奏任官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
奏任官の位置づけ

奏任官(そうにんかん)は任官手続きの違いによる官吏区分で天皇への奏上を経て任ずる官職をいう。 1886年(明治19年)から高等官の一種となり[1]明治憲法の下で用いられ1946年(昭和21年)に廃止された[2]勅任官の下位、判任官の上位に位置し、高等官三等から九等に相当するとされていた。奏任官は天皇の任命大権の委任という形式を採って内閣総理大臣が任命し、官記には内閣印が捺されていた。

律令制における奏任[編集]

律令制では太政官が天皇への上奏を経て官職に任ずることを奏任といい、官位を定めた官職は勅任の他はすべて奏任とした[3] [4]

明治の太政官制における奏任[編集]

1868年(慶応4年閏4月)政体書・官等9等[編集]

明治以後の奏任は、1868年7月4日(慶応4年(明治元年5月15日)に勅授官・奏授官・判授官[注釈 1]を区別したことが始めで、政体書の官等制で第一等官から第九等官までのうちの四等・五等の2官を奏授官とし宣旨に行政官の印を押すとした[6]。 第四等官は行政官の弁事、神祇官・会計官・軍務官外国官・刑法官の権判官事、の権判府事、の二等知県事とし、第五等官は議政官上局・行政官の史官、司の知司事、県の三等知県事・一等判県事とした[7]。 このときの俸給は月給としており、江戸開城した後も戊辰戦争は継続していたことから関東平定まで四等官・五等官の月給はその3分の1を減額することにしていた[8]

1869年(明治2年7月)職員令・官位相当制[編集]

1869年明治2年7月)の職員令による官位相当制[9]では正五位相当以下従六位相当以上を奏任とした[10]正五位相当は神祇官の権大祐、諸省の権大丞、諸寮の頭、刑部省の中判事、宮内省侍従・大典医集議院の権判官、大学校の権大丞・大博士、弾正台の権大忠、春宮坊学士、府の権大参事、大の大参事、県の権知事、留守官開拓使の権判官とし、従五位相当は神祇官の少祐、太政官の大史、諸省の少丞、諸寮の権頭、刑部省の少判事、宮内省の中典医、大学校の少丞・中博士、弾正台の少忠、皇太后宮職・皇后宮職・春宮坊の大進、府の少参事、大藩の権大参事、中藩の大参事とし、正六位相当は神祇官の権少祐、太政官の権大史、諸省の権少丞、諸寮の助、諸司の正、宮内省の少典医、大学校の権少丞・少博士、弾正台の権少忠、皇太后宮職・皇后宮職・春宮坊の権大進、府の権少参事、大藩の少参事、中藩の権大参事、小藩・県の大参事とし、従六位相当は神祇官の大史、太政官の少史、諸寮の権助、諸司の権正、刑部省の大解部、外務省の大訳官、大学校の大助教、弾正台の大巡察、皇太后宮職・皇后宮職・春宮坊の少進、大藩の権少参事、中藩の少参事、小藩の権大参事とした[9]。 このときの俸給である官禄は石高で示し官位相当表によって定めた[11] [12]

1871年(明治4年7月)太政官制・官位相当制[編集]

1871年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県[13]の後、同年9月13日(明治4年7月29日)に諸官省に先立って太政官の官制を改正し、従前の官位相当表では正五位相当以下、従六位相当以上を奏任としてきたが、この際に従四位相当以下、正六位相当以上を奏任として4等に分つ[14]。 従四位相当は正院の枢密権大史・大史、式部局の助、左院の三等議員、正五位相当は正院の枢密少史・権大史、従五位相当は正院の枢密権少史・少史、式部局の大式部、正六位相当は正院の権少史、式部局の少式部とした[14]

明治4年7月に諸省の卿及び開拓長官へ権限を委任する条件を定め、卿部属の官員を選任・降級・昇級する場合は、奏任官は奏聞の上でこれを任ずることになる[15]

1871年(明治4年8月)太政官制・官等15等[編集]

1871年9月24日(明治4年8月10日)に官位相当制を廃止して官等を15等に定め、文官は四等以下七等以上、武官は五等以下七等以上を奏任とする[16]。 文官の四等は正院の権大内史・大外史・監察使・布政使、左院の中議官、諸省の大丞、一等寮の権頭、二等寮の頭、神祇省宣教判官、外務省の少弁務使、文部省の少博士、司法省の中判事、宮内省の少典医とし、五等は正院の少内史・権大外史、左院の少議官、諸省の大丞、一等寮の助、二等寮の権頭、三等寮の頭、神祇省の宣教権判官、外務省の少弁務使、文部省の大教授、司法省の少判事、宮内省の侍従・大侍医とし、六等は正院の権少内史・少外史、諸省の少丞、一等寮の権助、二等寮の助、三等寮の権頭、司の正、外務省の大記、文部省の中教授、司法省の管事・大解部、宮内省の権大侍医とし、七等は正院の権少外史、二等寮の権助、三等寮の助、司の権正、神祇省の大賞典、外務省の少記、文部省の少教授、司法省の権管事・中解部、宮内省の次侍従・少侍医とした[16]。 武官の五等は大佐とし、六等は中佐とし、七等は少佐とした[17]。 官制等級改定の際に官禄を月給へ改定したときの対応によると、官制等級改定前の従四位相当官の官禄(従前六等)は改定後の官等四等の月給に対応し、以下1等づつ降って正六位相当官の官禄(従前九等)は改定後の官等七等の月給に対応する[18]

1873年(明治6年)5月8日に陸軍・海軍とも大将以下少尉までを1等づつ繰上げて武官も文官と同様に四等を奏任として、四等は大佐、五等は中佐、六等は少佐、七等は大尉とした[19] [20]。 その後、1873年(明治6年)5月12日に中尉・少尉を奏任官としたことで、八等・九等に奏任と判任が混在することになる[21]。 また、1873年(明治6年)6月14日に中尉・少尉は奏任であることを理由に、官等表にこだわらず諸判任官の上席とした[22]

陸海軍資のためとして1874年(明治7年)から家禄税[23] [注釈 2]とともに官禄税[24]を設けており、陸海軍武官等を除いて[25]奏任官月俸100円以上は20分の1の割合とした[注釈 3]

1877年(明治10年)1月太政官制・官等17等[編集]

1877年(明治10年)1月に官制の簡素化を図り、各省の諸寮及び大少丞以下を廃止して奏任官の官名を書記官とし、四等官は大書記官とし、五等官は権大書記官とし、六等官は少書記官とし、七等官は権少書記官とした[26]。 このころから陸海軍の中尉・少尉等を先例として他の省や大審院にも八等・九等の奏任官を置き始め、司法省は奏任の判事・検事を四等官相当から九等官相当までとし[27]内務省警視局の大警部は八等、権大警部は九等として以上を奏任とした[28]

このときに勅任官以上の禄税をすべて2割に増加しており[26] [注釈 4]、奏任官の官禄税は従前の通りとしたが[29]、六等以上の奏任文官の月俸は従前の1等下に、七等の奏任文官の月俸は従前の七等と八等の間にそれぞれ減額して[18] [30]、等級改定後の八等の文官の月俸は従前の八等と九等の間の額とし、九等は従前と同額とした[18] [30]

1878年(明治11年)12月に官禄税を廃止して奏任官の俸給を元の水準に戻した[31]。ただし、八等の月俸に上等給・下等給を設けて、上等給は明治10年改定の七等と明治10年改定前の八等の間の額とし、下等給は明治10年改定の八等の額とした[18] [30] [31]

1883年(明治16年)1月4日に叙勲条例を定め、奏任官の初叙は勲六等とし、奏任官は勲三等まで進むことができるが、ただし七等官並びに七等相当官以下は勲三等に進むことができないとした[32]

1885年(明治18年)7月28日に叙勲条例を改正し、奏任官の初叙は勲六等とし、奏任官は勲三等まで進むことができるが、ただし六・七等官並びにその相当官は勲三等に進むことができず、八・九等官並びにその相当官は勲四等に進むことができないとした[33]

高等官としての奏任官[編集]

1886年(明治19年)3月高等官官等俸給令・奏任6等[編集]

1885年(明治18年)12月22日に内閣職権を定めて太政官制から内閣制に転換した後、1886年(明治19年)2月26日の各省官制通則(明治19年勅令第2号)を定め各省大臣は所部の官吏を統督し奏任官以上の採用・離職は内閣総理大臣を経てこれを上奏するとし、各省大臣は閣議の後に裁可を経るのでなければ定限の他新たに勅奏任官を増加することはできないとした[34]。 同年3月12日に高等官官等俸給令(明治19年勅令第6号)を定めて高等官を勅任官と奏任官に分け、奏任官を6等に分けた[35]。 奏任官の任官は内閣総理大臣がこれを奏薦し、各省に属するものは内閣総理大臣を経由して主任の大臣がこれを奏薦するとした[35]。 奏任官の辞令書は内閣の印を押し内閣総理大臣が宣行するとした[35]。 奏任官の文官の年俸については、奏任官一等から奏任官四等までの上級俸は、それぞれ従前の四等官から七等官までの月俸12か月分と同額、奏任官五等の上級俸は従前の八等官の月俸上等給12か月分と同額、奏任官六等の上級俸は従前の九等官の月俸12か月分と同額である[30] [31] [36]。 奏任官の武官の官等については、陸海軍大佐は奏任一等、中佐は奏任二等、少佐は奏任三等、大尉は奏任四等、中尉は奏任五等、少尉は奏任六等とし、佐尉官の相当官もまた同じとした[37]

太政官制の下では勅任官・奏任官・判任官は同じ官等の枠組みの中にこれを充てており、八等・九等は奏任と判任が混在して[21]、席次は官等に拘らず奏任官を上とする[22]など複雑化していたところ、このとき高等官官等俸給令(明治19年勅令第6号)[35]と判任官官等俸給令(明治9年勅令第36号)[38]を別に定めることで、高等官と判任官は別の官等の枠組みをそれぞれ用いることになった。

1887年(明治20年)に位階について叙位条例を定めたときの[39]叙位進階内規では奏任官の叙位は初任官後満3年で一等は従五位、二等は正六位、三等は従六位、四等は正七位、五等は従七位、六等は正八位に叙すとし、奏任官の極位は正四位とした[40]。なお非職の奏任官又は奏任の待遇を受ける者は叙位若しくは進階することはないとした[41]1888年(明治21年)に勲章について叙勲条例並びに附則を廃止して文武官叙勲内則を定めたときの規定では、奏任官の初叙は勲六等とし、奏任官一等・二等は勲三等まで進級するとし、三等・四等は勲四等まで進級するとし、五等・六等は勲五等まで進級するとした[42]

1891年(明治24年)7月高等官任命及俸給令・官等廃止[編集]

1889年(明治22年)2月11日に大日本帝国憲法を発布すると、同年12月24日に内閣官制(明治22年勅令第135号)を定め、地方長官の任命及び採用・離職は閣議を経ることになる[43]。同年12月27日に各省官制通則を改正し、各省大臣は所部の官吏を統督し奏任官以上の採用・離職はこれを奏薦宣行するとし、地方高等官については府県書記官、警部長、島司郡長の採用・離職は内務大臣、収税長の採用・離職は大蔵大臣がこれを奏薦宣行するとした[44]

1890年(明治23年)11月29日に施行した大日本帝国憲法の下で、1891年(明治24年)7月24日に高等官任命及俸給令(明治24年勅令第82号)を定めて従前の高等官官等俸給令(明治19年勅令第6号)を廃止する[45]。文武官の官等を廃止しているが、高等官の任命については勅任官と奏任官に分けることには変更なく、奏任官の辞令書は内閣に属する者は内閣の印を押し内閣総理大臣がこれを宣行し、各省に属するものは省印を押し主任大臣ががこれを宣行するとした[46] [47]。 俸給については従前の官等に応じた等級俸から職給俸に改めたことから、初任奏任官に支給する俸給額の上限や、1か年内における昇級回数の制限、一度に昇級できる級数の制限などを内規で定めた[48]

1891年(明治24年)11月文武高等官官職等級表・等級10等[編集]

同年11月14日に文武高等官官職等級表(明治24年勅令第215号)を定めて高等官の官職を10等の等級に分け、奏任は四等から十等までとした[49]。 この高等官の官職の等級は叙位進階内則では叙位の規準として用いられ、四等官の初叙は従五位相当とし、五等官の初叙は正六位相当とし、六等官の初叙は従六位相当とし、七等官の初叙は正七位相当とし、八等官の初叙は従七位相当とし、九等官の初叙は正八位相当とし、十等官の初叙位は従八位相当とし、相当位以上2階を極位とした[50]。なお奏任官待遇で満7年以上の勤労がある者は、特に従六位以下に叙せられることもあるとした[51]。 また、叙勲内則でも叙勲の規準として用いられ、奏任の官職の初叙は勲六等とし、陸海軍大佐並びに相当官・文官高等官四等、中佐並びに相当官・文官五等は勲三等まで進級するとし、少佐並びに相当官・文官六等、大尉並びに相当官・文官七等は勲四等まで進級するとし、中尉並びに相当官・文官八等、少尉並びに相当官・文官九等は勲五等まで進級するとし、文官十等は勲六等に止まるとした[52]。 しかし、高等官任命及俸給令(明治24年勅令第82号)で官等を廃止したため、等級を定めるにあたっては俸給だけを基準にせざるを得ず本来の精神は却って失われることになる[53]

1892年(明治25年)11月高等官官等俸給令・官等9等[編集]

1892年(明治25年)11月12日に高等官官等俸給令(明治25年勅令第96号)で再び官等を定めて、従前の高等官任命及俸給令(明治24年勅令第82号)及び文武高等官官職等級表(明治24年勅令第215号)を廃止した[54]。 親任式を以って任ずる官を除き他の高等官を9等に分けて三等官から九等官までを奏任官とし、奏任官の任官及び昇叙は内閣総理大臣がこれを奏薦し各省及び各省所属の官庁に属するものは内閣総理大臣を経由して主任大臣がこれを奏薦するとし、奏任官の辞令書は内閣の印を押し内閣総理大臣が宣行するとした[55]。 官等と俸給とはその基準は必ずしも同じではないことから、高等官官等俸給令(明治25年勅令第96号)では官等・俸給は各自その当然の基準によって発達させることを目的として、俸給に於いては明治24年の制度を受け継ぎ官等に於いては明治24年の改革以前の官制を基準にした[53]。 これに伴い、文武官叙位進階内則を改定して官等を叙位の規準とし、三等官の初叙は従五位相当とし、四等官の初叙は正六位相当とし、五等官の初叙は従六位相当とし、六等官の初叙は正七位相当とし、七等官の初叙は従七位相当とし、八等官の初叙は正八位相当とし、九等官の初叙は従八位相当とし、相当位より昇叙2階を極位とした[56]。 叙勲内則を改定して官等を叙勲の規準とし、奏任官の初叙は勲六等とし、陸海軍大佐並びに相当官・高等官三等、中佐並びに相当官・高等官四等は勲三等まで進級するとし、少佐並びに相当官・高等官五等、大尉並びに相当官・高等官六等は勲四等まで進級するとし、中尉並びに相当官・高等官七等、少尉並びに相当官・高等官八等は勲五等まで進級するとし、高等官九等は勲六等に止まるとした[57]

1900年(明治33年)に文武官叙位進階内則を改定し、三等官の初叙は従五位、極位は正四位とし、四等官の初叙は正六位、極位は従四位とし、五等官の初叙は従六位、極位は正五位とし、六等官の初叙は正七位、極位は従五位とし、七等官の初叙は従七位、極位は正六位とし、八等官・九等官とも初叙は正八位、極位は従六位とした[58] [注釈 5]

1945年(昭和20年)の敗戦の後、1946年(昭和21年)4月1日に官吏任用叙級令(昭和21年勅令第190号[60])を公布・施行したときに、高等官官等俸給令の廃止等が行われ「奏任官」を「二級官吏」に改めた[2]

大日本帝国憲法の下における奏任官[編集]

文官[編集]

文官は採用形態や勤続期間、職務により分類は多岐に亘る。判任官から昇進する者もいれば、高等文官試験に合格して採用されたキャリア組もいた。技官では、奏任官は技師と呼ばれており、主に判任官である技手から昇任した者、帝国大学を卒業したものが任じられた。

文官の場合、どの役職が高等官何等に相当するかといった基準がはっきりとしていないことも多い。そのため、軍人のように官等と役職を完全に対応させることは難しいが、明治から戦中までの官記(任命書)などから調べると、各等級に相当する役職は大まかには以下のようになる(ただし、奏任官二等の事務官や技師、勅任官の府県部長が存在するなど、以下に当てはまらない事例も少なからずあるため、注意が必要である)。

奏任官一等…各省課長/参事官/書記官師範学校長、大学教授、府県部長など

奏任官二等…各省書記官/理事官、大学教授、府県部長など

奏任官三等…各省理事官/事務官、各省技師、大学教授、府県理事官、中学校長、中央郵便局長など

奏任官四等…各省事務官、各省技師、中学校長、大学助教授、大規模郵便局長など

奏任官五等…各省事務官、各省技師、警視、中学校教諭、大学助教授、府県課長、府県技師、郡長など

奏任官六等…府県技師、府県視学、中学校教諭、警察署長など

奏任官待遇…小学校長など

武官[編集]

武官大佐から少尉までの士官に相当した。それぞれ階級ごとに、大佐は奏任官一等(高等官三等)に、少尉は奏任官六等(高等官八等)に相当するものとされた。少尉に任官する者は、概ね次の者であった(公務中の死亡による昇進を除く)。

  1. 士官学校兵学校を卒業して所定の期間を経過した者
  2. 下士官(判任官)・から昇任した者
    1. 陸軍:少尉候補生として一定の期間を経過した者
    2. 海軍:兵から昇進してきた者で、階級は通常「特務」を付けて「特務少尉」と呼んだ。
  3. 幹部候補生制度ができてからは、甲種幹部候補生の教育を修了して一定期間を経過した者

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 勅授・奏授・判授と勅任・奏任・判任がどちらも使用されていたが、1875年(明治8年)3月14日に勅授・奏授・判授の廃止を決めた[5]
  2. ^ 家禄税については秩禄処分も参照。
  3. ^ 明治六年政変の後、1874年(明治7年)には佐賀の乱台湾出兵が起きた。
  4. ^ 1876年(明治9年)には神風連の乱秋月の乱萩の乱など士族反乱が続き、1877年(明治10年)1月には西南戦争が起きた。
  5. ^ この改正はその頃の任用上の結果として高位濫授の誹りを免れぬものがありこれらの弊はこの上なくこれを矯正しないわけにはいかないため、親任官以下初叙の位階を更正するとした[59]

出典[編集]

  1. ^ 「御署名原本・明治十九年・勅令第六号・高等官官等俸給令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020001000、御署名原本・明治十九年・勅令第六号・高等官官等俸給令(国立公文書館)
  2. ^ a b JACAR:A04017814600(第2画像目から第3画像目まで、第7画像目)
  3. ^ 清原夏野「令義解 10巻. [4]」(第3コマ目)
  4. ^ MinShig (2000年3月26日). “任官条”. 官制大観 律令官制下の官職に関わるリファレンス Ver.0.8. 現代語訳「養老律令」. 2022年11月11日閲覧。
  5. ^ 「授任勅奏判ノ区別己巳七月両度達ノ内前ノ分廃止」国立公文書館、請求番号:太00229100、件名番号:002、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第七巻・制度七・爵位
  6. ^ 「始メテ勅奏判ヲ分チ宣旨押印ノ制ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070093800、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十五巻・官制・文官職制一(国立公文書館)
  7. ^ 「政体書ヲ頒ツ」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070093500、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十五巻・官制・文官職制一(国立公文書館)(第8画像目)
  8. ^ 「月給規則ヲ定メ関東平定マテ其幾分ヲ減額ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15071154300、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百五十九巻・理財・官給一(国立公文書館)
  9. ^ a b 内閣官報局 編「第622 職員令並官位相当表(明治2年7月8日)」 『法令全書』 明治2年、内閣官報局、東京、1912年10月、263頁。 
  10. ^ 「勅奏判任ノ区別ヲ定メ判任ハ其長官之ヲ授ケ位階ハ太政官之ヲ賜フ」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070026900、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第五巻・制度・出版・爵位(国立公文書館)
  11. ^ 「官禄定則ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15071156000、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百五十九巻・理財・官給一(国立公文書館)
  12. ^ 「官制改正官位相当表ニ依リ官禄ヲ賜フ」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15071156100、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百五十九巻・理財・官給一(国立公文書館)
  13. ^ 「詔シテ藩ヲ廃シ県ヲ置キ政令多岐ノ憂ナカラシム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070001100、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第一巻・制度・詔勅・臨御親裁・禁令・布令掲示(国立公文書館)
  14. ^ a b 「太政官中官制ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070099700、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十五巻・官制・文官職制一(国立公文書館)(第3画像目)
  15. ^ 「諸省卿開拓長官ニ委任ノ条件ヲ示ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070095000、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十五巻・官制・文官職制一(国立公文書館)
  16. ^ a b 国立公文書館、請求番号:太00236100、件名番号:001(第1画像目から第2画像目まで)
  17. ^ 「兵部省官等改定・二条」国立公文書館 、請求番号:太00424100、件名番号:001、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百二巻・兵制一・武官職制一(第2画像目)
  18. ^ a b c d 国立公文書館、請求番号:太00530100、件名番号:002(第1画像目から第5画像目まで)
  19. ^ 「陸海軍武官官等表改正・二条」国立公文書館、請求番号:太00424100、件名番号:004、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百二巻・兵制一・武官職制一
  20. ^ 「太政官御沙汰書 太政官達 武官々等表改定の事」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09111782900、公文類纂 明治6年 巻23 本省公文 図書部(防衛省防衛研究所)
  21. ^ a b 「陸海軍中少尉ヲ奏任官トス」国立公文書館、請求番号:太00424100、件名番号:005、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百二巻・兵制一・武官職制一
  22. ^ a b 「陸海軍中少尉奏任ト定メラルヽヲ以テ諸判任官ノ上席トス」国立公文書館、請求番号:太00429100、件名番号:002、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百七巻・兵制六・武官職制六
  23. ^ 「家禄税ヲ設ク」国立公文書館、請求番号:太00502100、件名番号:026、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百七十九巻・租税九・雑税一
  24. ^ 「官禄税ヲ設」国立公文書館、請求番号:太00502100、件名番号:013、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百七十九巻・租税九・雑税一
  25. ^ 「陸海軍武官及海軍乗艦文官ハ官禄税ヲ賦セス」国立公文書館、請求番号:太00502100、件名番号:016、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百七十九巻・租税九・雑税一
  26. ^ a b 「各省中諸寮及大少丞以下ヲ廃シ書記官属官等給ヲ定ム・附勅任官禄税ノ事」国立公文書館、請求番号:太00236100、件名番号:008、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第十四巻・官制一・文官職制一
  27. ^ 「判事検事官等及席順俸給改定・三条席順ノ事任免ノ席順文書宣旨ノ部類ヲ参見スヘシ」国立公文書館、請求番号:太00239100、件名番号:031、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第十七巻・官制四・文官職制四
  28. ^ 「警部官等改定」国立公文書館、請求番号:太00237100、件名番号:034、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第十五巻・官制二・文官職制二
  29. ^ 「等級月俸改正ニ付奏任官禄税徴収方」国立公文書館、請求番号:太00502100、件名番号:015、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百七十九巻・租税九・雑税一
  30. ^ a b c d 「四等官以下等級改定」国立公文書館、請求番号:太00236100、件名番号:003、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第十四巻・官制一・文官職制一
  31. ^ a b c 「官禄税ヲ廃ス及文官四等以下俸給ヲ定ム」国立公文書館、請求番号:太00676100、件名番号:001、太政類典・第三編・明治十一年~明治十二年・第七十一巻・理財・官給一
  32. ^ 「叙勲条例制定・二条」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15110402100、公文類聚・第七編・明治十六年・第四巻・儀制・朝儀~音楽、族爵一・種族・爵位・勲等(国立公文書館)(第1画像目から第2画像目まで)
  33. ^ 「叙勲条例及同附録中改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111017100、公文類聚・第九編・明治十八年・第三巻・族爵・種族~勲等、宮廷・内廷~行幸、賞恤・旌表~賑恤(国立公文書館)(第1画像目から第2画像目まで)
  34. ^ 「各省ノ官制通則ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111077600、公文類聚・第十編・明治十九年・第二巻・官職一・官職総、官職二・職制章程第一(国立公文書館)(第5画像目)
  35. ^ a b c d JACAR:A15111088500(第3画像目から第4画像目まで)
  36. ^ JACAR:A15111088500(第7画像目)
  37. ^ 「陸軍海軍武官ノ官等ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)JACAR:A15111135300、公文類聚・第十編・明治十九年・第十二巻・兵制一・兵制総・陸海軍官制一(国立公文書館)
  38. ^ 「判任官官等俸給ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111089100、公文類聚・第十編・明治十九年・第四巻・官職三・官等俸給(国立公文書館)
  39. ^ 「叙位条例ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111286000、公文類聚・第十一編・明治二十年・第六巻・儀制門・朝儀・礼式・服制・徽章、族爵門・種族・爵位・勲等(国立公文書館)
  40. ^ JACAR:A15111286100(第4画像目から第5画像目まで)
  41. ^ JACAR:A15111286100(第5画像目)
  42. ^ 「叙勲条例並ニ附則ヲ廃シ文武官叙勲内則ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111493500、公文類聚・第十二編・明治二十一年・第六巻・儀制・朝儀・礼式・服制・徽章、族爵・種族・爵位・勲等(国立公文書館)(第7画像目から第8画像目まで、第20画像目、第36画像目、第48画像目)
  43. ^ 「内閣官制ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111667400、公文類聚・第十三編・明治二十二年・第二巻・官職一・職制章程(国立公文書館)(第8画像目)
  44. ^ 「各省官制通則第十二条ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111668700、公文類聚・第十三編・明治二十二年・第二巻・官職一・職制章程(国立公文書館)
  45. ^ JACAR:A15112241100
  46. ^ JACAR:A15112241100(第1画像目から第2画像目まで)
  47. ^ JACAR:A15112241300(第3画像目)
  48. ^ 「官吏進級内規ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112260400、公文類聚・第十五編・明治二十四年・第十一巻・官職七・任免~会計検査院(国立公文書館)
  49. ^ 「御署名原本・明治二十四年・勅令第二百十五号・文武高等官官職等級表」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020114700、御署名原本・明治二十四年・勅令第二百十五号・文武高等官官職等級表(国立公文書館)
  50. ^ JACAR:A15112272000(第3画像目から第4画像目まで、第6画像目から第7画像目まで)
  51. ^ JACAR:A15112272000(第4画像目)
  52. ^ 「叙勲内則ヲ定メラル附叙勲内則取扱手続ヲ更定ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112451900、公文類聚・第十六編・明治二十五年・第十四巻・族爵・族制・爵位・勲等(国立公文書館)(第5画像目から第9画像目まで、第17画像目、第21画像目から第23画像目まで、第29画像目)
  53. ^ a b JACAR:A15112439800(第1画像目から第3画像目まで)
  54. ^ JACAR:A15112439800
  55. ^ JACAR:A15112439800(第5画像目から第6画像目まで)
  56. ^ 「文武官叙位進階内則ヲ改定セラル」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112451700、公文類聚・第十六編・明治二十五年・第十四巻・族爵・族制・爵位・勲等(国立公文書館)(第4画像目から第5画像目まで、第7画像目から第8画像目まで)
  57. ^ 「叙勲内則ヲ改定セラル」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112452200、公文類聚・第十六編・明治二十五年・第十四巻・族爵・族制・爵位・勲等(国立公文書館)(第5画像目から第10画像目まで、第20画像目から第21画像目まで、第36画像目から第38画像目まで、第44画像目)
  58. ^ JACAR:A15113342600(第5画像目、第10画像目)
  59. ^ JACAR:A15113342600(第4画像目)
  60. ^ 「御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九〇号・官吏任用叙級令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017814300、御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九〇号・官吏任用叙級令(国立公文書館)(第2画像目)

参考文献[編集]

  • 「官制等級改定」国立公文書館、請求番号:太00236100、件名番号:001、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第十四巻・官制一・文官職制一
  • 「官禄ヲ月給ニ改定定則ヲ立並定則中改正・二条」国立公文書館、請求番号:太00530100、件名番号:002、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第三百七巻・理財二十七・官給一
  • 「高等官官等俸給ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111088500、公文類聚・第十編・明治十九年・第四巻・官職三・官等俸給(国立公文書館)
  • 「叙位進階内規ヲ定ムニ依リ内閣総理大臣ヲ経テ上奏セシム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111286100、公文類聚・第十一編・明治二十年・第六巻・儀制門・朝儀・礼式・服制・徽章、族爵門・種族・爵位・勲等(国立公文書館)
  • 「高等官任命及俸給令ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112241100、公文類聚・第十五編・明治二十四年・第七巻・官職三・官制三(官等俸給及給与一~大蔵省)(国立公文書館)
  • 「文武高等官々職等級表ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112241300、公文類聚・第十五編・明治二十四年・第七巻・官職三・官制三(官等俸給及給与一~大蔵省)(国立公文書館)
  • 「叙位進階内則ヲ定メラル」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112272000、公文類聚・第十五編・明治二十四年・第十三巻・族爵・爵位・勲等・雑載(国立公文書館)
  • 「高等官々等俸給令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112439800、公文類聚・第十六編・明治二十五年・第九巻・官職三・官制三(官等俸給及給与一~陸軍省)(国立公文書館)
  • 「文武官叙位進階内則ヲ改定セラル」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15113342600、公文類聚・第二十四編・明治三十三年・第十二巻・族爵・爵位・勲等、儀典・儀礼・服制徽章(国立公文書館)
  • 「御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九三号・官吏任用叙級令施行等ニ伴フ高等官官等俸給令ノ廃止等ニ関スル件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017814600、御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九三号・官吏任用叙級令施行等ニ伴フ高等官官等俸給令ノ廃止等ニ関スル件(国立公文書館)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 「御署名原本・明治十九年・勅令第六号・高等官官等俸給令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020001000、御署名原本・明治十九年・勅令第六号・高等官官等俸給令(国立公文書館)(JACAR:A03020001000
  • 「御署名原本・明治二十四年・勅令第八十二号・高等官任命及俸給令制定高等官官等俸給令廃止」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020101400、御署名原本・明治二十四年・勅令第八十二号・高等官任命及俸給令制定高等官官等俸給令廃止(国立公文書館)(JACAR:A03020101400
  • 「御署名原本・明治二十四年・勅令第二百十五号・文武高等官官職等級表」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020114700、御署名原本・明治二十四年・勅令第二百十五号・文武高等官官職等級表(国立公文書館)(JACAR:A03020114700
  • 「御署名原本・明治二十五年・勅令第九十六号・高等官官等俸給令制定高等官任命及俸給令、文武高等官官職等級表廃止」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020130600、御署名原本・明治二十五年・勅令第九十六号・高等官官等俸給令制定高等官任命及俸給令、文武高等官官職等級表廃止(国立公文書館)(JACAR:A03020130600
  • 「御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九〇号・官吏任用叙級令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017814300、御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九〇号・官吏任用叙級令(国立公文書館)(JACAR:A04017814300
  • 「御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九一号・親任官及諸官級別令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017814400、御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九一号・親任官及諸官級別令(国立公文書館)(JACAR:A04017814400