ジャン=ポール・ベルモンド
| ジャン=ポール・ベルモンド Jean-Paul Belmondo | |||||||||||||
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2001年 | |||||||||||||
| 生年月日 | 1933年4月9日(85歳) | ||||||||||||
| 出生地 | ヌイイ=シュル=セーヌ | ||||||||||||
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Elodie Constantin (1953-1965) Natty Belmondo (2002-2008) | ||||||||||||
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ジャン=ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo、1933年4月9日 - )は、フランスの俳優。シリアスなドラマからアクション・コメディまで、出演映画は幅広い。20世紀後半のフランスを代表する俳優の一人。実子のポール・ベルモンドは、元F1ドライバー。
目次
経歴[編集]
少年時代[編集]
1933年4月9日パリ郊外のヌイイ=シュル=セーヌ(Neuilly-sur-Seine)で生まれる。父のポール・ベルモンド(Paul Belmondo)は、フランス美術アカデミーの会長もつとめた彫刻家で画家(シチリアとピエモンテにルーツをもつイタリア系フランス人)[1][2]、母も画家だった。
子どもの頃はよく遊んだものの、体が弱く、静養のために田舎の農家に預けられる。健康を取り戻して家に帰ってからは、サッカーに熱中し、ゴールキーパーを担当。15歳の時にボクサーになる夢を見たことをきっかけに、今度はボクシングに熱中する。両親に無断でボクシング・クラブに入り、練習を積むが、父に反対されてボクサーになる夢は果たせなかった。
フランス国立高等演劇学校時代[編集]
1949年、16歳のベルモンドは演劇に興味を持ち始め、フランス国立高等演劇学校 (コンセルヴァトワール)の入学試験を受けるも落選。しかし、別の演劇学校で学び、国立高等演劇学校に入る準備を始めた。
1950年7月3日、パリの病院を巡回する一座のメンバーとして、初舞台に立つ。演目は『眠れる森の美女』で、ベルモンドの役は王子様だった。その後ピレネー地方での夏期巡業にも参加。ここでコメディアンのギィ・ブドスと知り合った。
翌1951年に念願の国立高等演劇学校への入学を果たし、アルバイトをしながら演技を学ぶ。その合間に芝居や映画を見て回った。やがて舞台に出演する機会を得たベルモンドは、1953年には代役ながら主役をつとめることとなる。またこの年に、ルネ・コンスタンス(愛称エロディー)と結婚、翌年には子供が生まれた。
その後も舞台を続けて経験を積むにつれ、次第に演技派との評価が高まってきた。1956年7月1日に同校を修了。このころには演劇批評家からも注目されるようになり、卒業直後の公演では優秀な賞を獲得した。
映画スターとなる[編集]
演技力を高く評価されたベルモンドを、映画界も無視していなかった。1957年に端役で映画出演するようになる。このうちマルク・アレグレ監督の『黙って抱いて』には、やはり無名時代のアラン・ドロンも出演していた。1958年にはジャン=リュック・ゴダール監督の短篇映画『シャルロットと彼女のジュール』に出演。ちなみにこの映画撮影後ベルモンドが兵役に出てしまったので、ベルモンドの声はゴダール自身が吹き込んでいる。
パリに戻った1959年、ベルモンドはクロード・シャブロル監督『二重の鍵』に出演する。これまでのチョイ役に比べると重要な役で、その存在感を示したベルモンドは映画でも注目された。
そして同年、ふたたびジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』に主演。ヌーヴェルヴァーグの代表作として大ヒットするとともに、ベルモンドを一躍映画スターの座に押し上げた。こうして、年に数本の映画に出演するようになる。それらはドラマ性の高いシリアスなものが多く、成功した作品ばかりではないが、ベルモンドは着実な演技力に支えられて、ヤクザから貴族に至るまでの幅広い役をこなした。
アクション・スターとして[編集]
1963年、ジャンヌ・モローと共演した『バナナの皮』あたりから、出演作品の傾向が変わってくる。これはいかさま師と別れた女房がくり広げるドタバタ喜劇だったが、こうした娯楽色の強い映画への出演が増えてきた。これを決定づけたのが、同年の『リオの男』だろう。財宝のありかを示す像をめぐる冒険物語で危険なアクションシーンも多いが、スポーツマンのベルモンドはスタントを自ら演じた。このスタントマンに任せず自ら演じる姿勢を、日本の俳優・千葉真一が尊敬していると語っている[3]。この映画は大ヒットし、ベルモンドも新しくアクション俳優というイメージを持たれるようになる。
1965年には同傾向の『カトマンズの男』に出演するが、これで共演したウルスラ・アンドレスと恋に落ち、行動を共にするようになる。そして翌年にアンドレスが離婚したのを受けて、ベルモンドも9月19日に離婚する。同年再びゴダールの『気狂いピエロ』に主演する。しかし、ベルモンドはシナリオを使わないゴダールのやり方を批判し「二度とゴダールとは仕事をしない」と宣言した。一方のゴダールも、1970年に商業主義の映画を嫌うと宣言し、もっとも使いたくない俳優の筆頭にベルモンドを挙げている。
1969年にはアラン・ドロンからの申し込みを受けて、初めての本格的な共演映画『ボルサリーノ』に出演。85万人を動員する大ヒット作となった。
プロデューサーとして[編集]
1972年に製作された『ジャン=ポール・ベルモンドの交換結婚』では、制作費の半分をベルモンドが負担し、プロデューサーとして手がけた最初の作品となった(クレジット上のプロデューサーは、弟のアランになっている)。そして自らのプロダクションであるセリト・プロダクションを創立し、1974年の『薔薇のスタビスキー』から本格的な映画製作に乗り出した。なおこの年、ベルモンドの映画出演料はアラン・ドロン、ルイ・ド・フュネスを抜いて、フランスでトップに躍り出た。
主な出演映画[編集]
日本語吹き替えは山田康雄が専属で担当。山田の死後は羽佐間道夫が数多くの作品で担当している。
| 公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1958 | 黙って抱いて Sois belle et tais-toi |
ピエロ | |
| 歩いて馬で自動車で À pied, à cheval et en voiture |
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| 危険な曲り角 Les tricheurs |
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| 1959 | 二重の鍵 À double tour |
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| 勝手にしやがれ À bout de souffle |
ミシェル・ポワカール | ||
| 1960 | 墓場なき野郎ども Classe tous risques |
エリック | |
| 雨のしのび逢い Moderato cantabile |
ショーヴァン | ||
| フランス女性と恋愛 La française et l'amour |
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| ふたりの女 La ciociara |
ミシェル | ||
| 1961 | ビアンカ La viaccia |
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| モラン神父 Léon Morin, prêtre |
レオン・モラン | ||
| 素晴らしき恋人たち Amours célèbres |
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| 勝負(かた)をつけろ Un nommé La Rocca |
ロベルト・ラ・ロッカ | ||
| 1962 | 大盗賊 Cartouche |
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| 冬の猿 Un singe en hiver |
ガブリエル・フーケ | ||
| 1963 | 波止場 Mare Matto |
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| 地上最笑の作戦 Il giorno più corto |
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| バナナの皮 Peau de Banane |
ミシェル | ||
| リオの男 L'Homme de Rio |
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| いぬ Le Doulos |
シリアン | ||
| 1964 | 太陽の下の10万ドル Cent mille dollars au soleil |
ロッコ | |
| 黄金の男 Échappement libre |
ダビッド | ||
| 男を追って La chasse à l'homme |
フェルナンド | ||
| ダンケルク Week-end à Zuydcoote |
ジュリアン | ||
| ある晴れた朝突然に Par un beau matin d'été |
フランシス | ||
| 1965 | 気狂いピエロ Pierrot le fou |
フェルディナン・グリフォン | |
| カトマンズの男 Les Tribulations d'un chinois en Chine |
アルテュール | ||
| 1966 | タヒチの男 Tendre Voyou |
トニー・マレシャン | |
| パリは燃えているか Paris, brûle-t-il? |
イヴォン・モランダ | ||
| パリの大泥棒 Le Voleur |
ジョルジュ・ランダル | ||
| 1967 | 007 カジノ・ロワイヤル Casino Royale |
フランス外人部隊員 | |
| 1968 | オー! HO! |
フランソワ・オラン | |
| 大頭脳 Le cerveau |
アルトゥール | ||
| 1969 | 暗くなるまでこの恋を La sirene du Mississippi |
ルイ | |
| あの愛をふたたび Un homme qui me plaît |
アンリ | ||
| 1970 | ボルサリーノ Borsalino |
フランソア・カペラ | |
| 1971 | コニャックの男 Les Mariés de l'an II |
ニコラ・フィリベール | |
| 華麗なる大泥棒 Le Casse |
アザド | ||
| 1972 | ジャン=ポール・ベルモンドの交換結婚 Docteur Popaul |
ポール・シメイ | |
| ラ・スクムーン La scoumoune |
ロベルト | ||
| 1973 | 相続人 L'Héritier |
バート・コーデル | |
| おかしなおかしな大冒険 Le magnifique |
フランソワ・メルラン | ||
| 1974 | 薔薇のスタビスキー Stavisky |
アレクサンドル・スタビスキー | |
| 1975 | ジャン=ポール・ベルモンドの 恐怖に襲われた街 Peur sur la ville |
ルテリエ警部 | 兼製作 |
| ベルモンドの怪盗二十面相 L'incorrigible |
ビクトール・ボーチエ | ||
| 1976 | 危険を買う男 L'alpagueur |
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| 追悼のメロディ Le corps de mon ennemi |
フランソワ・ルクレール | ||
| 1977 | ムッシュとマドモアゼル L'animal |
マイク | |
| 1979 | 警部 Flic ou voyou |
スタン・ボロウィッツ警部 | |
| 1980 | ジャン=ポール・ベルモンドの道化師/ドロボー・ピエロ Le Guignolo |
アレクサンドル・デュプレ | |
| 1981 | プロフェッショナル Le professionnel |
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| 1982 | J=P・ベルモンドの エースの中のエース L'as des as |
ジョー | |
| 1983 | パリ警視J Le marginal |
フィリップ・ジョルダン警視 | |
| 1984 | ソフィー・マルソー/恋にくちづけ Joyeuses Pâques |
ステファン | |
| 1985 | ホールド・アップ Hold-Up |
グリム | |
| 1988 | ライオンと呼ばれた男 Itinéraire d'un enfant gâté |
サム・ライオン | 兼製作 セザール賞主演男優賞 受賞 |
| 1995 | 百一夜 Les cent et une nuits de Simon Cinéma |
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| レ・ミゼラブル Les misérables |
ジャン・バルジャン | ||
| 1998 | ハーフ・ア・チャンス Une chance sur deux |
レオ | |
| 1999 | パリの確率 Peut-être |
参考文献[編集]
梶原和男 責任編集『シネアルバム(30) ジャン=ポール・ベルモンド』(芳賀書店)
関連項目[編集]
- フィルム・ノワール
- 山田康雄 - ベルモンドの日本語吹き替え声優
- フィリップ・ド・ブロカ
- コブラ (漫画) - 主人公のコブラのモデルは、若き日のベルモンド[4]。
- アダルト・ウルフガイシリーズ - 主人公・犬神明のモデルがベルモンド。『リオの狼男』という作品もある。
- ルパン三世 - ベルモンドがモデルの日本の人気アニメ。主人公の声を担当したのもベルモンドの日本語吹き替え声優で知られる役者の山田康雄 である[5]。
- 『紅の流れ星』 - 石原裕次郎主演の『赤い波止場』はジャン・ギャバン主演の戦前の名作『望郷』が元ネタの作品である。『赤い波止場』のリメイクである渡哲也主演の『紅の流れ星』も『望郷』を手本にしている作品であるが、主人公像はギャバンではなくてゴダール『勝手にしやがれ』のベルモンドがモデルである[6]。
参照[編集]
- ^ Bébel – Jean-Paul Belmondo Fanlisting
- ^ Famous French people of immigrant origin, Eupedia : France Guide
- ^ “千葉真一 高倉健から東映解雇を救ってもらった体験を明かす”. ザ・トップ5. TBSラジオ&コミュニケーションズ (2011年12月14日). 2014年11月24日閲覧。
- ^ クレタパブリッシング『昭和40年男』 2015年10月号 23頁
- ^ 『リオの男』ポニーキャニオンDVD(2014)のパッケージの裏の作品解説
- ^ 洋泉社 2016年11月『映画秘宝コレクション 完全版アナーキー日本映画史1959-2016』75p