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デュ・バリー夫人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
"花飾りをつけたデュ・バリー夫人" フランソワ=ユベール・ドルエ(fr)画、(ルイ15世との初対面時の)1769年、ヴェルサイユ宮殿

デュ・バリー夫人(デュ・バリーふじん, Madame du Barry, 1743年8月19日 - 1793年12月8日[1])は、ルイ15世公妾。本名マリ=ジャンヌ・ベキュー(Marie-Jeanne Bécu)。

生涯

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フランソワ=ユベール・ドルエ(fr)画、1770年、プラド美術館

フランスシャンパーニュ地方(現在のムーズ県ヴォクルールフランス語版)の貧しい家庭に、当時30歳前後であったアンヌ・ベキューの私生児として生まれた。

母アンヌの祖父ジャン・ベキューは、ルイ13世治世下のパリでロースト料理人をしており、父ファビアン・ベキューがその職を継いだ。ジャンヌの祖父ファビアンは美男で放蕩者として知られており、貴族の未亡人モンティディディエ女伯及びカンティニー女性領主セヴリーヌ・ボネ・ド・カンティニーをその魅力で虜にし、セヴリーヌは世間の目を気にせずに結婚した。以降、ファビアンは貴族の称号の威光のために「ベキュ・ド・カンティニー」と名乗っていた。ファビアンの孫娘であるジャンヌも「カンティニー嬢」と称されることがあった。

ファビアン・ベキューは初婚の妻と結婚数カ月で死別し、後に始めたワイン商の仕事を介し、1675年から1678年までヴォクルール城に隠棲していたフランス国王ルイ14世の愛人イザベル・ド・リュドルフランス語版のお抱え料理人として仕え、その後、近隣の貴族であるロルテ男爵フランス語版に仕えて料理担当官となった。

ファビアン・ベキューはイザベル・ド・リュドルの侍女であった後のジャンヌの祖母、アンヌ・ユッソンと議会の弁護士、外科医長、宮廷の案内係、そしてロルテ(またはロレテ)男爵家の士官を証人に立てて1693年12月22日にヴォークルール教会で再婚した。ファビアンとアンヌ・ユッソンはジャンヌの母アンヌを含め三男と四女に恵まれている。アンヌは1713年4月16日に生まれた父に似た美貌の釈放な女性で、ジャンヌを産む以前はヴォクルール地方フランス語版にあった現存していないピクピュス修道院で裁縫師として働いており、一説によるとジャンヌの実父は修道士であったとされる。ジャンヌの伯父・伯母はいずれも富豪や名家に仕えている。

ジャンヌは洗礼を受けたヴォクルール地方で幼少時代を過ごし、その愛くるしさから「ル・アンジュl'Ange,天使)」と周囲に渾名されていたが、この渾名は、実父の正体をほのめかしているともされる。

1747年2月14日に弟ピエール=クロード・ベキューが生まれるが(後に早世)、間もなく母は駆け落ちし、叔母に引き取られて育った。7歳の時、母の美貌に魅了された裕福な軍需品商人であり、金融業者のクロード・ロシュ・ビリヤード・デュ・モンソーがジャンヌの後見人となり、その使用人ニコラ・ランソンと再婚した母に引き取られてパリ(現在のパリ5区など)で暮らし始めたジャンヌは、後見人の金融家デュ・モンソーから大層かわいがられ、まともな教育を受けさせてもらえた。15歳で修道院での教育を終えると、初めはある家の侍女をしていたが、素行上の問題から解雇される。その後、男性遍歴を繰り返し娼婦同然の生活をしていたようだが、1760年にお針子として「ア・ラ・トワレット」という洋裁店で働き始めた。美しいジャンヌは、やがてデュ・バリー子爵に囲われると[矛盾]、貴婦人のような生活と引き換えに、子爵が連れてきた男性とベッドを共にした。家柄のよい貴族や学者、アカデミー・フランセーズ会員などがジャンヌの相手となり、その時に社交界でも通用するような話術や立ち居振舞いを会得したと推測される。

1769年にルイ15世に紹介された。1764年にポンパドゥール夫人を亡くしていたルイ15世は、ジャンヌの虜になって彼女を王室の公妾(maîtresse en titre)にすることに決める。しかし、ジャンヌが公妾の地位を得るためには、貴族と結婚しなければならなかった。そこでデュ・バリー子爵は、ジャンヌと自身の弟ギヨーム・デュ・バリーとの名目上の結婚を手配した。結婚によりデュ・バリー夫人と名を変えたマリ・ジャンヌは、型どおりの手続きを終えて、正式にルイ15世の公妾になり、社交界にデビューした。

ヴィジェ=ルブラン画、1782年、コーコラン美術館

フランス宮廷に入ったデュ・バリー夫人は、その頃オーストリアからフランス王太子ルイ=オーギュスト(後のルイ16世)に嫁いでいたマリー・アントワネットと対立した。娼婦や愛妾が嫌いな母マリア・テレジアの影響を受けたマリー・アントワネットは、デュ・バリー夫人の出自の悪さや存在を徹底的に憎んでいたのである。加えて、かねてデュ・バリー夫人の存在を疎んじていたルイ15世の娘であるアデライード王女ヴィクトワール王女ソフィー王女らが、宮廷で最も身分の高い婦人であるマリー・アントワネットを味方につけようと画策したことが、この対立を一層深めた。とはいえ、デュ・バリー夫人は朗らかで愛嬌がある親しみやすい性格で、宮廷の貴族たちからは好かれていたという。

"連行されるデュバリー夫人" 作者不詳、1897年以前制作

1774年4月27日に天然痘で倒れたルイ15世の看病に努めていたデュ・バリー夫人だったが、5月9日にはポン・トー・ダム修道院へ入るよう命令が出され、危篤に陥ったルイ15世から遠ざけられた。追放同然に宮廷を追われた彼女は不遇な一時期を過ごしたが、宰相ド・モールパ伯爵やモープー大法官 (fr) などの人脈を使って、パリ郊外のルーヴシエンヌに起居し、優雅に過ごすようになった。その後はド・ブリサック英語版元帥やシャボ伯爵、イギリス貴族のシーマー伯爵達の愛人になった。

1789年に勃発したフランス革命により、愛人だったパリ軍の司令官ド・ブリサック元帥を虐殺された後、1791年1月にイギリスへ逃れ、亡命貴族たちを援助した。しかし1793年3月に帰国した際に革命派に捕らわれると、12月7日にギロチン台へ送られた。

この時の死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソンと知己であった彼女は、泣いて彼に命乞いをした。しかし、これに耐えきれなかったサンソンは息子に刑の執行を委ね、結局デュ・バリー夫人は処刑された。50歳没。なぜ彼女が危険を冒して帰国したのか真相は定かでないが、革命政府によって差し押さえられた自分の城にしまっておいた宝石を取り返すのが目的だったという説がある。

評価

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ファイル:Vigée-Lebrun - Élisabeth Vigée-Lebrun - Madame du Barry.jpg
ヴィジェ=ルブラン画、1789年、私蔵品

死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソンも手記に「みんなデュ・バリー夫人のように泣き叫び命乞いをすればよかったのだ。そうすれば、人々も事の重大さに気付き、恐怖政治も早く終わっていたのではないだろうか」と書き記している[2]

逸話

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ファイル:Jean-Baptiste André Gautier-Dagoty - Portrait of Madame Élisabeth Vigée-Lebrun - Madame du Barry.jpg
ジャン=バティスト・アンドレ・ゴーチエ=ダゴティ(fr)画、18世紀制作 (詳細年不詳)、ヴェルサイユ宮殿蔵
  • ルイ15世がカリフラワーを好んでいたことにちなみ、カリフラワーのポタージュはクレーム・デュ・バリー (crème du Barry) と呼ばれている[3]
  • 1769年にルイ15世の公妾になった際、王はイヴリーヌ県のルーヴシエンヌ城をアンジュ=ジャック・ガブリエルに改装させてデュ・バリー夫人に贈った。以来、この城は「シャトー・ド・マダム・デュ・バリー」と呼ばれるようになった。この城はフランスの国定史跡となったが、資金不足から雨漏りなど老朽化が進み、1989年に高級ホテルとしての再生利用を条件に日本人実業家・横井英樹に売却された[4][5][6]。しかし調度品がオークションにかけられたほか、城は放置状態となったため、盗難や不法侵入者の占拠などで荒廃が進み、横井の在仏関係者らが詐欺などの疑いで逮捕収監された[4]。その後、フランスの投資家が購入し、現在の姿に修復された。

登場する作品

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映画

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漫画

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アニメ

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ゲーム

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脚注

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  1. Jeanne Bécu, countess du Barry | mistress of Louis XV of France”. Britannica. 2025年8月19日閲覧。
  2. モニク・ルバイイ. p130
  3. ル・コルドン・ブルー東京校編、p. 16.
  4. 1 2 Versailles Journal;Proud Castles Stripped, and France Is ScandalizedThe New York Times, Feb. 15, 1996
  5. L'auteur présumé des pillages remis en libertéLe Parisian, Le 22 juin 2000
  6. La justice dédouane les anciens propriétairesLe Parisian, Le 23 février 2002
  7. デュバリイは貴婦人”. MOVIE WALKER PRESS. ムービーウォーカー. 2025年1月8日閲覧。
  8. Nagasaka, Yoko (2023年1月5日). ジョニー・デップの俳優復帰作『Jeanne du Barry』の場面写真が公開”. ELLE. 2023年2月13日閲覧。
  9. 2024.2.2(金)公開『ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人』公式サイト”. 有限会社ロングライド. 2025年1月8日閲覧。
  10. Inc, Natasha. マリー・アントワネットも虜にした、ファッションデザイナーの生涯描く新連載”. コミックナタリー. 2024年12月10日閲覧。
  11. 皆さまお待たせいたしました 『傾国の仕立て屋 ローズ・ベルタン』 ついに連載再開です”. 2024年12月10日閲覧。

参考文献

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  • モニク・ルバイイ 著、柴田道子 訳『ギロチンの祭典 死刑執行人から見たフランス革命』ユニテ、1989年。
  • ル・コルドン・ブルー東京校 編『ル・コルドン・ブルーのフランス料理基礎ノート 2 サブリナを夢みて〈4〉』文化出版局、1998年11月。ISBN 978-4-579-20643-8 

関連書籍

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関連項目

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外部リンク

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