リー・ラジヴィル

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リー・ラジウィルとクリシュナ・フーシーシン英語版(インド、1962年)

リー・ラジウィル・ロス(Caroline Lee Bouvier Canfield Radziwill Ross, 1933年3月3日 - )は、ソーシャライト。"fashion icon"(ファッション アイコン、ファッションリーダーのこと)としても知名度がある。

姓の表記について、ラジヴよりもラジヴィ、あるいは英語ではラジが用いられる。

経歴[編集]

アメリカ東海岸サウサンプトン生まれ。ジャクリーン・ケネディ・オナシスの実妹で二人姉妹。ブーヴィエ夫妻の次女として生まれ、両親の離婚後は母親に引き取られる。姪っ子の現駐日米国大使キャロライン・ケネディの名前は、"キャロライン"・リー・ブーヴィエ・ラジウィルにちなんで名付けられた[1]

ミス・ポーターズ・スクール英語版からサラ・ローレンス大学に進み、姉ジャクリーンと共にパリに遊学[2]

1962年3月、アメリカのファーストレディーとなった姉ジャクリーン・ケネディとイギリス、インド・パキスタン訪問に同行する[2]

出版王の息子マイケル・キャンフィールド英語版ポーランドの大貴族ラジヴィウ家の末裔であるスタニスラス・ラジウィル(スタニスワフ・アルブレフト・ラジヴィウ英語版)、そして映画監督ハーバート・ロスとの結婚・離婚(1988年 - 2001年)と、三回の結婚生活でも知られている。

1953年秋、マイケル・キャンフィールドと結婚し、結婚は姉より先だった。キャンフィールドの母親はアメリカ社交界の花形で後に投身自殺したキキ・プレストン英語版、生物学的な父親はケント公ジョージとされているので、もし、そうであれば、キャンフィールドは英国女王エリザベス2世の従兄弟ということとなる。その後、両人は1959年に離婚したが、ローマ・カトリック教会から「"annulment" (婚姻無効)」が宣告されたのは1962年11月のことだった[3][4]

1959年3月19日、二度目の夫であるポーランド大貴族のスタニスラス・ラジウィルと"略式結婚"した。スタニスラス・ラジウィルは二度目の妻グレース・マリア・コリン(Grace Maria Kolin)と1958年に離婚したが[5]、リー自身もキャンフィールドとまだ夫婦だった1957年からスタニスラス・ラジウィルと交際していた。なお、リーとスタニスラス双方とも敬虔なカトリック信者だったが、キャンフィールドとは1962年と、その後すぐに婚姻無効が宣告されたのは、義兄ジョン・F・ケネディのおかげだったとのこと[2]。その後、この夫婦も1974年に離婚が成立した[6]

1960年代にかけて、女優としてのキャリアを求め、シカゴで舞台版「フィラデルフィア物語」に出演するが、低い評価しか得られなかった。その後、テレビにも出演したが成功したとは言えず、それ以降は芸能活動から遠ざかっている[7]

彼女の二度目の夫スタニスラス・ラジウィルと暮らしたロンドンの「4 Buckingham Place」の邸宅(タウンハウス)とターヴィル英語版の「manor Turville Grange, Oxfordshire」の邸宅(マナーハウス)は、建築家・ロレンツォ・モンジャルディーノ英語版の装飾によるものであった。メディアに取り上げられてから、大衆の憧憬の的となったが、彼女自身も短い期間であったがインテリア・デコレーターとして働いていた時にモンジャルディーノに多くの影響を受けていた。彼女のお客は富裕層ばかりだが、彼女は一度、"一年に三日と家に居たことことがない人達のために"家を装飾したと述べた[8]

1988年9月23日、彼女の三度目の夫ハーバート・ロス(ロスにとっては二度目の妻となるが)とは、2001年に離婚ののちロスはすぐに亡くなった[9]。また、ロスとの結婚後、ジョルジオ・アルマーニと意気投合。彼女の社交界の人脈で「GIORGIO ARMANI」のPRに動いた[2]

2003年「Happy Times」を出版、自らの半生を綴っている。2008年、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を受章した。

2009年、雑誌「Elle Décor エル デコ 」2009年秋号において、居住するパリ16区とニューヨーク5番街の2つのアパルトマンが特集された[10][11]

2013年3月、ガーディアン紙で「五十代以上のベストドレッサー50人」の一人に選ばれた[12]

2013年6月、ソフィア・コッポラの映画「The Bling Ring ブリングリング」やロスとの私生活のことについて、コッポラからインタビューされた[13]

子女[編集]

参照[編集]

脚注[編集]

  1. ^ IMDb mobile site Caroline Kennedy Biography Trivia (23)
  2. ^ a b c d ELLE ONLINE 【vol.2】大統領の消された妹:アメリカのファッション史を築いたケネディ家の女たちの光と影 2015年11月25日
  3. ^ “Roman Catholics: The Law's Delay”. New York City: Time Life. (1964年2月28日). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,873839-1,00.html 2009年9月4日閲覧。 
  4. ^ 。一方、リーの再婚相手となるスタニスラス・ラジヴィウは、前妻グレース・マリア・コリンとの婚姻自体がローマ・カトリック教会からそもそも「"acknowledgement" (婚姻承認)」されていなかったので、後述のように、リーと共に婚姻無効の申立てをする必要がなかった。ちなみに、スタニスラスは最初(一度目)の妻 モンレオン伯爵女ローズ(Rose de Monléon)とは1945年に離婚したが、婚姻無効が宣告されたのは1958年になってのことだった。
  5. ^ Lundy, Darryl, ed. "Grace Maria Kolin". ThePeerage.com, September 28, 2010
  6. ^ "For Princess Lee Radziwill, It's the End of a Marriage" "People", July 29, 1974
  7. ^ Clarke, Gerald. Capote: A Biography (New York: Simon and Schuster, 1988), pages 388–389.
  8. ^ New York Magazine, "The Decorating Establishment" February 12, 1979.
  9. ^ “Lee Bouvier Radziwill Weds Herbert Ross, Film Director”. New York Times. (1988年9月24日). http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=940DE0DA1731F937A1575AC0A96E948260 2007年6月21日閲覧。 
  10. ^ ELLE DECOR APRIL 2009 120 Frequent Flyer With flowery fabrics and Indian accents, Lee Radziwill's Paris and Manhattan homes are two of a kind. By Mitchell Owens
  11. ^ ARCHITECTUAL DIGEST Inside the Fifth Avenue Apartment of Lee Radziwill 2016年7月5日
  12. ^ Cartner-Morley, Jess; Mirren, Helen; Huffington, Arianna; Amos, Valerie (2013年3月28日). “The 50 best-dressed over 50s”. The Guardian (London). http://www.guardian.co.uk/fashion/gallery/2013/mar/29/50-best-dressed-over-50s 
  13. ^ Radziwell, Lee (2013年6月9日). “In Praise of Privacy”. The New York Times Style Magazine. http://tmagazine.blogs.nytimes.com/2013/05/30/in-conversation-lee-radziwill-and-sophia-coppola-on-protecting-privacy 2013年6月10日閲覧。