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国民学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東京市明石国民学校
東京都中央区
現在の中央区立明石小学校

国民学校(こくみんがっこう、旧字体: 國民學校󠄁)とは、日中戦争勃発後の社会情勢によって日本に設けられ、初等教育と前期中等教育を行っていた学校

概要

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児童の給食(横浜市)
女子も上半身裸で乾布摩擦延岡市
高等科女子の薙刀体操
男子児童の剣術訓練
軍事訓練(東京中目黒国民学校、1942年)

1941年国民学校令によって設立される。教育勅語の教えを奉戴して皇国の道に則って初等普通教育を施し国民の基礎的錬成を目的とし、国家主義的色彩が更に濃厚に加味された。

國民學校󠄁ハ皇國ノ道󠄁ニ則リテ初等普通󠄁敎育ヲ施シ國民ノ基礎的󠄁成ヲ爲スヲ以テ目的󠄁トス国民学校令第一条)

名称の由来
当時の文部省普通学務局初等教育課長によると、「国民の基礎教育を施す学校」を由来とされる[1]。また、当時同盟国であったドイツの初等教育に起源をもつと言われ、ドイツ語Volksschule(Volks(フォルクス)が「国民・民族」、schule(シューレ)が「学校」)の翻訳であるという説もある[2]
制度上の改革

歴史

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1937年7月7日盧溝橋事件を発端として日中戦争/支那事変が始まる)

  • 1941年昭和16年)
    • 3月1日 - 国民学校令(昭和16年勅令第148号)が公布される。
    • 4月1日 - 国民学校令の施行により、従来の小学校が改組され国民学校が発足[4]
      • 尋常小学校を国民学校初等科(修業年限6年)、高等小学校を国民学校高等科(修業年限2年間)とする。
      • 尋常高等小学校を国民学校初等科・高等科とする。
      • 公立師範学校等の附属小学校を附属国民学校とする。
      • 私立の小学校は私立学校令によって設立されたものと見なされ、国民学校への改称は認められていなかった(私立の国民学校はなかった)[3]
    • 12月8日 - 対英米開戦(太平洋戦争/大東亜戦争勃発)。
  • 1944年(昭和19年)
    • 2月16日 - 戦時非常措置により、同年4月に予定していた6年から8年への義務教育年限延長が延期されることになる[5]
    • 6月30日 - 戦況悪化により、学童疎開促進要綱が閣議決定され、都市部の国民学校初等科児童の地方への疎開が推奨される[6]
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月18日 - 決戦教育措置要綱[注釈 2]が閣議決定され、昭和20年度(同年4月から翌3月末まで)高等科の授業が停止されることとなる[7]
    • 5月22日 - 戦時教育令が公布され、高等科の授業を無期限で停止することが法制化される。
    • 8月15日 - 大日本帝国、ポツダム宣言受諾に伴い連合国に対し降伏することを決定(日本の降伏)。
    • 8月21日 - 文部省により戦時教育令の廃止が決定され、同年9月から高等科の授業が再開されることとなる。
    • 9月2日 - 帝国政府、降伏文書に調印。日中戦争(支那事変)及び太平洋戦争(大東亜戦争)が終結。連合国(主としてアメリカ軍)による占領統治が開始される。
    • 9月12日 - 文部省により戦時教育を平時教育へ転換させることについての緊急事項が指示される。
    • 9月26日 - 文部省により疎開児童の復帰が指示される。
    • 10月 - 日本教育制度に対する管理政策により、軍国主義および極端な国家主義思想の普及が禁止される。
    • 12月 - 国家神道神社神道に関する指令ならびに修身・日本歴史および地理停止に関する指令が出される。
      • 当時使用されていた教科書・教師用参考書から、神道教義に関する事項が全て削除され、全ての学校で修身・日本歴史・地理の授業が停止された。
  • 1946年(昭和21年)
    • 7月 - 文部省で新たに編集した暫定教科書を使って地理の授業を再開。
    • 9月 - 修身教育に代わる科目として公民科を課されることとなる。
    • 10月 - 文部省で新たに編集した暫定教科書「くにのあゆみ」を使って日本歴史の授業を再開。
  • 1947年(昭和22年)
入学時(修了時)の年齢1900年(明治33年)
小学校令(第3次)
1907年(明治40年)
小学校令一部改正
1941年(昭和16年)
国民学校令
1947年(昭和22年)
学制改革(現行)
2016年(平成28年)
1947年学制と並立(現行)
6歳(7歳)尋常小学校1年尋常小学校1年国民学校初等科1年小学校1年義務教育学校1年
7歳(8歳)尋常小学校2年尋常小学校2年国民学校初等科2年小学校2年義務教育学校2年
8歳(9歳)尋常小学校3年尋常小学校3年国民学校初等科3年小学校3年義務教育学校3年
9歳(10歳)尋常小学校4年尋常小学校4年国民学校初等科4年小学校4年義務教育学校4年
10歳(11歳)高等小学校1年尋常小学校5年国民学校初等科5年小学校5年義務教育学校5年
11歳(12歳)高等小学校2年尋常小学校6年国民学校初等科6年小学校6年義務教育学校6年
12歳(13歳)高等小学校3年高等小学校1年国民学校高等科1年中学校1年義務教育学校7年
13歳(14歳)高等小学校4年高等小学校2年国民学校高等科2年中学校2年義務教育学校8年
14歳(15歳)国民学校特修科中学校3年義務教育学校9年

教育内容

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皇国民としての基礎的錬成の資質内容[9]
  1. 国民精神を体認し、国体に対する確固たる信念を有し、皇国の使命に対する自覚を有していること。
  2. 透徹せる理知的能力を有し、合理創造の精神を体得し、もって国運の進展に貢献しうること。
  3. かっ達剛健な心身と献身奉公の実践力とを有していること。
  4. 高雅な情操と芸術的、技能的な表現力を有し、国民生活を充実する力を有すること。
  5. 産業の国家的意義を明らかにし、勤労を愛好し、職業報国の実践力を有していること。
課程  教科 科目
初等科・高等科共通 国民科 修身国語国史地理
理数科 算数理科
体錬科 体操武道(※女児は武道を欠くことができた。)
芸能科 音楽習字図画工作
裁縫(初等科女児)
家事裁縫(高等科女児)
高等科のみ 実業科 農業工業商業水産の中から1科目選択
教科
上記の資質内容に基づいて、国民科理数科・体錬科・芸能科(以上4教科は初等科・高等科共通)・実業科(高等科のみ)の5教科に分類された。
教育方法[9]
  • 主知[注釈 3]的教授を排し、心身一体として教育し、教授・訓練・養護の分離を避け、国民としての統一的人格の育成を期すること。
  • 儀式・学校行事の教育的意義を重んじ、これを教科とあわせて一体とし、全校をあげて「国民錬成の道場」たらしめようとしたこと。
  • 学校と家庭および社会との連絡を緊密にし、児童の教育を全うしようとしたこと。

進学実態

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旧満洲

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満洲では、例えば、興安南省(当時。現・内蒙古自治区)・哈拉黒ハラヘイ開拓団のひとつ、仁義仏立講開拓団入植しており、当地に仁義仏立屯国民学校があった[10][11]

他国における国民学校

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台湾

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台湾の国民学校。現在は台北市立第二美術館。

台湾では大日本帝国配下の1941年に設立された。

独立後も「国民学校」(「国校」と略称)としていたが、1968年に「国民小学」(「国小」と略称)に改称された。

韓国

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韓国では、独立後に6・6・4制(のちに6・3・3・4制)を導入したが、金泳三政権時に「初等学校(チョドゥンハッキョ、초등학교)」と改称される1995年まで、初等教育の6年間を「国民学校(クンミンハッキョ、국민학교)」と呼称した。国民学校時代の教科書は、民族主義反共主義など、韓国政府が拠って立つイデオロギー子供に鼓吹し、ことさら、に親近感を抱かせるような内容が多かったとされる[誰によって?]

脚注

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注釈

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  1. 国民学校令附則第46条に「1941年(昭和16年)4月1日から施行するが、1931年(昭和6年)4月1日以前に生まれた児童を就学させなければならない期間(義務教育期間)については第8条の規定(8年間の義務教育)を適用しない」と規定したことによる。つまり1931年(昭和6年)4月2日以降に生まれた児童が国民学校高等科1年となる1944年(昭和19年)4月から義務教育8年を適用することとした。
  2. 昭和20年度(同年4月から翌3月末までの間)国民学校初等科を除く学校の授業を原則として停止するという内容であった。
  3. 「知」(理性)を主とする考え方。

出典

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  1. 内閣情報部「国民学校問答」『写真週報』第159巻3月12日号、1941年3月12日、10頁。
  2. 山中恒 1986, pp. 48–50.
  3. 1 2 3 文部省 1981, pp. 66–68.
  4. ニュース映像 第43号|ニュース映像NHK 戦争証言アーカイブス(「愈々始まった国民学校」日本ニュース、1941年(昭和16年)4月1日公開、2分27秒)
  5. 国民学校令等戦時特例(昭和19年2月16日勅令第80号)第2条
  6. 学童疎開促進要綱
  7. 山中恒 1986, p. 186.
  8. 文部省 1981, p. 126.
  9. 1 2 国民学校令の公布”. 2015年7月26日閲覧。
  10. 小川 & 石井 (2005), pp. 1, 47.
  11. 小川 (2005), pp. 167–168, 178.

参考文献

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  • 小川津根子『祖国よ 「中国残留婦人」の半世紀』岩波書店岩波新書(新赤版)386〉、2005年6月24日(原著1995年4月20日)。ISBN 4-00-430386-9 (第5刷)
  • 小川津根子、石井小夜子『国に棄てられるということ 「中国残留婦人」はなぜ国を訴えたか』岩波書店〈岩波ブックレット No.666〉、2005年12月6日。ISBN 4-00-009366-5 
  • 文部省 編「国民学校の成立」(日本語)『学制百年史』(pdf)株式会社帝国地方行政学会東京都新宿区、1981年9月5日https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317570.htm2015年7月19日閲覧 
  • 山中恒日本語)『子どもたちの太平洋戦争 国民学校の時代』岩波書店東京都千代田区岩波新書黄 356〉、1986年11月20日。ISBN 4-00-420356-2 

関連項目

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外部リンク

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