浦辺粂子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
うらべ くめこ
浦辺 粂子
本名 木村 くめ
別名義 遠山 みどり
静浦 ちどり
遠山 ちどり
生年月日 (1902-10-05) 1902年10月5日
没年月日 (1989-10-26) 1989年10月26日(満87歳没)
出生地 日本の旗 日本静岡県賀茂郡下田町(現在の静岡県下田市
死没地 日本の旗 日本東京都新宿区
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1921年 - 1989年
活動内容 1923年日活京都撮影所に入社
1931年入江プロダクションに入社
1933年新興キネマ太秦撮影所に移籍
1942年大映専属となる
主な作品
映画
『清作の妻』
瀧の白糸
めし
稲妻
生きる
野菊の如き君なりき
赤線地帯
喜劇 にっぽんのお婆あちゃん
私は二歳
さびしんぼう
バラエティー番組など
ライオンのいただきます

浦辺 粂子(うらべ くめこ、1902年10月5日 - 1989年10月26日)は日本女優。本名は木村 くめ

浅草オペラや旅回りの一座を経て日活京都撮影所に入り、『清作の妻』『塵境』『お澄と母』などに主演し性格女優として人気を博した。その後は日本を代表する老け役として活躍し、60年以上の女優生活の中で300本以上の映画に出演した。晩年はおばあちゃんアイドルとして、テレビのバラエティ番組にも多く出演した。上記以外の主な出演作に『稲妻』『』『赤線地帯』『私は二歳』など。

来歴・人物[編集]

生い立ち[編集]

1902年(明治35年)10月5日静岡県賀茂郡下田町(現在の下田市)に生まれる。父・啓忠は臨済宗建長寺派・長松山泰平寺の住職で、母・はなはその後添い[1]。3歳上の異父姉がいたが、幼児に病没したので1人娘として育つ[1]

1909年(明治42年)、父が河津町見高の洞雲山隠了寺へ移ったため、見高入谷尋常小学校に入学する。母の姉が東京明治座で吉野屋という売店を経営しており、いつも演芸雑誌や芝居の絵番付を送って貰っていたことから芝居好きとなる[1]。5年生の頃は、隣の稲取町にかかった連鎖劇無声映画と舞台劇を組み合わせた劇)に心を奪われ、今井浜で近所の子を集めては芝居ごっこに熱中していた[1]

1914年(大正3年)、父が駿東郡金岡村字岡宮(現在の沼津市岡宮)の妙心寺派・仏日山常照寺に移るにともなって、金岡尋常高等小学校に転校[1]1917年(大正6年)に高等科を卒業して、私立の沼津女学校に進学する[1]。沼津へ移ると乗り物の便が良くなり、休日には母に連れられ芝居見物に上京するようになる。明治座で市川左團次本郷座新派合同劇、新富座中村鴈治郎歌舞伎座中村歌右衛門などを観るうち通になり、明治座で松井須磨子の『復活』を観るうち女優に憧れるが、かつて観た連鎖劇の影響で、活動写真の女優を夢見るようになる[1]

女優の道へ[編集]

1919年(大正8年)、女学校を中退して女優になろうと決意するが、厳格な父に猛反対される[1][2]。そこで父には内緒で、母を口説いて20円の金を借りて家出する[1]。女優への足がかりとして、沼津に来ていた奇術松旭斎天外一座に加わって遠山みどりの芸名で一座とともに全国を巡業するが、下ごしらえばかりで給金は貰えず、なかなか旅費が工面できなかった[3]

1921年(大正10年)春、山梨県大月に来たとき、やっと一座を抜けて上京する[3]日活向島撮影所を訪ね、門衛に女優志願を告げると門前払いをくらい、仕方なく浅草根岸歌劇団のオペラ小屋・金龍館に入ると、楽屋口に女優募集の貼り紙があり、即座に応募して採用される[3]。奇術一座時代の芸名でコーラスガールとして舞台に立つが、田谷力三からは「君は素質もないし、器量も良くないから、家に帰った方がいいよ」と言われた[3]。やがて芸名を静浦ちどりと変え、役が付いてきたが、6ヶ月を過ぎたころ、音楽部員でチェロを弾いていた外山千里[注釈 1]の口利きで、大阪浪花少女歌劇団に入団する[3]遠山ちどりの芸名でお伽劇や舞踊劇に出演し、ここで後に溝口健二夫人となる嵯峨千枝子と出会い、「サガチー」「トーチー」とあだ名で呼び合う仲となる[3]

1922年(大正11年)、歌劇団を退団して上京。外山の世話で3月から上野公園で催された平和記念東京博覧会に余興として出演していた平和歌劇団に入り、再び静浦ちどりの芸名で舞台に立つ[3]。博覧会が終わると、ここで仲間となった杉寛に誘われ、旅回りの新派一座と合同のオペレッタ一座に加わる[3]横須賀へ巡業した際、新派の女優に活動写真出演を誘われ、高田馬場にあった小松商会という町工場ていどの撮影所を持った会社に入社する[3]。月給は40円[3]。監督の波多野安正と夫人の松本静子と親しくなり、演技の勉強のため彼らの勧めで、撮影が終わると早稲田の近くの小劇場で常打ちしている玉椿道場という新派一座にも出演するようになる[3]

1923年(大正12年)、小松商会の撮影所は解散。思いあぐねていたところ、易者から「このまま東京にいると死ぬか大怪我する」と言われ(実際、この年の9月1日関東大震災が起こった)、昔の仲間もいることから大阪へ向かい、京都で旗揚げした沢モリノ一座に入る[3]。一座は不入り続きで解散寸前だったが、一座ぐるみ新京極の中座へ契約され、新派の筒井徳二郎一座と合同公演をする[3]。そのうち、筒井一座の娘役が急病で倒れその代役に立ったところ、座長に認められて筒井一座に移る[3]。同年7月から名古屋公演に同行、新聞の演芸欄に名前が載るようになる[3]

日活へ[編集]

同年8月、当時日活の装置部にいた波多野安正が日活京都撮影所の女優採用試験を受けるよう薦められ、同撮影所に入社する。池永浩久撮影所長から「ちどり(千鳥)なんて、波間に漂っている宿無し鳥で縁起が悪い。静浦の浦を残して浦辺、それに本名のくめは縁起がいい[注釈 2]から、子をつけて粂子」と改名を言渡され、芸名を浦辺粂子とした[3]。同年公開の尾上松之助主演『馬子唄』がデビュー作となり、日活旧劇女優としては岩井咲子に続く第2号ということになったが[注釈 3]、ついた役は女中や腰元ばかりであった。同年11月、日活向島撮影所が閉鎖され、向島の所属者が京都撮影所に合流して、第二部の名称で現代劇部が設立されると、浦辺も第二部へ移る。

1924年(大正13年)、村田実監督の『お光と清三郎』、細山喜代松監督の『街の物語』に端役でテスト出演して合格し、村田監督・吉田絃二郎原作の『清作の妻』でヒロイン・お兼役に起用される[3]。村の模範青年・清作と結婚して村人から白い眼で見られていた妾上がりのお兼は、清作の2度目の出征を嫌がって彼の眼をかんざしで突き刺すが、刑期を終えて出所すると村人の反目が激しくなり、夫と自殺を遂げる、という物語で[4]、映画経験も浅く無名だった浦辺はこの難役を見事に演じきり、一躍性格女優として注目を浴びた。続いて溝口健二監督の『塵境』で鈴木傳明の相手役を務め、流し芸人のお松を演じる。この演技で古川緑波に「誇張ではない。この映画における浦辺粂子嬢の演技を見た時、日本にもこれだけ演れる女優がいてくれたかと、涙ぐましいほど嬉しかった。立派な演技である[5][6]」(『キネマ旬報』第160号[7])と絶賛され、演技派スターとしての地位を決定づけた[8]ブラスコ・イバニェスの小説を翻案した村田監督の『お澄と母』では、貧窮の生活から逃れようと芸者になり、金持ちの妾となって哀れな母を捨てるという虚栄のドライ娘を好演[8]。女の執念をはらんだエゴイスティックな女性という至難の役どころを的確に演じた[8]

結婚・日活退社[編集]

その後も、村田監督の『金色夜叉』、溝口監督の『曲馬団の女王』『乃木大将と熊さん』、三枝源次郎監督の『愛の岐路』『吉岡大佐』、阿部豊監督の『人形の家』などに出演。性格女優としてだけでなく、人気スターとしても酒井米子沢村春子に次ぐ存在となる[8]1928年(昭和3年)10月23日、京都の資産家の息子である上野興一と結婚[9]、これを理由に翌1929年(昭和4年)に日活を退社する[8]。しかし、夫婦で競馬狂いになり、結婚生活は1年で破綻、1930年(昭和5年)4月に離婚する[10]。日活企画部にいた波多野に身の振り方を相談すると池永所長に会うように言われ、日活太秦撮影所へ行くと、浦辺の腕を惜しんでいた池永が即座に復帰を求め、ただちに日活に再入社する[10]。復社初出演は入江たか子主演の『未果てぬ夢』で、溝口監督の『唐人お吉』では発狂して死ぬお松、『しかも我等は行く』では男を渡り歩いた女の若い時と中年の2つの年代を演じ、心理的表現の巧みさを評価された[10]

1931年(昭和6年)、日活大争議が発生し、伊藤大輔内田吐夢らと「七人組」で退社した村田に同脚して日活を退社し、入江ぷろだくしょんに入社。阿部監督の『光・罪と共に』『須磨の仇浪』などに助演し、溝口監督の『瀧の白糸』では、女水芸師一座の下座の三味線弾きで夜鷹になるお銀という悪女を演じ本領を発揮する[10]1933年(昭和8年)7月、新興キネマ太秦撮影所に入社し、多数の作品に助演、やがて東京撮影所の作品にも出演する。1942年(昭和17年)、新興キネマは戦時下の企業統合で大映となり、浦辺も引き続き大映所属となる。

戦後[編集]

戦後は確かな演技力を買われて他社の作品にも多く出演し[10]、老け役女優として活躍する。成瀬巳喜男監督の『稲妻』では、父親の異なる4人の子供を育て、生活の落ち着かない子供らに振り回されながらも愛情を注ぐ母親を演じ、庶民の生活を心憎いばかりに表出[10]、同じく成瀬の『あにいもうと』でも母親役を好演。成瀬作品ではほかにも『ひき逃げ』『乱れ雲』などに出演している。豊田四郎監督の『』では、貧しい娘を妾宅に囲う高利貸しの女房を演じ、生活に疲れた女の底にギラつく嫉妬心を抑えた演技で表現、戦前から持ち味とした女の執念のすさまじさを、さらに年季の入った巧技で見せた[11]市川崑監督の『私は二歳』で赤ん坊の世話を焼く祖母役で出演するなど、やさしい老母・祖母を演じることが多いが、川頭義郎監督の『青空よいつまでも』の祖母役のように、嫁をいじめぬく憎まれ婆さんの役でも絶妙の巧味を見せた[11]。ほか、黒澤明監督の『生きる』、五所平之助監督の『煙突の見える場所』、木下惠介監督の『野菊の如き君なりき』、小津安二郎監督の『早春』『浮草』、溝口監督の『赤線地帯』、市川監督の『日本橋』、伊藤大輔監督の『切られ与三郎』、豊田監督の『恍惚の人』などに脇役出演した。1971年(昭和46年)、大映が倒産してからはフリーとなる[11]

おばあちゃんアイドル[編集]

1980年代になると、バラエティー番組にて「おばあちゃんアイドル」として人気を呼んだ。

タレント片岡鶴太郎によくモノマネされたこともあり、特に「ネタがすぐバレる手品」などは有名だった。

そして『ライオンのいただきます』では塩沢とき等とともに常連ゲストとして知られた。

1984年(昭和59年)11月21日、「わたし歌手になりましたよ」(テイチク・RE-651)で歌手デビューを果たす。これは、1992年(平成4年)にきんさんぎんさんに抜かれるまで、日本での最高齢レコードデビュー記録であった[注釈 4]

不慮の事故・死去[編集]

1989年(平成元年)10月25日午前7時55分頃、東京都渋谷区の自宅で湯を沸かそうとした際に、和服の袂にコンロの火が引火、全身に大火傷を負い、火だるまとなって自宅前の道路で倒れている姿を発見され病院へと緊急搬送。治療もむなしく、翌日午前0時30分、搬送先の東京医科大学病院で大火傷による多臓器不全のため死去。87歳没。全身の約70%にやけどを負っていたという。

実は1986年(昭和61年)10月にも自宅の階段で脚を踏み外して転落し、1階の床に前頭部を強打し出血をする事故を起こしたことがある。だが、一人暮らしで仕事がオフだったため、近隣の住民に発見されたのは3日後だった[12]。発見者の話によると「毎朝、元気に“おはよう”って言ってくる浦辺さんが2日前から外に出てこない。変だと思って玄関を開けたら、血まみれで倒れていた」と言っている。

この一件を機に粂子は足腰が極端に弱ったため、事務所関係者の中には老人ホームへの入院を勧める人もいたが、粂子はこれを拒み続けたと関係者は語っている。それでも事務所は何とか説得して、週何度かは家政婦が自宅を訪れ、様子を見たり、身の回りの世話をしたりする程度のことは行っていた。大火傷を負う事故に遭ったその日も午後から家政婦が訪れる予定だったという。

病院で粂子と対面した浅香光代は「顔はやけどの損傷がひどくかわいそうでした」と沈痛な面持ちを語り、「階段から落ちて大けがをした時に“私の家に来ませんか?”と勧めてみましたが、かたくなに拒否されました。一度結婚なさって別れてからは“人間生まれるときもひとり、死ぬ時もひとり”が口癖でした」と肩を落として語っている。清川虹子も「あれだけみんなを楽しませてくれた人が、あんな死に方をしなければいけないかと思うと、とてもつらい」と語っている[12]

その他[編集]

  • ハレー彗星を幼少時に見ていたといい、1986年(昭和61年)の接近時には「子供の頃に見たから、今年で2度目だ」と語っている(ハレー彗星は約76年周期で地球に再接近する)。
  • 趣味は競輪と麻雀と手品。競輪は小津安二郎から手ほどきを受けてのめりこみ、競輪場へは「顔パス」で来賓席に来場するのが常だったという(某テレビ番組で証言[要出典])。手品は出演するバラエティ番組で披露することが度々あった。
  • 女優であること、そして芸名である「浦辺粂子」に強い愛着と誇りを持っていた。紫綬褒章の授賞式において本名で呼ばれた際にひどく立腹し、「この賞は浦辺粂子がもらったものです。」と怒りを露わにあいさつしたという。
  • 結婚していた時期があったにも関わらず、家事はほとんどできず、できたのは「コンロでの湯沸かし」だけであった。死因となった火傷はこの湯沸かしの際にコンロの火が寝巻に燃え移ったためにおこったものであった。

受賞・受章歴[編集]

出演作品[編集]

映画[編集]

太字はキネマ旬報ベスト・テンにランクインした作品
☆印は溝口健二監督作品

  • 清作の妻(1924年、日活) - お兼
  • ☆塵境(1924年、日活) - お松
  • 金色夜叉(19241年、日活) - お宮
  • お澄と母(1924年、日活) - お澄
  • ☆恋を断つ斧(1924年、日活) - 若妻真珠子、析立千浪
  • ☆曲馬団の女王(1924年、日活) - スペインの鳩
  • ☆噫特務艦関東(1925年、日活) - 村の娘
  • ☆無銭不戦(1925年、日活) - 燕娘
  • 法を慕ふ女(1925年、日活) - 由利子
  • ☆人間 前後篇(1925年、日活) - 雪枝
  • ☆乃木将軍と熊さん(1925年、日活) - 熊の女房・お由
  • 日輪 前後篇(1926年、日活) - 女工お咲
  • 人形の家(1927年、日活) - 林田美弥子
  • 弥次喜多(1927年、日活) - お徳
  • 唐人お吉(1930年、日活) - お松
  • ☆しかも彼等は行く(1931年、日活) - 篤子の母
  • 殉教血史 日本二十六聖人(1931年、日活) - アントニヨの母お久
  • 心の日月 烈日篇・月光篇(1931年、日活) - 渡辺洋子
  • 瀧の白糸(1933年、入江プロ) - お銀
  • ☆祇園祭(1933年、新興キネマ) - お兼
  • ひよどり草紙(1933年、新興キネマ) - くぐつのお仙
  • 月よりの使者(1934年、新興キネマ) - 女看守
  • 世紀の青空(1934年、高田プロ) - 女房おかね
  • 新納鶴千代(1935年、新興キネマ) - 乳母・たね
  • 己が罪(1936年、新興キネマ) - 老女お歌
  • 大尉の娘(1936年、新興キネマ) - 吉兵衛の妻お豊
  • 桜の園(1936年、新興キネマ) - 女中頭お島
  • 愛怨峡(1937年、新興キネマ) - 産婆村井ウメ
  • 泣くな嘆くな若人よ(1938年、新興キネマ) - 憲太郎の母よね
  • 紀国屋文左衛門(1938年、新興キネマ) - 文左衛門の母お妙
  • あゝ故郷(1938年、新興キネマ) - 信吉の後妻おため
  • 噫!南郷少佐(1938年、新興キネマ) - 南郷少将夫人
  • 裁かるる女(1939年、新興キネマ) - 由紀子の叔母
  • 模範孝女の殺人(1939年、新興キネマ) - 菊江の母お葉
  • 玄海灘(1940年、新興キネマ) - みなと亭の女将
  • 北極光(1941年、新興キネマ) - お常
  • 舞ひ上る情熱(1941年、新興キネマ) - 周一の母記代
  • 新雪(1942年、大映) - 金兵衛の妻
  • 成吉思汗(1943年、大映) - ウェルエンケ
  • 重慶から来た男(1943年、大映) - 徳太郎の妻とよ
  • マライの虎(1943年、大映)- 谷豊の母・トミ
  • 犯罪者は誰か(1945年、大映) - 妻さき
  • 愛よ星と共に(1947年、大映) - はるえの母
  • 夜の女たち(1948年、松竹) - ポン引のおばさん
  • かくて忍術映画は終りぬ(1948年、東横映画) - 母正子
  • 検事と女看守(1949年、大映) - 滝なみ
  • 異国の丘(1949年、新東宝) - 姑いく
  • 虹男(1949年、大映) - 野々村かね
  • 銀座カンカン娘(1949年、新東宝) - おだい
  • 甲賀屋敷(1949年、新演伎座) - おたみ
  • 真珠夫人(1950年、大映) - 唐沢婆やおたみ
  • 細雪(1950年、新東宝) - 奥畑のばあや
  • 雪夫人絵図(1950年、滝村プロ・新東宝) - さん
  • 母ものシリーズ(大映)
    • 姉妹星(1950年) - けん
    • 瞼の母(1952年) - おむら
    • 呼子星(1952年) - とき子
    • 母子鶴(1952年) - 母お直
    • 母の湖(1953年) - しげ
    • 四人の母(1954年) - たけ
    • 母を求める子等(1956年) - おばさん
    • 母(1958年) - 炊事場主任
  • めし(1951年、東宝) - 谷口しげ
  • 結婚行進曲(1951年、東宝) - 婆や
  • 馬喰一代(1951年、大映) - おのぶ
  • 稲妻(1952年、大映) - おせい
  • 生きる(1952年、東宝) - 喜一の妻・たつ
  • 春の囁き(1952年、東京映画) - 片山兼子
  • 煙突の見える場所(1953年、新東宝) - 野島加代
  • 坊っちゃん(1953年、東京映画) - お清
  • あにいもうと(1953年、大映) - りき
  • (1953年、大映) - お常
  • 或る女(1954年、大映) - 婆やとめ
  • 春琴物語(1954年、大映) - つぎ
  • 潜水艦ろ号 未だ浮上せず(1954年、新東宝) - おちか
  • 二十四の瞳(1954年、松竹) - 男先生の奥さん
  • この広い空のどこかに(1954年、松竹) - 母しげ
  • 明治一代女(1955年、新東宝) - お梅の母お兼
  • 女の一生(1955年、松竹) - 母
  • 次男坊判官(1955年、大映) - おしげ
  • 亡命記(1955年、松竹) - 茶店の老婆
  • 下郎の首(1955年、新東宝) - 雇婆お角
  • あすなろ物語(1955年、東宝) - とみ
  • 野菊の如き君なりき(1955年、松竹) - 民子の祖母
  • 早春(1956年、松竹) - 北川しげ
  • 赤線地帯(1956年、大映) - おたね
  • 忘れえぬ慕情(1956年、松竹) - 藤田
  • 日本橋(1956年、大映) - 清葉の母
  • こぶしの花の咲くころ(1956年、松竹) - よねの母
  • ここは静かなり(1956年、松竹) - 沼田の母
  • 続二等兵物語 決戦体制の巻(1957年、松竹) - 柳トク
  • 雪国(1957年、東宝) - 駒子の養母
  • 東京暮色(1957年、松竹) - 小松の女主人
  • 挽歌(1957年、歌舞伎座) - ばあや
  • お姉さんといっしょ(1957年、松竹・桜映画社
  • 張込み(1958年、松竹) - 肥前屋の女主人
  • 日日の背信(1958年、松竹) - 知子の母・つね代
  • 氷壁(1958年、大映) - 小坂の母
  • 猫は知っていた(1958年、大映) - 桑田ちえ
  • 日蓮と蒙古大襲来(1958年、大映) - 弥三郎の女房
  • この天の虹(1958年、松竹) - 修の母
  • あなたと私の合言葉 さようなら、今日は(1959年、大映) - おでん屋のおかみ
  • 細雪(1959年、大映) - 奥畑の婆や
  • 荷車の歌(1959年、全国農村映画協会) - ヒナ
  • からたち日記(1959年、歌舞伎座) - 一力の女将
  • 山田長政 王者の剣(1959年、大映) - 日本人町の老婆
  • 浮草(1959年、大映) - しげ
  • 千姫御殿(1960年、大映) - おまき
  • 次郎物語(1960年、松竹) - 祖母
  • 歌行燈(1960年、大映) - お秀
  • いろはにほへと(1960年、松竹) - 松本ミネ
  • 切られ与三郎(1960年、大映) - お源
  • 足にさわった女(1960年、大映) - 老婆
  • 喜劇 にっぽんのお婆あちゃん(1962年、M.I.I.プロ) - ざあませばあさんわか
  • この日美わし(1962年、松竹) - 山水園の婆や
  • 破戒(1962年、大映) - 鷹匠館の主婦
  • 私は二歳(1962年、大映) - おばあさん
  • クレージー映画(東宝)
  • 女に強くなる工夫の数々(1963年、東宝) - 小川さだ
  • 黒の死球(1963年、大映) - 祖母そで
  • 乱れる(1964年、東宝) - 温泉場のおかみ
  • ジャコ萬と鉄(1964年、東映) - タカ
  • 駆逐艦雪風(1964年、松竹) - 木田のぶ
  • 殺人者を消せ(1964年、日活) - お時
  • おんな番外地シリーズ(東映) - 松尾千代
    • おんな番外地 鎖の牝犬(1965年)
    • 続・おんな番外地(1966年)
  • 恐山の女(1965年、フレンドプロ) - 下働きの女おみね
  • 夜の青春シリーズ(東映)
    • 夜の悪女(1965年) - 腰塚てる
    • 夜の牝犬(1966年) - 吉堀きん
    • 赤い夜光虫(1966年) - 古谷こま
  • 四畳半物語 娼婦しの(1966年、東映) - りく
  • ひき逃げ(1966年、東宝) - 兼松久子
  • かあちゃんと11人の子ども(1966年、松竹) - 産婆
  • 浪曲子守唄(1966年、東映) - すぎ
  • なつかしき笛や太鼓(1967年、東宝) - お婆ちゃん
  • 乱れ雲(1967年、東宝) - 三島ぬい
  • 春らんまん(1968年、東宝) - さだ
  • 女と味噌汁(1968年、東京映画) - 老婦人
  • 孤島の太陽(1968年、日活) - お梅
  • 喜劇 “夫”売ります!!(1968年、東映) - よね
  • 夜の歌謡シリーズ(東映)
    • 夜の歌謡シリーズ 港町ブルース(1969年) - 和泉てい
    • 夜の歌謡シリーズ 悪党ブルース(1969年) - 名取かの
    • 夜の歌謡シリーズ おんな(1969年) - 望月セキノ
  • 花札賭博 猪の鹿三番勝負(1970年、東映) - 中村せき
  • 極悪坊主 念仏三段斬り(1970年、東映) - のぶ
  • 喜劇 右むけェ左!(1970年、東宝) - 祖母
  • 女生きてます 盛り場渡り鳥(1972年、松竹) - ツエ
  • 恍惚の人(1973年、芸苑社) - 門谷のお婆ちゃん
  • 野良犬(1973年、松竹) - 食堂のおかみ
  • しなの川(1973年、松竹) - 母親
  • 伊豆の踊子(1974年、ホリ企画制作) - 茶屋の婆さん
  • ある映画監督の生涯 溝口健二の記録(1975年、近代映画協会
  • 正義だ!味方だ!全員集合!!(1975年、松竹) - おたみ
  • トラック野郎・天下御免(1976年、東映) - 老婆
  • 男はつらいよ 寅次郎純情詩集(1976年、松竹) - 婆や
  • 竹山ひとり旅(1977年、近代映画協会) - 寺の大黒さん
  • 東京大空襲 ガラスのうさぎ(1979年、大映映像)
  • 海潮音(1980年、ATG) - 宇島図世
  • 愛しき日々よ(1984年、東宝) - 病院の老人
  • パンツの穴 花柄畑でインプット(1985年、東映) - 南先生の祖母
  • さびしんぼう(1985年、東宝映画) - 井上フキ
  • 野ゆき山ゆき海べゆき(1986年、日本テレビ) - 地蔵参りの老婆
  • ハチ公物語(1987年、松竹) - 煙草屋の内儀さん
  • 日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群(1988年、アートリンクス) - 車中の老婆
  • 走れジュリー(1989年、ヒューマックス)

テレビドラマ[編集]

その他のテレビ番組[編集]

CM[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ のちに佐々木千里と改名し、ムーランルージュ新宿座を旗揚げする
  2. ^ 「くめ」という名前は、「一生食べる米に困らないように」との願いから付けられた[3]
  3. ^ 当時の日活京都撮影所では尾上松之助主演の旧劇映画が作られ、松之助の相手役は女形が演じていたが、松竹キネママキノ映画製作所では時代劇でも女優を採用していたため、日活もこれに倣い、池田富保監督の『渡し守と武士』に松之助の相手役として初めて女優を起用した。この作品で相手役を演じたのが岩井咲子である
  4. ^ これまでの最高齢記録は「老人と子供のポルカ」の左卜全
出典
  1. ^ a b c d e f g h i キネマ旬報1980、p.16
  2. ^ 浦辺1925、p.85
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r キネマ旬報1980、p.17
  4. ^ 『日本映画作品全集』、キネマ旬報社、1973年、p.143
  5. ^ 田中純一郎日本映画発達史Ⅰ 活動写真時代』、中央公論社、1980年、p.36
  6. ^ 淀川長治『日本の名随筆 別巻5 映画』、作品社、1991年、p.87
  7. ^ 岩本憲児『サイレントからトーキーへ 日本映画形成期の人と文化』、森話社、2007年、p.249
  8. ^ a b c d e キネマ旬報1980、p.18
  9. ^ 『日本映画事業総覧 昭和5年版』、国際映画通信社、1930年、p.119
  10. ^ a b c d e f キネマ旬報1980、p.19
  11. ^ a b c キネマ旬報1980、p.20
  12. ^ a b おばあちゃんアイドルの浦辺粂子が火傷死日刊現代、2015年8月1日閲覧

参考文献[編集]

  • 浦辺粂子 『映画女優の半生』 、東京演芸通信社、1925年
  • 『日本映画俳優全集・女優編』 、キネマ旬報社1980年

外部リンク[編集]