 日本ロシア・東欧研究連絡協議会
- ^ “川端香男里先生、ご逝去”. 軽井沢高原文庫 (2021年2月13日). 2022年4月23日閲覧。
- ^ 金沢美知子. “川端香男里先生に感謝を捧ぐ”. 日本ロシア文学会. 2022年4月23日閲覧。
- ^ 第2・6巻でも分担訳
- ^ 改訳版。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 川端秀子『川端康成とともに』新潮社、1983年4月。ISBN 978-4-10-346001-5。
- 羽鳥徹哉『作家川端の基底』教育出版センター、1979年1月。ISBN 978-4-87365-307-5。
- 森本穫『魔界の住人 川端康成――その生涯と文学 下巻』勉誠出版、2014年9月。ISBN 978-4585290766。
脚注
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