己が罪

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己が罪』(おのがつみ)は、菊池幽芳家庭小説である。1899年(明治32年)、大阪毎日新聞に発表。

のちに子爵夫人となる女性主人公・箕輪環の薄幸の人生を描く。新派劇としてしばしば脚色、上演された。初演は1900年(明治33年)大阪・朝日座喜多村緑郎(桜戸子爵役)、河合武雄(環役、女形)らが出演した。その後、のべ20回も映画化されている。⇒ #映画化された一覧

映画化された一覧[編集]

1908年版[編集]

己が罪
己が罪 続編
己が罪 続
監督 不在
原作 菊池幽芳
出演者 中野信近 一座
撮影 千葉吉蔵
製作会社 吉沢商店
配給 吉沢商店
公開 日本の旗 1908年11月(正)
日本の旗 1908年12月10日(続編)
日本の旗 1909年1月5日(続)
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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己が罪』(おのがつみ)は、1908年(明治41年)製作・公開、吉沢商店製作・配給による日本のサイレント映画女性映画である。監督・脚本等は不明である。吉沢商店は、現在の日活の前身の一社である。2作の続編が製作・公開された。初の野外ロケーション撮影(出写し)を行ったことで知られる作品である[1]。同年10月、主演の中野信近の別荘がある神奈川県片瀬、および江ノ島で撮影は行われた[1]。当時の吉沢商店では「演出家」(映画監督)は存在していなかった[1]

スタッフ・作品データ・キャスト[編集]

1919年版[編集]

己が罪
監督 田中栄三
原作 菊池幽芳
出演者 藤野秀夫
東猛夫
衣笠貞之助
製作会社 日活向島撮影所
配給 日活
公開 日本の旗 1919年11月20日
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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己が罪』(おのがつみ)は、1919年(大正8年)製作・公開、田中栄三監督による日本の日本のサイレント映画、女性映画である。当時の日活向島撮影所では、現代劇新派、つまり女性役については、女優ではなく女形が演じていた。東猛夫衣笠貞之助五月操は女形である。高勢実はのちの喜劇役者・高勢実乗であるが、当時はクセの強い悪役俳優であった。

スタッフ・作品データ[編集]

キャスト[編集]

1926年版[編集]

新説己が罪
監督 溝口健二
脚本 畑本秋一
出演者 砂田駒子
南光明
撮影 松沢又男
製作会社 日活大将軍撮影所
配給 日活
公開 日本の旗 1926年4月1日
上映時間 100分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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新説己が罪』(しんせつおのがつみ)は、1926年(大正15年)製作・公開、溝口健二監督による日本の日本のサイレント映画、女性映画である。フィルムは現存していないとみられる。

スタッフ・作品データ[編集]

キャスト[編集]

1956年版[編集]

新己が罪
監督 毛利正樹
脚本 杉本彰
原作 菊池幽芳
製作総指揮 岡本良介
出演者 乙羽信子
高田稔
音楽 渡辺浦人
撮影 鈴木博
製作会社 新東宝
配給 新東宝
公開 日本の旗 1956年10月9日
上映時間 92分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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新己が罪』(しんおのがつみ)は、1956年(昭和31年)製作・公開、毛利正樹監督による日本のトーキー、女性映画である。監督昇進前の赤坂長義がチーフ助監督を務めている。

スタッフ・作品データ[編集]

キャスト[編集]

ストーリー[編集]

東京。箕輪環(乙羽信子)は、医学士・塚口虔三(中山昭二)とお互いに愛し合っていた。少なくとも環はそう信じていた。塚口がアメリカへ留学することになり、その前の思い出として、塚口の親戚の小夜子(真山くみ子)を加えた3人で、小旅行をすることにした。夜、小夜子に電報が届き、急用で一人帰らざるを得なくなった。やがて環は妊娠する。塚口は、小夜子と相談し、表面上の結婚式を挙げ、結婚生活を送ることとなった。なぜそれが表面上か。環が塚口がまだ借りている部屋を訪れたとき、塚口には、許婚の島子(江畑絢子)がいて、同棲していたのである。環は自殺を図る。

環は、バーのマダム野崎歌子(相馬千恵子)に救われ、歌子の助力もあって、無事に出産する。千葉県の房総にある実家から、父の伝蔵が訪ねてきた。地元の豪農・桜戸隆弘(高田稔)との縁談があるという。歌子は伝蔵と相談し、環の生んだ子は実家に預け、環は結婚することとなった。

桜戸との間に、正弘(鈴木昭)が生まれ、やがて育ち、環は幸福だった。家族で旅行に出かけた先で、正弘が病気を患い、病院へ行くと、そこで診療を行っていたのは、塚口であった。塚口は、再会を機に環に迫る。環は正弘とともに、実家のある房総へ保養に出かけた。地元の漁師の子・玉太郎(上野稔)とすっかり仲良くなった正弘。しかし突然の波が正弘を襲った。正弘は波に呑まれ、助けようとした玉太郎もまた、波に呑まれてしまうのだった。

お作(千石規子)は、玉太郎の育ての母であった。お作は、玉太郎は環の子であるという事実を告げる。環は、玉太郎の遺体に泣き崩れる。

[編集]

  1. ^ a b c d 『日本映画発達史 1 活動写真時代』、田中純一郎中央公論社、1968年、p.136-139。

外部リンク[編集]

1908年版
1919年版
1926年版
1956年版