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エドマンド・バーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エドマンド・バーク
Edmund Burke
エドマンド・バーク(1729年-1797年)の肖像画
生誕 (1729-01-12) 1729年1月12日
アイルランド王国ダブリン
死没 (1797-07-09) 1797年7月9日(68歳没)
グレートブリテン王国の旗 グレートブリテン王国
イングランドの旗 イングランド、ビーコンズフィールド
時代 18世紀の哲学
地域 西洋哲学
イギリス
学派 イギリス経験論懐疑主義
啓蒙思想
功利主義
古典的自由主義保守主義
研究分野 法の支配コモン・ロー
政党政治議会制政治哲学
美学
主な概念 本源的契約合意時効の憲法、自然の成り行き(見えざる手)、崇高美など
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エドマンド・バーク(英: Edmund Burke1729年1月12日 - 1797年7月9日)は、アイルランド王国生まれのイギリス政治思想家哲学者政治家。「保守思想の父」として知られる。1765年から1794年までイギリス庶民院(下院)議員を務めた。

トーリー党(後の保守党)に対するホイッグ党(後の自由党)の幹部を務めたため、バークを保守主義者ではなく古典的自由主義者に分類する説もある。アメリカ独立革命運動を支持した一方、その後のフランス革命には反対した。反フランス革命の立場をとったので、彼はホイッグ党の保守派派閥の中で率先者となった。彼はこれを「旧ホイッグ」と呼び、チャールズ・ジェームズ・フォックス率いるフランス革命支持派の「新ホイッグ」に反対した。

主著は1790年の『フランス革命の省察[注 1]であり、この本はロマン主義および保守主義のバイブルとされる[2][3]フランス革命を全否定して、ジャコバン派の完全追放のため、革命フランスを軍事力で制圧する対仏戦争を主導した。また文壇に出るきっかけとなった論文の『崇高と美の観念の起源』[注 2]は、英国で最初に美学を体系化したものとして有名である[4]。ここでは「崇高美」というひとつの美意識が定義されている。

政治家としては、絶対王政を批判し、議会政治を擁護した。特定の選挙区の有権者の利害を代表しない「一般代表」の理念を提唱した[2]文章家・演説家でもある。

経歴

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幼少期

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1729年1月12日、アイルランド王国ダブリンの法律家リチャード・バークの次男として生まれる。父は国教徒、母はカトリックであったが、当人は国教の洗礼を受ける。1744年、15歳でダブリンのトリニティ・カレッジに入学する。1748年に文学士の学位を得るが大学に残り、美学の研究を続ける[注 3]。1750年、父の希望に従い、ロンドンの法学院ミドル・テンプルに入学する。

青年期

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1756年に『自然社会の擁護』[注 4]を発表、此著作はその後彼によって諷刺と語られてはいるが、人間の理性が立証する本性の明白な規則に対する信頼[6]と、そこから逸脱した[6]暴力に支えられた国家の本質によって起こる虐殺の歴史の記述[7]は、政治家になった後の保守的な見解よりいささか無政府主義的と言えるほど自由主義的であった。[8]1757年に『崇高と美の観念の起源』[注 2][9] を匿名で発表する。特に後者がサミュエル・ジョンソンに「真に批評に値するもの」と評価され、文壇に出る。この年にジェーン・ニュージェントと結婚する。1758年には出版人ロバート・ドズリー(en)と組むと、前年の世界情勢を記録・分析した年鑑『アニュアル・レジスター』(The Annual Register)を創刊し、約30年間にわたり編集に携わる。1759年、政治家ウィリアム・ジェラード・ハミルトン英語版の秘書の仕事につくと、主にハミルトンの赴任先、ダブリンに滞在する。雇い主は1761年から1764年まで、アイルランド総督の第2代ハリファックス伯爵ジョージ・モンタギュー=ダンクの首席秘書を務めていた。1764年にはジョンソンを中心に「ザ・クラブ英語版」(のちの文学クラブ)が結成され、ジョシュア・レノルズオリヴァー・ゴールドスミスらとともに創設会員となる。

政治家として

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1764年にハミルトンと決裂した後、1765年にホイッグ党の派閥の領袖ロッキンガム侯チャールズ・ワトソン=ウェントワースの秘書となり、バッキンガムシャーから選出されて英国下院議員の座につく。

名誉革命以来、制限された諸権限を取り戻そうと国王ジョージ3世が「王の友」と呼ばれたトーリー党員たちと組む中、バークは1770年に『現代の不満の原因についての考察』[注 5]により政党制の意義を説き、議会の王権からの独立、議会情報の公開を主張した。

植民地政策をめぐっては通商政策を重視すると、「アメリカに対する課税」[注 6]「和解の提案」を記し[注 7]、アメリカ植民地住民との和解を主張した。また、アイルランドのカトリック教徒を弁護し、経済と刑罰の規制緩和を訴えた。さらに、東インド会社による腐敗したインド統治を是正するため、インド法案の起草者となる[注 8]。初代インド総督であるウォーレン・ヘースティングズに対しては1773年に不信を表明し、後には弾劾運動を率いて[注 9]、自ら議員を引退する1794年まで続けた[注 10]

ブリストル選挙区から立候補した際には、近代民主制の代表制度における「一般代表」の観念で有名な[要出典]ブリストル演説[10]をおこなっている。

55歳になる1784年、グラスゴー大学の学長に任命される。

対フランス革命

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ロンドンの新聞が1789年7月14日のバスティーユ牢獄の襲撃を報じた7月18日、バークは既に60歳と当時は老齢と見なされる年齢に達していた。当初からフランス革命に対し否定的であり、そのことは1789年8月9日の手紙からもわかる。フランス革命への最初の言及を記録したとされる手紙には、次のように書いている。

自由を求めて苦闘するフランスを、イングランドは驚きながらじっと見つめている。非難すべきか賞賛すべきかは分からない! 進歩の中に何かそれらしいものが見えると、私は数年来考えた。だがいまだにその苦闘は、逆説的で奇妙なものを確かに内包している。自由への精神に感心しないわけにはいかないが、年老いたパリ市民の蛮行は衝撃的なやり方で勃発したのである。 — バーク[11]

バークがフランス革命を断固として拒絶するようになったきっかけは、ルイ16世をパリに引き戻すため 、1789年10月5日から6日にかけて暴徒化した市民がヴェルサイユへ進撃した出来事である(ヴェルサイユ行進)。同月10日、バークは息子リチャード宛ての手紙にこう記した。

この日私は、フランスのゆゆしき宣言を示す文書を送ってきたローレンスから耳にした。その宣言においては、まるで人間社会を構成する要素がみな解決したかのように思われ、そして怪物のような世界が生成される。そして、尊大な反政府主義者ミラボー主宰が統括し、前の君主は哀れなほどにおかしな姿になっているのである。 — バーク[12]

また当時、まだ無名であったリチャード・プライス(哲学者、en)が名誉革命記念協会を代表してフランス国民会議に賛辞を送っており、バークはイギリス世論が同協会の意見と同一視されることに危惧を抱いていた。

ジェームズ・ギルロイ作「ドブネズミを嗅ぎだす[注 11]

同1789年11月、バークは革命支持者であるフランス人青年シャルル=ジャン=フランソワ・デュポンから手紙を受け取る。バークは「私の言う危機的な言い回しは、すべて単なる疑問の表現として見なされるべきである。」と返答した。だが、付け足してもいる。「貴方がたは君主を倒したかもしれない。でも自由は奪回できていない[13]」。さらに同年11月の『フランス革命の省察』上梓に至る経緯として、長文の手紙、返信第2信(1790年1月に)をしたためた時に読んだ、ユニテリアン牧師プライスの『祖国愛について』への反論を書き上げた。前出の『省察』の内容はフランス革命への批判、そして革命が以後どのような経過を辿るかの予見である。

初めて公に革命非難を行ったのは、1790年2月9日、軍隊の予算見積もりに関する国会の議論においてである[14][15]。首相の小ピットチャールズ・ジェームズ・フォックスがフランス革命を賞賛したことによって引き起こされた。

昨夏議会が閉会されて以来、多くの労力がフランスにおいてなされてしまった。フランスはこれまで世界に存在してきた有能な破壊の建築家を証明した。非常に短い時間で彼らは完全に自らの基礎を、君主を、教会を、高潔さを、法律を、収入を、陸海軍を、商業を、芸術を、工業を破壊した(略)。不合理、無節操、追放、押収、収奪、凶暴で血まみれで専制的な民主主義の行き過ぎの模倣である(略)。これらの例の危険性はもはや不寛容からくるものではない(略)。無神論、反則、悪行、一切の尊厳の敵、そして人間の慰めからくるのである。長い間、公認、そしてほぼ公然であった派閥に具現化されるフランスの中に、これらが存在するように思われる。 — バーク[16]

さらに1790年5月6日、英国下院でフランス革命の脅威を説いたので、この日を「政治的保守主義」ないし「近代保守主義」の生誕記念日とする者も存在する。『省察』出版後、1791年に「フランス国民議会の一議員への手紙」[17] を出し、バークはその中で「なるほど確かにフランス国民は主権者になったが、同時にいつ殺されるかわからない奴隷となった」として、フランスが無秩序状態になっていると批判した。

同1790年9月には政府への建白書「フランス革命情勢」[18] を提出すると、フランス国内に反革命勢力が存在するうちに英国はフランスに宣戦布告すべきであると主張した。1792年12月には「現在の情勢」を記し、ピットが革命後のフランスによる領土的侵略を警戒したのに対し、バークは英国の法と自由の崩壊ひいてはヨーロッパ文明の破壊という、フランス革命によるイデオロギー的侵略に重点を変更するよう警鐘を鳴らした[19]

バークはピットが指導する対仏戦争に「反革命の十字軍としての使命感」を求め、1796年の「国王弑逆者との講和(に反対する)」では〈同じ文化・同じ宗教・同じ法〉を共有しない者との講和は不可能であるとして、国家利益の見地から英国が模索するフランス革命政府との妥協に反対した[19]

晩年

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1794年に議会を退き、ビーコンズフィールドに引退した。同年8月、溺愛していた息子リチャードと死別する。1797年初めからバースに転地療養するが、5月下旬にビーコンズフィールドに戻り、7月9日、私邸で病没、68歳。腸結核とされる。墓はなく、聖マリア教会の礼拝堂の身廊、会衆席の床下に妻、息子とともに埋葬された。

政治的見解

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1756年に発表した『自然社会の擁護』[注 12]では、此著作はその後彼によって諷刺と語られてはいるが、政治家としてのキャリアを始める前の彼は驚くべき事に、この著作に於いて、自然状態[20]と対比した国家の血塗れの歴史を記述し[21]、夫れは其本質が暴力に支えられていることに基づいており[22]、ホッブズの人間の本質に関する恐ろしい見解は普通の人間の観察にではなく国家に於いて団結した人間の行為から派生すると機知に富む意見[23]を述べてをり、政治家としての其後の見解より無政府主義的と言えるほど自由主義的であった。[24]

哲学的骨格

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バーク保守主義はフランス革命により提示された〈社会契約〉ではなく、〈本源的契約〉を重視する[注 13]。多年にわたり根本的に保持してきたものの中に本源的契約の存在を見、その表れである祖先から相続した古来からの制度を擁護し、それを子孫に相続していくとする政治哲学である。この故に、自然的に発展し成長してきた目に見えぬ〈法〉(コモン・ロー)や道徳、あるいは階級や国家はもちろんの事、可視的な君主制度や貴族制度あるいは教会制度においても、ある世代が自分たちの知力において改変することが容易には許されない時効の憲法[注 14][25] があると看做す。

合法的な残虐を犯した元インド総督弾劾演説(1788年)[注 9][注 10]では、「国民の大半の利益に反する法には、道理を踏まえた制度という性質はなく、権威を持たない。なぜなら、いかなる政体においても、真の立法者は国民であるからである。(中略)法を究極的に基礎づけかつ動かすものは、国民の明示的ないし黙示的な合意である」として、適切かつ十分な人間の力と、国民に法的判断の権利や義務を持たせるための公正な憲法の必要性を説いた[26]

バークは一方でフランス革命を激しく非難し、他方では1688年の名誉革命を支持した。これは人民主権説による立場からの革命ではなく、イギリス古来の憲政政策原理(旧ホイッグ主義)に沿い、民族固有の所産であり、必然性(necessity)から起こった革命であって、革命がそれを保持したためである。1688年革命は王国の古来の基本的国家組織すなわち本源的契約を、国王の側から侵害したことに原因があり、その回復と保持に努めたとする[27]

バークはまたフランス革命に影響されたホイッグの同僚たちが支持する〈不可譲の人民主権〉説を批判する。すなわち人民主権説によれば、人民は、違反行為のあるなしにかかわらず王を処置しうる。人民は随意に、自らいかなる政体をも新たに設けうる。為政者は義務だけを負わされ何の権利ももたない。彼らの治政の存続期間は契約の固有の課題ではなく人民の意志次第である。また事実上〈社会契約〉がなされ、その拘束を受けるにしても、直接、契約に関わった人々だけが対象であって子孫には及び得ない。バークは〈社会契約〉のもつ契約性の欺瞞(ぎまん)をただし、〈本源的な契約〉とはそのようなものではないとする[27]

イギリス国民の個々が享受し相続してきた「自由」「名誉」「財産」は、この〈本源的な契約〉の擁護において、また、世代を超えて生命を得ている慣習・習俗や道徳の宿る〈中間組織〉(intermediate social-group)、例えば家族、ムラ、教会コミュニティ等の擁護によって守られると考える。これは社会契約論が唱え、仮想の自然権が必然として要求する種類の権利ではなく、現実のイギリスの歴史がおのずから形成してきた摂理である。しかし同時にヒューム倫理学の系譜にのっとり経験論の限界にも言及しており、歴史から道徳上の教訓を引き出すことの危険性について「歴史とは、注意を怠れば、我々の精神をむしばんだり幸福を破壊したりするのに使われかねない」[28]とも述べている。

このようなバーク哲学において、人間の知力などというものは、祖先の叡智が巨大な山のように堆積している古来からの〈制度〉には及ばない、矮小で欠陥だらけのものとの考えがある。それゆえ「理性主義」、すなわちデカルト的な人間の理性への過信を根源的に危険視し、慎慮を提起する。言い換えれば、個々の人間を多くの間違いを冒す不完全な存在とみなす、謙抑な人間観に基づいている。

文明社会が人間の知力で設計されたものでない以上、仮に、文明の政治経済社会に人間の知力や理性に基づく「設計」や「計画」が参入すれば、その破壊は不可避となり、個人の自由は圧搾され剥奪されるとする[要出典]

  • バーク哲学の主要概念は、慎慮、偏見・固定観念、取得時効、仮定、相続・世襲、法の支配、慣習、伝統、私有財産[注 15]などである。
  • 逆にバークが断固として拒絶した概念は、平等、人権、人民主権、抽象、理性(裸の理性)、進歩、革新・刷新、民主制、人意・人間の意向、人間の無謬性[注 16]などである。

自然の摂理

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同世代のスコットランド人アダム・スミスは、のちに彼の書籍『国富論』において「見えざる手」(an invisible hand)なる表現をもって著名となったが、無駄のない・合理的な摂理としての「社会のエコノミー」・「自然の成り行き」[注 17]はバークにとっても重要な概念であった。

バークは、人間の文明社会は、〈幾世代にわたる無意識の人間の行為〉で形成されたものであっても、人間の知力で〈設計〉されてはいないと考え、その人間の行為と〈神の摂理〉との共同作業において開花し発展・成長した偉大なものが文明の社会だと把握していた(『イギリス史略』[要ページ番号])。

バークにとって自由は英国の長きにわたる歴史の中で醸成されたものであり、国王大権議会特権とのあらゆる嵐と抗争に耐えて維持されてきたのであった。自由は祖先から相続した財産であるがゆえに国家に対して不可侵権をもつのであり、けっして人権自然権であるからではなく、自由を世襲の権利として正しく永続させ、聖なるものとして保持すべき筋道・方法として歴史上の経験から、世襲王制以外はないと考えた[要出典]

バークによれば、偏見は諸国民や諸時代の共同の銀行資本であり、そこには潜在的な智恵が漲って(みなぎって)いる。その偏見はより永く続いたものであり、広く普及したものであるほど好ましい。各人が私的に蓄えた僅少な理性よりは、共通の偏見に従ったほうがよい。言い換えれば、偏見の衣を投げ捨てて「裸の理性」の他は何も残らなくするよりは、理性が折り込んである偏見を継続させる方が遥かに賢明であるという[要出典]。偏見は火急に際しても即座に適用できる。あらかじめ精神を確固たる智恵と美徳の道筋に従わせ、決定の瞬間に人を懐疑や謎で不決断にしたり躊躇(ちゅうちょ)させない。偏見とは人の美徳をしてその習慣たらしめるもの、脈絡のない行為の連続には終わらせないものである。このように、バークの考える偏見は、迷信とは異なり、智恵と美徳をもたらし社会の熱狂を防ぐものである。

一方でバークの「社会のエコノミー」は現代の我々にとって受け入れがたい当時の社会現実を許容することを求めている。それは奴隷的階層の問題であり、社会的に固定された階層が「それが有益である」との結果論をもって肯定されてしまうイギリス功利主義の着想の限界もまた抱えている点である。『省察』においては「〈自然の有機的統一〉(social economy)ゆえに、早朝から夕闇に至るまで奴隷的で屈辱的でうす汚くて非人間的で、しかも健康に極めて有害で病気になりそうな無数の仕事を、多くの気の毒な人々が不可避的に運命付けられているのと同じように(修道士は聖歌隊を歌わせる以外に使い道のない怠惰な者にみえても)有益に使われているのです」としている[29]

各国への影響

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アメリカ合衆国

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米国においては、コーク/ブラックストーンによる「法の支配」の法哲学が、アレクサンダー・ハミルトンらによって継承されていた。バーク哲学が本格的に流入したのは、1950年の朝鮮戦争の勃発に伴って、国を挙げて反共に思想武装するためであり、ラッセル・カークらに先導されて大ブームとなった。そして、1981年に大統領になったロナルド・レーガンは、反共反ソであっただけでなく、米国史上初めて〈バーク保守主義〉を信奉する大統領であった[要出典]

日本

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日本に初めてバークを紹介したのは明治の元老大日本帝国憲法起草者の一人の金子堅太郎である[30]。金子はハーバード・ロー・スクール在学中にチャールズ・サムナー上院議員を通じてバークを知り、生涯にわたってバークの影響を受けた。1881年、金子はバークの『フランス革命の省察』と『新ウィッグから旧ウィッグへ』を抄訳し『政治論略』として元老院から刊行した[31]自由党ルソー主義への批判が目的であった。

ルソーを信奉する植木枝盛は、これに対して1882年、論文「勃爾咢(ボルク)ヲ殺ス」により反論した。

バークに関する研究が始まるのは第二次世界大戦後のことで、まずは小松春雄による研究、これに岸本広司が続き、日本においてもある程度の研究基盤ができた。また、イギリス保守主義を信奉した西部邁による紹介もあり、知名度が向上した。

一方、フランス革命を熱烈に支持し、トマス・ペインの信奉者である進歩的文化人坂本義和は、反バークの立場から、バークの持論をまとめている[35]

なお、新渡戸稲造はその主著『武士道』の冒頭に、「ヨーロッパにおいてこれ〔武士道〕と姉妹たる騎士道が死して顧みられざりし時、ひとりバークはその棺の上にかの周知の感動すべき讃辞を発した。いま彼れバークの国語〔英語〕をもってこの問題についての考察を述べることは、私の愉快とするところである」[36]と書き記している(※―引用者による加筆)。

フランス

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フランスにおいては、初のバーク主義者はトクヴィルであり、その主著『アメリカのデモクラシー』(1835年 - 1840年)[注 18]の主概念「多数者の専制」はバークの概念を借用しているし、「平等」が国家と社会を解体していき、反転して全体主義体制に至るとのトクヴィルのモチーフは『フランス革命の省察』そのものである。

その他

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バーク哲学が事実上まったく導入されなかったのは、ドイツとロシアである[要出典]

著作

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原著

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  • A Vindication of Natural Society (1756)
  • A Philosophical Enquiry into the Origin of Our Ideas of the Sublime and Beautiful (1757)
  • An Account of the European Settlement in America (1757)
  • The Abridgement of the History of England (1757)
  • Annual Register editor for some 30 years (1758)
  • Tracts on the Popery Laws (Early 1760s)
  • On the Present State of the Nation (1769)
  • Thoughts on the Cause of the Present Discontents (1770)
  • On American Taxation (1774)
  • Conciliation with the Colonies (1775)
  • A Letter to the Sheriffs of Bristol (1777)
  • Reform of the Representation in the House of Commons (1782)
  • Reflections on the Revolution in France (1790)
  • Letter to a Member of the National Assembly (1791)
  • An Appeal from the New to the Old Whigs (1791)
  • Thoughts on French Affairs (1791)
  • Remarks on the Policy of the Allies (1793)
  • Thoughts and Details on Scarcity (1795)
  • Letters on a Regicide Peace (1795–97)
  • Letter to a Noble Lord (1796)

著作集

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  • The writings and speeches of Edmund Burke, Vol.I-IX, Oxford.
  • みすず書房〈著作集〉全3巻、1973年–1978年

日本語訳

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  • Reflections on the Revolution in France (1790)
  • A Philosophical Enquiry into the Origin of Our Ideas of the Sublime and Beautiful (1757)
  • Thoughts on the Cause of the Present Discontents (1770)
    • 中野好之訳『現代の不満と原因』(みすず書房〈著作集1〉、1973年)、下記は改訳版
    • 川村大膳訳『現代不満の原因に関する考察』(創元社、1948年)
  • 永井義雄訳『穀物不足にかんする思索と詳論』(河出書房〈世界大思想全集〉、1957年)
  • A Vindication of Natural Society (1756)
    • 水田珠枝訳『自然社会の擁護』(中央公論社〈世界の名著〉、1969年)
      • 新版(上記の中公クラシックス版 第2巻に収録)
  • 中野好之訳『アメリカ論 ブリストル演説』(みすず書房〈著作集2〉、1973年)、下記は改訳版
  • 中野好之訳『バーク政治経済論集 保守主義の精神』(法政大学出版局、2000年)。オンデマンド版(2013年)
    • 短命な前内閣についての短い報告(一七六六年)
    • 現代の不満の原因を論ず(一七七〇年)
    • アメリカへの課税についての演説(一七七四年)
    • ブリストル到着ならびに投票終了に際しての演説(一七七四年)
    • 植民地との和解決議の提案についての演説(一七七五年)
    • ブリストルの執行官への手紙(一七七七年)
    • ブリストル市在住の紳士への手紙二通(一七七八年)
    • 経済改革演説(一七八〇年)
    • 議会任期の短縮法案についての演説(一七八〇年)
    • ブリストルの選挙に臨んでの演説(一七八〇年)
    • 投票拒否についてのブリストル演説(一七八〇年)
    • 下院代表の状態を調整する委員会についての演説(一七八二年)
    • フォックスのインド法案についての演説(一七八三年)
    • フランス国民議会議員への手紙(一七九一年)
    • 新ウィッグから旧ウィッグへの上訴(一七九一年)
    • フランスの国情についての考察(一七九一年)
    • サー・ハーキュリズ・ラングリッシへの手紙(一七九二年)
    • ユニテリアン協会の陳情についての演説(一七九二年)
    • 一貴族への手紙(一七九六年)
    • 国王弑逆の総裁政府との講和(一七九六年)

日本語訳未刊の主要著作

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  • 『イギリス史略』(1757年 - 1760年)
  • 『アイルランド刑罰法』(1761年)

参考文献

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本文の典拠。

洋書

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主な執筆者のABC順。

  • Clark, J. C. D., ed (2001). Reflections on the Revolution in France. A Critical Edition. Stanford UniversityPress. p. 26 

日本語版

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主な執筆者の姓の50音順。

  • 植木枝盛(原著)『言論自由論・勃爾咢ヲ殺ス』忠愛社、実業之日本社(販売)〈近代日本文化叢書〉、1948年、85-頁。doi:10.11501/2992655 
    • 「§3『勃爾咢ヲ殺ス』解說」p85–
    • 「§§I エドマンド・バーク『政治論略』の刊行」p87–
    • 「§§II エドマンド・バークの生涯と思想」p106–
    • 「§§III 植木の『政治論略』批判」p124–
    • 「§§IV フランス革命についての見解の対立」p141–
    • 「§5『勃爾咢ヲ殺ス』本文」p183–
  • 中野好之 訳『アメリカ論 ブリストル演説』みすず書房〈著作集2〉、1973年、[要ページ番号]頁。全国書誌番号:71019872 
  • 新渡戸稲造『武士道』????、[要ページ番号]頁。 
  • 半澤孝麿 訳『フランス革命の省察』みすず書房〈著作集3〉、1978年、177頁。 
    • 「フランス革命の省察」半沢孝麿訳・みすず書房(p. 177)
  • カール・ヨアヒム・フリードリッヒ 著、三辺博之 訳『伝統と権威 権力と正当性と権威』福村出版、1976年、146頁。 原書の書誌。Friedrich, Carl J. (1972). Tradition and Authority. London : Phaidon.
  • 森本哲夫「エドマンド・バーク著『新ホイッグ党員から旧ホイッグ党員への訴え』について」『九州大学大学院法学研究科紀要』1969年2月25日。  別題:『Jounal of law and politics』

脚注

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注釈

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  1. ^ 『フランス革命の省察』の原書の書誌。Burke, Edmund. (1790) Reflections on the Revolution in France, and on the proceedings in certain societies in London relative to that event : in a letter intended to have been sent to a gentleman in Paris.。第3版、Dodsley。NCID BA19758737. 電子版あり[1]
  2. ^ a b 『崇高と美の観念の起源』原書の書誌。Burke, Edmund. (1757). A philosophical enquiry into the origin of our ideas of the sublime and beautiful. R. and J. Dodsley, NCID BA67276486.
  3. ^ バークが大学時代に参加した演説クラブに関する新資料に基づく研究(1923年初出)が改版された[5]
  4. ^ 『自然社会の擁護』の原書書誌。Burke, Edmund (1756). A vindication of natural society, or, A view of the miseries and evils arising to mankind from every species of artificial society : in a letter to Lord.(複写版)NCID BB2535651X
  5. ^ 『現代の不満の原因について』原書の書誌。Burke, Edmund(1770). Thoughts on the cause of the present discontents. Printed for J. Dodsley ... NCID BA72026025
  6. ^ Burke, Edmund and Selby, F. G. (1895) Burke's speeches on American taxation, on conciliation with America & letter to the sheriffs of Bristol . Macmillan, NCID BA13746407.
  7. ^ 「アメリカに対する課税」、「和解の提案」の原書書誌。
    • Burke, Edmund. (発行年不明) On conciliation with America security of the independence of Parliament on Mr. Fox's East India Bill, etc. Bickers & Son, "The writings & speeches of Edmund Burke ", volume 2, NCID BA76627548.
    • Burke, Edmund (発行年不明) Fourth letter on the proposals for peace ; To Charles James Fox on the American War ; The measures in the American Contest, etc.. Bickers & Son, "The writings & speeches of Edmund Burke", volume 6, NCID BA7662802X
  8. ^
    * Burke, Edmund ; Sen, Sunil Kumar. (1969) Edmund Burke on Indian economy. Progressive Publishers, NCID BA41544648.
    • Marshall, P. J. (Peter James) ; Todd, William B. (William Burton) ; Burke, Edmund. (1981) India : Madras and Bengal, 1774-1785. Clarendon Press, Oxford University Press. "The writings and speeches of Edmund Burke", Paul Langford, general editor, volume 5, ISBN 9780198224174, NCID BA12801907.
  9. ^ a b へースティングズの弾劾に関する著作。
    • Burke, Edmund. (____) "Speeches in the impeachment of Warren Hastings, Esquire - continued." Bickers & Son, The writings & speeches of Edmund Burke, volume 10, NCID BA76626953.
    • Burke, Edmund. (____) "Speeches in the impeachment of Warren Hastings, Esquire - continued ; Genral table of contents ; Index." Bickers & Son, The writings & speeches of Edmund Burke, volume 12, NCID BA76627286. 全目次、索引付き。
    • Burke, Edmund. (____) "Articles of charge against Warren Hastings, Esquire ; Speeches in the impeachment.". Bickers & Son, The writings & speeches of Edmund Burke , volume 9, NCID BA76627333.
    • Burke, Edmund (____) "Speeches in the impeachment of Warren Hastings, Esquire - continued ; Speech in general reply, etc." Bickers & Son, The writings & speeches of Edmund Burke, volume 11, NCID BA76627413.
  10. ^ a b 庶民院(下院)では7年間の調査のあいだに計148日の議会が開かれたが、1795年に貴族院がヘースティングズを放免した。
  11. ^ 机に向かうプライスがバークの幻影を見たという設定の風刺画。霞の中に浮かぶ大首はバークで、王冠と十字架(政治と宗教)を掲げ、フランス革命に関する著書を頭に載せた。
  12. ^ 『自然社会の擁護』の原書書誌。Burke, Edmund (1756). A vindication of natural society, or, A view of the miseries and evils arising to mankind from every species of artificial society : in a letter to Lord.(複写版)NCID BB2535651X
  13. ^ この項目の参考文献として森本哲夫(著)「エドマンド・バーク著『新ホイッグ党員から旧ホイッグ党員への訴え』について」、『九州大学大学院法学研究科紀要』Jounal of law and politics(1969年2月25日)に依拠する。
  14. ^ prescriptive Constitution「慣習的な、時効成立した、伝統に裏付けられた」「命法、憲法、基本法」のこと。
  15. ^
    • 慎慮(prudence)
    • 偏見・固定観念(prejudice)
    • 取得時効(prescription)
    • 仮定(presumption)
    • 相続・世襲(inheritance)
    • 法の支配(rule of Law)
    • 慣習(convention, customs)
    • 伝統(tradition)
    • 私有財産(property)
  16. ^
    • 平等(equality)
    • 人権(right of man)
    • 人民主権(popular sovereignty)
    • 抽象(abstruction)
    • 理性(裸の理性、naked reason)
    • 進歩(progress)
    • 革新・刷新(innovation)
    • 民主制(democracy)
    • 人意・人間の意向(will of man)
    • 人間の無謬性(perfectibility of man)
  17. ^
    • 社会のエコノミー(social economy)
    • 自然の成り行き(the natural course of things)
  18. ^ Tocqueville, Alexis Charles Henri Maurice Clérel de ; 井伊玄太郎『アメリカの民主政治』講談社〈講談社学術文庫778-780〉、1987年。ISBN 4061587781, 406158779X, 4061587803NCID BN01792103

出典

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    • "7. Extract from Joseph Priestley, Letters to the Right Hon. Edmund Burke, Occasioned by His Reflections on the Revolution in France (London: 1791)", pp. 1-9 (9 pages).
    • "9. Extracts from Thomas Paine, Rights of Man: Being an Answer to Mr. Burke's Attack on the French Revolution (London, 1791), pp. 18--20, 52-55 (7 pages).
    • "23. Edmund Burke, Thoughts on the Prospect of a Regicide Peace, in a Series of Letters (London, 1796)", pp. 5-15 (11 pages).
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    • From Edmund Burke. "Speech in Commons" (1783).
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  29. ^ 中澤信彦「バークとマルサスにおける階層秩序と経済循環」(pdf)『第6回京阪経済研究会』、龍谷大学、2006年9月18日。 科学研究費助成事業報告書。
  30. ^ 柳愛林 (2014). “エドマンド・バークと明治日本 : 金子堅太郎『政治論略』における政治構想”. 国家学会雑誌. 
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  32. ^ 坂本義和「国際政治における反革命思想-1-」『国家学会雑誌』第68巻第11号、国家学会事務所、1955年4月、??-??、ISSN 0023-2793NAID 40001394278 
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  37. ^ 研究社版は、ホレス・ウォルポール「オトラント城」千葉康樹訳を併録

関連文献

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関連項目

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人物

外部リンク

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