社会契約

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社会契約(しゃかいけいやく、: social contract: contrat social)は、政治学法学で、ある国家とその市民の関係についての契約を指す用語。


社会契約論にも様々なものがあるが、近代的社会契約論の内容は、「国家」(state)が成立する前の「社会」(society)の原始的な自然状態を仮定した上で、国家の正当性の契機を契約に求めるものだが、仮定する自然状態と、そこから国家を正当化する理論展開に多数の類型がある。もっとも、国家の正当性が成立する契機は、社会契約論のすべての立場で契約であり、王権神授説に基づく君主主権ないし国王主権と王権神授説は否定される。

社会契約論の原型は、古代ローマ中世の西洋社会にもみることができ(参照:アーブロース宣言)、更には、古代イスラエルや古代ギリシャにもみることができるとの見解もあるが、いずれにせよ、「社会」の比重は現代の理論ほど大きく、古代・中世の社会契約論は社会と法律がこの契約によって初めて成立するものとはしていないことに着眼して、「契約」思想というべきものであるとみなせる。

解説[編集]

近代的社会契約説は、イマヌエル・カントゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルらを経て、ジョン・ロールズらの現代的社会契約論に承継・発展されている。

近代的社会契約説の基礎は、本性的に自由で孤独な個人として生まれたひとが、しかし自然状態では維持不可能となり、集団生活、社会が必要となることによって、社会契約を結ぶという構図であり、これは、17世紀トマス・ホッブズジョン・ロック18世紀ジャン=ジャック・ルソー、そして20世紀ジョン・ロールズロバート・ノージックに至るまで、社会契約説を唱える哲学者に伝統的に継承されている。[1]

ジョン・ロールズは、社会契約説を、自然法、自然権という古典的概念を回避して、一般化抽象化し、国家が成立する前の仮定的な社会について、次のような思考実験を行なう。ロールズは、その社会は、合意後に成立する国家に関する情報については、その構成員全員が全て公正に「無知のヴェール」に覆われた「原初状態」にあるとした上で、その状態の下では、自由・平等で道徳的な人は、利己的で相互に無関心な性向を持つ人々であっても、合理的な判断として、人々が公正に最悪の状態に陥ることを最大限回避する条件で合意するはずであるとして構成員の合意による国家の成立を導き出し、かつ、その条件が実現している理想的な社会を「秩序ある社会」とした上で、その条件を可能ならしめる原理を公正として正義の原理として、格差原理マキシミン原理という正義に関する二つの価値原理を導き出したのである。

日本では、ホッブズ・ロック・ルソーの3者の理論を、近代的な個人を基礎にする国家が成立するまでの国家の正当性に関する理論として、社会契約論を説明するのが通常であるが、そのような説明は戦後の日本における国策の一種に過ぎず、理解はあくまで限定的であるとする見解がある。

源流を辿る場合、職能や身分制度、思想の相違を含めて、誤解が大きくなる。各論者の主要な論述との相違を含めて、現代の行政官アナリストの意向としての性質を考慮するべきである。

批判[編集]

アメリカ独立戦争フランス革命を通じて打ち立てられた<社会契約>の概念に最も初期に明確な批判を加えたのがバークである。バークは革命政府やその同調者が唱える<社会契約>の契約の欺瞞性を糾弾し、社会において伝えられ・保持されてきた<本源的な契約>とは、憲法制定会議や人民公会に集合した人々が自由な意志や理性などにより容易に締結でき、変更できるようなものではないとした。

 一方、マルクスは、近代以降の社会契約論に共通する「自由な諸個人の間で契約を結び社会を形成している」という前提そのものに批判の目を向ける。歴史的には「われわれが歴史を遠くさかのぼればさかのぼるほど、ますます個人は、したがってまた生産をおこなう個人も、独立していないものとして、あるより大きな全体に属するものとして、現われる。すなわち、最初はまだまったく自然的な仕方で家族のなかに、また種族にまで拡大された家族のなかに現われ、のちには、諸種族の対立や融合から生ずる種々の形態の共同体のなかに現われる」のであって、個人は社会に先立って存在するものではないと指摘する[2]。個人が歴史上に登場するのは中世社会の崩壊に伴う現象であり、エーリッヒ・フロムは「封建社会という中世的社会の崩壊は、社会のすべての階級にたいして、一つの重要な意味を持っていた。すなわち個人はひとりとりのこされ、孤独に陥った。かれは自由になった。しかしこの自由は二重の意味をもっていた。人間は以前に享受していた安定性と疑う余地のない帰属感とをうばわれ、経済的にも精神的にも個人の安定を求める要求をみたしてくれた外界から、解き放たれたのである。かれは孤独となり、不安に襲われた。しかしかれはまた自由となり、独立して行動し考えることができ、自己の主人となることができた。また自分の生活を人から命じられるようにではなく、自分がなしうるようにとりはからうようになった」[3]とその経緯を描写している。

 このようにマルクスは近代以降の社会契約論の前提となる理論を「一八世紀の個人―一面では封建的社会形態の解体の産物、他面では一六世紀以来新しく発展した生産諸力の産物―が、すでに過去の存在になっている理想として」、つまり「一つの歴史的な結果としてではなく、歴史の出発点として」おり、「錯覚」であると批判している[4]

脚注[編集]

  1. ^ 東浩紀、『一般意志2.0』、講談社、2011年、36頁、参照。
  2. ^ 「(経済学批判への)序文」(マルクス・エンゲルス全集13-616[MEGA]表記)
  3. ^ 『自由からの逃走』106~107頁
  4. ^ 「(経済学批判への)序文」(マルクス・エンゲルス全集13-615[MEGA]表記)

参考文献[編集]

  • 塩野谷祐一「ロールズの社会契約論の構造」『一橋大学研究年報. 人文科学研究』21、1981年11月25日、125-218頁。
  • ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』桑原武夫訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1954年1月。ISBN 9784003362334
  • ジョン・ロック『市民政府論』鵜飼信成訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1968年。
  • ホセ・ヨンパルト古代・中世社会契約論:スアレスの思想を中心として」『法哲学年報1983』日本法哲学会、1984年。
  • ホッブズ『リヴァイアサン 1』水田洋訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1992年2月。ISBN 4003400410
  • ホッブズ『リヴァイアサン 2』水田洋訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1992年8月。ISBN 4003400429
  • ホッブズ『リヴァイアサン 3』水田洋訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1982年5月。ISBN 4003400437
  • ホッブズ『リヴァイアサン 4』水田洋訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1985年6月。ISBN 4003400445
  • マルクス『(経済学批判への)序文』大月書店〈マルクス・エンゲルス全集〉。
  • E.フロム『自由からの逃走』日高六郎訳、東京創元社、2007年11月20日。ISBN 9784488006518

文献情報[編集]

  • 関谷昇『近代社会契約説の原理-ホッブス、ロック、ルソー像の統一的再構成』東京大学出版会、2003年。ISBN 9784130362139
  • ディヴィッド・バウチャー、ポール・ケリー編『社会契約論の系譜-ホッブズからロールズまで』飯島昇蔵・佐藤正志ほか訳、ナカニシヤ出版、1997年。ISBN 9784888483483

関連項目[編集]

外部リンク[編集]