社会契約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

社会契約(しゃかいけいやく、英:Social Contract、仏:contrat social)とは、政治学法学哲学等で使われる用語で、ある国家内で、その国家とその市民との関係についての理論上の契約をいう。

概要[編集]

社会契約という概念は、日本国憲法を含めて、近代憲法の理論的な基礎になっており、国家の正当性の契機を契約ないし市民の同意に求める理論を社会契約論ないし社会契約説という。

社会契約論にも様々なものがあるが、近代的社会契約論の内容は、「国家」(state)が成立する前の「社会」(society)の原始的な自然状態を仮定した上で、国家の正当性の契機を契約に求めるという点にあるが、仮定する自然状態と、そこから国家の正当性を導く論理展開に様々なバージョンがある。もっとも、国家の正当性の契機は、どの立場に立とうとも、契約にあるので、王権神授説に基づく君主主権ないし国王主権は否定される。

社会契約論の原型は、古代ローマ中世の西洋社会にもみることができ(参照:アーブロース宣言)、更には古代イスラエルや古代ギリシャにもみることができるとの見解もあるが、いずれにせよ古代・中世の社会契約論は社会と法律がこの契約によって初めて成立するものとはしていない点で「契約」思想というべきものである。

歴史[編集]

古代[編集]

プラトン
ソクラテス

古代の契約思想は、プラトンの著作である『クリトン』(『ソクラテスの弁明』の続編)において、典型的に垣間見ることができる。この著作では、死刑判決を言い渡され、刑の執行を待つ身であるソクラテスに対し、弟子のクリトンが国外逃亡を促す。しかし、ソクラテスは、自分がアテナイという国家を望んでいなかったのならば、若いうちに国外に移住することもできたのに、自分は老年に至るまでこの国家に留まり、家庭まで設けたのであり、それ故に、自分とアテナイの国家・国法の間には合意(契約)が成立しており、それを侵すことはできないし、それを侵して少しばかり延命したとしてもそんな人生には価値は無いとして、クリトンの催促を断固拒否する。この文脈での契約の内容は、人民に法の遵守を求める服従契約であり、法を作り出す主権の主体は、人民ではありえず、いわばノモス主権論を前提としていた。

中世[編集]

中世の契約思想は、キリスト教の自由意思の伝統に従いスコラ学において発展したが、主権ないし「ポテスタス」は自然法に基づくものであり、王が行使する権力は人民の同意に基づき譲渡されたものであるとして、自然法と契約思想を結びつけ、近代的社会契約論と近代的人民主権論の原型となるべきものを明確に主張したのは、スペインのイエズス会士フランシスコ・スアレスである。スアレスの人民主権論は、近代的人民主権論と異なり、神から直接授けられるという点では王権神授説と共通し、契約の内容は服従契約であって、王制を否定するものではなかったが、スアレスの著作『カトリック信仰の擁護論』は、国王の権威を無視するものとして禁書とされ、焼かれた。

近代[編集]

グローティウスプーフェンドルフらの古典的社会契約論は、自然状態では人は自然権を有するとともに、自由平等な人間が社交性を持ち集団で牧歌的・平和的に暮らしていたと仮定する。その上で、人の社交性の延長として、自然発生的に、臣民が自己の庇護を求めて王に服従する「統治契約」(contract of government)を締結したことによって国家が成立したとみる。中世的社会契約論からは一歩踏み出して、自然権の保障を目的とするなどその内容は、啓蒙思想と一定の接点を有していたが、契約の一方当事者は王であり、既にある王政を必然的に正当化するための理論であった[1]

ホッブズは、自然状態では、諸個人は自然権を有していたが、自然法が十分に機能しなかったため、万人の万人に対する闘争状態が生じていたと仮定する。その上で、この闘争状態を克服するためにやむを得ず、諸個人が自然的理性の発現をさせて、自然状態で有していた自然権を放棄して社会契約を締結し、その契約に基づき発生した主権によって国家が成立したとみる。契約の当事者に王は含まれておらず、理論的には、王政、貴族政民主政とも結びつき得る点で古典的社会契約論と異なる。その特徴である人の本性としての社交性と中世封建的な服従契約を否定し、近代的な個人の概念を社会契約の基礎に置いた点で革命的な発想の転換であったといえる。しかし、ホッブズは、主権は万能であるだけでなく、分割・譲渡不可能なものなので、社会契約によって王が一旦主権を有することになった以上、これを変更することはできないとして王政のみならず、国王主権をも正当化した。

ジョン・ロック
ジャン・ジャック・ルソー

このようなホッブズの理論を批判しつつも、発展的に継承したのはジョン・ロックジャン・ジャック・ルソーであるが、両者の論理展開の内容は相当に異なる。

ロックもルソーも、自然状態は、闘争状態とするホッブズを批判し、むしろ自然法が貫徹されて人は自由で平等であったと仮定する。その点では古典的社会契約論と同じであるが、人の本性としての社交性と服従契約を否定して個人的な契約概念を前提とする点ではホッブズと共通する。

しかし、ロックは、諸個人が自由と平等を享受していたにもかかわらず、様々が不都合が生じたことから、自然発生的に、自然状態で有していた自然権を一部放棄し、遠い過去に「始源的契約」(original compact)である社会契約を締結したことによって国家が成立したとみる。契約の当事者に王は含まれておらず、人民主権論にたったが、人民の「信託」(trust)に基づき政府を作ることができるとされたので、理論的には、王政、貴族政、民主政のいずれとも結びつき得るものであった。しかし、国家は、自然権を保障するため、人民の信託に基づき設立されたものであるから、社会契約には一定の「契約の条件」があり、その手段として権力分立を採用しなければならないとして、ホッブズの万能かつ分割不可能であるという主権の概念を批判した。そして、政府が信託の趣旨に反し、自然権を侵害して専制を行うときは、そもそもの主権者である人民は抵抗権を行使できるものとして、一定の留保を付けたが、政府が存続する限り、立法権を有する主体が主権者であるとして国会主権を唱えつつも、他方で、自然発生的な古典的社会契約論を承継して既存の王政を擁護し、立憲君主制のような混合政体がベターな政体であるとした。ロックの社会契約論は、政治的には、名誉革命を擁護するための理論であった[2]

これに対し、ルソーは、諸個人が自由と平等を享受していたが、より自由で平等な状態、共通善を最大化するため、自然発生的ではなく、積極的に社会契約を締結したことによって国家が成立したとみる[3]。その契約当事者である市民のみならず、その集合体である人民こそが主権者であり、個々人の特殊意思を超えた、一般意思(volonté général)によって作り出された主権によって国家が成立したとみる。契約の当事者に王は含まれておらず、主権者は人民でしかあり得ないとして国王主権のみならず、ロックの国会主権も否定したが、従前の社会契約論が既に記憶のない遠い過去の契約締結を問題にしていたのに対し、現にある政体を否定し、新に社会契約を締結し得るという革命的発想を含んでいた。その上で、主権は万能かつ分割・譲渡不可能なものであるとする点はホッブズと共通しており、ロックの権力分立制も代表制も否定したが、社会契約には一定の「契約の条件」(condition de contrat)があるとした点はロックと共通しており、特殊意思を排した一般意思による「法の支配」を採用しなければならないとした。ルソーの社会契約論は、後のフランス革命に影響を与えたとされる[4]

日本において最初の社会契約論の紹介は、1882年中江兆民によるルソーの主著『社会契約論』の部分訳である『民約訳解』の刊行であり、この訳書は自由民権運動に大きな影響を与えた。

解説[編集]

近代的社会契約説は、イマヌエル・カントゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルらを経て、ジョン・ロールズらの現代的社会契約論に承継・発展されている。

近代的社会契約説の基礎は、本性的に自由で孤独な個人として生まれたひとが、しかし自然状態では維持不可能となり、集団生活、社会が必要となることによって、社会契約を結ぶという構図であり、これは、17世紀トマス・ホッブズジョン・ロック18世紀ジャン=ジャック・ルソー、そして20世紀ジョン・ロールズロバート・ノージックに至るまで、社会契約説を唱える哲学者に伝統的に継承されている。[5]

ジョン・ロールズは、社会契約説を、自然法、自然権という古典的概念を回避して、一般化抽象化し、国家が成立する前の仮定的な社会について、次のような思考実験を行なう。ロールズは、その社会は、合意後に成立する国家に関する情報については、その構成員全員が全て公正に「無知のヴェール」に覆われた「原初状態」にあるとした上で、その状態の下では、自由・平等で道徳的な人は、利己的で相互に無関心な性向を持つ人々であっても、合理的な判断として、人々が公正に最悪の状態に陥ることを最大限回避する条件で合意するはずであるとして構成員の合意による国家の成立を導き出し、かつ、その条件が実現している理想的な社会を「秩序ある社会」とした上で、その条件を可能ならしめる原理を公正として正義の原理として、格差原理マキシミン原理という正義に関する二つの価値原理を導き出したのである。

日本では、ホッブズ・ロック・ルソーの3者の理論を近代的な個人を基礎にする国家が成立するまでの国家の正当性に関する理論として社会契約論を説明するのが通常であるが、そのような説明の仕方自体が戦後の日本固有の限定的な理解であると指摘する見解もある。

批判[編集]

アメリカ独立戦争フランス革命を通じて打ち立てられた<社会契約>の概念に最も初期に明確な批判を加えたのがバークである。バークは革命政府やその同調者が唱える<社会契約>の契約の欺瞞性を糾弾し、社会において伝えられ・保持されてきた<本源的な契約>とは、憲法制定会議や人民公会に集合した人々が自由な意志や理性などにより容易に締結でき、変更できるようなものではないとした。

脚注[編集]

  1. ^ 『社会契約論』229頁
  2. ^ 『市民政府論』245頁
  3. ^ 『社会契約論』28頁
  4. ^ 『社会契約論』236頁
  5. ^ 東浩紀、『一般意志2.0』、講談社、2011年、36頁、参照。

参考文献[編集]

文献情報[編集]

  • 関谷昇 『近代社会契約説の原理-ホッブス、ロック、ルソー像の統一的再構成』 東京大学出版会、2003年ISBN 9784130362139
  • ディヴィッド・バウチャー、ポール・ケリー編 『社会契約論の系譜-ホッブズからロールズまで』 飯島昇蔵・佐藤正志ほか訳、ナカニシヤ出版、1997年ISBN 9784888483483

関連項目[編集]

外部リンク[編集]