ロラン・ボナパルト

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ロラン・ナポレオン・ボナパルト
Roland Napoléon Bonaparte
ボナパルト家
Roland Bonaparte 02.jpg
出生 1858年5月19日
フランスの旗 フランス帝国パリ
死去 (1924-04-14) 1924年4月14日(65歳没)
父親 ピエール=ナポレオン・ボナパルト
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サーミ女性の頭囲を測定するフランス探検隊

ロラン・ナポレオン・ボナパルト(Roland Napoléon Bonaparte、1858年5月19日 - 1924年4月14日)はフランスの貴族、博物学者。パリ地理学会やフランス天文学会の会長を務めた。

略歴[編集]

第二帝政下のパリで、ピエール=ナポレオン・ボナパルトの息子に生まれた。リュシアン・ボナパルト皇帝ナポレオン1世の弟)の孫にあたる。

1880年に、大富豪フランソワ・ブランの娘マリー・ブランと結婚し、一人娘のマリー・ボナパルトはギリシャ王子のゲオルギオスと結婚することになる。妻はマリーの出産の少し後に没し、ロランに大きな財産を残した。ロランはアフリカ、アジア、アメリカへの多くの学術探検の資金援助をし、多くの博物標本のコレクションを築いた。

1886年にノルウェー北部のサーミ人の学術調査に参加し、身体計測や写真撮影などを行った[1]。1910年から没するまで、パリ地理学会の会長を務め、1921年から1923年の間はフランス天文学会の会長も務め[2]、1919年にはフランス植物学会の会長も務めた。

1899年に従兄弟の第5代ムジニャーノおよびカニーノ公、ナポレオン・シャルル・ボナパルトが没した後、第6代ムジニャーノおよびカニーノ公の継承者となるが、この称号を維持せず、リュシアン・ナポレオンの男系の家系はロラン・ナポレオン・ボナパルトの死によって途絶えた。

フランス南極探検隊のリーダー、ジャン・バティスト・シャルコーによって南極の岬、ボナパルト・ポイントに命名された。ノルウェーの湖の名、Bonapartesjøenもロラン・ナポレオン・ボナパルトに因んでいる。

著作の一部[編集]

  • 1884 Les Habitants de Suriname, notes recueillies à l'Exposition coloniale d'Amsterdam en 1883
  • 1885 Les Derniers voyages des Néerlandais à la Nouvelle-Guinée
  • 1890 Le Premier établissement des Néerlandais à Maurice
  • 1891 Une Excursion en Corse

参考文献[編集]

ロラン・ボナパルト

1858年5月19日 - 1924年4月14日

爵位
先代:
ナポレオン・シャルル
カニーノ=ムジニャーノ公
1899年-1924年
次代:
断絶
Bonap.は、植物の学名命名者を示す場合にロラン・ボナパルトを示すのに使われる。命名者略記を閲覧する/IPNIAuthor Detailsを検索する。)