16区 (パリ)

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パリ・16区の位置
パリ・16区の位置

パリ16区 (16く、16e arrondissement de Paris) は、フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである [1]。第16区、パリ16区ともいう。市の西部に位置しており、ブローニュの森を含む。南北に蛇行するセーヌ川に挟まれた区域であり、区の東西でセーヌ川に接している。

概要[編集]

パリの16区は、市の西部にある行政区。「パッシー区 (Arrondissement de Passy)」と呼ばれることもある[2]セーヌ川が南北に蛇行する区域にあり、区の東西はセーヌ川に面している。ペリフェリック(パリ環状道路)が区の中央部を縦断しており、その西側がブローニュの森となっている。20区のうちでは12区に次いで2番目に大きい。人口は、161,773人 (1999年。人口の推移等詳細については後述)。区の名称は、市の中央部から時計回り螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその16番目にあたることから「16区」と名づけられた。

セーヌ川を挟んでエッフェル塔の対岸にあたる16区北側地域一帯は「パッシーPASSY)」と呼ばれ[3]、“貴族街”と呼ばれるアンヴァリッド地区あるいはフォーブール・サンジェルマン界隈(7区)と並んで旧貴族や富裕層が住む高級住宅街として有名である[4]

メトロ パッシー駅, ビラケム橋

16区の主要な施設としては、シャイヨ宮トロカデロ・11月11日広場(トロカデロ広場)、パリ市立近代美術館パルク・デ・プランスなどのほか、8区17区との境界にエトワール凱旋門がある。また、ブローニュの森 には、バガテル庭園ダクリマタシオン遊園地パリロンシャン競馬場スタッド・ローラン・ギャロスなどがある。

なお、セーヌ川に沿った地域のうち、イエナ橋より上流は「パリのセーヌ河岸」として世界遺産に登録されている。

地理[編集]

パリ・16区の概略図

16区は、パリの西部に位置している。南北に蛇行するセーヌ川に挟まれた区域にあり、東西でセーヌ川に接している。市内では、セーヌ川の北岸地域にあたり [5]エッフェル塔のあるシャン・ド・マルス公園の対岸にある。ペリフェリック (パリ環状道路)が、区のほぼ中央部を縦断しており、その西側の地域はブローニュの森となっている。面積は16.31 平方キロメートルで、20区のうちでは12区に次いで2番目に大きい。ブローニュの森を除くと7.85 平方キロメートルとなる。

北は、同じパリの行政区である8区17区に接しているが、ペリフェリック以西はオー=ド=セーヌ県自治体であるヌイイ=シュル=セーヌに接している。南は、同じくオー=ド=セーヌ県のブローニュ=ビヤンクールに接している。東は、セーヌ川を挟んで7区15区に接している。西は、南から蛇行してきたセーヌ川を挟んで、北西はピュトー、西はシュレンヌ、南西はサン=クルーの各自治体に接している。

地形[編集]

隣接する自治体(行政区)[編集]

地区(カルチェ)[編集]

カルティエ区分図

パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。16区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。

エッフェル塔から見るシャイヨ地区

住民[編集]

人口[編集]

16区の人口は、1962年に227,418人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年にはピーク時の7割程度の161,773人となった。2005年の推計では146,900人と見積もられており、人口の更なる減少が見込まれている。

また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度(区の面積からブローニュの森を除いて算出)は、ピーク時の7割程度の20,619人となっている。人口の推移の詳細は、次のとおりである。

区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考
1872年 43,332 1,851,792 2.34% 5,523 21,303
1954年 214,042 2,850,189 7.51% 27,280 32,788
1962年 227,418 2,790,091 8.15% 28,985 32,097 人口がピークに達する。
1968年 214,120 2,590,771 8.26% 27,290 29,804
1975年 193,590 2,299,830 8.42% 24,674 26,457
1982年 179,446 2,176,243 8.25% 22,871 25,035
1990年 169,863 2,152,423 7.89% 21,650 24,761
1999年 161,773 2,125,246 7.61% 20,619 24,449
2005年 146,900 2,166,200 6.78% 18,723 24,920 人口は推計。

歴史[編集]

政治・行政・司法[編集]

主な官公庁・公共機関[編集]

国際機関[編集]

OECD本部(旧ラ・ミュエット宮殿)

外国の施設[編集]

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16区内には各国大使館等が多く所在する。モナコトルコボリビアなど90ヶ国以上の駐仏大使館が16区内にあり、フランス駐在大使館の約4割が集中する。

マスコミ[編集]

旧ブーランヴィリエ城(fr、現ラジオ・フランス)。または "パッシー城"

放送局(テレビ・ラジオ)[編集]

経済[編集]

主な企業[編集]

主な店舗・商業施設[編集]

  • パッシー・プラザ(Passy Plaza
  • フランク・エ・フィス(Franck et Fils
    • パッシー通り80番地にあったプチ高級百貨店だったが2016年7月閉店。跡には、7区セーヴル通り (Rue de Sèvres) 38番地にあり、ボン・マルシェ百貨店隣り、かつ同系列の高級食品店ないしスーパーの「ラ・グランド・エピスリー・ド・パリ (La Grande Epicerie de Paris)」2号店が2017年秋にオープン。
  • ベル=フイユ・ショッピングセンター(Centre Commercial des Belles Feuilles
    • メクシコ広場からブローニュの森まで640mあるポルト=ドーフィーヌ地区ベル=フイユ通り(Rue des Belles-Feuilles)沿い、16番地界隈にあるショッピングセンター。
  • セリーヌCeline
  • バカラ・メゾン・パリ(Baccarat
    • 2003年に開館したクリスタルガラスのバカラのブティックや美術館。エトワール凱旋門から凡そ500m南側、イエナ大通り沿い合衆国広場 (エタ=ジュニ広場, Place des Étas-Unis) 11番地にある。ブティックの他、レストラン&バー (クリスタルルーム・バカラ・パリ)、バカラ美術館 (ギャルリー=ミュゼ・バカラ) がある。建物自体は、芸術関連のメセナや、建築上「ノアイユ子爵夫妻邸 (ヴィラ・ノアイユ)」で知られるシャルル・ド・ノアイユ (fr)の妻マリ=ロール・ド・ノアイユ (fr) が社交や居住に用いた館であった。その他、8区フォーブール=サントノレ通りや百貨店等に店舗がある。

健康・福祉[編集]

保健・医療[編集]

墓地等[編集]

学術・研究[編集]

研究施設[編集]

教育[編集]

大学等[編集]

  • パリ第9大学 (パリ・ドーフィーヌ) (Université Paris IX (Paris Dauphine)

高等学校[編集]

※ 以下、区内の主なリセをピックアップ。

宿泊施設[編集]

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主な宿泊施設[編集]

文化施設[編集]

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美術館・博物館[編集]

動物園・水族館[編集]

映画館・劇場[編集]

  • シャイヨ劇場 (Théâtre National de Chaillot) - シャイヨ宮内にある。
  • マジェスティック・パッシー (Majestic Passy) - パッシー通りにある映画館。

その他[編集]

体育施設[編集]

ロンシャン淑女たち (Mesdames à Longchamp), 1908年

陸上競技場・体育館など[編集]

その他[編集]

宗教施設[編集]

教会・寺院[編集]

ノートル=ダム=ド=グラス・ド・パッシー教会
ノートル=ダム=ドートゥイユ教会
エッフェル塔からトロカデロ庭園及びシャイヨ宮の眺め

観光・憩い[編集]

自然[編集]

建築[編集]

公園・緑地等[編集]

名所・娯楽[編集]

交通[編集]

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鉄道[編集]

高速道路・有料道路[編集]

道路[編集]

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  • アミラル=ブリュイ大通りBoulevard de l'Amiral-Bruix
  • アンリ=マルタン大通りAvenue Henri-Martin
    • シャイヨー宮トロカデロ広場より走るジョルジュ=マンデル大通りから接続する、ラ・ミュエット地区とポルト=ドーフィーヌ地区との境界を走る通り。元はジョルジュ=マンデルやプレジダン=ウィルソンとひと続きの道路 "皇帝(陛下)大通り" (Avenue de l’Empereur) として、第二帝政パリ改造で整備された。ナポレオン3世追放後、トロカデロ大通り (Avenue du Trocadéro) と改称、1885年アンリ=マルタン(歴史家, 上院議員やパリ16区長歴任, fr)と再改称した。そのうち第一次世界大戦後の1918年、現在のプレジダン=ウィルソンがアンリ=マルタンから分かれ、さらに1941年、アンリ=マルタンはジャン=シアップ (高級官僚, パリ市長やパリ警視総監歴任, fr) と改められた。第二次世界大戦後の1945年、アンリ=マルタンに戻り、また現在のジョルジュ=マンデルとに分割された。
  • イエナ大通りAvenue d'Iéna
  • プレジダン=ウィルソン大通りAvenue du Président-Wilson
    • シャイヨ宮前トロカデロ広場から、同宮東側(北側)のイエナ広場 (Place d'Iéna) に接続し、区内東側8区アルマ広場まで続く1キロ無い通り。上記のように元は皇帝大通りの一部であった。
  • エグゼルマン大通りBoulevard Exelmans
  • エロー大通りAvenue d'Eylau
    • シャイヨ宮前トロカデロ広場とメクシコ広場とを結ぶ通り。メクシコ広場から先は、下記ブジョー大通りまで接続するベル=フイユ通り (fr) になるが、同広場界隈から同通り沿いには寿司屋からピカール、マクドナルド、各種食材店、MOFブーランジュリー ラロス (LALOS) の店舗、スーパーマーケットチェーンのモノプリ (Monoprix) 、ベル=フイユ・ショッピングセンター (Centre Commercial des Belles Feuilles) 等が連なる。同ショッピングセンター内にはセフォラからリモワ、ワイン専門チェーンのニコラ (Nicolas)、スーパーのカジノ (Casino)、東京品川駅でも展開するブーランジュリーチェーンのポール (Paul[10]) 等が入居する。名称はナポレオン戦争期の「アイラウの戦い」から。
  • オートゥイユ大通りBoulevard d'Auteuil
  • オートゥイユ通りRue d'Auteuil
  • グランダルメ大通りAvenue de la Grande-Armée
  • クレベール大通りAvenue Kléber
  • ケ・サンテグジュペリ通り(サンテグジュペリ河岸通り, Quai Saint-Exupéry
  • プレジダン=ケネディ大通りAvenue du Président-Kennedy
    • 南側オートゥイユ方面へはヴェルサイユ大通り、北側シャイヨー方面へはニューヨーク大通りへとそれぞれ接続する、セーヌ川沿い界隈を走る通り。
  • ケ・ルイ=ブレリオ通り(ルイ=ブレリオ河岸通り, Quai Louis-Blériot
  • コペルニク通りRue Copernic
    • ヴィクトル=ユーゴー広場とクルベール大通りとの間、シャイヨ地区を走る通り。ベネズエラやレバノン各大使館、兵士俘虜全国連盟 (fr)、パッシー貯水池 (fr) などがある。1980年10月3日、コペルニク通り爆弾テロ事件 (fr) が、同通り24番地のユダヤ教改革派シナゴーグ (Union libérale israélite de France) のシムハット・トーラーの祭日(トーラー歓喜祭, fr)に起きた。ナチス占領期1941年同月同日にも急襲されたのに続き、1980年時は第二次大戦後では初めてのユダヤ人へのテロだった。名称はニコラウス・コペルニクスから。
  • シェルノヴィズ通りRue Chernoviz
    • 旧公立パッシー通り小学校 (École primaire rue de Passy, 現在はパッシー通り幼稚園 École maternelle rue de Passy) 裏手にある短い通り。同様に公立のシェルノヴィズ幼稚園・小学校 (École Chernoviz) があるのみ。通り先レヌアール通り方向は、ランバル公妃の館だった駐仏トルコ大使館やメゾン・ド・バルザック、セーヌ川になる。
  • シャルドン=ラガシュ通りRue Chardon-Lagache
    • オートゥイユ地区を走る通り。リセ・ジャン=バティスト=セ (fr)、シャルドン=ラガシュ幼稚園 (École maternelle Chardon-Lagache)などの公立校、2つの病院、41番地にギマール作ジャスデ館 (hôtel Jassedé) が建つ。
  • ジョルジュ=ポンピドゥー道路Voie Georges-Pompidou
  • ジョルジュ=マンデル大通りAvenue Georges-Mandel
    • 通り中央分離帯は駐車スペースになっている、シャイヨー宮前トロカデロ界隈からアンリ=マルタン大通りに接続する、ラ・ミュエット地区とポルト=ドーフィーヌ地区との間を走る通り。上記アンリ=マルタンやプレジダン=ウィルソンと共に皇帝大通りとして整備された。第二次世界大戦後の1945年、アンリ=マルタンの一部から、現在のジョルジュ=マンデルに分割された。
  • スーシェ大通りBoulevard Suchet
  • テオフィル=ゴーティエ大通りAvenue Théophile-Gautier
  • ドレセール大通りBoulevard Delessert
    • シャイヨ宮南側(東側)にあるイエナ橋経由トロカデロ庭園内の東西を走るナシオン・ユニ大通りと、西側(南側)コスタリカ広場とを結ぶ。同東側(北側)イエナ広場とを結ぶのはイエナ大通り。メトロ パッシー駅入り口になるコスタリカ広場に接続する他の通りは、下記パッシー通り、レヌアール通り、西側ブローニュの森方面でアンリ=マルタン大通りと接続するトゥール通り。
  • ニューヨーク大通りAvenue de New-York
  • パッシー通りRue de Passy
    • メトロ パッシー駅の入り口になるシャイヨ宮西側(南側)のコスタリカ広場から西側へ伸びる。シャイヨ宮前トロカデロ広場からパッシー通りの北側を並走するポール=ドゥメール大通りや、セーヌ河岸ラジオ・フランスから北側へ伸びるブーランヴィリエ通り乃至ポンプ通り、ポール=ドゥメール大通り乃至ラ・ミュエット通り(fr)等が交差するメトロ ラ・ミュエット駅界隈ジャンヌ=エヴラール広場 (fr) 周辺まで続く。ブティックから食材店、レジ (REGIS) といったショコラトリー、いくつかの和食店、スタバ・・まで立ち並ぶ高級住宅街にある生活感溢れる通り。ファッションブランドでは、GAPH&M、ザディグ・エ・ヴォルテール (Zadig & Voltaire)、ラコステファム (Lacoste Femme)、アニエス・ベー、レディースプレタポルテのマージュ (Maje)、エル・ガンソ (El Ganso)、子供服のオカイディー (Okaïdi)、H&M系列のハイブランドコス (COS)、コスメのブランディ・メルビル (Brandy Melville) やキコ・ミラノ (Kiko Milano) などがある。裏通りラノンシアション通り (Rue de l'Annonciation) 沿いにはルイ15世様式(ロココ様式)など18世紀建物が連なり、また同通り起点のパッシー広場から、カフェやマクドナルド、パティスリーのオ・メルヴェイユ・ドゥ・フレッド (Aux Merveilleux de Fred)[12]、2017年開店のインテリアメゾン サラ・ラヴォワンヌ (Maison Sarah Lavoine)、和食店Sazanka、ノートルダム・ド・グラス教会 (fr) ・・などがあり、16区内では最も店舗が多い界隈になる[13]。旧パッシー通り小 (École primaire rue de Passy, 現在はパッシー通り幼) 向かいには映画館マジェスティック・パッシー (Majestic Passy) があり、同映画館隣やパッシー・プラザ (Passy Plaza)にあったスーパーマーケット「イノ (Inno)」が同グループの「モノプリ (Monoprix)」に代わった。同様に旧パッシー通り小向かい側にはルイ15世愛人アンヌ・クーピエ・ドゥ・ロマン (fr) の館があったが、1890年に取り壊されクロード=シャウ通り(Rue Claude-Chahu) が開通、同通り沿いにアール・ヌーヴォーのシャルドン館 (fr) が建つ。裏通りボワ=ル=ヴァン通り (Rue Bois-Le-Vent) には「パッシー (屋内常設) 市場 (Marché (couvert) de Passy)」がある。
  • パルク=デ=プランス大通りAvenue du Parc-des-Princes
  • ピエール=プルミエ=ド=セルビー大通りAvenue Pierre-Ier-de-Serbie
    • イエナ広場から東側、ガリエラやギメ等があるシャイヨー地区界隈から、8区内へ続く通り。名称はペータル1世 (セルビア王)から。
  • ヴィクトル=ユーゴー大通りAvenue Victor-Hugo
    • 124番地(旧50番地)の旧リュジニャン公妃館はヴィクトル・ユーゴーが1878年から亡くなる1885年まで愛人ジュリエット・ドルエと居住した地。建物自体は1907年に取り壊された。また、トラクティル通り (fr) との角の16番地は、かつてのフランス料理人アルフレッド・プルニエ (Alfred Prunier, 1848-1925) のレストランがある地。シャルル・ド・ゴール広場(エトワール凱旋門)からブローニュの森入り口のポルト・ド・ラ・ミュエット界隈アンリ=マルタン大通りまでを結ぶ通り。凱旋門傍のセリーヌからZARA、オーガニックコスメのイヴ・ロシェ(ール) (Yves Rocher)、マージュ、イザベル・マラン (Isabel Marant[14])、レストランやカフェ、スタバ、パッシー通りにもある回転寿司チェーンのマツリ (Matsuri)・・などが並ぶ通り。
  • ヴェルサイユ大通りAvenue de Versailles
  • フェルディナン=ビュイソン大通りAvenue Ferdinand-Buisson
  • フォッシュ大通りAvenue Foch
    • エトワール凱旋門(ないしグランダルメ大通りの南側)から分かれて16区内を走るパリの代表的な"ブルジョワ通り"。ブローニュの森傍ポルト・ドーフィーヌ界隈マレシャル=ド=ラトル=ド=タシニー広場が終点。第二帝政期、ウジェニー皇后に因み"皇后(陛下)大通り" (Avenue de l'Impératrice) と名付けられ整備された。第二帝政崩壊後は、ウリッシュ将軍 (fr) 大通り、ブローニュの森大通りと変遷し、1929年フランス大元帥フェルディナン・フォッシュの名を採って改称された。
  • ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ通りRue Jean de La Fontaine
    • パッシーのレヌアール通りから続き、オートゥイユ方面を走り、オートゥイユ通りやミケランジュ通り等に接続する。略して「ラ・フォンテーヌ通り」。ギマールアールヌーヴォー様式のモダンアパルトマン(イムーブル)「カステル・ベランジェ」や「オテル・メザラ」等がある。同通りからアガール通り (fr) 界隈にかけてアール・ヌーヴォー様式の建物が並ぶ。
  • ブジョー大通りAvenue Bugeaud
    • ヴィクトル=ユーゴー広場とポルト=ドーフィヌないしフォッシュ大通りとの間を走るポルト=ドーフィヌ地区の通り。公立サン=フランソワ幼・小 (École maternelle et primaire Saint-François)、ニカラグア大使館、ホテル サン・ジャム・パリ (Saint James Paris[15]などがある。名称はトマ・ロベール・ブジョー元帥から。
  • バンジャマン=フランクラン通りRue Benjamin-Franklin
    • シャイヨ宮前トロカデロ広場と、同宮西側(南側)のコスタリカ広場とを結ぶ短い通り。上記プレジダン=ウィルソン大通りと対の通り。
  • ボーセジュール大通りBoulevard de Beauséjour
  • ポール=ドゥメール大通りAvenue Paul-Doumer
    • シャイヨ宮前トロカデロ広場から、上記パッシー通りの北側を東西に並走する。通り西側メトロ ラ・ミュエット駅界隈ジャンヌ=エヴラール広場で、ラ・ミュエット通りに接続し、パッシー通りやブーランヴィリエ通り、同ブーランヴィリエから名を変えた下記ポンプ通りと交差する。ポンプ通りは、そのまま区内を縦断し、エトワール凱旋門から伸びるヴィクトル=ユーゴー大通り、同様に同凱旋門から伸びるフォッシュ大通りと交差する。また、パッシー通り北側、トゥール通りとの交差点界隈ポール=ドゥメール大通り58番地にピエール・エルメの店舗がある。
  • ポルト=ドートゥイユ大通りAvenue de la Porte-d'Auteuil
  • ポンプ通りRue de la Pompe
  • マラコフ大通りAvenue de Malakoff
    • カフェ・ル・マラコフ (Café Le Malakoff) があるシャイヨ宮前トロカデロ広場から北西へ、ヴィクトル=ユーゴー広場経由で走るレーモン=ポアンカレ大通りがフォッシュ大通りとの交差点からマラコフと名を変え、さらに区内北西へ続く通り。フォッシュ同様エトワール凱旋門から伸びるグランダルメ大通り等との交点であり、かつ17区とヌイイ=シュル=セーヌとの境界界隈にあたるポルト=マイヨ広場まで伸びる通り。
  • マルソー大通りAvenue Marceau
  • ミケランジュ通りRue Michel-Ange
  • ミュラ大通りBoulevard Murat
  • モザール大通りAvenue Mozart
    • 16区内側を走る"モーツァルト大通り"。セーヌ川沿い側を走るヴェルサイユ大通り等と共にラ・ミュエット地区からオートゥイユ地区の住宅街へと続く通り。メトロ ラヌラグ駅近く52番地にサン=ジェルマン=デ=プレ界隈や東京青山でも展開していたショコラトリーのシャポン (Chapon) がある[21]
  • モンモランシー大通りBoulevard de Montmorency
  • ラヌラグ通りRue du Ranelagh
  • ランヌ大通りBoulevard Lannes
  • レイモン=ポアンカレ大通りAvenue Raymond-Poincaré
  • レヌアール通りRue Raynouard
  • ロリストン通りRue Lauriston
  • ロンシャン通りRue de Longchamp
    • イエナ広場から西側へ走り、シャイヨ宮前トロカデロ広場から(ジョルジュ=マンデル大通りの北側に位置する)メクシコ広場を経由、ブローニュの森パリ第9大学界隈まで伸びる通り。同通り27番地に1948年創業ショコラティエのロワ (ROY) があり、32番地にはジョエル・ロブションのジャマン (Jamin) があった。同ロンシャンがブローニュの森界隈近くに差し掛かる辺り、途中スポンティニ通り (fr) に折れると、フォッシュ大通りまでの通り周辺界隈には各国大使館が並ぶ。元首相ミシェル・ドゥブレもこのスポンティニ通り沿いに居住し[22]、同通り30番地bisの建物は、画家ジャン=ルイ・フォランが居住し亡くなり、1962年1月イヴ・サン=ローランが初めてコレクションを発表した地[23]。さらに、ジスカール・デスタンが大統領退任後の1981年から、女優オリヴィア・デ・ハヴィランドは1953年からパリ市内に居住し、遅くとも60年代からはスポンティニ界隈のベヌヴィル通り (fr) に居住し2020年7月に同地で亡くなった[24]
左から、メクシコ広場からトロカデロ広場へ走るエロー大通り (Avenue d'Eylau)、同大通りから見るエッフェル塔、トロカデロ広場から見るエッフェル塔 左から、メクシコ広場からトロカデロ広場へ走るエロー大通り (Avenue d'Eylau)、同大通りから見るエッフェル塔、トロカデロ広場から見るエッフェル塔 左から、メクシコ広場からトロカデロ広場へ走るエロー大通り (Avenue d'Eylau)、同大通りから見るエッフェル塔、トロカデロ広場から見るエッフェル塔
左から、メクシコ広場からトロカデロ広場へ走るエロー大通り (Avenue d'Eylau)、同大通りから見るエッフェル塔、トロカデロ広場から見るエッフェル塔

橋梁[編集]

16区は、南北に蛇行するセーヌ川に挟まれた区域であり、区の東西でセーヌ川に接している。そのため、橋梁については、区の東側と西側に分けて記述する。

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区東側[編集]

16区の東側では、セーヌ川は北から南へ流れる。セーヌ川に架かる橋は、次のとおりである(上流から順に列挙)。

区西側[編集]

16区からパリ市外に出たセーヌ川は蛇行して、南から北へ大きく方向を変え、16区の西側(すなわち、ブローニュの森の西側)で再び接する。橋は、次のとおりである(上流から順に列挙)。

広場・交差点[編集]

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パリの「広場 (プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク緑地等に利用されている場合もある。16区の広場や交差点には、次のようなものがある。

著名な居住者[編集]

王侯貴族・軍人[編集]

政治[編集]

財界・富豪[編集]

学者[編集]

文化[編集]

芸能[編集]

ヴィラ・モンモランシー (Villa Montmorency) 居住者

スポーツ[編集]

その他[編集]

著名な出身者[編集]

政治[編集]

学者[編集]

文化[編集]

芸能[編集]

その他[編集]

その他ゆかりのある人[編集]

王侯貴族・軍人[編集]

政治[編集]

財界[編集]

文化[編集]

芸能[編集]

その他[編集]

16区を舞台にした作品[編集]

映画[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ フランス語の 「16e 」 = 「seizième 」 は、英語の「sixteenth 」 に相当する序数。「第16の」 「16番目の」を意味する。したがって、原語の「16e arrondissement 」を直訳し すると「第16区」となる。
  2. ^ レジフランスLégifrance). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT))” R2512-1条. 2008年6月26日閲覧.
  3. ^ 元々、南側地域一帯は「オートゥイユAUTEUIL)」と呼ばれ、「パリ改造」の流れの中で1860年にパッシー及びオートイユの二つのコミューヌが合併して「16区」が設立された。
  4. ^ リセ・ジャンソン=ド=サイイフランス語版英語版記述によると、当校が"パリの最名門校の一校"とされている理由としては、"高級な16区"に居住する上流階級貴族階級の子弟が通っているからだと、社会学者のミシェル・パンソンフランス語版モニーク・パンソン=シャルロフランス語版らは言う。また、フランスの人気お笑いトリオ「レ・ザンコンニュ (Les Inconnus)」は、 ラップ調の曲『Auteuil Neuilly Passy (Rap B.C.B.G.)』(1991年)で、"オートゥイユ ヌイイ パッシー、コレが深窓のお坊ちゃまのゲットー"シニカルウイットたっぷりに表現した。
  5. ^ セーヌ川の右岸にあたる。
  6. ^ ディネ・アン・ブラン 東京
  7. ^ 但し、居住用ではない「フォリー」とは異なる
  8. ^ JTBパブリッシング編 『ワールドガイド ヨーロッパ2・パリ』、JTBパブリッシング、2006年、p.144.
  9. ^ 同通り5番地は,「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972) やジャン=ポール・ベルモンド「プロフェッショナル」(1981) の映画ロケ地。
  10. ^ ラデュレと同グループで、国内外各店あわせて620店舗展開するリールに本社を置くブーランジュリーないしパティスリーのチェーン店。
  11. ^ 山口昌子 『フランスよ、どこへ行く』、産経新聞社、2007年、p.315.
  12. ^ メルヴェイユ (fr) で内外で知られ、パリ4区ヴィエイユ=デュ=タンプル通り (Rue Vieille-du-Temple)、5区モンジュ通り (Rue Monge)、7区サン=ドミニク通り (Rue Saint-Dominique)、その他12区15区17区やブローニュ=ビヤンクールなどパリ市内外、リールボルドー、ロンドンケンジントン在英仏大使館界隈やベルギードイツなど欧州域内でも展開するパティスリーチェーン店。
  13. ^ パッシー通り クラシックとカジュアルが同居するフランス観光開発機構
  14. ^ 共にパリ6区ジャコブ通りや東京の表参道界隈等にブティックを持ち、同じくファッションデザイナーのジェローム・ドレフュス (Jérôme Dreyfuss) は夫。
  15. ^ 1986年にフランス学士院付属ティエール財団 (Fondation Thiers) が売りに出し、英政治家の所有クラブを経て、1990年に現在のホテルになった。五つ星の同ホテルは、フォッシュ大通り至近のブジョーとベル=フイユ通り (fr) とに挟まれた場所にある。ベル=フイユ通りにはチャドやコンゴ共和国、ベナン、カメルーンなど旧仏領サブサハラアフリカ諸国の大使館が軒を連ねる。また、1930年代のカルティエの宝飾品(アンティークジュエリー)デザイナーを務めたアンヌ=トゥサン (fr) 等が同ベル=フイユ通りに居住していた。
  16. ^ Emmanuel Rubin, «Ces trente tables qui ont changé le goût de Paris», Le Figaroscope, semaine du mercredi 20 au 26 décembre 2017, p. 10-11.
  17. ^ Jean-Luc Barré, François Mauriac, biographie intime, t. I : 1885-1940, Éditions Fayard, 2009 978-2-213-62636-9, p. 219 et 450.
  18. ^ Marie-Dominique Lelièvre, Brigitte Bardot. Plein la vue, Flammarion, 2012, 978-2081246249, p. 15.
  19. ^ Marie-Dominique Lelièvre, Jacques Attali. Plein la vue, Flammarion, 2012, p. 15.
  20. ^ « 2013 DU 243 Attribution à une voie de la dénomination “allée Irène Némirovsky” (15e) », paris.fr, consulté le 20 juin 2018.
  21. ^ サンジェルマン=デプレ地区界隈のパリ7区バック通り69番地、パリ6区サン=シュルピス通り34番地、ヌイイ=シュル=セーヌシェルなどの他、2018年12月から2019年12月まで東京南青山6丁目でも展開していた、パリ唯一のビントゥバー(豆から板チョコまで)を謳うショコラトリー。
  22. ^ Béatrice Gurrey, « Jérôme Solal-Céligny, l’inconnu de la rédaction de la Constitution de 1958 » Le monde fr, 2018年9月27日
  23. ^ « Une salle en délire pour la première collection d'Yves Saint Laurent » Le Figaro fr, 1962年1月29日
  24. ^ A 90 ans, Giscard encore courtisé Le Parisien fr 2016年2月2日,
    Entreprise Madame Olivia De Havilland à Paris (75116) Le figaro.fr économie,
    American actress Olivia de Havilland posing in her Paris apartment located 3 rue Bénouville in the 16th arrondissement. c.1969 Alamy (Photo Michael Holtz)
  25. ^ のちに、8区ラブレ通り (Rue Rabelais) 2番地のジョッケクルブ (fr)に統合された。
  26. ^ Francisco Melgar, Veinte años con Don Carlos. Memorias de su secretario, Madrid 1940, p. 44
  27. ^ L’hôtel du duc et de la duchesse de Windsor Paris Promeneurs
  28. ^ a b « Rue Vineuse », www.parisrevolutionnaire.com.
  29. ^ Une journée avec Christine LagardeELLE FRANCE, 26 Janvier 2010
  30. ^ 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版』、ダイヤモンド社、2007年、p.216.
  31. ^ Steven Lehrer, Wartimes in Paris, 1939-1945, SF Tafel Publishers, New York, 2013.
  32. ^ « Appartement-atelier de Le Corbusier » [PDF], sur www.fondationlecorbusier.fr (consulté le 20 septembre 2016).
    ちなみに、コルビュジエはメトロ10番線に乗り、事務所があるサンジェルマンのセーヴル=バビロヌ駅まで通勤していたとのこと(« ル・コルビュジェが生涯を過ごしたアトリエとアパート text : taco », sur www.vogue.co.jp,‎ 26/4 2014 (consulté en 2/5 2019))。
  33. ^ 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版』、ダイヤモンド社、2007年、p.218.
  34. ^ « 21, rue de Clichy », eve.daumas.pagesperso-orange.fr.
  35. ^ 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版』、ダイヤモンド社、2007年、pp.218-219.
  36. ^ Paul Iseler, Les débuts d'André Gide vus par Pierre Louÿs: avec une lettre d'André Gide à l'auteur et de nombreuses lettres inédites de Pierre Louÿs à André Gide, Éditions du Sagittaire,‎ 1937 (lire en ligne)
  37. ^ パリ19区にあるパリ市立公文書館の戸籍-死亡証明書番号750 (Archives de Paris : État civil - Acte de décès no 750. Cote du Registre : V4E 7324. Archives de Paris, 18 boulevard Sérurier, 75019 Paris.)
  38. ^ CBS NEW Pictures Jacqueline Kennedy Onassis, Avenue Foch, 1969 2013年11月16日
  39. ^ 徳川慶喜・昭武関係年表松戸市教育委員会 生涯学習部 戸定歴史館
  40. ^ 栗本鋤雲の函館井田進也、大妻比較文化 : 大妻女子大学比較文化学部紀要 12, 146-139, 2011
  41. ^ Paul Louis WEISS (1867-1945)”. www.annales.org. 2019年1月4日閲覧。 “En 1899, il est nommé à Paris. Depuis ce moment jusqu'à sa mort, il habite un vaste appartement au 78 bis avenue Henri Martin près du Bois de Boulogne.”
  42. ^ Françoise Dolto, Enfances, Le Seuil,‎ (ISBN 9782021326406, lire en ligne)
  43. ^ (fr) Institut National de l’Audiovisuel- Ina.fr, « Françoise Dolto », sur Ina.fr (consulté le 20 décembre 2018)
  44. ^ George du Maurier: Peter Ibbetson (The Heritage Press, New York 1963), p.Ⅵ f, p.17 f
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    Archived copy”. 2003年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月12日閲覧。
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参考文献[編集]

  • MICHELIN編、『Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud – 』、ISBN 978-2-06-710591-1、MICHELIN、2007年 (仏語。パリ市内の詳細地図。)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]