カルティエ
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種類 | société anonyme |
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本社所在地 |
![]() パリ |
設立 | 1847年 |
業種 | その他製品 |
事業内容 | 宝飾・高級時計 |
関係する人物 | ルイ・フランソワ・カルティエ 創業者 |
外部リンク | www.cartier.com |

銀座のカルティエブティック(2008年11月30日撮影)
カルティエ(Cartier SA)は、フランスの高級宝飾ブランド。「Jeweller of kings , king of jewellers 王の宝石商、宝石商の王」(エドワード7世の言葉)と言われる名門ブランドである。
革製品、ライター、筆記用具なども扱っている。リシュモングループの傘下にある[1]。
1980年代後半まで日本市場では本国仏語発音に近い「カルチェ」と表示され呼ばれていたが、それ以降英語圏市場での発音に近い「カルティエ」に統一され現在に至っている。
歴史[編集]
- 1847年 - フランス人宝石細工師ルイ=フランソワ・カルティエ、師のアドルフ・ピカールからパリのモントルグイユ通り29番地(現在のパリ1区レ・アール地区のエティエンヌ・マルセル通り界隈)のジュエリー工房を受け継ぐ。
- 1853年 - パレ・ロワイヤルにほど近いヌーヴ・デ・プティ・シャン通り5番地(現在のパリ2区)に、個人顧客を対象としたジュエリーブティックを構える。
- 1859年 - パリ2区イタリアン大通り9番地に移転する。ウジェニー皇后が顧客となる。
- 1872年 - ルイ=フランソワ・カルティエ、息子のアルフレッド・カルティエを共同経営者に据える。
- 1898年 - アルフレッド・カルティエ、息子のルイ・カルティエを共同経営者にする。社名を「アルフレッド・カルティエ&フィス」に変更。
- 1898年 - ヴァンドーム広場北側のパリ2区ラ・ペ通り13番地へ移転。
- 1900年 - 長年の研究によりプラチナ使用によるガーランド様式が完成。
- 1902年 - ロンドンのニュー・バーリントン通り4番地(現在のウェストミンスター区)にロンドン支店を開店、ルイの弟ピエール・C・カルティエが経営を任される。
- 1904年 - 英国王エドワード7世およびスペイン国王アルフォンソ13世の御用達となる。ルイ=フランソワ・カルティエが死去。ルイ・カルティエがアルベルト・サントス・デュモンのためにレザーストラップの腕時計をデザインする。
- 1905年 - ポルトガル国王カルロス1世の御用達となる。
- 1906年 - ジャック・カルティエ、ロンドン支店の経営を引き継ぐ。ルイとピエールとで共同経営を開始、社名を「カルティエ・フレール(兄弟)」とする。「トノーウォッチ」を作製。
- 1907年 - ロシア皇帝ニコライ2世の御用達となる。
- 1908年 - シャム国王ラーマ5世の御用達となる。
- 1909年 - ロンドン支店がニュー・ボンド・ストリート175-176番地(現在のウェストミンスター区)に移転。ピエールがニューヨークのマンハッタン区5番街712番地にニューヨーク支店を開店。
- 1917年 - ピエールがモートン・F・プラント邸を最高級真珠の2連ネックレスと交換し、ニューヨーク支店を5番街653番地へ移す。
- 1921年 - のちのエドワード8世の御用達となる。
- 1925年 - アルフレッド・カルティエ死去。
- 1941年 - ジャック・カルティエ死去。
- 1942年 - ルイ・カルティエ死去。
- 1945年 - ピエール・C・カルティエがパリおよびニューヨークの経営責任者となる。ジャック・カルティエの息子ジャン=ジャック・カルティエがロンドンのカルティエを引き継ぐ。
- 1964年 - ピエール・C・カルティエ死去。
- 1974年 - 日本で初めてのブティックが東京原宿・パレフランス2階にオープンする。
- 1979年 - 事業再編成が行われ、カルティエ・パリ、カルティエ・ロンドン、カルティエ・ニューヨークの親会社として、カルティエ・モンドが設立される。ジョゼフ・カヌイがカルティエ・モンドの社長に任命される。
- 1984年 - パリ14区にカルティエ現代美術財団が設立される。
- 1993年 - リシュモンの傘下に入る。
- 2003年 - シャンゼリゼ大通り154番地にブティックを開店。
代表的製品[編集]
トリニティ・リング[編集]
愛を表すピンクゴールド、友情を表すホワイトゴールド、忠誠を表すイエローゴールドの3連リング。1920年代後半ジャン・コクトーが小指に2つ嵌めて有名になった。
ただしレイモン・ラディゲに贈るため「この世に存在しないリング」を作って欲しいと注文して製作されたものが最初である」という説は日本独特の都市伝説である[2]。
サントス・ウォッチ[編集]
アルベルト・サントス・デュモンから飛行中でも操縦桿から手を放さないで時計を見られるようにと依頼されて製作された。
世界最初の一般用量産腕時計として知られる。
タンク・ウォッチ[編集]
パリの解放を記念し、戦車の形状を模して製作された。
関連項目[編集]
- リンカーン (自動車) - タウンカーの最上級グレード「デザイナー・シリーズ」の内外装デザインをグッチ、ビル・ブラスやエミリオ・プッチなどと並び担当している。
- 谷口ジロー - 2007年度より欧州での広告活動に参加、カルティエの文化的取り組みを漫画で説明している。
- カルティエ現代美術財団 - 1984年に創設され、現在はパリ14区のラスパイユ大通りに位置する。
- エデンの花 - 主人公・みどりの兄・時緒がサンフランシスコで暮らしていた頃、5200米ドル(時緒と待ち合わせていたみどりが、ウインドーに展示されていた『パシャC』を見て、「58万!?」と驚く場面がある。)を貯めて買ったのがカルティエの『パシャC』。
- この時計は、みどりと時緒を繋ぐ宝物である。
- 吉岡徳仁 - 特別展「Story of…」カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶 (2009年)を監修。また、 巡回展「Cartier TIME ART」(2011年~)のアート・ディレクションにも携わる。
脚注[編集]
- ^ 川口マーン惠美『世界一豊かなスイスとそっくりな国ニッポン』講談社、2016年、61頁。ISBN 978-4-06-272965-9。
- ^ 三連リングの物語(仏文) コクトーがアイデアを出して作ってもらったものであり、2つ注文して一つは自分に、もう一つはレイモン・ラディゲのために購入したとあるので、架空の話ではないだろうし、少なくとも日本独特の話ではない。