伊豆半島沖地震

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伊豆半島沖地震
伊豆半島沖地震の位置(日本内)
伊豆半島沖地震
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 1974年5月9日
発生時刻 8時33分27秒 (JST)
震央 日本の旗 日本 静岡県石廊崎
南南西沖5km
北緯34度37分48秒
東経138度46分48秒 (地図)
震源の深さ 9km
規模    マグニチュード(M)6.9
最大震度    震度5:静岡県賀茂郡南伊豆町
津波 12cm 静岡県御前崎市
地震の種類 プレート内地震
右横ずれ断層
余震
回数 1974年7月9日17時52分ごろ、天城山付近[1]、M5.0[2]
被害
死傷者数 死者30名
負傷者102名
被害地域 伊豆半島南部
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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伊豆半島沖地震(いずはんとうおきじしん)は、1974年(昭和49年)5月9日伊豆半島で発生した地震

概要[編集]

1974年(昭和49年)5月9日08時33分27秒に発生した。過去に地震被害の記録のない地域で発生した地震であり[1]震源北緯34度37分48秒、東経138度46分48秒の石廊崎沖南南西約5km[3]であった。やや北方の南伊豆町の海岸付近とする説もある[4]。震源の深さは9kmで地震の規模を示すマグニチュードはMj 6.9[2](Mw 6.4[5])。静岡県賀茂郡南伊豆町で最大震度5を観測し、死者30名、全壊134棟など大きな被害を出した。

この地震以後、伊豆半島付近の地震活動が活発になり、1976年(昭和51年)に河津地震(M5.4)、1978年(昭和53年)に伊豆大島近海の地震(M7.0)が発生している。

震源断層[編集]

地震により、石廊崎から北西方向へ延びる長さ約5.5kmの断層石廊崎断層)が出現した。破壊過程は約11秒間で進行し、地震モーメントは7.6 × 1018N・mである。くい違い量は断層面中央付近の数kmより深い領域では1.2m~3mと大きく、浅い領域では断層面の南東端付近を除いて0.5m以下と小さい[6]。地表に出現した石廊崎断層は観測された地表地変から、西北西-東南東の走向で北落ちの右横ずれ断層で横ずれ量30cm、たてずれ量15cm と考えられる。また、平行して長さ約1kmの石廊崎南断層、石廊崎北断層も出現した[6]

震度[編集]

震度3以上を観測した地点は次の通り[2]:

震度 都道府県 市区町村
5 静岡県 南伊豆町
4 静岡県 熱海市 三島市 静岡市駿河区
千葉県 館山市
東京都 伊豆大島 新島
神奈川県 横浜市中区
3 静岡県 浜松市中区
千葉県 銚子市
東京都 千代田区 三宅島
群馬県 前橋市
埼玉県 秩父市
山梨県 甲府市 富士河口湖町
長野県 諏訪市 飯田市 三峰川通報所
愛知県 名古屋市千種区

最大有感地点は北海道の帯広市であるが、このような飛び離れた地点を除いた有感地点を除いた最大有感距離とマグニチュードとの関係式から求めたマグニチュードはM=6.0〜6.1であり、気象庁マグニチュードに比べかなり小さい。また、同程度の規模の1963年越前岬沖地震や1969年男鹿半島沖地震に比べても有感半径はかなり狭かった[4]

被害[編集]

石廊崎断層の地形図

この地震による被害はほとんどが南伊豆町に集中した。その中でも中木地区は、城畑山の斜面で幅約60mにわたる山崩れが起き、山裾の22戸が飲み込まれた。この時に崩れた土砂の量は約3万m3にも及んだといわれる。この山崩れでは27人が生き埋めとなり、後日、全員の死亡が確認された。半島南部の山崩れの多くは凝灰岩質の急傾斜地や崖で発生していた。また、内陸部では蛇石火山の噴出物の急傾斜地が多く、いずれも過去に崩落を起こしていた場所が多い[7]。また、埋没した家屋から火災が発生し、2次被害が拡大した[1]

地震が襲ったのが朝8時半過ぎであったため、地元の漁師はすでに漁に出た後であり、下田市などに通勤する若者や幼稚園、小、中、高校などへ通学する子供たちは家を出た直後であった。生き埋めになったのは、家に居たお年寄りや主婦、幼児が大半であった。子供たちだけが残されるケースもあれば、両親や妻子を亡くし、働き手だけが残されるケースもあった。さらに、漏れたプロパンガスに引火したことにより、埋没した家屋から火災が発生し、数日間燃え続けた。

石廊崎では、断層直上の石廊埼灯台が崩壊。航行中の船舶に方位信号を送ることができなくなった。南伊豆町の東に位置する下田市も人的被害はなかったが、多くの建物が損傷した。家屋の瓦は軒並み落下し、旅館街のブロック塀が倒壊した。

被害の総計は、死者30名、負傷者102名、家屋全壊134戸、一部損壊240戸、全焼5戸。山崩れ・崖崩れは101箇所であった。

温泉への影響[編集]

天城山の南西地域の下賀茂温泉など賀茂村-河津町以南の源泉では、全般的に温度若しくは湧出量の増加がみられた事が報告されている。また、天城山以北では伊東温泉湯ケ島温泉で、湧出温度の上昇 (3~5℃位) がみられたが、1~4週間で平常に戻った[8]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 1974年伊豆半島沖地震調査報告 (PDF) 気象庁地震課・静岡地方気象台・石廊崎測候所 験震時報第39巻 pp.89-120
  2. ^ a b c 震度データベース検索”. 気象庁. 2014年2月11日閲覧。
  3. ^ 1974年伊豆半島沖地震の地震断層とそれにともなう被害 地學雜誌 Vol.83 (1974) No.4 P270-276
  4. ^ a b 1974年伊豆半島沖地震について:地震と災害の特徴 土隆一、宇津徳治 静岡大学地球科学研究報告
  5. ^ M6.5 - near the south coast of Honshu, Japan USGS
  6. ^ a b 1974年伊豆半島沖地震の破壊過程, 地震 第2輯 Vol.42 (1989) No.1 P59-66, JOI:JST.Journalarchive/zisin1948/42.59
  7. ^ 大村 寛:伊豆半島沖地震による山崩れの特徴 砂防学会誌 Vol.28 (1975-1976) No.1 P17-24
  8. ^ 伊豆半島沖地震 (1974-V-9) の温泉への影響, 地震 第2輯 Vol.28 (1975) No.3 P239-267, JOI:JST.Journalarchive/zisin1948/28.239

関連項目[編集]

外部リンク[編集]