ビュールレ・コレクション

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Japanese Map symbol (Museum) w.svg ビュールレ・コレクション
Sammlung Bührle.jpg
施設情報
正式名称 Stiftung Sammlung E. G. Bührle
専門分野 絵画・彫刻
収蔵作品数 約200
開館 1960年[1]
閉館 2015年[2]5月31日
所在地
チューリッヒ
外部リンク 公式ウェブサイト
プロジェクト:GLAM

ビュールレ・コレクションは、ビュールレ財団コレクション( - ざいだん - 、ドイツ語: Stiftung Sammlung E. G. Bührle英語: Foundation E.G. Bührle Collection) の日本語通称武器商人美術収集家かつパトロンであったエミール・ゲオルク・ビュールレ英語版が、家族と共に故郷ドイツから1937年に移り住んで以降[2]スイスチューリッヒの邸宅を飾るために収集した美術品群[2]。それを一般に開放していた美術館(2015年閉館)をも指す。美術館は邸宅の別棟を改装した施設である[3]。コレクションの主体は印象派ポスト印象派油彩画[4]。施設はチューリッヒ湖を見渡す丘の上に所在し、窓から見える景色も観光的価値がある。公式ウェブサイト上では「バーチャルツアー」として擬似的に館内を探訪でき、各展示ごとに解説を見ることができる。

形成[編集]

エミールは美術に関心が高く、大学で美術史や哲学を学んだ。1913年ベルリンナショナルギャラリーで鑑賞した印象派絵画へ特に心惹かれた。銀行家の娘と結婚して、チューリヒに移住。仕事のかたわら、第二次世界大戦など戦乱の余波でスイスに集まっていた名画を購入・保管した。孤独を好む性格であったため、集めた作品は一人で鑑賞することが多く、他に見たのは親しい友人や一部の研究家のみだった。

1956年にエミールが死去すると、遺族は、相続税支払いのためコレクションを売却する代わりに、財団を設立して所有権を移す方法を選択。保管場所だった邸宅を美術館に改装し、1960年にオープンした[5]

所蔵作品[編集]

ここでは、主要な所蔵作品について解説する。作者は早く生まれた者から順に記載し、各人の作品は先に制作されたものから順に記載する。作品名の直後に添えたリンクは外部リンクで、当該作品の良質な画像である。□印を添えたものは下段にて画像の表示あり。2008年の盗難事件関連作品には【盗2008】の目印を添える。

  • 『男の肖像』[1]/1660-66年。
  • 『カナル・グランデ、ヴェネツィア』[2]/1738-42年。
  • 『サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア』[3]/1738-42年。
  • 『サン・マルコ沖、ヴェネツィア』[4]/1780-85年。
  • 『イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像』[5]/1811年。
  • 『アングル夫人の肖像』[6]/1814年頃。緻密な描写で知られるアングルが荒いタッチを用いた珍しい作品。
  • 『読書する少女』[7]/1845-50年。□
  • 『アポロンの凱旋』[8]/1853年頃。
  • 『モロッコのスルタン』[9]/1862年。□
  • 『ある狩人の肖像』[10]/1849-50年。□
  • 『彫刻家ルブッフの肖像』[11]/1863年。
  • 『コンコルディア(習作)』[12]/1859-61年。
  • 『会話、ルーヴシエンヌ』[13]/1870年。
  • 『ルーヴシエンヌの雪道』[14]/1870年頃。
  • 『オニーからポントワーズヘ向かう道 − 霜』[15]/1873年。
  • 『待合室の踊子たち』[23]/1889年頃。 [* 1]
  • 題)Dancers in a landscape
1897年頃。Danseuses dans un paysage踊り子を描いた数ある作品の一つ。山を遠望する野外での踊り子たちのレッスン風景を描いたもの。□
  • 『パレットを持つ自画像』[24]/1861年。
1894年もしくは1895年の作。ビュールレは「自分のコレクションの中心であり、誇りである」と語っていた。□【盗2008】 [* 1]
  • 『サント・ヴィクトワール山(ビュールレ・コレクション)』
1904-1906年。サント・ヴィクトワール山を描いた連作『サント・ヴィクトワール山フランス語版』のうち、当コレクション収蔵の1枚。スイス国内にある2枚のうちの1枚。□
  • 『庭師ヴァリエ(老庭師)』[29]/1904-06年。
  • 『ハンプトン・コートのレガッタ』[30]/1874年。
  • 『プージヴァルの夏』[31]/1876年。
1920-26年。高さ2メートル×幅4メートルの大作[3]1952年[6]、ビュールレはモネの遺族から『睡蓮』3点を破格の安値で購入したが、2点をチューリッヒ美術館寄贈し、この1点を自身のコレクションした[2][7]。安かったのは、当時においてこれほどの大きさの絵画は装飾芸術として軽んじられていたからであった[7]。その後、評価は一転し、スイス国外に一度も出されることのない門外不出の傑作[3]となった。そのような本作であるが、2018年(平成30年)2月14日から5月7日まで日本の国立新美術館で開催される『至上の印象派展 ビュールレ・コレクション』の出展作品の一つとして、初めて国外に出た[4]。 [* 1]
1880年。別名『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)』[8]銀行家ルイ・カーン・ダンヴェールフランス語版伯爵の長女で当時8歳の美少女であったイレーヌを描いた世界的に有名な作品で[2]。ビュールレが老年のイレーヌ本人から競売を通じて直接購入した[2]。 □ [* 1]
  • 『夏の帽子』[38]/1893年。
  • 『泉』[39]/1906年。
  • 『肘掛椅子の上のひまわり』[40]/1901年。□
  • 『贈りもの』[41]/1901年。別名『奉納』 □
1890年の油彩画。日本語では『花咲くの枝』の訳題でも知られているが、描かれているのは、フランス人にとって親しみ深いマロニエである。□【盗2008
1884-85年の油彩画。Étude pour "La Grande Jatte"、英題 Sunday Afternoon on the Island of La Grande-Jatte。数ある習作のうちの1枚で、当コレクション収蔵の1枚。同じ習作のうち、同じタイトルで呼ばれることがあり、製作年まで同じものは、他に5枚が知られている。当コレクションが収蔵するのは、画面手前の日陰に腰を下ろしたシルクハットの男性とがいる1枚である。□
  • 『婦人帽子店』/1885-86年。□
  • 『ジュデッカ琿河、ヴェネツィア、朝 (サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂) 』[48]/1905年。
  • 『コンフェッティ』[49]/1894年。
  • 『メッサリナ』/1900-01年。□
  • 『アンブロワーズ・ヴォラールの肖像』[50]/1904年頃。
  • 『室内』[51]/1905年頃。
  • 『訪問者』[52]/1900年頃。
  • 『自画像』[53]/1906年頃。
  • 『雪のサン=ミシェル橋、パリ』[54]/1897年。
  • 『パンソン丘 (1906)』/1906年。La Butte Pinson (vers 1906)
  • 題)La Porte Saint-Martin à Paris (vers 1908) /1908年。
  • 『横たわる裸婦』/1916年。□
  • 題)Junge Frau /1918年頃。Jeune femme, vers 1918Giovane donna。□

ギャラリー[編集]

盗難[編集]

2008年2月10日、間もなく閉館という日曜日の夕刻、武装した国際強盗団が当館に押し入った[7]。賊は学芸員に銃を突きつけ、ドガ、モネ、ゴッホ、セザンヌの油彩画4作品を強奪した[7][9][10]。当時の共同通信の報道によれば、被害総額は1億8000万スイスフラン(約175億円)に上り[7]、市警の担当者は、美術品の盗難事件としてはヨーロッパ史上最大規模であると述べた[7]。盗まれたのは以下に挙げる4点であった。

  • ドガ 『リュドヴィック・ルピック伯爵と娘たち』/※収蔵作品リストでの位置と画像は「#盗01」と「#盗01画」を参照(以下同様)。
  • モネ 『ヴェトゥイユ近郊のひなげし畑』/※「#盗02」と「#盗02画」を参照。
  • ゴッホ 『花咲くマロニエの枝』/※「#盗03」と「#盗03画」を参照。
  • セザンヌ 『赤いチョッキの少年』 /※「#盗04」と「#盗04画」を参照。

『ヴェトゥイユ近郊のひなげし畑』と『花咲くマロニエの枝』は、同年2月18日にチューリッヒ市内の精神科病院の駐車場に放置されていた自動車の後部座席から発見された[11]。『赤いチョッキの少年』は、2012年4月12日、強奪に関与した容疑者らをセルビア共和国の首都ベオグラードで逮捕した際に自動車のドアパネルの中から発見された[12]。残る『リュドヴィック・ルピック伯爵と娘たち』も同年に発見され、回収された。

この事件が発生したのを機に、当館は警備の見直しを余儀なくされたが、個人美術館にとって警備費用の増大は負担が大きく、ついに2015年5月31日付で閉館した[7]。当館のコレクションは2020年チューリッヒ美術館に移管されることになっている[7]

所在地[編集]

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ a b c d e スイス政府観光局(公式ウェブサイト)「ビュールレ・コレクション」が挙げる代表作の一つ。

出典[編集]

  1. ^ ビュールレ・コレクション” (日本語). 公式ウェブサイト. スイス政府観光局. 2018年4月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『至上の印象派展 ビュールレ・コレクション』記者発表会レポート「最後のコレクション展」となる理由とは”. SPICE(スパイス) (2017年7月24日). 2018年4月18日閲覧。
  3. ^ a b c 東京・国立新美術館で特別公開!「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」” (日本語). 公式ウェブサイト. スイス政府観光局 (2018年). 2018年4月17日閲覧。
  4. ^ a b 『至上の印象派展 ビュールレ・コレクション』が開幕 井上芳雄「本物は迫力があります!」”. SPICE(スパイス) (2018年2月21日). 2018年4月18日閲覧。
  5. ^ 【「ビュールレ展」の源流】(上)印象派との出会い転機/収集作品を守るため遺族が公開決断東京新聞』朝刊2018年4月3日(メトロポリタン面)2018年6月4日閲覧。
  6. ^ 美術手帖編集部 (2017年7月12日). “全出品作の半分が日本初公開! 世界を代表する実業家の印象派コレクション、来日”. 美術手帖. 美術出版社. 2018年4月18日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h 森本智之 (2008年4月4日). “【至上の印象派展 ビュールレ・コレクション】「ビュールレ展」の源流(中) 失敗と成功 積み重ね”. 東京新聞 (TOKYO Web) (東京新聞社). http://www.tokyo-np.co.jp/article/event/bi/buehrle/list/CK2018040402100004.html 2018年4月18日閲覧。 
  8. ^ 芸術新潮』2018年6月号、新潮社、 80頁。
  9. ^ Uta Harnischfeger; Nicholas Kulish (2008年2月12日). “At Zurich Museum, a Theft of 4 Masterworks” (英語). New York Times. http://www.nytimes.com/2008/02/12/world/europe/12swiss.html 2012年4月19日閲覧。 
  10. ^ “被害総額175億円、ゴッホ、モネなど4点盗難 スイス”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2008年2月12日). http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200802120234.html 2012年4月19日閲覧。 
  11. ^ “史上最高額の盗難絵画2点を発見 ゴッホとモネ”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2008年2月20日). http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200802190412.html 
  12. ^ “強奪されたセザンヌの名画発見、価値80億円以上” (日本語). ロイター. ロイター. (2012年4月13日). https://jp.reuters.com/article/tk0780760-serbia-arrest-art-idJPTYE83C01B20120413 2018年4月17日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 「至上の印象派 ビュールレ・コレクション」展公式図録 東京新聞・NHKほか(2018年)

外部リンク[編集]