フランス元帥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
現在の元帥杖
フランス元帥の臂章

フランス元帥(フランスげんすい、フランス語: Maréchal de France, 複数形: Maréchaux de France)は、フランス軍の称号。軍隊の階級でなく栄典であり、特別な武功を立てた将校に授与された。1185年に栄典が創設されて以来、342人の将校がフランス元帥の栄典を授与された。6人のフランス元帥は、フランス大元帥というさらに高位の栄典を授与された。

現在、1972年7月13日の法律第4条には「フランス陸軍元帥及びフランス海軍元帥の称号は、国家より与えられる栄誉である」と定められており、したがって、フランス元帥は軍隊の階級ではなく名誉称号にあたる。陸軍大将が五つ星の臂章をつけるのに対して、フランス元帥は七つ星の臂章を身につけ、さらに、元帥位のもう一つの象徴である星をちりばめた青いビロード張りの元帥杖を授与される。そこにはこう銘記されている「Terror belli, decus pacis」(戦時には恐るべく、平時には輝かしく)と。

目次

歴史[編集]

君主制の時代[編集]

初めの頃、フランス元帥の役割は王の馬を管理するだけだった。13世紀初頭、フランス元帥はコンスタブル(騎兵隊)隷下として軍に組織された。軍の栄典として初めて王からフランス元帥を授与された人物は、フィリップ2世によりMezの領主に任命されたアルベリク・クレマン(Gauthier III de Nemours)で、1185年のことだった。

1624年リシュリューがコンスタブル職を廃止した後は、フランス元帥が軍の最高司令官となった。元帥の中でもさらに王の信任を受けた人物は、「国王の陣営と軍隊の大元帥」(フランス大元帥)を授与されることもあった。

それらの任務に加えて、国家憲兵隊の前身である「maréchaussee」(近衛騎兵隊)への国の命令を管理する任務も遂行した(この国の命令は、元帥の長官の仲介者を通して通達された)。

この栄典がいったん廃止される1793年までにフランス元帥になった人物は263人いた。

フランス革命、帝政から19世紀にかけて[編集]

元帥号は、1793年2月21日に国民公会により廃止された。

1804年5月18日fr:sénatus-consulte (上院、元老院の法令)は「帝国元帥」を規定した。フランス第一帝政下で「フランス帝国の元帥」について全ての面で明確にされた。

フランス復古王政では、帝国元帥はフランス元帥になる。

1839年8月4日の法律では、フランス元帥の定員は平時の6人以上であり、戦時で12人に増員できることを規定している。平時の定員を超えている場合は、さらに3人の欠員を昇進させることができる。

フランス第二帝政下では、ナポレオン3世は称号を変えなかった。フランス元帥は元老院の正規のメンバーとなった。

フランス第三共和政下では、元帥の職権が帝政を強くイメージさせるため、第一次世界大戦以前にフランス元帥が授与されることはなかった。最後の元帥フランシス・セルタン・ドゥ・カンロベール(Francois Certain de Canrobert)は1895年に死去した。

フランス元帥よりさらに権威のあるフランス大元帥は19世紀まで存在した。

20世紀[編集]

第一次世界大戦中に元帥の権威が復元された。最後のフランス元帥2人は、1967年に亡くなったアルフォンス・ジュアン(Alphonse Juin)、および1970年に死亡したマリー・ピエール・ケーニグ(Marie-Pierre Kœnig[1]である。

フランス元帥位に昇格する特別な要件はないが軍隊を指揮して勝利する事が慣例となっている。

フランス元帥位は、20世紀まで法律ではなく命令を通して授与された。ただし、法律は事前認可の命令だった。こうして、ジャン・ド・ラトル・ド・タシニーJean de Lattre de Tassigny)は元帥位に昇格した。同日の法令の第2条では、陸軍大将のジャン・ド・ラトル・ド・タシニーに死後追号(titre posthume)としてフランス元帥位の授与を政府は許可したとある。同様に、フィリップ・ルクレールもフランス元帥の位階に昇格した[2]

フランスの公式文書は大文字で統一されている。(「Maréchal de France」や「maréchal de France」)

元帥の特権[編集]

元帥は勤務費として9000フランを個人で受け取る。この金額は1960年8月2日の法令第1条で定められており、現在も有効である。

第二次世界大戦中に叙任された元帥および将軍は、オテル・デ・ザンヴァリッドに埋葬される権利があると、1929年3月27日の法律で定められている。

年金の補助に関する規定(1929年4月14日の法律)があり、特別な元帥だったフォッシュの未亡人(1929年3月29日の法律)とラトル・ド・タシニーの未亡人(1952年7月11日の法律)に与えられた。もう一つの法令(1967年12月28日)では、アルフォンス・ジュアン元帥の未亡人本人から相続税フランス語版)が免除された。

カペー朝[編集]

フィリップ2世(1180年 - 1223年)[編集]

ルイ9世(1226年 - 1270年)[編集]

フィリップ3世(1270年 - 1285年)[編集]

フィリップ4世(1285年 - 1314年)[編集]

ルイ10世(1314年 - 1316年)[編集]

フィリップ5世(1316年 - 1322年)[編集]

シャルル4世(1322年 - 1328年)[編集]

ヴァロワ朝[編集]

フィリップ6世(1328年 - 1350年)[編集]

ジャン2世(1350年 - 1364年)[編集]

  • アルヌール・ドードレム(Arnoul d'Audrehem)(1370年没)、オードレム卿。授与年:1351年
  • ロギュ・ド・アンジュスト(Rogues de Hangest)(1352年没)、アヴェーヌクール(Avesnecourt)領主。授与年:1352年
  • ジャン・ド・クレルモン(Jean de Clermont)(1356年没)、シャンティイおよびボーモン領主。授与年:1352年
  • ジャン1世・ル・マングル(Jean Ier Le Meingre)(1310年 - 1367年)、通称「ブシコー(Boucicaut)」、愛称「Le Brave」。授与年:1356年

シャルル5世(1364年 - 1380年)[編集]

シャルル6世(1380年 - 1422年)[編集]

シャルル7世(1422年 - 1461年)[編集]

ルイ11世(1461年 - 1483年)[編集]

シャルル8世(1483年 - 1498年)[編集]

ヴァロワ=オルレアン朝[編集]

ルイ12世(1498年 - 1515年)[編集]

ヴァロワ=アングレーム朝[編集]

フランソワ1世(1515年 - 1547年)[編集]

アンリ2世(1547年 - 1559年)[編集]

フランソワ2世(1559年 - 1560年)[編集]

シャルル9世(1560年 - 1574年)[編集]

  • François de Scépeaux(1509年 - 1571年)、ヴィエイユヴィル(Vieilleville)領主。授与年:1562年
  • アンベール・ド・ラ・プラティエール(Imbert de La Platière)(1524年 - 1567年)、ブルディヨン(Bourdillon)領主。授与年:1564年
  • アンリ1世・ド・モンモランシー(Henri Ier de Montmorency)(1534年 - 1614年)、ダンヴィル領主、モンモランシー公、ダンマルティンおよびアレー(Alais)伯、シャトーブリアン男爵、シャンティイ(Chantilly)およびエクアン(Ecouen)領主。授与年:1566年
  • アルテュス・ド・コッセ=ブリサック(Artus de Cossé-Brissac)(1582年没)、ゴノール(Gonnord)領主およびスゴンディニー(Secondigny)伯。授与年:1567年
  • ガスパール・ド・ソ(Gaspard de Saulx)(1509年 - 1575年)、タヴァンヌ(Tavannes)領主。授与年:1570年
  • オノラ2世・ド・サヴォワ(Honorat II de Savoye(1580年没)、ヴィラール侯。授与年:1571年
  • アルベール・ド・ゴンディ(Albert de Gondi)(1522年 - 1602年)、レッツ(Retz)公。授与年:1573年

アンリ3世(1574年 - 1589年)[編集]

  • ロジェ・ド・サン=ラリ(Roger Ier de Saint Lary)(1579年没)、ベルガルド(Bellegarde)領主。授与年:1574年
  • ブレーズ・ド・モンリュック(Blaise de Lasseran de Massencome)(1500年 - 1577年)、モンリュック(Montluc)領主。授与年:1574年
  • ルイ・プレヴォー(Louis Prevost)(1496年 - 1576年)、サンサック(Sansac)男爵。
  • アルマン・ド・ゴントー=ビロン(Armand de Gontaut-Biron)(1524年 - 1592年)、授与年:1577年
  • ジャック2世・ド・ゴワイヨン(Jacques II de Goyon)(1525年 - 1598年)、マティニョン(Matignon)およびレスパール(Lesparre)卿、トリニ(Thorigny)伯、モルターニュ=シュル=ジロンド公(prince de Mortagne sur Gironde)。授与年:1579年
  • ジャン6世・ドーモン(Jean VI d'Aumont)(1580年没)、エトラボンヌ(Estrabonne)男爵、シャトールー伯。授与年:1579年
  • ギヨーム・ド・ジョワイユーズ(Guillaume de Joyeuse)(1520年 - 1592年)、ジョワイユーズ子爵。サン=ディディエ(Saint-Didier)、ロダン(Laudun)、ピュイヴェール(Puyvert)およびアルク(Arques)領主。授与年:1582年
  • フランソワ・グッフィエ(François Gouffier)(1594年没)、通称「le jeune」、デファン(Deffends)侯。クレーヴカール(Crèvecœur)、ボニヴェ(Bonnivet)、トワ(Thois)領主。授与年:1586年

ブルボン朝[編集]

アンリ4世(1589年 - 1610年)[編集]

ルイ13世(1610年 - 1643年)[編集]

ルイ14世(1643年 - 1715年)[編集]

ルイ15世(1715年 - 1774年)[編集]

ルイ16世(1774年 - 1792年)[編集]

第一帝政[編集]

第一帝政の元帥杖

ナポレオンは、26人に帝国元帥を授与した。

ナポレオン1世(1804年 - 1815年)[編集]

これらの元帥のうち19名の名前が、パリを取り巻く道路ブルヴァール・デ・マレショーにつけられている。また、26人の元帥のうち7名が非業の死を遂げた(ベシェールは砲弾により戦死、ランヌは戦場で致命傷を受け戦死、ポニャトフスキは退却中に溺死、ベルティエは自殺、ブリューヌは暗殺、ミュラーとネイは刑死)。

復古ブルボン朝[編集]

ルイ18世(1814年 - 1824年)[編集]

シャルル10世(1824年 - 1830年)[編集]

オルレアン朝[編集]

ルイ・フィリップ1世(1830年 - 1848年)[編集]

第二共和政[編集]

ナポレオン3世(大統領)(1848年 - 1852年)[編集]

フランス第二帝政[編集]

ナポレオン3世(皇帝)(1852年 - 1870年)[編集]

第三共和政[編集]

レイモン・ポアンカレ(1913年 - 1920年)[編集]

Marechal Joffre Marechal Foch Marechal Petain

アレクサンドル・ミルラン(1920年 - 1924年)[編集]

ガリエニ元帥 リヨテ元帥 フランシェ・デスパレ元帥 ファイヨル元帥 モヌーリ元帥

第四共和政[編集]

ヴァンサン・オリオール(1947年 - 1954年)[編集]

ラトル・ド・タシニー元帥の像 アルフォンス・ジュアン元帥 ルクレール元帥

第五共和政[編集]

フランソワ・ミッテラン(1981年 - 1995年)[編集]

ケーニグ元帥と将校。後の米大統領ドワイト・D・アイゼンハワーと共に。

脚注[編集]

  1. ^ 1984年6月6日の法令による死後追号
  2. ^ 1952年7月11日に法律で認可され、1952年8月23日に共和国大統領が法令を公布した。しかし、両方の法律は政府によるもの。(法案として計画されたが提議されていない)。
  3. ^ Moreri および Le Clerc, Le grand dictionnaire historique sur le melange curieux de l'histoire sacree et profane, vol. 3, Halma (lire en ligne)
  4. ^ http://books.google.fr/books?id=9ZliiOO3kAkC&pg=PA216
  5. ^ Ce n'est pas le celebre d'Artagnan, juste un parent eloigne
  6. ^ Dictionnaire des marechaux de France, editions Perrin.
  7. ^ BeghainBenoitCorneloup および Thevenon, Dictionnaire historique de Lyon, Lyon, Stephane Baches, 1504 p. (ISBN 978-2-915266-65-8), p. 244
  8. ^ Suite a son proces, Philippe Petain est frappe d'indignite nationale, mais les historiens ne semblent pas d'accord sur le fait que cette indignite comprenait egalement la perte de son titre de marechal de France.
  9. ^ Loi no 52-52 du 15 janvier 1952 et decret no 52-56 du 15 janvier 1952, JORF no 13 du 16 janvier 1952, p. 658 et 666.
  10. ^ Decret du 7 mai 1952, JORF no 111 du 8 mai 1952, p. 4713.
  11. ^ Loi no 52-811 du 11 juillet 1952, JORF no 167 du 12 juillet 1952, p. 7003, et decret du 23 aout 1952, JORF no 203 du 24 aout 1952, p. 8430.
  12. ^ Decret du 6 juin 1984, JORF no 134 du 8 juin 1984, p. 1775.

参考文献[編集]

  • Comte Louis d'Harcourt, Connetable et Marechaux de France, Emile Paul Freres, Paris, 1913 (2 vol.)
  • Genevieve Maze-Sencier, Dictionnaire des marechaux de France du Moyen Age a nos jours, Perrin, Paris, 2000
  • Simon Surreaux, Les Marechaux de France des Lumieres, Histoire et Dictionnaire d'une elite militaire dans la societe d'Ancien Regime, SPM, Paris, 2013

関連項目[編集]

外部リンク[編集]