イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢
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フランス語: Portrait d'Irène Cahen d'Anvers | |
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作者 | ピエール=オーギュスト・ルノワール |
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製作年 | 1880年 |
種類 | キャンバスに油彩[1] |
寸法 | 65 cm × 54 cm (26 in × 21 in) |
所蔵 | ビュールレ・コレクション、チューリッヒ |
『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』(イレーヌ・カーン・ダンヴェールじょう、フランス語: Portrait d'Irène Cahen d'Anvers)は、フランスの画家ピエール=オーギュスト・ルノワールが描いた絵画。『可愛いイレーヌ』とも呼ばれる[2]。
解説[編集]
印象派の絵画のうち、最も美しい肖像画の一枚とも称される作品。1880年の夏に、パリのユダヤ人銀行家であるカーン・ダンヴェール家の庭で描かれた[3]。描かれている少女は、ベルギーのアントワープ出身のルイ・カーン・ダンヴェール伯爵の長女イレーヌ(1872-1963)[4]であり、当時8歳だった[3]。
第二次世界大戦の最中、ナチス・ドイツに没収されベルリンで保管されていたが、戦後の1946年に当時74歳のイレーヌに返還された[3]。しかし3年後にナチスドイツを始め世界各国に兵器を売って巨万の財を成した武器商人で、スイスに帰化したドイツ人の印象派コレクターのビュールレが競売で入手しビュールレ・コレクションに収められるという皮肉な経緯を辿り現在に至っている[3]。ちなみにイレーヌの娘ベアトリスも二人の孫も、アウシュビッツで死亡している。イレーヌ本人はイタリア人貴族と再婚していた時期にカトリック教徒に改宗し、ユダヤ人富豪の前夫カモンドや子供だけでなくユダヤ人社会とは完全に絶縁しており、かつ娘のベアトリスのような派手で豪華な生活を送って居なかった事も有り、ナチスに存在を気づかれる事もなくユダヤ人狩りから逃れる事が出来た。
出典[編集]
- ^ 『芸術新潮』2018年6月号、新潮社、 80頁。
- ^ “ビュールレ・コレクション ジュニアガイド”. 国立新美術館. 2018年5月3日閲覧。
- ^ a b c d 『ルノワールへの招待』21頁。
- ^ fr:Portrait d'Irène Cahen d'Anvers#Irène Cahen d'Anvers 美術品蒐集家として知られるfr:Moïse de Camondo伯爵夫人となり、第一次世界大戦で戦死した子fr:Nissim de Camondoの名を冠した美術館がある。
参考文献[編集]
- 朝日新聞出版『ルノワールへの招待』朝日新聞出版、2016年4月30日。ISBN 978-4-02-251373-1。
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