真行寺君枝

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しんぎょうじきみえ
真行寺君枝
プロフィール
生年月日 1959年9月24日
現年齢 55歳
出身地 東京都大田区
血液型 AB
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 156 cm / 43 kg
BMI 17.7
スリーサイズ 78 - 57 - 83 cm
活動
デビュー 1976年
ジャンル 女優
事務所 生島企画室
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真行寺 君枝(しんぎょうじ きみえ、1959年9月24日 - )は、日本女優。本名同じ[1]生島企画室所属。東京都大田区出身。血液型AB型。東京都立大崎高等学校卒業。ミュージシャンの大口広司は元夫。長男、大口弦人も同じくミュージシャン。

1976年に資生堂秋のキャンペーン「ゆれる、まなざし」で本格デビュー。

来歴・人物[編集]

  • 中学時代、ポーラ化粧品のCFに出演。
  • 1975年、高校1年の夏、真行寺を覚えていた渡辺の仲介により、西武デパートのモデル出演。撮影は稲越功一[2]
  • 1976年、16歳でその年の資生堂の秋のキャンペーンモデルに選ばれ、デビュー。
    • ちなみに当時、資生堂とカネボウのキャンペーン競争の加熱は、社会現象に発展するほど激しく、資生堂はこの広告の制作費に、当時としては破格の三億円を投入したと言われる。フランスにおける日本年(1979年)では、ルーブル美術館で資生堂の写真史が展示され、もちろんこの真行寺の「ゆれる、まなざし」も含まれていた[2]
  • 高校卒業後、三船プロダクションに所属。森谷司郎監督作品「聖職の碑」で映画デビューするも、飛び入りで台詞もなかった。
  • 1981年、「風の歌を聴け 」(監督:大森一樹)に出演。同年2月、CBS・ソニーから『胸が女の顔になる』で歌手デビュー[1]
  • アサヒミニ樽シリーズのCMに二年間出演。広告批評の広告ベストテン CM部門第三位入賞。
  • 「階段の上の暗がり」(演出:木村光一、主演:八千草薫)で初舞台。衣装担当は植田いつ子。真行寺はこの舞台の仕事を、「私は演者としてここにやっと息をつき、納得して仕事に従事できる場を発見しました」と語っている[2]
  • 1983年10月15日、元『ザ・テンプターズ』のドラマー大口広司と結婚。
  • この頃から、伊那市の借家に通うようになり、大自然への興味を深める[2]
  • 1984年、夫の大口が大麻所持容疑で逮捕される。執行猶予付きの有罪判決を受け、会社から解雇された大口に対して資金援助を行い、服飾会社「プラクティス・オブ・サイレンス」を創設。
  • 1986年、長男の弦人を出産。『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』で第1回高崎映画祭主演女優賞を受賞。
  • 1991年、「プラクティス・オブ・サイレンス」が倒産。
  • 1993年、『シビラの四季』を出版[3]。アクターズプロモーションより独立。
  • 1995年、原宿クエストホールの十周年企画として『Kimieの部屋』と題したインスタレーション・ライブを行う[3]。『フォーカス』誌(1995年6月6日)の取材記事で、「ベルベットアンダーグラウンド&ニコを彷彿とされるステージ」と評される。
  • 1997年、「一家のために一肌脱がねば」という決意で、夫大口撮影によるヘアヌード写真集『Made in Love』を企画・出版。この企画を携えて、古巣のアクターズプロモーションに復帰。舞台の仕事が入るようになり、家庭生活の諍いが増加。夫婦関係の修復が不可能な状況に陥る[4]
  • 2000年10月、住まいを失うことになり、2001年、大口との別居生活に入る[4]
  • 2002年、無一文になった生活の打開策として、再びヌード写真集の企画が持ち上がり、家族の許可を得て、沢渡朔撮影による『I LOVE YOU』を出版[4]
  • 2005年6月、大口との離婚。10月にアクターズプロモーションを離脱。なお、アクターズプロモーションは2007年5月に破産申請。
  • 2006年8月、破産宣告。
  • 2007年1月、『第一哲学 不死なるもの』をサイトで発表。
  • 現在、清水博が設立し所長を努めるNPO法人「場の研究所」研究員を務めている。

エピソード[編集]

  • 1965年、バレエ教室「鎌田・藤井舞踏研究所」に入所。発表会で踊った「青い花」が真行寺を芸術へと誘う導入になった作品である。なお、そのバレエ教室の先生であった藤井友子はワダエミと知人であった。[5]
  • 通学していた西六郷小学校は、全国合唱コンクールで優勝する合唱の有名校で、NHKの子供音楽番組「歌はともだち」に月一度レギュラー出演をしていたが、アイドルグループフォーリーブスのメンバーに「可愛いね」と言われたが、そのことが学校中の噂となり、当時あまりにもフォーリーブスが人気グループだったために、妬みにより問題児扱いされてしまった。[6]
  • 来日して日本に興味を持ったジョニー・デップが、日本の映画を何本か鑑賞し、米国のテレビのインタビュー番組で真行寺君枝とコンタクトを取りたいと言っていた。またデップは、真行寺の夫である大口広司のバンド「ウォッカコリンズ(Vodka Collins)」にも興味を示し、レコードを持っている。[7]
  • 2009年1月25日に元夫の大口が肝臓癌のため58歳で亡くなるが、その1か月前の2008年12月、真行寺は長男の弦人(現ミュージシャン)と3人で、病室で元夫の見舞いに訪れていた。しかもその病室で、大口と再婚した女性と初めて出会ったが、その女性は真行寺の知り合いだったという。大口が亡くなった当日も、真行寺は既に危篤状態の元夫を見舞っていたが、病室を出た数時間後に息を引き取った。その後真行寺は、会見で記者陣に対し「沢山の事を学び、色々な事を体験できた」と、大口との想い出を涙ながらに語っていた[8][9]

出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

  • 階段の上の暗がり
  • クリスティーヌ・その愛のかたち - アトリエフォンテーヌ 
  • ラヴ
  • 美しきものの伝説
  • 阿Q外伝
  • ラヴ・レターズ
  • ラ・テラス
  • 陽ざかりの女たち
  • 谷間の女たち

バラエティ[編集]

CM[編集]

著書[編集]

  • シビラの四季(1992年 河出書房新社)
  • 福原義春 サクセスフルエイジング対談 美しい暮らし、変わりゆく私(共著)(1996年 求龍堂)
  • めざめ いのち紡ぐ日々(2008年 春秋社)

写真集[編集]

  • 『Made in Love』(撮影:大口広司、1997年 ぶんか社)
  • 『I LOVE YOU』 (撮影:沢渡 朔、2002年 ぶんか社)

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

  1. 胸が女の顔になる(1981年2月25日発売、CBSソニー) 作詞:阿久悠/作曲:佐瀬寿一/編曲:若草恵
    (c/w)愚かにも人を愛して 作詞:阿久悠/作曲:佐瀬寿一/編曲:若草恵
  2. 煙でかいたラブレター(1981年9月21日発売、CBSソニー) 作詞:阿久悠/作曲:桑原研郎/編曲:若草恵
    (c/w)ぐっばいららばい 作詞:阿久悠/作曲:桑原研郎/編曲:若草恵

アルバム[編集]

  • 森 音楽のある星に生きて(朗読) (1992年5月27日、東芝EMI)
  • 愛 音楽のある星に生きて(朗読) (東芝EMI)
  • 大地 音楽のある星に生きて(朗読) (東芝EMI)

脚注[編集]

  1. ^ a b 週刊サンケイサンケイ新聞出版局 1981年4月23日号 P33
  2. ^ a b c d 週刊現代 2013年10月5日号 p.72-74「私の地図 : あの場所へ帰りたい 第161回 女優 真行寺君枝」
  3. ^ a b 公式プロフィールより
  4. ^ a b c 週刊新潮 2013年6月20日号 p.52-54
  5. ^ 『めざめ いのち紡ぐ日々』(P19、P31)
  6. ^ 『めざめ いのち紡ぐ日々』(P28-29)
  7. ^ 『めざめ いのち紡ぐ日々』(P230)
  8. ^ 2009年1月28日 日刊スポーツ 芸能面 他各紙面
  9. ^ 週刊新潮 2012年8月30日号 p.44-45
  10. ^ 真行寺をヒロインに据えた青春シリーズCMだった。ほかの共演者に風間杜夫平田満草薙良一がいた。

外部リンク[編集]