コンテンツにスキップ

パビリオン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

パビリオンとは

  1. 建築用語。本項で述べる。
    1. 「別棟」「離れ」の意。
    2. 展示会や博覧会などの仮設の建築物、展示館。
    3. 園遊会などの大テント。
  2. 宝石のブリリアントカットにおける下部の名称。
  3. アイスパビリオンは北海道上川郡上川町にある「氷の美術館」。
  4. 紋章学において大紋章を囲むように位置する布。
  5. ヒューレット・パッカード社の個人向けパーソナルコンピュータの商標。コストダウンとエンターテインメント機能の両立を重視し、ビジネスモデルとの差別化が図られている。近年のノートブックPCは、非常に華美な筐体デザインで知られる。

パビリオン(英: pavillion、米: pavilion)とは、東屋や離れ、展示会や博覧会などに使われる独立棟の建物を指す。古くは野営のためのテントを意味し、転じて仮設の建築物を指す言葉になった[1]。フランス語のパヴィヨン(wikt:en:pavillon#French)は広げた布や幕の形が昆虫のチョウ(wikt:papillon)と似ていることに由来している。

形式

[編集]

仮設建築による原始的な集落や兵舎以外にも、敷地に余裕のある病院や学校、研究所、工場などの施設では、用途ごとにそれぞれ別棟の建屋を建設して中央の主棟に対する附属屋(パビリオン)が設けられる。この建築方式は近世ヨーロッパの古典主義建築の時代に好まれ、整然とした対称配置が採られた。この形式は近代以降には機能主義の観点から再評価が行われた[1]。

18世紀にパビリオン形式で建設されたホウカム・ホール(イングランド)
18世紀にパビリオン形式で建設されたホウカム・ホール(イングランド)

邸宅

[編集]

エリザベス朝の末期からエドワード朝時代にかけてのイギリスでは、貴族や地主のカントリー・ハウスとして住宅の四隅にパビリオンを備えたものが多く建てられた[2]。これはシンメトリカルに配置されたパビリオンをコロネードと呼ばれる渡り廊下で連結したもので、パッラーディオ建築に由来している[2]。機能面では、部屋の採光を確保し、複雑に凹凸する壁面は窓から見る風景や外観に変化を与える意味合いがあった[3]。

19世紀のアメリカで発表されたパビリオン形式の軍病院
19世紀のアメリカで発表されたパビリオン形式の軍病院[4]

病院への適用

[編集]

パビリオン形式の病院への適用は細菌学の勃興期にナイチンゲールがクリミア戦争の教訓を元に唱導した病棟から始まっている。これは広い敷地に間隔を開けて病棟を設けるもの[5]で、採光や通気、換気に優れ[6]、感染症の発生した際には簡単に病棟単位で隔離でき、必要に応じて建物の焼却できるよう考えられていた[5]。

日本では、明治村に移築された陸軍の名古屋衛戍病院がナイチンゲール病棟を用いたパビリオン形式として知られる。軍医の森林太郎(森鴎外)は陸軍病院の標準形式を選定する審査委員の一人として蛾屋式(パウイリヨンジスチム)を優れた形式と紹介した[6]。

東屋

[編集]

東屋としてのパビリオンでは、清水組(現・清水建設)がインド水塔を横浜・山下公園に建設した際、1941年(昭和16年)の『工事年鑑』でこの造営物を「インデイアンパビリオン」と報じた例がある[7]。

博覧会建築としてのパビリオン

[編集]

初期の博覧会は会場中央に設けた巨大な建物にすべての展示を集めて開催され、パビリオンとは呼ばれなかった。代表的なものとして1851年ロンドン万博の水晶宮がある[8]。1873年のウィーン万国博覧会でも会場中央のメインホールが展示場であったが、周囲の庭園に点在する園亭(東屋)としてパビリオンが配置され、入場者の娯楽や休息に活用された[9]。

展示会場としてのパビリオンが初めて設けられたのは1876年のフィラデルフィア万国博覧会で、会場の中心に大きな建物が5つ、周辺に250棟以上の小建築が設けられ、この時からメインホール形式からパビリオン形式への転換が行われた[8]。1893年のシカゴ万国博覧会では出展国がそれぞれ自前のパビリオンを建設し、来場者は会場内で世界一周を体験できるようになり[10]、以後の万国博覧会でもこの方式が定着した[8]。

日本では1970年の大阪万博で一般化した言葉であり、何々館と言う場合の「館」とほぼ同義で用いられる[注釈 1]。パビリオンは仮設建築として会期の終了後に取り壊されることが多いが、一部は閉会後も利用され続け、また建築物として高く評価されて保存・再建が行われる場合もある。

大阪万博でパビリオンという名前を付けた展示館として、ガスパビリオン・古河パビリオン等があった。ガスパビリオンは日本で開催された全ての国際博覧会で出展されている。

代表的なパビリオン建築

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ↑ このため逆説的にメインホール形式の水晶宮などもパビリオンと呼ばれる場合がある。

出典

[編集]

参考文献

[編集]
  • 片木篤「第6章 バタフライ型平面を持つ住宅」『エドウィン・ラッチエンス研究 : 住宅における軸構成の分析』東京大学、1989年。NDLJP:13037263/122。 
  • 「パビリオン」『平凡社大百科事典』(11 (ナーハホ))平凡社、1985年6月、11-1300頁。NDLJP:12405241/654。 
  • 井谷幹一「インデイアンパビリオン」『潮流にし・ひがし : 変転する医療の動きを追って』近代文芸社、1988年1月、13-14頁。NDLJP:13173244/12。 
  • 清水組 編「インデイアンパビリオン」『工事年鑑』(昭和16)清水組、1941年、13-14頁。NDLJP:1229737/31。 
  • 尹世遠. “日本の近代病院建築”. 教養と看護. 2026年7月16日閲覧。
  • 「パビリオン」『日本万国博覧会 : 公式ガイド』日本万国博覧会協会、1970年、327頁。NDLJP:11940690/169。 
  • 吉田光邦 編「パビリオン」『図説万国博覧会史 : 1851-1942』思文閣出版、1985年3月。NDLJP:11939676/24。