イエール (エソンヌ県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Yerres
BlasonYerres.svg

Mairie Yerres.jpg
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル・ド・フランス地域圏
(département) エソンヌ県
(arrondissement) エヴリー郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 91691
郵便番号 91330
市長任期 ニコラ・デュポン=エニャン
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération du Val d'Yerres
人口動態
人口 28,789人
2007年
人口密度 2,926人/km2
住民の呼称 Yerrois
地理
座標 北緯48度43分02秒 東経2度29分17秒 / 北緯48.7170945度 東経2.4880868度 / 48.7170945; 2.4880868座標: 北緯48度43分02秒 東経2度29分17秒 / 北緯48.7170945度 東経2.4880868度 / 48.7170945; 2.4880868
標高 平均:m
最低:32 m
最高:116m
面積 9.84km2
Yerresの位置(フランス内)
Yerres
Yerres
公式サイト [1]
テンプレートを表示

イエールYerres)は、フランスイル=ド=フランス地域圏エソンヌ県の都市。

地理[編集]

パリの南東約18kmに位置する。県の北東部にあり、ヴァル=ド=マルヌ県と境を接している。イエール川とレヴァイヨン川のつくる谷にあり、自然区分ではブリー地方の南西、広大なセナールの森の北にあたる。

コミューン中央部を、東から西へ3kmにわたってイエール川が流れる。

交通[編集]

  • 道路 - N6、N19
  • 鉄道 - RER D線イエール駅
  • バス - ノクティリアン、アルバトランなど数路線あり

由来[編集]

かつてこの土地はEderaと呼ばれ、11世紀にはギヨーム・ミユ・ド・イエール(Guillaume Miles de Hierres)の土地であった。1801年よりYerresのつづりで固定された。

歴史[編集]

18世紀のカッシーニ地図に描かれたイエール

かつてパリ=モントルー(現・ロワレ県コミューン)にいたるローマ街道があった場所に、イエールの砦があったとみられる[1]。これがイエールの起源である[2]

イエール川谷の低地は、メロヴィング朝時代の王たちによってパリの大きな修道院に属するものと認められていた。11世紀にこの地にあったのは聖ルーに捧げられた教区であった。1120年より、ベネディクト会派のノートルダム・ド・イエール修道院建物が建てられ始めた。1130年、領主ギヨーム・ド・イエラが城を建てた。現在も当時の守衛詰め所(fr)がコミューン中心部に残っている。13世紀、教区教会が再建された。

1389年、イエールのフィーフシャルル5世の宮廷官に戻された。1617年、財務官シャルル・デュレが城をイエールに建てた。1637年に売却された城を買ったのは王の執事ロラン・ビュランで、彼の妻ブルタマンドは当時のプレシオジテであった。ニノン・ド・ランクロはブルタマンドの招きで城に滞在している。1652年、カマルデュル修道会(fr)が新たな修道院を建設した。1715年から1717年まで、トランシルヴァニア公ラーコーツィ・フェレンツ2世がカマルデュル修道院に隠遁していた。

1846年、パリ=マルセイユ間鉄道路線(fr)がイエール川谷に敷かれた[3]

1860年、ギュスターヴ・カイユボットの父がイエールに地所を購入した。1866年、ピエール・ラルースもイエールに家を買った。

現在はパリ都市圏に含まれるイエールであるが、1793年には人口が1000人未満の村だった。第一次世界大戦後、人口が増加に転じた。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Itinéraire de la voie romaine VR18 (consulté 20 mai 2007)
  2. ^ Jean-Luc Flohic et al, Le patrimoine des communes de l’Essonne, Flohic,‎ (ISBN 2-84234-126-0), p. 1009-1021
  3. ^ Histoire d’Yerres sur le site topic-topos.com Consulté le 07/01/2010.