ヌイイ=シュル=セーヌ

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ヌイイ=シュル=セーヌ
Blason ville fr Neuilly-sur-Seine (Hauts-de-Seine).svg

Mairie de Neuilly-sur-Seine.JPG
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル・ド・フランス地域圏
(département) オー=ド=セーヌ県
(県庁所在地)
(arrondissement) ナンテール郡
小郡 (canton) 2小郡庁所在地
INSEEコード 92051
郵便番号 92200
市長任期 ジャン=クリストフ・フロマンタン
2014年-2020年
人口動態
人口 62 021人
2012年
人口密度 16,628人/km2
住民の呼称 Neuilléens
地理
座標 北緯48度48分19秒 東経2度08分06秒 / 北緯48.805278度 東経2.135度 / 48.805278; 2.135座標: 北緯48度48分19秒 東経2度08分06秒 / 北緯48.805278度 東経2.135度 / 48.805278; 2.135
標高 平均:132 m
最低:103 m
最高:180 m
面積 3.73km2 (2618ha)
ヌイイ=シュル=セーヌの位置(フランス内)
ヌイイ=シュル=セーヌ
ヌイイ=シュル=セーヌ
公式サイト neuillysurseine.fr
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ヌイイ=シュル=セーヌNeuilly-sur-Seine)は、フランスパリ西部近郊にある都市(コミューン)。パリ中心から6.8キロメートルの距離にある。ヌイイ=シュル=セーヌは、ヨーロッパでも特に人口密度の高い都市のひとつである。

概要[編集]

パリ郊外の都市をバンリューというが、ヌイイ=シュル=セーヌは、バンリューの中でも隣接するパリ16区と並ぶ高級住宅地に位置づけられる。

フランスを代表する広告代理店ジーセードコーや、大手電機企業タレス・グループの本社がある。

歴史[編集]

フランス革命期以降、モンテッソン侯爵夫人、さらに商人等を介して、政治家のタレーランジョアシャン・ミュラ元帥らの手に渡ってきたヌイイ城(fr:Château de Neuilly、1751年築)は、ブルボン家による復古王政期に、ルイ・フィリップ(復古王政後のオルレアン朝フランス国王)が所有するようになった。

ヌイイ城の広大な庭園は、ルイ・フィリップの父親ルイ・フィリップ2世("フィリップ・エガリテ")が造成したモンソー公園(現在のパリ8区に所在)をお手本に、"幻想的"に造り上げられた。しかし、オルレアン朝(1830-1848年)の崩壊時にお城から庭園までの大部分が破壊され、ナポレオン3世第二帝政時代に、広大な城や庭園跡は区画割がされ、現在まで続くヌイイ=シュル=セーヌの街となっている。

また、ヌイイにはブローニュの森に沿って、シャンボール城シュノンソー城のフランスの築城様式に範をとった箇所、それとイタリア様式で築城された箇所とがある絢爛豪華なマドリッド城(fr:Château de Madrid)も古く中世の時代から建っていたが、そのマドリッド城の建築様式に範をとった、近接するパリ周辺のラ・ミュエット宮殿(fr:Château de la Muette (Paris))や、シャロー城(fr:Château de Saint-Ange de Villecerf)等と同様、フランス革命期の1790年代に取り壊されてしまった。現在、マドリッド城の柱頭 (建築)の部分、3つのファイアンス焼きなどがセーヴルとエクアン城(fr:Château d'Écouen)の美術館に置かれている

第一次世界大戦後の1919年11月27日、この都市で連合国側とブルガリアとの講和条約「ヌイイ条約」が結ばれた。

交通[編集]

道路[編集]

鉄道[編集]

姉妹都市[編集]

ヌイイ=シュル=セーヌの位置

関係者[編集]

出身者[編集]

ゆかりのある人物[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]