14区 (パリ)

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パリ・14区の位置

パリ14区 (14く、14e arrondissement de Paris) は、フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである [1]。第14区、パリ14区ともいう。市の南部にあり、セーヌ川の南側に位置している。

概要[編集]

パリの14区は、13区とともに、市の南部にある行政区。「オプセルヴァトワール区 (Arrondissement de l'Observatoire)」と呼ばれることもある [2]セーヌ川の南の地域にある。南には、ペリフェリック (パリ環状道路)に沿う形で市の境界線が敷かれており、南東はヴァル=ド=マルヌ県に、南東以外はオー=ド=セーヌ県に接している。人口は、132,844人 (1999年。人口の推移等詳細については後述)。

区の名称は、市の中央部から時計回り螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその14番目にあたることから、「14区」と名づけられた。14区の北部を中心に、6区7区15区の一部にかけての地域はモンパルナスと呼ばれ [3]モンマルトルとともに"芸術の街"として世界的に名が知られており、高村光太郎藤田嗣治ら、日本人の芸術家たちも多く集まった [4]。また、区内には、パリ天文台モンスーリ公園モンパルナス墓地などがある。

地理[編集]

パリ・14区の観光概略図

14区は、13区とともに、パリ南部に位置している。セーヌ川の南の地域にある [5]。面積は、5.62 平方キロメートル。

北は、同じパリの行政区である6区に接しているが、北東の一部は5区に接している。南は、ペリフェリック (パリ環状道路)に沿う形でパリ市の境界線が敷かれ、ヴァル=ド=マルヌ県オー=ド=セーヌ県の各自治体、南東はジャンティイ、南はモンルージュ、南西はマラコフに接している。東は13区に接し、西は15区に接している。

隣接する自治体(行政区)[編集]

地区(カルチェ)[編集]

パリ・14区のカルチェ詳細図

パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。14区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。

住民[編集]

人口[編集]

14区の人口は、1954年に181,414人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年にはピーク時の7割程度の132,844人となった。2005年の推計では134,700人と見積もられており、人口の回復が見込まれている。

また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、ピーク時の7割程度の23,634人となっている。人口の推移の詳細は、次のとおりである。

区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考
1872年 69,611 1,851,792 3.76% 12,384 21,303
1954年 181,414 2,850,189 6.36% 32,274 32,788 人口がピークに達する。
1962年 178,149 2,790,091 6.39% 31,693 32,097
1968年 167,093 2,590,771 6.45% 29,727 29,804
1975年 149,137 2,299,830 6.48% 26,532 26,457
1982年 138,596 2,176,243 6.37% 24,657 25,035
1990年 136,574 2,152,423 6.35% 24,297 24,761
1999年 132,844 2,125,246 6.25% 23,634 24,449
2005年 134,700 2,166,200 6.22% 23,964 24,920 人口は推計。

歴史[編集]

政治・行政・司法[編集]

主な官公庁・公共機関[編集]

ラ・クーポール
ル・ドーム


経済[編集]

主な店舗・商業施設[編集]

安全[編集]

警察等[編集]

コシャン病院

健康・福祉[編集]

左はコシャン病院の裏側。奥に見えるドーム建築はパリ5区のNotre-Dame du Val-de-GrâceRue de la Santéから北を見る。
サンタンヌ中央病院。1651年、王妃アンヌ・ドートリッシュの寄附で造成された。

保健・医療[編集]

生活[編集]

上水道[編集]

墓地等[編集]

学術・研究[編集]

研究施設[編集]

教育[編集]

国際館、国際大学都市

その他[編集]

  • 国際大学都市 (シテ・アンテルナシオナル・ユニヴェルシテール・ド・パリ、Cité Internationale Universitaire de Paris
    • 大学等高等教育機関の各国学生・研究者向けの各国別学生寮ないし学生会館がある。

宿泊施設[編集]

主な宿泊施設[編集]

文化施設[編集]

美術館・博物館[編集]

映画館・劇場[編集]

宗教施設[編集]

サン=ピエール=ド=モンルージュ教会

教会・寺院[編集]

観光・憩い[編集]

建築[編集]

公園・緑地等[編集]

ダンフェール=ロシュロー広場

旧跡・記念碑等[編集]

交通[編集]

La rue du Départ à Paris, vue du coin de la rue d'Odessa. モンパルナス駅前、オデッサ通りとの角から見るデパール通り。背後にトゥール・モンパルナス
モンパルナス駅前(デパール通り, オデッサ通り付近)のレストラン「イポポタミュ (Hippopotamus) [11]
トゥール・モンパルナスからみるモンパルナス駅前。2012年11月

鉄道[編集]

高速道路・有料道路[編集]

モンパルナス大通り
同上
モンパルナス駅前から伸びるオデッサ通り (Rue d'Odessa)
フォーブール=サン=ジャック通り。コシャン病院
カンパーニュ・プルミエール通り31番地にあるアール・ヌーヴォー様式の建物
Avenue du Colonel-Henri-Rol-Tanguy。ダンフェール=ロシュロー広場のプラークには✕がつけられている。

道路[編集]

  • アラゴ大通りBoulevard Arago
    • 13区5区の境界線上を東西に走るサン=マルセル大通りが、5区と13区内中心部イタリー広場の間を南北に伸びるゴブラン大通りとの交差点で、下記区境を走るポール=ロワイヤル大通りとアラゴ大通りとに分岐し、アラゴは14区内中心部ダンフェール=ロシュロー広場 (カタコンブ・ド・パリ)まで東西に伸びてゆく。
  • アレジア通りRue d'Alésia
    • 14区内南側を東西に伸びる通り。
  • オプセルヴァトワール大通りAvenue de l'Observatoire
    • リュクサンブール庭園、グラン=エクスプロラトゥール・マルコ=ポーロ・エ・カブリエ=ド=ラ=サール庭園東側に沿って走るサン=ミッシェル大通りから引き続いて南北に伸びる通り。モンパルナス大通りと交差し14区内に入りパリ天文台界隈まで続く。
  • カンパーニュ=プルミエール通りRue Campagne-Première
    • 下記ラスパイユ大通りと下記モンパルナス大通りとを繋ぐ、著名な文化人らが多く居住した通り。ラスパイユ大通り側にメトロ ラスパイユ駅が最寄りのイヴ=クライン公園があり、モンパルナス大通り側では、パブロ=ピカソ広場(旧ヴァヴァン交差点)の東側先に接続する。
  • ゲテ通りRue de la Gaîté
  • サレット通りRue Sarrette
  • サン=ジャック大通りBoulevard Saint-Jacques
    • 14区内中心部ダンフェール=ロシュロー広場 (カタコンブ・ド・パリ)から区内を東側方向に走り、13区内でオーギュスト=ブランキ大通りと名を変え、途中ル・モンド社屋を横に見て、同区内中心部イタリー広場に辿り着く。反対に、ダンフェール=ロシュロー広場から西側へはフォワドゥヴォ通り (Rue Froidevaux) が走り、モンパルナス墓地南側沿いを抜け、モンパルナス駅南東界隈で南東に伸びる下記メーヌ大通りと交差する。アンリ・カルティエ・ブレッソン財団がある同交差点から西側へは、名を変えジャン=ザイ通りが同駅南側界隈にあるカタローニュ広場へ走り、その先、モンパルナス駅からの鉄道線路帯を越えると15区になる。
  • ジャン=ムーラン大通りAvenue Jean-Moulin
  • ジュールダン大通りBoulevard Jourdan
  • ジェネラル=ルクレール大通りAvenue du Général-Leclerc
  • ダゲール通りRue Daguerre
  • ダンフェール=ロシュロー大通りAvenue Denfert-Rochereau
    • カルチエ・ラタンを南北に伸びるサン=ミッシェル大通りから続くオプセルヴァトワール大通りと、東西に走るモンパルナス大通りとの交差点から、オプセルヴァトワール大通りに引き続いて14区内をダンフェール=ロシュロー広場(カタコンブ・ド・パリ)界隈まで南北に走る。
  • ディド通りRue Didot
  • デパール通りRue du Départ
    • 文字通り"出発通り"。モンパルナス駅前広場からモンパルナス駅東側を南北に縫うように走る通り。15区側駅西側は同様にアリヴェ通りが通るが、文字通り"到着通り"。
  • ドランブル通りRue Delambre
    • 東西に走るモンパルナス大通りと南北に走るラスパイユ大通りとの交差点付近が起点の通り。14区内を南西に走り、モンパルナス駅前から南東に伸びるオデッサ通り、モンパルナス"大通り"を起点に南北に伸びるモンパルナス"通り"のこれら2通りとモンパルナス墓地北側で交差する。
  • トンブ=イソワール通りRue de la Tombe-Issoire
  • ピエール=ド=クーベルタン大通りAvenue Pierre-de-Coubertin
  • フォーブール=サン=ジャック通りRue du Faubourg-Saint-Jacques
  • ブラール通りRue Boulard
  • プラント通りRue des Plantes
  • ブリュヌ大通りBoulevard Brune
  • フロワドヴォー通りRue Froidevaux
    • ダンフェール=ロシュロー広場(カタコンブ・ド・パリ)からサン=ジャック大通りに続く、14区内を東西に伸びる通り。
  • ペール=コランタン通りRue du Père-Corentin
  • ヴェルサンジェトリクス通りRue Vercingétorix
  • ポール=ロワイヤル大通りBoulevard de Port-Royal
    • 南北に走るオプセルヴァトワール大通りとの交差地点で、東西に走るモンパルナス大通りから名を変え引き継いで主に西側5区と13区との境界線上を同様に東西に走る。また、フォーブール=サン=ジャック通りとの交差地点界隈にポール・ロワイヤル修道院がある。最寄りはRERのポール=ロワイヤル駅。
  • メーヌ大通りAvenue du Maine
    • モンパルナス駅西側界隈から南東に伸びる通り。
  • モンパルナス大通りBoulevard du Montparnasse
    • 14区と6区との境界線上を東西に走り、通り東側ではリュクサンブール庭園南隣接グラン・エクスプロラトゥール庭園 (マルコ・ポーロカブリエ・ド・ラ・サール庭園)南側オプセルヴァトワール大通りとの交差点で、主に5区と13区との境界線を東西に走るポール=ロワイヤル大通りに、反対に通り西側では、7区アンヴァリッドへ向かうアンヴァリッド大通りにそれぞれ接続する。モンパルナス駅前から通り東側方向へ、特にラスパイユ大通り交差点メトロヴァヴァン駅界隈パブロ=ピカソ広場(旧ヴァヴァン交差点)にかけて、モンパルナス駅前のステーキレストランないしブラッスリーHippopotamus, ブラッスリーLa Ruche はじめ, ブラッスリーLa Coupole, Café L'Atelier, ブラッスリーLe Select, ステーキレストランLe Relais De L'Entrecôte, レストランLa Rotonde, レストランLe Dôme, Bistrot(ビストロ) du Dôme, ブラッスリーLa Closerie des Lilas ・・等が軒を連ねる。
  • サンテ通りRue de la Santé
    • サンテ刑務所に面した道路。フォーブール=サンジャック大通りの東側を並走する、13区との境界を南北に走る通り。区内南部を東西に走る上記アレジア通りとの交差点まで走る。通り北から順に、東西に走るアラゴ大通りと交差し、サンテ監獄、コシャン病院、東西に横切るサン=ジャック大通りを越えると、通り周辺界隈に高等研究実習院があり、通り名の由来となったサンタンヌ中央病院・・がある。アレジア通りとの交差点の先を進むとモンスーリ公園がある。なお、サンテ刑務所では、1909年には40人の死刑囚が、1939年には殺人犯マックス・ブロックが、アラゴ大通りとの交差点界隈でギロチン公開処刑に処された[12]。同1939年に処刑は非公開になり、1972年に2人の死刑囚を最後にギロチンでの非公開処刑が執り行われた。1981年には死刑制度が廃止された[13]
  • ラスパイユ大通りBoulevard Raspail
    • バック通りやサンジェルマン大通りが接続する7区内のルネ=シャール広場から、ボン・マルシェ百貨店やホテル・ルテシア等があるセーヴル通りと交差しながら6区内を斜めに横切り、モンパルナス大通りとの旧ヴァヴァン交差点パブロ=ピカソ広場界隈で14区内に入る。同交差点界隈は著名なレストランやブラッスリーが軒を連ねる。14区内をダンフェール=ロシュロー広場(カタコンブ・ド・パリ)界隈までを走る通り。
  • ルネ=コティ大通りAvenue René-Coty
  • レイモン=ロスラン通りRue Raymond-Losserand
  • レイユ大通りAvenue Reille

広場・交差点[編集]

パリの「広場 (プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク緑地等に利用されている場合もあり、凱旋門があるシャルル・ド・ゴール広場は世界的に有名である。14区の広場や交差点には、次のようなものがある。

著名な出身者[編集]

芸能[編集]

著名な居住者[編集]

1916年、レストラン「ラ・ロトンド」前(厳密にはモンパルナス大通り, 通り6区側)の、モディリアーニピカソアンドレ・サルモンら。ジャン・コクトー撮影
Nabis Landscape 1890年 ポール・ランソン作。ランソンはポスト印象派, ナビ派の画家。モンパルナス大通り25番地(厳密には通り6区側)に居住

政治[編集]

学者[編集]

  • ロベール・フォーティエフランス語版(歴史学者) - ラスパイユ大通り (Boulevard Raspail) 270番地に居住。高等研究実習院出身
  • 河上肇 (経済学者)
    • 1914年、パリでの下宿先を探していた河上肇は、同時期のパリに下宿していた島崎藤村の世話で、グランド・オテル・ド・ポール=ロワイヤル (ポール=ロワイヤル大通り, Boulevard de Port-Royal 117番地) に滞在した。道路を挟んだ反対側には藤村の滞在先、同大通り86番地(5区)があり、河上肇の部屋からはその部屋の明かりが確認できたという[14][15]

文化[編集]

  • その他、著名な日本の文化人など
  • 佐伯祐三 (画家)
    • 1927年10月から翌年4月末にかけて、モンパルナス大通りBoulevard Montparnasse) 162番地のアトリエに住んだ。パリの街角に立ち、精力的に創作活動を続けていたが、1928年3月、雨中での製作で体調を崩した。4月末、同じ区内のヴァンヴ通り (Rue de Vanves、現在のレイモン=ロスラン通り(Rue Raymond-Losserand)) 5番地に引っ越したが、結核が悪化、精神状態も悪くなって入院し、8月16日、30歳の若さで死去した [16][17]
  • 高村光太郎 (彫刻家、評論家、詩人)
    • 1908年6月11日、パリに到着。畑正吉の下宿に身を寄せたのち、カンパーニュ=プルミエール通り(Rue Campagne-Première) 17番地のアトリエに住んだ。アトリエでは、主に泥による胸像の製作に取り組んでいる。翌年帰国 [18]
  • 林芙美子 (小説家)
    • 林芙美子の滞在場所は3ヶ所あるが、いずれもダンフェール=ロシュロー広場の近くである。1931年11月23日から翌年1月23日まではブーラール通り(Rue Boulard)10番地のオテル・デュ・リオン・ベルフォール (Hôtel du Lion Belfort)に宿泊し、ロンドンでの滞在を経た後、2月22日から4月5日まではダンフェール=ロシュロー広場28番地のオテル・フロリドル (Hôtel Floridor)の5階に宿を取り、翌日から5月12日まではダゲール通り(Rue Daguerre) 22番地のアパルトマン(現在のオテル・ル・リオンソー(Hôtel le Lionceau))の2階で生活し、5月12日の夜、日本へ発った [19]
  • 藤田嗣治 (画家、彫刻家)
    • 1917年まで、カンパーニュ=プルミエール通り9番地に居住し、同23番地にアトリエがあり、1917年から1924年まで、藤田嗣治が画家としての名声を確立した時期に住んでいたのが、ドランブル通り(Rue Delambre)5番地のアパートである。2度目の妻であるフェルナンド・バレーと共に過ごした場所でもあった [20]
  • 横光利一 (小説家、俳人)

脚注[編集]

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  1. ^ フランス語の 「14e 」 = 「quatorzième 」 は、英語の「fourteenth 」 に相当する序数。「第14の」 「14番目の」を意味する。したがって、原語の「14e arrondissement 」を直訳すると「第14区」となる。
  2. ^ レジフランスLégifrance). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT))” R2512-1条. 2008年6月26日閲覧.
  3. ^ 和田博文真銅正宏竹松良明宮内淳子和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』、藤原書店、2004年、p.282.
  4. ^ 和田博文真銅正宏竹松良明宮内淳子和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』、藤原書店、2004年、p.283.
  5. ^ セーヌ川左岸の地域にあたる。
  6. ^ 和田博文真銅正宏竹松良明宮内淳子和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』、藤原書店、2004年、pp.294-295.
  7. ^ 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版』、ダイヤモンド社、2007年、p.282.
  8. ^ JTBパブリッシング編 『ワールドガイド ヨーロッパ2・パリ』、JTBパブリッシング、2006年、p.185.
  9. ^ 1911年アポリネールは、モナ・リザ盗難事件の容疑者として収監された(のちに無罪が証明され、釈放)。また、1923年大杉栄は、メーデーで演説して逮捕され、この刑務所に収監された(のちに追放処分)。和田博文真銅正宏竹松良明宮内淳子和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』(藤原書店、2004年) p.321.
  10. ^ 福井憲彦稲葉宏爾 『世界歴史の旅 パリ 建築と都市』 山川出版社、2003年、p.170.
  11. ^ モンパルナス駅前の他、パリ2区9区境界にあるオペラ広場、シャンゼリゼ(フランクラン=ローズヴェルト)大通りシャトレ駅界隈サン=ドニ通り等にあるチェーンのステーキレストランないしブラッスリー
  12. ^ 「図解 牢獄・脱獄」(牢獄研究会、新紀元社)、「なしくずしの死」(上下, ルイ=フェルディナン・セリーヌ作, 高坂和彦訳, 国書刊行会「セリーヌの作品2, 3」, 1978年 ; 上下, 河出文庫, 2002年)
  13. ^ P43 「パリ右眼左眼」(稲葉宏爾、ペンブックス)
  14. ^ 和田博文真銅正宏竹松良明宮内淳子和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』 藤原書店、2004年、pp.293, 305.
  15. ^ 稲葉宏爾改訂版 ガイドブックにないパリ案内』2012年、p.129
  16. ^ 朝日晃野辺山暁治 『とんぼの本 佐伯祐三のパリ』、新潮社、1998年、p.93.
  17. ^ 和田博文真銅正宏竹松良明宮内淳子和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』、藤原書店、2004年、pp.302-303.
  18. ^ 和田博文真銅正宏竹松良明宮内淳子和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』、藤原書店、2004年、pp.306-307.
  19. ^ 和田博文真銅正宏竹松良明宮内淳子和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』、藤原書店、2004年、pp.310-311.
  20. ^ 和田博文真銅正宏竹松良明宮内淳子和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』、藤原書店、2004年、pp.312-313.
  21. ^ 和田博文真銅正宏竹松良明宮内淳子和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』、藤原書店、2004年、p.318.

参考文献[編集]

  • MICHELIN編、『Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud – 』、ISBN 978-2-06-710591-1、MICHELIN、2007年 (仏語。パリ市内の詳細地図。)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]