ブリジット・バルドー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Brigitte Bardot
ブリジット・バルドー
ブリジット・バルドー
本名 Brigitte Anne-Marie Bardot
生年月日 1934年9月28日(81歳)
出生地 パリ
国籍 フランスの旗 フランス
職業 女優歌手
配偶者 ロジェ・ヴァディム(1952年 - 1957年)
ジャック・シャリエ(1959年 - 1962年)
ギュンター・ザックス(1966年 - 1969年)
Bernard d'Ormale(1992年 - )

ブリジット・バルドーBrigitte Bardot1934年9月28日 - )は、フランスパリ16区[1]出身の女優ファッションモデル歌手、動物保護活動家である。頭文字が B.B.[注釈 1]であることから、同じ発音で「赤ん坊」を意味するフランス語 bébé[注釈 2]とかけて「BB」が愛称となる。猫のような目にぼてっとした唇が愛らしく「フランスのマリリン・モンロー」とも形容され、20世紀のヨーロッパを代表するセックス・シンボルであった。

来歴[編集]

父ルイ・バルドー(1896‐1975)(ピルーとあだ名が付けられていた。)エアーリキード株式会社(産業ガス)が所有のバルドーと言う会社を経営をしていた。[2]詩人でもあり詩集を出版しアカデミー・フランセーズの賞を受賞している。映画が好きで自分でも8ミリカメラで撮影していた。家族のシーンを沢山撮ってその時代珍しかった。映画、演劇、雑誌のディレクターと親しい付き合いがあった。父ルイが37歳の時母アン・マリ・ムセル(1912‐1978)(トティとあだ名が付けられていた。)と結婚する。専業主婦。母は子供の頃イタリアでよく過ごしファッシュンとダンスが好きであった。1934年9月28日長女ブリジットが生まれ次女マリー・ジャンヌ(ミジャヌとあだ名が付けられていた。)1938年5月5日に生まれる。1956年から1970年まで女優の活動をしていた。1960年代に俳優パトリック・ボーショーと結婚し娘が一人いる。1970年から家具の制作をしている。 妹マリー・ジャンヌはとても成績がよくブリジットは成績が悪くよく怒られ両親は妹贔屓であると感じていた。どうして私は生まれてきたのだろうとよく悩んだようだ。 ブリジットは右目が弱視であった。[3]バレエを7歳の時にリコと言う先生のもとで始め初めて賞を貰う。 マルセル・ブルガと言う先生に変わる。 1948年ブリジットが14歳にフランス国立高等音楽院に受かった。150人中10人の中に選ばれた。 同じ年音楽院止めてボリス・クニヤゼフと言う先生の所で続ける。 ブルターニュ地域圏レンヌでクリスチャン・ホワのエトワール・バレエの劇団に参加する。 フランス女性ファッション雑誌『Elle』のディレクターエレーヌ・ラザレフとブリジットの母が親友で1949年子供のファッションモデルに15歳でなる。1949年直ぐ皆にきにいれられ雑誌のマスコットになる。『Elle』表紙として写真に載る。 映画監督マーク・アレグレが雑誌を見て再会を求めたが両親が女優になることに反対した。祖父が彼女を信じて遣らせる事を進めその当時マーク・アレグレのアシスタント監督ロジェ・ヴァディムにオーディシュンで出会い『切ったキュウチクトウ』と言う映画に演出させたが最終的にその映画はできなかったがロジェ・ヴァディムはブリジットに恋する。両親はロジェ・ヴァディムの交際を反対しブリジットはイギリスで勉強する事になる。5年後成人過ぎてから戻るように言われるがブリジットは悲しく拒否した。その夜家族でスペクタクルを見に行く予定だったが頭が痛いと行かずキッチンのガスを開いて自殺しょうとした。スペクタクルは中止になり早く戻ってきた家族はブリジットが意識不明になっているのを発見。意識が戻ったブリジットはイギリスに行く事を断念するよう父に懇願する。父親は18歳まで結婚しない事を条件とした。18歳でブリジットの父はロジェ・ヴァディムと結婚を許し結婚する。 1952年12月21日結婚 1957年12月6日に離婚。 1959年ジャック・シャリエと仕事し関係を持ち子供ができる。 1959年6月20日ジャック・シャリエと再婚する。1962年11月20日離婚 1966年7月14日ギュンター・ザックス再婚1969年10月1日離婚 1992年8月16日ベルナー・ドルマル再婚。

ブリジット・バルドー 1965.
ブリジット・バルドー 1961.

1956年、ヴァディムの監督作品『素直な悪女』で男達を翻弄する小悪魔を演じ、セックス・シンボルとして有名になった。 歌手としての活動もあり、1967年にはセルジュ・ゲンスブールの提供による「Harley Davidson」(「ハーレイ・ダビッドソン」)、「Je t'aime... moi non plus」(「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」)、「Bonny and Clyde」(「ボニーとクライド」)などを歌った。1968年初頭には、ゲンスブールとの連名のアルバム『ボニーとクライド』も発表している。当時ギュンター・ザックスと結婚していたバルドーは、ゲンスブールと不倫の関係にあったが、「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」はそれを露骨に示す。この歌はバルドーとゲンスブールのデュエットに加え、バルドーによるあえぎ声の演技を含んでいる。そのことからバルドーはこの歌のリリースを拒否、ほどなくゲンスブールとの関係も円滑でなくなり男女関係解消。

ブリジット・バルドーとサミー・フレイ(右)、1963年

1973年のL'Histoire très bonne et très joyeuse de Colinot trousse-chemise『スカートめくりのコリノのとても素敵なとても楽しい物語』(日本未公開) を最後に引退宣言して動物愛護活動に専念する。1982年『Toutes les bêtes sont à aimer』(全ての動物は愛す為にいる)の曲のシングルレコードをリリースする。

2009年動物の倫理的扱いを求める人々の会、通称PETAの会員で、同会の広告塔であるバルドーは、「カナダのアザラシ猟に対する抗議活動」として、カナダ産メイプルシロップのボイコット運動を行っている。

2011年日産MOCOCMソングに、ブリジット・バルドー本人が歌う「Ça Pourrait Changer」が使われた[4]

エピソード[編集]

姓も名も同じアルファベットのイニシャルを持つ(Brigitte Bardot=BB、Marilyn Monroe=MM)という共通点を持ち、同時期に世界的なセックス・シンボルとして人気だったため、昔からマリリン・モンローと一緒に話題になるが、NHK-BS2で放映された番組[5]でのインタビューで、バルドーは『みんな、モンローかバルドーか?って、よってたかって勝手に並べるけど、私はマリリンのファンなの。でも、影響を受けたとか真似したとかは一度もないわ。だって、私は彼女の足元にも及ばない』と語っている。日本でも発売された自伝「イニシャルはBB」でも、エリザベス女王への謁見の時にバッキンガム宮殿の化粧室でモンローと1度だけ会った思い出[注釈 3]やモンロー死去の報を聞いた時の大きなショックのことなどが詳細に綴られている。

動物愛護運動家としてのバルドーとその逸話[編集]

  • 1962年屠畜場での家畜の殺し方に不満を持ちペスコベジタリアンになる。

ベジタリアンになれとは言わないが一切れの苦しみと恐怖で惨く死んだ動物の肉を食べるのを控えて欲しい。 中世時代より悪い !子牛の喉が開いて血まみれで肢が折れた拷問の写真を見て私は長い間泣いた。この恐ろしい血まみれの虐殺を世界で誰も告発しないのなら私がする。 ビーフステーキは恐ろしい罪のない動物を苦しませた結果の死。[6] その時の内閣大臣ロジェ・フレ氏とやりとりする。 屠殺用のピストルを持ってブリジットは語った。イギリスやデンマークではピストルで脳頭蓋を撃って神経を麻痺させて苦しみを与えないようにしてます。フランスではナイフで喉を掻切って意識があるまま3、4、5分もがいて苦しみながら出血により死ぬ。ピストルで苦しませない遣り方を遣るよう求める。 Cinq colonnes à la une(第1面の5段抜き記事と言う意味) と言う番組で屠畜場の現実を語った。 この後、秘密軍事組織にブリジットの両親に50000フラン求められるが払わなかった。警察に守るよう要求したが断り2人のガードマンを雇った。

  • 1964年農林水産省の大臣エドガー・ピザニがこの問題の政令にサインする。
  • 1970年大臣エドガール・フォールが兎と鶏も屠畜場での殺し方を人道的にする。[7]

この後フランスでの屠殺の法律が厳しくなる。

  • 1966年パリの郊外にあるジュヌヴィリエのSPA 動物愛護協会で里親募集を企画した日解説者ジョン・ポール・ステガーが酷い状態で10匹位の犬が死ぬとにブリジットに知らせ見学する。

ブリジットは犬5匹と猫10匹引き取り映画のスタジオに連れてきてスタッフに里親になってもらう。 愛護施設で見た事は存在してはいけないと考える。人々は多分知らないのかもしれないがここに引き取られると8日間で自動的に注射されて殺す事を知って欲しい。 8日間の間2、3匹ごととっても小さく臭く汚い檻に入れられ餌もあると言えなくあまり食べないで悲しみに死にさせる遠吠えのコンサートそこに行くと肢を檻に上げる全部引き取ってあげたい気持ちになる。8日間で自動的に注射して殺す。(現在はよっぽどの事がない限り殺さないです。) 動物愛護の施設を改良するようブリジットが頼み1973年完成しブリジットが落成式をする。

  • 1976年国際動物福祉基金の組織と一緒にカナダのアザラシ狩りの現実を告発する。

生まれて15日くらいのアザラシを棍棒で殴って殺すが意識がある場合もある。その場で解体する。

カナダの狩りの反対にイザベル・アジャーニ,キム・ベイシンガー,ティッピ・ヘドレン,ウルスラ・アンドレス,ジョニー・アリディが支援する。

  • 1978年子供用にアザラシの赤ちゃんの話の本を出版する。『Noonoah le petit phoque blanc』(ヌノア小さな白いアザラシ)出版社Grasset jeunesse
  • 1983年3月28日 欧州評議会に受け入れられた後欧州連合でのアザラシの仔の毛皮と白いアザラシのオーバーコートの輸入禁止になる。
  • 1980年TF1テレビ局で馬の屠畜場での状態を語る。フランスでそれをなくすことを依頼する。
  • 1985年その時の大統領フランソワ・ミッテランからレジオンドヌール勲章を与えられるがブリジットは行かず

『私のレジオンドヌール勲章を苦しむ動物たちに捧げる。』と宣言する。

  • 1986年ブリジット・バルドーの動物愛護施設を作る。

施設のためブリジットの宝石、服、ギターetc..競売にかけて売った。 『私は青春時代の美しさを男性に捧げたが私の良識と経験と自分のベストを動物に捧げる』と宣言する。

  • 1989年から1992年まで『S.O.S. Animaux』S.O.S動物と言う番組に出演する。

象牙の不正取引、動物実験の現状、行き過ぎた狩り、エキゾチックの動物の不正取引、屠畜場の状態など取り上げた。

  • 1994年ヴァール県で猟師に向けてのデモ行進する。
  • 1994年デザイナーに毛皮をもう使わないよう依頼する。
  • 1996年 馬の尻尾を切ることを禁止するよう依頼する。
  • 同じ年イスラム教の儀式に遣る羊の殺し方を告発し人種差別とされ罰金を払わされた。
  • 2002年FIFAワールドカップの機会に南韓国で犬と猫を食べる事で南韓国の商品のボイコットして約7000通の殺すと言う脅迫状が来た。
  • 2003年2006年国会で討論の末犬と猫の毛皮の輸入禁止にする。
  • 2005年フランツ・ウィバー 作家、ジャーナリストとカナダでのアザラシの狩りを禁止させる活動する。

その機会に毛皮を着ることも禁止させる活動する。

その機会に『Pourquoi ?』(何のために ?)出版社Rocherから本を出す。1973年から動物愛護の活動を書いた本。 その年リュウマチにもかかわらず杖ついてカナダアザラシの狩禁止の活動に行く。 毛皮、油、催淫剤のためのペニスの粉末をアジアの国に売る必要はない。 人生発展しないといけない。私はもう若くない多分ここに来のは最後だと思う。私が死ぬ前に虐殺を止めるのを見たい。心の深くメッセージお願いする。 シラク元大統領はブリジットを援助し欧州委員会で付託する。

  • 2009年アザラシの狩りからの製品全部販売輸入輸出通過を禁止する。

ブリジットは30年間はじめて海氷の上に行った日のように多分私ははじめて私の戦いと人生は無駄でなかった事を感じる。 ポール・マッカートニーパメラ・デニス・アンダーソンもブリジットを支援する。

これからあなたの国で遣る残酷な虐殺を止めるよう頼む。酷い遣り方で約400000のアザラシ殺すと訴える私の友人ブリジット・バルドーを支援する

  • 2011年3月東日本大震災 他の動物保護とコラボレーションして支援した。
  • 2012年フランスのリヨンの公園に2頭のゾウが結核の疑いがあり殺される予定だったが政府にブリジットが何度も手紙を書きいくつか提案を渡したがよい返事がなく動物の墓場になる国から逃げロシアの国籍を依頼すると手紙に書いた。結局その2頭のゾウは結核ではなくステファニー・ド・モナコの娘がその事を伝え助けるよう頼み現在モナコに元気に過ごしている。[8]
  • 2016年3月ブリジット・バレドー保護団体はタイの犬を救う。

アジアの国 韓国、中国、タイ、ベトナムなどの国では犬と猫は食肉とされる。盗まれた犬又は商品と引き換えられた犬が酷い状態で不正取引される。動物愛護の憲法が厳しくなってからタイの政府も厳しく取り締まるようになった。警察と協力しベトナムと中国に食肉として運ばれる途中で地元のsoi dog 保護団体とコラボレーションして約500頭を保護する。長年soi dog と付き合いがあり、薬や食べ物囲いを作る援助している。その中の12匹がフランスに運ばれてノルマンディ地方にある愛護施設で里親待ちになっている。[9]

  • 1984年に『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』のリリースを認めたときも、「売り上げは動物愛護団体に寄付する」という条件をつけた。
  • とくに毛皮(使用・製造・販売者や肯定派の者)に対しては何人たりと容赦がないことで有名。
    • 1999年にはフランスの雑誌に、中国江沢民に宛てた手紙を書いた。内容は、中国で媚薬のために熊や虎、サイが捕られており、それに抗議するというものであった[10]
  • 過激な抗議活動で知られる反捕鯨団体「シーシェパード」を支援している[11]。また、自身の名を冠した船を所有することにも同意している[12]
  • 2010年6月に仏ランセルとのコラボレーションにより、自身の名前を冠した動物由来の素材を一切使っていないバッグを発売した。
  • 康芳夫の企画していたトラvs格闘家をジミー・カーターに働きかけ、中止に追い込んだ。

主な出演作品[編集]

公開年 邦題
原題
役名 監督
1952 素晴らしき遺産
Le trou normand
ジャボット・ルモアン ジャン・ボワイエ
ビキニの裸女
la fille sans voiles
マニナ ウィリー・ロジエ
1953 想い出
Un acte d'amour
ミミ アナトール・リトヴァク
1955 ブリジット・バルドー/恋するレオタード
Futures vedettes
ソフィー マーク・アレグレ
わたしのお医者さま
Doctor at Sea
ヘレン・コルベ ラルフ・トーマス
夜の騎士道
Les Grandes manoeuvres
ルーシー ルネ・クレール
わたしは夜を憎む
La lumière d'en face
オリヴィア ジョルジュ・ラコンブ
1956 トロイのヘレン
Helen of Troy
アンドラステ ロバート・ワイズ
この神聖なお転婆娘
Cette sacrée gamine
ブリジット ミシェル・ボワロン
わが息子暴君ネロ
Mio figlio Nerone
ポペ ステーノ
裸で御免なさい
En effeuillant la marguerite
アニエス マーク・アレグレ
素直な悪女
Et Dieu... créa la femme
ジュリエット・アルディ ロジェ・ヴァディム
1957 殿方ご免遊ばせ
Une parisienne
ブリジット ミシェル・ボワロン
1958 月夜の宝石
Les Bijoutiers du clair de lune
ウルスラ ロジェ・ヴァディム
可愛い悪魔
En cas de malheur
イヴェット クロード・オータン=ララ
1959 私の体に悪魔がいる
La Femme et le pantin
エヴァ ジュリアン・デュヴィヴィエ
バベット戦争へ行く
Babette s'en va-t-en guerre
バベット クリスチャン=ジャック
気分を出してもう一度
Voulez-vous danser avec moi?
ベルジニ・ダンデュ ミシェル・ボワロン
1960 真実
La vérité
ドミニク アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
1961 何がなんでも首ったけ
La Bride sur le Cou
ソフィー ロジェ・ヴァディム
素晴らしき恋人たち
Amours célèbres
アニエス ミシェル・ボワロン
1962 私生活
Vie privée
ジル ルイ・マル
戦士の休息
Le repos du guerrier]
ジュヌヴィエーヴ ロジェ・ヴァディム
1963 軽蔑
Le Mépris
女優カミーユ・ジャヴァル ジャン=リュック・ゴダール
1965 ビバ!マリア
Viva María!
マリア ルイ・マル
ボクいかれたヨ!
Dear Brigitte
本人役 ヘンリー・コスター
1967 セシルの歓び
À coeur joie
セシル セルジュ・ブールギニョン
1968 世にも怪奇な物語
Histoires extraordinaires
ジュセピーナ ルイ・マル
シャラコ
Shalako
イリーナ エドワード・ドミトリク
1969 女性たち
Les femmes
クララ ジャン・オーレル
1970 気まぐれに愛して
L'ours et la poupée
フェリシア ミシェル・ドヴィル
パリは気まぐれ
Les novices
アニエス ギイ・カサリル
1971 ラムの大通り
Boulevard du rhum
リンダ・ラルー ロベール・アンリコ
華麗なる対決
Les Pétroleuses
ルイーズ クリスチャン=ジャック
1973 ドンファン
Don Juan ou Si Don Juan était une femme...
ジャンヌ ロジェ・ヴァディム
  • 1952 Les Dents longues(野心満々)役は新婦の証人になる 監督ダニエル・ジェラン
  • 1953 Le Portrait de son père(彼の父の肖像)役ドミノ 監督アンドレ・ベルトミュ
  • 1953 Si Versailles m'était conté... 『ヴェルサイユ語りなば』役ロジェ 監督サシャ・ギトリ
  • 1954 Haine, Amour et Trahison (憎しみと愛と裏切り) 役アンナ 監督マリオ・ボナールド
  • 1954 Le Fils de Caroline Chérie(キャロリン・シェリーの息子)役ピラー・ダロンダ監督ジャン・ドベーブル
  • 1956 La mariée est trop belle(新婦がとっても綺麗)役シュシュ 監督ピエール・ガスパール=ユイ
  • 1961 L'Affaire d'une nuit(一夜の出来事)日本のタイトル『艶ほくろ』役レストランの女性監督アンリ・ヴェルヌイユ
  • 1963 Paparazzi『パパラッツィ』ドキュメンタリー本人について 監督ジャック・ロジエ
  • 1964 Une ravissante idiote(お人好しな素敵な娘)役 ペネロップ・ライトフィザー監督 エドゥアール・モリナロ
  • 1966 Masculin féminin『男性・女性』本人役 監督ジャン=リュック・ゴダール
  • 1966 Marie Soleil(マリー太陽)本人役 監督アントワーヌ・ブーセイエ
  • 1973 L'Histoire très bonne et très joyeuse de Colinot trousse-chemise 『スカートめくりのコリノのとても素敵なとても楽しい物語』(日本未公開) 役アラベル 監督ニナ・コンパネーズ

演劇[編集]

  • 1953年演劇『L'Invitation au château』日本のタイトル『城への招待』イザベル役 脚本 ジャン・アヌイ演出家 アンドレ・バールザク

受賞[編集]

  • 1957年フランスのヴィクトワール・ド・シネマより最優秀女優賞
  • 1958年フランスのヴィクトワール・ド・シネマより最高人気賞
  • 1959年フランスのヴィクトワール・ド・シネマより最高人気賞
  • 1960年フランスのヴィクトワール・ド・シネマより最高人気賞
  • 1960年イタリアのダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞(最優秀女優賞)を受賞する
  • 1961年フランスのヴィクトワール・ド・シネマより最高人気賞
  • 1966年フランスのエトワール・ド・クリスタルから最優秀女優賞
  • 1967年ドイツのバンビ賞
  • 1967年トリョンフ・ドゥ ・シネマ・フランセ 賞(フランス大成功映画)
  • 1969 年トリョンフ・ドゥ ・シネマ・フランセ 賞

ディスコグラフィ[編集]

  • 1961 : Stanislas 『スタニスラス』 (フレール・ジャックと言うグールプと一緒に)
  • 1962 : Sidonie 『シドニー』シングルレコード 映画サウンドトラック Vie privée 日本タイトル 『私生活』の曲
  • 1962 : Tiens, c'est toi ! 日本のタイトル 『あら!あなたなの』 (ジョン‐マックス・リヴィエールとデュエット)  La Leçon de guitare 『ギターのレッスン』 (オリビエ・デパックスとデュエット)
  • 1963 : ブリジット・バルドー LPレコード : L'Appareil à sous 日本のタイトル 『ため息の装置』(スロットマシン)Les Amis de la musique 『音楽の仲間達』El Cuchipe 『エル・クチペ 』 (スペイン語)Je me donne à qui me plait 日本のタイトル 『私の身体は彼のもの』(私は気に入った人に捧げる)L'Invitango 日本のタイトル『タンゴで踊りましょう』(タンゴに誘う)  C'est rigolo 日本のタイトル『それはとってもこっけい』La Madrague 日本のタイトル『ふたりの夏にさようなら』(ラ・マドラグ (ブリジットの所有だった別荘現在愛護動物の施設)), Pas davantage 日本のタイトル 『それ以上はやめて』  Everybody Loves My Baby 日本のタイトル『エブリバディ・ラヴズ・マイ・ベイビー』(誰もが私のベイビーを好き) Rose d'eau 『水のバラ』 Noir et Blanc 『白と黒』 Faite pour dormir 日本のタイトル 『眠るのにうってつけ』(眠る為にいる)
  • 1963: L'Appareil à sous 日本のタイトル 『ため息の装置』(スロットマシン) シングルレコード El cuchipe 『エル・クチペ 』(スペイン語)La Madrague 日本のタイトル 『ふたりの夏にさようなら』 (ラ・マドラグ (ブリジットの所有だった別荘現在愛護動物の施設))Les amis de la musique 『音楽の仲間達』
  • 1964 : Invitango 日本のタイトル 『タンゴで踊りましょう』(タンゴに誘う) シングルレコード: Noir et Blanc 『白と黒』 Everybody Loves My Baby 日本のタイトル『エブリバディ・ラヴズ・マイ・ベイビー』(誰もが私のベイビーを好き)C'est rigolo『それはとってもこっけい』
  • 1964 : Ça pourrait changer 『変わるかも』シングルレコード: À la fin de l'été 『夏の終り』Je danse donc je suis 日本のタイトル 『我踊る故に我あり』 Jamais trois sans quatre 日本のタイトル 『3のつぎは4』(4度目の正直)
  • 1964 : B.B. LPレコード : Moi je joue 日本のタイトル 『モア・ジュ・ジュー』(私は遊ぶ) Une histoire de plage 『浜辺の物語』Ça pourrait changer 『変わるかも』À la fin de l'été 『夏の終り』 Ne me laisse pas l'aimer 日本のタイトル 『彼をこのまま愛させないで』Maria Nimguem 日本のタイトル 『マリア・ラムール』(マリア・ニンゲン ポルトガル語)Je danse donc je suis 『我踊る故に我あり』 Mélanie 『メラニー』Ciel de lit  『ベットの空』Un jour comme un autre 『変わらない一日』Les Cheveux dans le vent 『髪を風になびかせて』Jamais trois sans quatre 日本のタイトル 『3のつぎは4』(4度目の正直)
  • 1964 : Une histoire de plage 『浜辺の物語』シングルレコード: Les Cheveux dans le vent 『髪を風になびかせて』Ne me laisse pas l'aimer『彼をこのまま愛させないで』Mélanie 『メラニー』
  • 1965 : Bubble gum 『恋は風船ガム』(風船ガム)シングルレコード : Je manque d'adjectif 日本のタイトル 『私には形容詞が欠けている』(私は言葉が足りない)Les Hommes endormis 日本のタイトル 『眠る男たち』 Les Omnibus 日本のタイトル 『オムニバス』(各駅停車)
  • 1965 : Viva Maria ! 『ビバ!マリア』LPレコード :映画 サウンドトラックParis, Paris, Paris, (パリ,パリ,パリ)Maria, Maria, (マリア,マリア)Ah les petites femmes de Paris 日本のタイトル 『私はああ!かわいい女たち』 (ジャンヌ・モローとデュエット)
  • 1966 : Le Soleil 『太陽』シングルレコード : On déménage 『もようがえ』Gang Gang 『ガン ガン』Je reviendrai toujours vers toi 日本のタイトル 『帰ってくるわ』(私はいつもあなたの方に戻る)
  • 1967 : Je t'aime… moi non plus 『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(私はあなたを愛している..俺も愛してない)1986 発売 シングルレコード セルジュ・ゲンスブールとデュエット
  • 1967 : Harley Davidson 『ハーレイ・ダヴィッドソン』シングルレコード Contact 『コンタクト』
  • 1968 : Bonnie and Clyde 『ボニーとクライド』 LPレコード: Bonnie and Clyde 『ボニーとクライド』Bubble gum 『恋は風船ガム』(風船ガム)Comic strip 『コミック・ストリップ』 Un jour comme un autre『変わらない一日』Pauvre Lola  (S.Gセルジュ・ゲンスブール)『可哀想なローラ』La Madrague 日本のタイトル 『ふたりの夏にさようなら』(ラ・マドラグ (ブリジットの所有だった別荘現在愛護動物の施設))Intoxicated man (S.Gセルジュ・ゲンスブール)(酔った男)Everybody Loves My Baby 『エブリバディ・ラヴズ・マイ・ベイビー』(誰もが私のベイビーを好き) Baudelaire (S.Gセルジュ・ゲンスブール) 『ボードレール』Docteur Jekyll et Mister Hyde (S.Gセルジュ・ゲンスブール)日本のタイトル 『ジキルとハイド』 (ドクタージェコルとミスターハイド)
  • 1968 : Bonnie and Clyde 『ボニーとクライド』シングルレコード英語版 : Comic strip  『コミック・ストリップ』
  • 1968 : ブリジット・バルドーショーLPレコード: Harley-Davidson 『ハーレイ・ダヴィッドソン』  Marseillaise générique 日本のタイトル 『マルセテユ・メロデー』(ジェネリック・マルセイエーズ), Mister sun 『ミスター・サン』Ay ! Que viva la sangria 『サングリア、万歳 !』Ce n’est pas vrai『それは嘘』Gang gang『ガン ガン』Saint-Tropez 『サントロペ』 Port Grimaud 『グリモー港』Oh ! Qu'il est vilain 『あの人、なんていやな人』Paris『パリ』Je reviendrai toujours vers toi 日本のタイトル 『帰ってくるわ』(私はいつもあなたの方に戻る)On déménage 『もようがえ』Le diable est anglais 『悪魔はイギリス人』 David B 『ダヴィット・B』Contact 『コンタクト』
  • 1969 : La Fille de paille 『わらの娘』シングルレコード : Je voudrais perdre la mémoire(私は記憶を消したい)
  • 1970 : Tu veux ou tu veux pas 『欲しい、欲しくない』シングルレコード : Mon léopard et moi (私のヒュウと私)  John et Michael(ジョンとミッシェル)Depuis que tu m'as quittée 日本のタイトル『あなたに捨てられてから』(あなたが私と別れてから)
  • 1970 : Nue au soleil 日本のタイトル 『はだかの太陽』(太陽の下で裸)シングルレコード : C'est une bossa nova 『それはボサノヴァ』
  • 1970 : Les Novices 日本のタイトル 『パリは気まぐれ』(初心者)シングルレコード, 映画サウンドトラック : Chacun son homme (彼氏を一人ずつ)(アニー・ジラルドとデュエット)
  • 1971 : Boulevard du rhum 『ラムの大通り』シングルレコード, 映画サウンドトラック: Sur le boulevard du rhum 『ラムの大通り』Plaisir d'amour (恋の喜び)ギィ・マルションとデュエット
  • 1973 : Vous ma lady (あなたは私のレディ) シングルレコード : ルロン・ベルジェとデュエットTu es venu mon amour 日本のタイトル 『帰ってきた恋人』(愛する人君が来た)
  • 1973 : Le Soleil de ma vie 日本のタイトル 『あなたは私の太陽』(私の人生の光り)シングルレコード : サシャ・ディステルとデュエット
  • 1982 : Toutes les bêtes sont à aimer (全ての動物は愛する為にいる)シングルレコード : La Chasse 『狩り』

動物のための賞[編集]

  • 1980年平和のエトワール賞
  • 1980年イタリアのトリエステのメダル
  • 1985年リールのメダル
  • 1989年人道的平和の賞
  • 1992年国際連合の環境のためグローバル500
  • 1994年パリのメダル
  • 1994年スペイン動物の愛賞
  • 1995年サン・トロペのグランメダル
  • 1995年ラ・ボールのメダル
  • 1996年ポール・レオト賞 本 『イニシャルB.B』
  • 1997 年イタリアのキアンチャーノ賞 本 『イニシャルB.B』
  • 1997年ギリシャのエコロジー賞 国際連合教育科学文化機関のクラブ
  • 1997年ギリシャのアテネのメダル
  • 2001年アメリカの動物の倫理的扱いを求める人々の会の人道的賞
  • 2002年オーストリア マイ・ウェイ賞
  • 2003年自主知識賞 本『Un cri dans le silence』(沈黙の叫び)
  • 2007年ウクライナでの国際映画祭 自然保護と動物の権利に特別審査員賞
  • 2008年スペインのアリタリバ基金賞

日本のテレビ番組出演[編集]

著書(訳書)[編集]

  • 『ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB』 (渡辺隆司訳、早川書房、1997年)
  • 『ブリジット・バルドー怒りと絶望 他人はこれを「暴言・妄言」と呼ぶ』 (香川由利子・桑原透訳、阪急コミュニケーションズ、2004年)

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ フランス語では「ベ・ベ」と読む。
  2. ^ 英語のbabyに相当する。
  3. ^ 写真はない

出典[編集]

  1. ^ ブリジット・バルドー、ロシア国籍取得を検討中? その理由とは…… ELLE
  2. ^ Barnett Singer, Brigitte Bardot : A Biography, McFarland & Company, 2006, 208 p. (ISBN 978-0786425150)
  3. ^ Marie-Dominique Lelièvre, Brigitte Bardot - Plein la vue, Flammarion, 2012, 352 p. (ISBN 978-2-08-124624-9)
  4. ^ YouTube>いいなCM 日産 MOCO 一井沙織 「DECA MOCO」篇
  5. ^ 題名「BB・オン・シャンソン」。番組内では彼女が昔に出した歌のMVなども紹介された。
  6. ^ Brigitte Bardot, Initiales B.B., Éditions Grasset, 1996, 566 p. (ISBN 978-2246526018)
  7. ^ http://www.fondationbrigittebardot.fr/site/monde.php?Id=105
  8. ^ https://www.youtube.com/watch?v=Yd-FmmmwZ6s
  9. ^ https://www.youtube.com/watch?v=tgcxTYcxnug
  10. ^ BBC News Bardot savages Chirac and China
  11. ^ “シー・シェパードを支援するエンタメ界の大物たち”. AFPBB News. (2010年1月8日). http://www.afpbb.com/article/entertainment/news-entertainment/2680528/5138181 2012年10月22日閲覧。 
  12. ^ The Beast Transforms into a Beauty as Godzilla Becomes the Brigitte Bardot”. Sea Shepherd. 2012年10月22日閲覧。

外部リンク[編集]