伊豆半島

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伊豆半島のランドサット衛星写真。
スペースシャトル標高データ使用。
伊豆半島の位置
伊豆半島の位置
伊豆半島
伊豆半島の位置

伊豆半島(いずはんとう)は、日本列島のうち本州の南東部に位置する半島静岡県の東端部に位置し、南へ約50kmにわたって突き出した半島は東岸に相模灘、西岸には駿河湾があり、最南端の石廊崎から太平洋を望む。

明治以前は伊豆国として東海道の1であった。

経済[編集]

関東地方からの観光客に人気な観光地である伊豆半島は、主に熱海修善寺と伊東の温泉行楽地として知られている。

半島は富士山と接していて、富士箱根伊豆国立公園の一部。

旅行地として、海水浴、サーフィン、ゴルフとオートバイなどで人気がある。


旅行地として以外では、農業と釣りは地域経済の重要な要素です。

伊豆は、日本のワサビの最王手の生産地の1つで、郷土料理はワサビ風味となっている。それでも東京や静岡に人口が流出するのを防ぐにはこれは十分ではなく、東京や静岡に対してこれらの産業は有利ではない。

構成[編集]

伊豆半島は、その全体が静岡県に属している。そしてそれは、8つの市と5つの町で構成されている。

地理[編集]

伊豆半島の周辺
伊豆半島の周辺
伊豆地方のデータ
日本
地方 中部地方東海地方
面積 1,421.24km²
総人口 437,884
(2019年2月1日)


静岡県の東端部に位置し、南へ約50kmにわたって突き出した、駿河湾相模灘を隔てている半島である。一説には、南海に突き出ているので、「出づ」から「伊豆」と呼ばれるようになったと言われる[1]

全域にわたって山地が大部分を占め、平坦地は少ない。したがって、市街地は狭く、海岸沿いの低地や谷に住宅が集まり、一面の田畑といった光景も見られない。東岸に相模灘、西岸には駿河湾がある。最南端は石廊崎であり、太平洋を望む。なお、フィリピン海プレートの東端に載る伊豆諸島小笠原諸島から沖縄県の各諸島までの海域は、太平洋の一海域であるフィリピン海の一部であるが、この名称は普及していない。

また、伊豆半島は山が険しく人の手の入らない箇所が多くあり、海岸線と天城山などの中北部の山稜が富士箱根伊豆国立公園の一部として指定されている。

主要な地形[編集]

伊豆半島の地形図。人家の多くは明色で表された平地部に集まる。中央右やや下の高峰が天城山。

地史[編集]

フィリピン海プレート(中央)の最北端に位置する伊豆半島。
フィリピン海プレート(中央)の最北端に位置する伊豆半島。

伊豆半島の地殻フィリピン海プレートの最北端に位置している。北アメリカプレートとの衝突のため、岩盤に亀裂が起こり、これにマグマが貫入することにより伊豆東部火山群が形成されている。このマグマの貫入によって、半島東部では群発地震がしばしば起こっている。古くは伊豆諸島の島々と同様に火山島であったこともあり大型火山が大きく侵食された地形が残り、各地に温泉が湧く。植物相は本州島とは異なる南方系を形成している[2]。半島が海底火山であった頃の噴出物が海底に積み重なってできた地層を、古い順に仁科層群、湯ヶ島層群と呼ぶ[3]

1000万 - 200万年前
伊豆全体が浅い海となり、火山島になった火山もあった。この時期の噴出物で形成された地層を白浜層群と呼ぶ[3]
200万 - 100万年前
伊豆が本州に衝突して合体しようとしていた時期。この時初めて伊豆の大部分が陸地となり、以後はすべての火山が陸上で噴火するようになった。 この時期以降の堆積物を熱海層群と呼ぶ[3]
60万年前
本州から突き出た半島となる[4]。この頃に天城山達磨山などの大型火山ができた[3]
60万年前 - 20万年前
ほぼ現在の姿になる[4]
20万年前 - 現在
20万年前頃になると、箱根火山を除く複成火山は活動を停止し、単成火山で構成される伊豆東部火山群が活動を始める[3]

異説と議論[編集]

上記の『伊豆半島がフィリピン海プレートに乗って南から移動し、本州にぶつかった』とする説は、当然ながらプレートテクトニクスに連動したものであり、1972年にまでさかのぼるが、それ以前は当然ながら伊豆半島は現在の位置で形成されたものと考えられていた[5]。現在ではこの説が定説であるかのようになっているが、現在も半島の移動はなかったと考える立場がある。

例えば伊豆半島の鮮新世の地層からは大型有孔虫のレピドシクリナが発見されるが、これは日本本土の他の地域では中新世中期の後期までには見られなくなる。この有孔虫は珊瑚礁に生息していたものとされており、これは伊豆諸島がその当時本州より遙かに南に位置していた証拠と考えられている。しかしこの説への批判者は、これを単に伊豆半島地域の特殊性、他の地域では大規模な隆起が起きていた時期であり、それが周辺海域に粗粒堆積物を多量にもたらして珊瑚礁を全滅させたのに対して、伊豆半島には大きな川がないためにそれが起こらなかった、と推測している。それ以外にも本州と伊豆半島での化石記録の重なりは見つかっており、伊豆半島が以前からこの地にあったと考えることにさほどの矛盾はないという。

これに対して生物に関して、特に伊豆諸島の生物相は示唆に富んでいる。もしも伊豆半島が北上して本州に繋がったのだとすれば、同じプレート上にある伊豆諸島、小笠原諸島もそれに伴って移動してきたと考えられるのは当然である。ところがよく知られているように小笠原諸島の生物相は固有種が非常に多く、特定の分類群では規模の大きい適応放散が見られ、他方では大きく欠けた生物群がいくつもあるという、海洋島によく見られる生物相の特徴を持つ。それに対し、伊豆諸島のそれはむしろ日本本土の生物相に非常に近い。例えばヘビは小笠原諸島にはいないが、伊豆諸島にはシマヘビアオダイショウジムグリマムシなどがおり、いずれも本州のものと同種とされている[6]

いずれにせよ、伊豆諸島の生物相は伊豆半島のそれと密接な関係があり、そして本土の他地域ともごく強い類縁を持っている。このことを説明するには過去のある時期に伊豆諸島と本州が同じ陸地にあり、その頃には寒冷な気候で伊豆諸島の位置までが夏緑広葉樹林帯に覆われていたのが、後に海水面が上昇して島となり、隔離によって種分化が進んだと見るのが無難である。このような考え方は昆虫相や陸産貝相の研究からも以前より提起されていたものであり、伊豆半島から伊豆諸島の青ヶ島までを含む巨大な半島が想定され、古伊豆半島という名が与えられている。

歴史[編集]

伊豆国成立
中世および近世
近代以降

地域[編集]

半島内の地域はそれぞれ、西岸を西伊豆(にしいず)、中北部を中伊豆(なかいず)、東岸を東伊豆(ひがしいず)、南部を南伊豆(みなみいず)と呼ぶ。なお北伊豆(きたいず)も使われることがあるが使用頻度は低い[8]

なお、伊豆地方は東京に近いことから、東海地方ではなく、関東地方の一部として認識されることが多い。衆議院小選挙区においては、静岡県第5区静岡県第6区にまたがっている。

観光ガイドでのエリア区分例(四分割)[編集]

東伊豆
熱海市伊東市東伊豆町
中伊豆
三島市函南町(日守地区は除く)、伊豆市の一部(旧修善寺町、旧天城湯ケ島町、旧中伊豆町)、伊豆の国市(旧伊豆長岡町、旧大仁町、旧韮山町
西伊豆
沼津市の一部(内浦地区、西浦地区、旧戸田村)、伊豆市の一部(旧土肥町)、西伊豆町松崎町
南伊豆
下田市南伊豆町河津町

交通[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

道路[編集]

観光[編集]

日本でもよく知られた温泉地帯である。数多くの漁港を抱え、新鮮な魚介類と温泉を目当てに観光客が訪れる。山間では山葵(わさび)わさび漬け椎茸などの名産品や、イノシシ鍋などの郷土料理もある。

早くから日本有数の観光地域でもあったが、戦後になって大手資本による大規模な開発合戦も行われた。代表的なのは東急と西武の開発競争で、東急は1961年伊豆急行線を下田まで開通させ、西武は伊豆箱根鉄道駿豆線を軸に、陣取り・誘致合戦を繰り広げた。特に伊豆急行開通後の東伊豆の観光地・別荘地化はめざましいものがあった。

文化面では、川端康成の『伊豆の踊子』を始めとして、文学の舞台となっている街も多い(#伊豆地方を舞台にした小説)。

神社仏閣[編集]

温泉[編集]

伊豆地方を舞台にした小説[編集]

関連書籍[編集]

  • 小山真人『伊豆の大地の物語』静岡新聞社、2009年。ISBN 978-4783805496

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 出典 : 秋山富南、萩原正平、萩原正夫、戸羽山瀚 纂修『増訂豆州志稿・伊豆七島志』長倉書店 (1967年) ASIN: B000JA580I 1頁
  2. ^ プロト伊豆―マリアナ島弧の衝突付加テクトニクス 地学雑誌 Vol.119 (2010) No.6 P1125-1160
  3. ^ a b c d e 出典 : 伊豆の大地の物語 伊豆新聞連載記事 - 静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人研究室、2012年11月6日閲覧
  4. ^ a b 出典 : 伊豆半島ジオパーク - 伊豆半島ジオパーク推進協議会、2012年11月6日閲覧
  5. ^ 以下、柴(2016)
  6. ^ 内山他(2002)
  7. ^ 伊豆市伊豆の国市三島市熱海市伊東市下田市田方郡賀茂郡
  8. ^ 伊豆半島ジオパークなどで用いられている。伊豆半島の付け根である三島市、田方郡函南町沼津市駿東郡を指す事が多い。
  • 柴正博、「伊豆半島は南から来たか?」、(2016)、:Journal of Fossil Research, Vol.49(1):p.35-43.
  • 内山りゅう他、『決定版 日本の両生爬虫類』、(2002)、平凡社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度54分 東経138度57分 / 北緯34.900度 東経138.950度 / 34.900; 138.950