河津町

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かわづちょう
河津町
Prunus lannesiana cv. Kawazu-zakura 03.jpg
河津桜
Flag of kawazu Shizuoka.JPG
河津町旗
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
甲信静地方
都道府県 静岡県
賀茂郡
団体コード 22302-6
面積 100.69 km²
総人口 7,237
推計人口、2016年7月1日)
人口密度 71.9人/km²
隣接自治体 下田市伊豆市
賀茂郡松崎町西伊豆町東伊豆町
町の木 河津桜
町の花 花菖蒲
河津町役場
町長 相馬宏行
所在地 413-0595
静岡県賀茂郡河津町田中212-2
北緯34度45分25秒 東経138度59分15秒 / 北緯34.757度 東経138.987611度 / 34.757; 138.987611 (河津町役場)座標: 北緯34度45分25秒 東経138度59分15秒 / 北緯34.757度 東経138.987611度 / 34.757; 138.987611 (河津町役場)
Kawazu town hall.JPG
外部リンク 河津町役場

河津町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町

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河津町(かわづちょう)は、静岡県伊豆半島東岸の町。早春の2月に満開となる早咲きの河津桜」で知られる。

地勢[ソースを編集]

町域の81%は山林と原野で占められ、市街地は天城山南東の山稜を源流とする河津川下流の平地に広がる。東部は相模灘太平洋)に面する。

  • :登り尾(1057m)、猿山(1000m)、三筋山(812m)、鉢ノ山(619m)
  • 河川河津川

歴史[ソースを編集]

明治期[ソースを編集]

  • 1871年(明治4年):韮山県を廃し、伊豆はすべて、足柄県の管轄となる。
  • 1873年(明治6年):工部省により煉瓦製造が煉瓦の洞ではじまる。
  • 1875年(明治8年):筏場村と矢野村が合併して筏場村となる。
  • 1876年(明治9年):足柄県を廃して伊豆静岡県に編入する。
  • 1884年(明治17年):官営梨本村白煉瓦石製造所を稲葉来蔵に払い下げる。
  • 1889年(明治22年)4月1日町村制施行、河津下郷9か村(見高・浜・笹原・田中・沢田・峰・谷津・縄地・逆川)は下河津村、上郷6か村(梨本・大鍋・小鍋・湯ヶ野・下佐ヶ野・川津筏場)は上河津村となる。
  • 1892年(明治25年):小学校令に基づき、上河津・見高・田中・峰・逆川・縄地に尋常小学校を置く。
  • 1895年(明治28年):沢田石を用いた帝国京都博物館完成。
  • 1896年(明治29年):郡域を改め、伊豆は賀茂・田方の2郡となる。
  • 1902年(明治35年):天城トンネル開通。三島下田街道完成。
  • 1906年(明治39年):湯ヶ野を震源とするM5.7程度の地震発生。
  • 1910年(明治43年)2月:河津川水力電気(株)設立。
  • 1911年(明治44年)1月1日:河津川水力電気(株)開業(静岡県史年表)。

大正期から第二次大戦まで[ソースを編集]

  • 1912年(大正元年):上河津実業補習学校設立。
  • 1914年(大正3年):河津各区に区長を置く。9月、河津川水力電気(株)梨本発電所建設。
  • 1915年(大正4年):下田・大仁間にバス開通。5月、河津川水力電気(株)梨本発電所創立。
  • 1917年(大正6年):田中・峰・逆川・縄地・見高の尋常小学校及び下河津高等小学校を併合して下河津尋常高等小学校とする。本校は笹原に置き、見高・見高入谷・縄地・逆川に分校を置く。
  • 1920年(大正9年)9月:河津川水力電気(株)小鍋発電所創立。
  • 1923年(大正12年):見高・見高入谷の2分校が独立して見高尋常小学校となる。
  • 1925年(大正14年):河津浜・稲取間バス開通。3月、湯ヶ野大火、50戸余、山林35町歩焼失。
  • 1926年(大正15年):川端康成、小説「伊豆の踊子」発表。見高尋常小学校が、尋常高等小学校となる。下河津実業補習学校設立。11/26、稲葉時太郎が峰の新温泉掘削、大噴湯を得る。
  • 1927年(昭和2年)4月:下河津村の村長助役以下役場員が村会で衝突して総辞職。
  • 1932年(昭和7年)10月:下田・片瀬間(白浜・下河津経由)バス開通
  • 1933年(昭和8年)6月:伊豆循環道路東海岸線伊東・下田間完成。
  • 1935年(昭和10年):上河津村立実業補習学校を廃校し、同村立信農青年学校を設立。
  • 1936年(昭和11年):峰新町のソテツ、田中来宮神社の大楠、国の天然記念物に指定される。
  • 1937年(昭和12年)4月:下河津大火、13戸、24棟焼失。
  • 1941年(昭和16年)4月:国民学校令により、尋常小学校国民学校と改称、上河津国民学校(湯ヶ野)、下河津第一国民学校(笹原)、下河津第二国民学校(見高浜)とする。5月、狩野川、伊東、伊豆、河津川水力電気を統合し伊豆合同水力電気会社成立。
  • 1942年(昭和17年):金属類回収令により町内の梵鐘すべて供出される。

第二次大戦後[ソースを編集]

  • 1947年(昭和22年):六・三制義務教育実施に伴い、国民学校初等科は小学校に、高等科は新制中学校として発足。帝室林野局河津出張所が東京営林局河津営林署と改称。
  • 1948年(昭和23年):上・下河津農業協同組合設立。稲取高等学校上河津分校(定時制)開設。上河津幼稚園開設。石原忍博士が谷津に「河津文化の家」を開設。
  • 1952年(昭和27年):下河津第一小学校を下河津小学校に、下河津第二小学校を見高小学校と改称。上・下河津両村に教育委員会が発足。
  • 1953年(昭和28年):梨本大畑のナチシダ自生北限地が国の天然記念物に指定される。
  • 1954年(昭和29年):下河津幼稚園並びに下河津見高分園開設。東伊豆有料道路、下田区間開通。
  • 1958年(昭和33年)9月1日:上河津村と下河津村が合併し、河津町となる。人口10,464、戸数2,054。新町発足に伴い小中学校・幼稚園を改称。西小学校(湯ヶ野)・南小学校(笹原)・東小学校(見高浜)・西中学校(湯ヶ野)・南中学校(笹原)・双葉幼稚園(湯ヶ野)・姫宮幼稚園(笹原)・朝日幼稚園(見高浜)。
  • 1958年(昭和33年)9月27日:狩野川台風が神奈川県に上陸。町内に被害なる甚大を与えた。
  • 1959年(昭和34年):沢田にわかば保育園開設。
  • 1961年(昭和36年):伊豆急行電鉄(伊東・下田間)全線開通。
  • 1962年(昭和37年):稲取高等学校河津分校廃校。河津町商工会設立。
  • 1963年(昭和38年):田中に役場新庁舎完成。湯ヶ野に国民宿舎「かわづ」完成。
  • 1965年(昭和40年)9月:東伊豆町・河津町の5農協が合併し伊豆東農協となる。
  • 1965年(昭和40年)11月:湯ヶ野に川端康成文学碑序幕。
  • 1969年(昭和44年)5月:河津浜病院上佐ヶ野に落成。
  • 1970年(昭和45年):有料道路新天城トンネル開通。
  • 1972年(昭和47年)1月10日東京電力、梨本・小鍋両発電所が操業停止(静岡県史年表)。伊豆急河津駅前広場完成。
  • 1974年(昭和49年)5月9日伊豆半島沖地震M6.9)発生。南伊豆を中心に被害大。大堰浄水場完成。
  • 1976年(昭和51年)8月18日:伊豆半島南部に集中豪雨、天城山で降水量509mmを記録。鉢の山を震源とする河津地震M5.4)発生[1]
  • 1978年(昭和53年)1月14日伊豆大島近海地震M7.0)発生、町内の被害甚大。伊豆急、復旧までに5ヶ月、天城線バス、半年を要す。
  • 1980年(昭和55年):河津西・南両中学校を統合。河津中学校、とする。
  • 1981年(昭和56年)3月29日:河津七滝ループ橋落成式。
  • 1982年(昭和57年):白馬村と姉妹都市提携。
  • 1983年(昭和58年):下田地区消防組合発足。峰に河津分署設置。
  • 1984年(昭和59年):B&G河津海洋センターオープン。
  • 1989年(平成元年):町営温泉集中管理事業開始。
  • 1990年(平成2年):伊豆太陽農協発足。
  • 1991年(平成3年):伊豆南部の集中豪雨で町内各地で約42億円の被害。
  • 1992年(平成4年):河津営林署は天城営林署に統合され、「天城営林署河津森林経営センター」となる。
  • 1993年(平成5年):「踊り子温泉会館」、「サンシップ今井浜」開館。小規模授産所「いずみ」開所。
  • 1994年(平成6年):新峰山トンネル開通。
  • 1995年(平成7年):国道135号、浜橋改修工事完了。
  • 1996年(平成8年):姉妹都市・白馬村と災害応援協定締結。下田街道文化庁の「歴史の道百選」に選ばれる。
  • 1997年(平成9年):町保健福祉防災センター完成。国立湊病院移管に伴い、共立湊病院発足。
  • 2012年(平成24年)9月30日:「サンシップ今井浜」閉館。
Demography22302.svg
河津町と全国の年齢別人口分布(2005年) 河津町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 河津町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
河津町(に相当する地域)の人口の推移
1970年 9,624人
1975年 9,772人
1980年 9,509人
1985年 9,307人
1990年 9,118人
1995年 9,036人
2000年 8,705人
2005年 8,303人
2010年 8,002人
総務省統計局 国勢調査より

行政[ソースを編集]

  • 町長 - 相馬宏行(任期: 2010年4月26日〜2014年4月25日)

経済[ソースを編集]

産業[ソースを編集]

平成17年度の国勢調査では次のような結果が出ている。

区分 人数
第一次産業 計 629
農業 574
林業 14
漁業 41
第二次産業 計 600
鋼業 0
建設業 470
製造業 130
第三次産業 計 3043
電気・ガス・熱供給・水道業 19
情報通信業 12
運輸業 167
卸売・小売業 765
金融・保険業 44
不動産業 36
飲食店・宿泊業 787
医療・福祉 369
教育・学習支援業 149
複合サービス業 100
サービス業 465
公務 130

姉妹都市[ソースを編集]

日本[ソースを編集]

地域[ソースを編集]

教育[ソースを編集]

中学校[ソースを編集]

小学校[ソースを編集]

  • 河津町立西小学校
  • 河津町立東小学校
  • 河津町立南小学校

交通[ソースを編集]

伊豆急行河津駅

鉄道[ソースを編集]

伊豆急行線
今井浜海岸駅河津駅

道路[ソースを編集]

高速道路

伊豆縦貫自動車道河津下田道路
河津IC(予定)、逆川IC(予定)

国道

県道

バス[ソースを編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[ソースを編集]

河津七滝ループ橋
河津七滝の大滝

出身有名人[ソースを編集]

観光PR大使[ソースを編集]

河津町を舞台にした作品[ソースを編集]

文学・記録・漫画[ソースを編集]

ドラマ[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

  1. ^ 3-15 伊豆半島東部の群発地震(1976年5月-10月”. 東京大学地震研究所 地震移動観測室・地震活動研究部門. 2016年4月28日閲覧。

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]