浅香光代
あさか みつよ 浅香 光代 | |
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![]() 田口二州 著『占いのデパート』(1955年、明玄書房)より | |
本名 | 北岡 昭子 |
生年月日 | 1928年2月20日 |
没年月日 | 2020年12月13日(92歳没) |
出身地 |
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死没地 |
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民族 | 日本人 |
血液型 | B型 |
ジャンル | 女優 |
活動期間 | 1937年 - 2020年 |
配偶者 | 世志凡太(事実婚) |
浅香 光代(あさか みつよ、本名;北岡 昭子<きたおか しょうこ>、1928年2月20日[1] - 2020年12月13日[2])は、日本の剣劇女優。東京府東京市神田区(現:東京都千代田区神田)出身。身長163.5cm、体重55kg。血液型はB型。
来歴[編集]
1937年、9歳のときに、映画界で活躍していた浅香新八郎、森静子らの舞台劇団「新生国民座」の門戸を叩き、座長から芸名「浅香光代」を贈られた。1944年に座長の浅香新八郎が急逝し、森静子の意向から新生国民座は解散した。亡くなった座長から覚えめでたい存在だった浅香は担ぎ上げられる格好で「浅香光代一座」を発足させた[3]。新劇団は以前からのプログラム演目に中堅看板役者達を引き継いだものの、知名度の無い劇団の人気は結団暫く低迷していたが、戦局悪化で曖昧な規制対象にされていた女剣劇の復活に携わると、たちまち人々の話題にのぼった。
浅香光代一座はやがて浅草や新宿などの芝居小屋で専属など長期興行を張る中堅人気劇団へ成長した。一座にはのちにてんぷくトリオで有名になる戸塚睦夫・三波伸介などが在籍しており[4]、その幕間には玉川良一らが客演していた。
1970年(昭和45年)には一座を解散[5]。以後は一女優となり、劇の他にテレビのレポーターなどでも活躍した[6]。
2010年5月3日、プロレス団体「MAP」の旗揚げ戦に参戦し、高山善廣と対戦した[7]。
2013年、週刊誌上にて19歳のときに30歳以上年上の妻子持ちの政治家との間に子を妊娠し、未婚のまま息子を2人出産したことを告白した。その後の2014年1月にも、雑誌(『婦人公論』2014年2月7日号)にて20代で出産した隠し子がいることを公表した。子の父親は既婚者の政治家で総理大臣、副総理を歴任した人物(故人)であり、子に対しても名を明かしていないという。
2018年、2月20日で90歳になり5月11日都内のホテルで卒寿を祝う会を行いお祝いに駆けつけた萩本欽一、山東昭子、深谷隆司、亀井静香ら約300人を前に「浅香光代、これからも頑張ります」としっかりとした元気な声であいさつした[8]。
2020年12月13日午前1時47分、入院先の東京都内の病院にてすい臓がんのため92歳で死去[9][2]。
生前最後のテレビ出演は2020年12月22日に放送された「アナザーストーリーズ『阿部定事件 〜昭和を生きた妖婦の素顔〜』」(NHK BSプレミアム)。収録は10月8日、生前の阿部定を知る人物として証言した[10]。
人物[編集]
自身の殺陣に絶対の自信を持ち、番組企画等でお笑いタレント等に殺陣や演技指導するという企画に参加することがあった。
野村沙知代に剣劇を教えたことで交流があり、舞台でも共演していたものの、『大沢悠里のゆうゆうワイド』の降板前最後の回(1999年3月31日)において、沙知代を批判をしたことがきっかけとなり、沙知代の逮捕(2001年12月)まで続くミッチー・サッチー騒動へと発展。連日に渡り民放各局のワイドショーで取り上げられたことにより、これまでの高年齢者にシフトしていた知名度が若い世代でも認知されるようになった。が、沙知代に対する名誉毀損で2004年に110万円の支払い命令を受けている[11]。
『大沢悠里のゆうゆうワイド』の水曜レギュラーを務めていた時代はオープニングに舞台での決め台詞である「御用だ!御用だ!!御用だ!!!お控えなすってぇ〜」がジングルコールとして使用されており、降板後も不定期で使用されている。
日本におけるチラリズムの先駆者でもあった。
松村邦洋のモノマネレパートリーの1人であり、必ず「あたしゃね!」で始まるのが特徴であった。
経歴[編集]
- 1937年(昭和12年):9歳で浅香新八郎、森静子に弟子入り。
- 1942年(昭和17年):14歳で浅香光代一座を組む。
- 1955年(昭和30年):大江美智子、不二洋子らと共に女剣劇全盛時代を創りあげる。
- 1970年(昭和45年):浅香光代一座を解散。
- 1979年(昭和54年):「演劇舞踊浅香流」を創始。多数の門弟の指導にあたっている。
- 2006年(平成18年):武蔵野学院大学日本総合研究所客員教授に就任。
- 2009年(平成21年):春の叙勲において旭日双光章を受ける。
- 2020年(令和2年):すい臓がんで死去。92歳没。
CD[編集]
映画[編集]
- 駿河遊侠伝 破れ太鼓(1964年、大映)
- やるぞみておれ為五郎(1971年、松竹)
- ダメおやじ(1973年、松竹)
- 新・女囚さそり 701号(1976年、東映)
- サチコの幸(1976年、日活)
- 六区慕情-浅草六区変遷史(1982年、中日映画社)
- 晴れ、ときどき殺人(1984年、東映)
- 北京的西瓜(1989年、松竹)
- 怖がる人々(1994年、松竹)
- 週刊バビロン(2000年、東映)
- デコトラの鷲 祭りばやし(2003年、オフィスサンヨー)
- ライフ・オン・ザ・ロングボード(2005年、オフィスキタ)
- I am 日本人(2006年、ギャガ・コミュニケーションズ)
テレビドラマ[編集]
- 人形佐七捕物帳 第20話「女難剣難」(1965年、NHK)
- 特別機動捜査隊(NET)
- ポーラテレビ小説(TBS)
- 加奈子(1975年 - 1976年) - おたか
- マリーの桜(1980年) - 常子
- ナショナルゴールデン劇場 七色とんがらし (1976年、NET) - 鮫島咲江
- 非情のライセンス 第2シリーズ 第81話「兇悪の暴走族」(1976年、NET) - 三田たつ
- ベルサイユのトラック姐ちゃん 第13話「女は捨て身で勝負する」(1976年、NET)
- 必殺シリーズ(ABC / 松竹)
- 必殺からくり人・血風編 第2話「非道にたてつく紅い刃」(1976年) - お梅
- 必殺仕事人 第67話「詣り技 暗闇丑の刻重ね斬り」(1980年) - お種
- あかんたれ(1978年、東海テレビ) - さくら楼の女将
- 探偵物語 第21話「欲望の迷路」(1980年、NTV) - 上野さわ
- 鬼平犯科帳 第3シリーズ 第18話「大川の隠居」(1982年、テレビ朝日 / 東宝) - 加賀屋の女将
- ロボット8ちゃん 第21話「やさしい?やさしい!鬼コーチ」(1982年、CX)
- 暴れん坊将軍シリーズ(ANB / 東映)
- 吉宗評判記 暴れん坊将軍 第195話「磯の香りはおっかあの味」(1982年) - おふさ
- 暴れん坊将軍III 第71話「大暴れ! 但馬のヤッサ神輿」(1989年) - お花
- 源九郎旅日記 葵の暴れん坊 第18話「望郷 三田尻 はぐれ鳥」(1982年、ANB / 東映) - おもん
- 魔拳!カンフーチェン(1983年、YTV) - さよ
- 激闘!カンフーチェン(1983年、YTV) - さよ
- ドラマ人間模様 / 空き缶ユートピア(1984年、NHK)
- 火曜サスペンス劇場 / 悪魔が忍び込む(1985年、 NTV)
- クセになりそな女たち(1987年、CX) ‐ 大田川舞
- さすらい刑事旅情編 第17話「潮騒内房線・花売り女の殺意」(1989年、ANB)
- 女流作家シリーズ「瞼の母殺人事件」(1989年、TX)
- 木曜ゴールデンドラマ / 姑・嫁vs嫁・姑 犬猿おんなの仲(1990年、YTV)
- 金曜ドラマシアター / おふくろに…喝采! (1992年、CX)
- 月曜ドラマスペシャル / 火の玉婦長さん物語4 (1994年、TBS)
- さむらい探偵事件簿 第7話「ゴッドマザーの罠」(1996年、NTV)
- 鏡は眠らない 第1話「風呂屋の後妻」(1997年、NHK)
- 火曜サスペンス劇場 / 海に埋めた時間 (2000年、FBS)
- フードファイト 第7話「あなたが僕のお母さん!? 涙のコロッケ対決」(2000年、NTV) - 井原聡子
- 金田一少年の事件簿 第3シリーズ 第6話「速水玲香誘拐殺人事件」(2001年、NTV) - 鏑木葉子
- 女ざかり!!区役所の名探偵2(2001年) ‐ 茂庭幸子
- ぼくが地球を救う 第8話「階段がないじゃん」(2002年、TBS)
- 怪談百物語 第3話「うば捨て山」(2002年、CX)
- 鉄板少女アカネ!! 第6話「秋の味覚! 松茸!! 最後の晩餐対決!!」(2006年、TBS)
ラジオ[編集]
- 大沢悠里のゆうゆうワイド (TBSラジオ) - パートナー、1994年〜1999年3月
バラエティ[編集]
- ライオンのいただきます(フジテレビ)
- めちゃ×2イケてるッ!(「世界一受けたくない!?授業」、2009年8月22日)(フジテレビ)
CM[編集]
著書[編集]
- 『女剣劇』学風書院 1958
- 『太りすぎよ、さようなら! 浅香式耳飾美容痩身法のすべて』ジェーアンドエー出版 1978
- 『手さぐりの幸せ』海竜社 1983
- 『斬って恋して五十年』東京新聞出版局 1991 日本図書センター 人間の記録 2000
- 『浅香光代の代謝復活ダイエット』泉書房 2008
脚注[編集]
- ^ プロフィールでは1931年2月20日、自伝『女剣劇』(学風書院、1958年、p.3)では昭和4年(1929年)となっている。
- ^ a b “浅香光代さん、死去 92歳、女剣劇で活躍”. 日刊スポーツ (2020年12月14日). 2020年12月14日閲覧。
- ^ 資料によって浅香光代一座結団時期と新生国民座活動期間について異なった表記がみられる。
- ^ 笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう (西条昇著・風塵社・2000年1月) ISBN 4938733765
- ^ 女剣劇 - コトバンク(2020年12月23日閲覧)
- ^ 森秀男『夢まぼろし女剣劇』(筑摩書房、1992年、p.222)
- ^ 浅香光代、魔性のスリーパー魅せた!/リング/デイリースポーツonline
- ^ 浅香光代90歳お祝い「つえでも舞台に」亀井静香氏日刊スポーツ、2018年5月11日
- ^ “浅香光代さんが死去 女剣劇スターとして活躍、「ミッチー・サッチー騒動」でも話題に”. Abema Times. (2020年12月14日) 2020年12月14日閲覧。
- ^ “浅香光代さん“昭和の妖婦”阿部定語る「女は弱い」”. 日刊スポーツ. (2020年12月22日)
- ^ あのくさ こればい! 第1181回(2021年1月23日閲覧)