サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ

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サルマーン
سلمان
サウジアラビア国王
Salman bin Abdull aziz December 9, 2013.jpg
在位 2015年1月23日 - 在位中
全名 سلمان بن عبد العزيز آل سعود
サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウード
出生 (1935-12-31) 1935年12月31日(81歳)
サウジアラビアの旗 サウジアラビアリヤド
王家 サウード家
父親 アブドゥルアズィーズ・イブン・サウード
母親 ハッサ・ビント・アフマド・アッ=スデイリー英語版
宗教 イスラム教ワッハーブ派
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サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウードアラビア語: سلمان بن عبد العزيز آل سعود‎, ラテン文字転写: Salmān bin ʻAbd al-ʻAzīz Āl Saʻūd1935年12月31日 - )は、第7代サウジアラビア国王2015年1月23日[1] - )。初代サウジアラビア国王イブン・サウードの25番目の男子[2]で、第6代国王アブドゥッラーの異母弟。日本語メディアでは、サルマンと表記されることが多い。

出生[編集]

イブン・サウードの25番目の男子。イブン・サウードが最も寵愛したスデイリ家出身のハッサ妃との間に生まれた7人の男子を指す「スデイリー・セブン」と呼ばれる同母兄弟のうちのひとりで、第5代国王ファハド・皇太子スルターン(国王に即位する前に病死)・皇太子ナーイフ(国王に即位する前に病死)が同母兄となる。

経歴[編集]

1954年にリヤード州アミールと副知事に就任し、翌1955年から1960年までリヤード州知事を務めた。再び1963年から2011年までリヤード州知事を務め、2011年10月に同母兄のスルターン皇太子兼副首相兼国防大臣が死去すると後継の国防大臣に就任した。続けて2012年6月に同母兄のナーイフ皇太子兼副首相兼内務大臣が死去すると、国防大臣を兼務したまま王位継承順位第1位である皇太子兼副首相に就任した[2]。2013年3月には息子のムハンマド・ビン・サルマーンが皇太子府長官、皇太子特別顧問に任命され[3]、2014年2月にはムハンマドは国務大臣にも任命された[4]

2015年1月23日、第6代国王アブドゥッラーの死去により、第7代国王に即位し、首相を兼ねた。これにともない王位継承順位第2位だったムクリン副皇太子兼第二副首相が皇太子兼副首相に昇格した。副皇太子兼第二副首相の後任には同母兄ナーイフの息子のムハンマド・ビン・ナーイフ内務大臣を任命し、はじめて第3世代(イブン・サウードの孫の世代)の王族に王位継承権を与えた。また同日に息子のムハンマドを国防大臣に任命し、さらに王宮府長官・国王特別顧問に任命した[5][6]。29日には国王特別顧問を辞任させて経済開発評議会議長に任命し[7]、軍事に加えて経済政策の実権も与えた。

同年4月29日、サルマーン国王は勅命を発し、皇太子兼副首相のムクリンを解任し、副皇太子兼第二首相のムハンマド・ビン・ナーイフを内務大臣と政治・安全保障評議会議長を兼ねたまま皇太子兼副首相に昇格させ、息子のムハンマド・ビン・サルマーンを国防大臣と経済開発評議会議長を兼ねたまま副皇太子兼第二副首相に昇格させた。アブドゥッラー派だったムクリンを権力の核心から遠ざけ、自身の周辺をスデイリー・セブン閥で固める意向による人事とみられた[8]

サルマーンは認知症のため[9]、息子のムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子に統治に関するほぼ全てを代行させているといわれている。このムハンマド副皇太子が独断専行的にイエメンへの軍事介入を行い、「サウジアラビア版サッチャー革命」と評されるような急進的な経済改革プランを志向しているため王族内で不満が高まっており、同年秋にはサルマーン国王とムハンマド副皇太子の体制を非難する怪文書が王族内で出回った。また同年12月にはドイツ諜報機関連邦情報局が、この件に関して「サウジに体制危機が迫っている」とする分析結果を公表した[10][11][12][13]

2017年3月12日から15日まで公式実務訪問賓客として訪日し、天皇安倍晋三内閣総理大臣と会談した。サルマーン自身の訪日はリヤード州知事と皇太子時代に続く3回目であるが、サウジアラビア国王の訪日は1971年に訪日した第2代国王ファイサル以来46年ぶりであり歴史的な訪日となった。この訪日では日本・サウジ間の経済、安全保障分野での包括的な協力と二国間関係の「戦略的パートナーシップ」への格上げに合意した[14]大勲位菊花大綬章・頸飾受章[15]

2017年6月21日、ムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子をすべての役職から解任し、息子のムハンマドを国防大臣兼務のまま皇太子兼副首相に昇格させる勅命を発した[16]

ムハンマド以外の息子としては、国務大臣(エネルギー問題担当)のアブドゥルアズィーズ、マディーナ州知事のファイサル、宇宙飛行士のスルターンなどが知られる[17]

若い頃のサルマーン
30代のサルマーン
2012年4月、アメリカのレオン・パネッタ国防長官とペンタゴンにて撮影

婚姻関係[編集]

イスラームの法シャリーアでは最大で4人まで妻を娶ることが認められているが、サルマーンの妻は、スルターナ、サーラ王妃、ファハダ王妃の3名だけである。

  1. スルターナ (Sultana bint Turki Al Sudairi) - サルマーンがまだ王子であった2011年7月に亡くなっている。5人の息子を儲け、存命はスルターン王子アブドゥルアズィーズ王子アラビア語版英語版ファイサル王子英語版の3人。
  2. サーラ王妃 (Sarah bint Faisal Al Subai'ai) - 存命のサウード王子 (Saud Bin Salman Bin Abdulaziz) の母。
  3. ファハダ王妃 (Fahda bint Falah bin Sultan Al Hithalayn) - ムハンマド・ビン・サルマーン皇太子の母。

出典・脚注[編集]

  1. ^ “サウジのアブドラ国王が死去 アラブ穏健派の指導者”. 日本経済新聞. (2015年1月23日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM23H26_T20C15A1MM0000/ 2015年1月23日閲覧。 
  2. ^ a b “Saudi King Salman bin Abdulaziz’s path to the throne”. Al Arabiya.net. (2015年1月23日). http://english.alarabiya.net/en/perspective/profiles/2015/01/23/Saudi-King-Salman-bin-Abdulaziz-s-path-to-the-throne.html 2015年1月24日閲覧。 
  3. ^ “Prince Mohammed bin Salman appointed Special Advisor to Crown Prince”. Asharq Alawsat. (2013年3月3日). http://www.aawsat.net/2013/03/article55294575 2013年4月12日閲覧。 
  4. ^ Chairman of the Board”. MISK. 2015年1月25日閲覧。
  5. ^ “Saudi Prince Mohammad bin Salman named defense minister”. Al Arabiya.net. (2015年1月23日). http://english.alarabiya.net/en/News/middle-east/2015/01/23/Saudi-Prince-Mohammad-bin-Salman-appointed-defense-minister-head-of-Royal-Court.html 2015年1月24日閲覧。 
  6. ^ 中東かわら版 サウジアラビア:ムハンマド・ナーイフ内相の副皇太子任命 公益財団法人 中東調査会 2015年1月24日
  7. ^ Simeon Kerr (2015年1月30日). “Saudi king stamps his authority with staff shake-up and handouts”. Financial Times (Riyadh). http://www.ft.com/cms/s/0/8045e3e0-a850-11e4-bd17-00144feab7de.html#axzz3QVaF4Ex4 2015年2月1日閲覧。 
  8. ^ 皇太子にムハンマド内相=近親者で基盤固め-サウジ国王 時事ドットコム 2015年4月29日
  9. ^ “Prince Mohammed bin Salman: Naive, arrogant Saudi prince is playing with fire”. Independent. (2016年1月10日). http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/prince-mohammed-bin-salman-naive-arrogant-saudi-prince-is-playing-with-fire-a6804481.html 2016年1月20日閲覧。 
  10. ^ ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子の外交デビューと王族内王族批判 一般財団法人中東協力センター ニュース 2015・10
  11. ^ ドイツ諜報機関にダメ出しされたサウジアラビア JB PRESS 2015年12月11日
  12. ^ サウジアラビアを崩壊に導く独断専行の副皇太子 4/5 JB PRESS 2016年1月15日
  13. ^ サウジアラビアを崩壊に導く独断専行の副皇太子 5/5 JB PRESS 2016年1月15日
  14. ^ №188 サウジアラビア:サルマーン国王の訪日 中東かわら版 公益財団法人 中東調査会 2017年3月16日
  15. ^ 『官報』6984号、平成29年3月24日
  16. ^ №59 サウジアラビア:ムハンマド・ナーイフ皇太子が解任、ムハンマド・サルマーン副皇太子が新皇太子に 中東かわら版 2017年6月21日
  17. ^ “Saudi's new king, Salman, a force for unity in royal family”. Mainichi Daily. (2015年1月23日). http://mainichi.jp/english/english/newsselect/news/20150123p2g00m0in034000c.html 2015年1月24日閲覧。 

外部リンク[編集]

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