ハーバート・スペンサー

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ハーバート・スペンサー

ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer、1820年4月27日 - 1903年12月8日)は、イギリス哲学者社会学者倫理学者

略歴[編集]

イングランドダービーの非英国国教会(非国教徒)の家庭に生まれる。はじめは教師であった父の方針で学校教育を受けず、家庭で教育を受けたが、その後叔父の経営する寄宿学校で学んだ[1]。17歳でロンドン・バーミンガム鉄道の鉄道技師として働き始め、空いた時間に著作活動を行なった。1843年に最初の著作『政府の適正領域』を刊行。1848年に経済誌『エコノミスト』誌の副編集長となった[2]

1853年に叔父の遺産を相続すると副編集長の職を辞し、在野の研究者として著述に専念した。著作が広く読まれるにつれ名声を得た。駐英公使をつとめていた森有礼にも大きな影響を与えたといわれる。晩年まで著述を続け83歳で死去した。

思想・研究[編集]

スペンサーは1851年に『社会静学』を、1852年に『発達仮説』(The Developmental Hypothesis) を、1855年に『心理学原理』を出版した。それから『社会学原理』『倫理学原理』を含む『総合哲学体系』を35年かけて完成させるなど、多くの著作を出版した。

古典的自由主義[編集]

スペンサーは『社会静学』の中で「他の人々の同様な自由だけによって制限される平等な自由」という古典的自由主義の原理を提唱した[3]。これはロバート・ノージックら20世紀のリバタリアンの先駆とされる[4]。さらに、帝国主義と政府機能の拡大に反対した[5]。最初の著作『政府の適正領域』で彼は「司法の執行だけが国家の唯一の義務」と主張している[6]

社会進化論[編集]

スペンサーの著作はかれの進化 (evolution) という着想に貫かれている。社会進化論という概念はこれらの著作から発している。彼の著作『第一原理』は現実世界の全ての領野に通底する進化論的原理の詳しい説明である。スペンサーは人間社会が軍事的タイプから産業的タイプに進化していくとした[7]

ポピュラーな用語「進化」と共に「適者生存 (survival of the fittest) 」という言葉はダーウィンではなく、社会進化論のスペンサーの造語である。

スペンサーの社会学[編集]

スペンサーは、オーギュスト・コントの実証主義と社会学思想に大きな影響を受け、社会学の創始者の一人としても有名である。スペンサーの社会学では、有機体のメタファーを用いて社会を「システム」として把握し、これを、維持、分配、規制の各システムに分かち、社会システムの「構造と機能」を分析上の中心概念とする。そのため、社会有機体説と呼ばれる。この点で、現代社会学における構造機能主義の先駆とされる。

日本におけるスペンサーの受容[編集]

1880~90年代の明治期日本では、スペンサーの著作が数多く翻訳され、「スペンサーの時代」と呼ばれるほどであった。たとえば、1860年の『教育論』は、尺振八の訳で1880年に『斯氏教育論』と題して刊行され、「スペンサーの教育論」として広く知られた。その社会進化論に裏打ちされたスペンサーの自由放任主義や社会有機体説は、当時の日本における自由民権運動の思想的支柱としても迎えられ、数多くの訳書が読まれた。板垣退助は『社会静学』(松島剛訳『社会平権論』)を「民権の教科書」と評している[8]。 しかし、スペンサーからみると、封建制をようやく脱した程度の当時の日本は、憲法を持つなど急速な近代化は背伸びのしすぎであると考え、森有礼のあっせんで、1883年に板垣退助と会見した時も、彼の自由民権的な発言を空理空論ととらえ、けんか別れをしたといわれる。 このようなことがあったにもかかわらず、1886年には浜野定四郎らの訳により『政法哲学』が出版されるほど、日本でスペンサーの考えは浸透していた。

スペンサーの愛読者であった哲学者の井上哲次郎は1880年代のドイツ留学中に、晩年身寄りもなくイギリスの地方を転々としていたスペンサーを探し、寄寓先のグラント・アレン宅までわざわざ訪ね、面会の記念に帽子と傘をもらった話を回顧録に残している[9]

著作[編集]

  • 『政府の適正領域』The Proper Sphere of Government1843年
  • 『社会静学』Social Statics1851年
  • 総合哲学体系System of Synthetic Philosophy1860年
  • 『教育論』Education1861年
  • 『人間対国家』The Man Versus the State1884年
  • 『自伝』Autobiography1904年

脚注[編集]

  1. ^ 『ハーバート・スペンサー コレクション』p.429
  2. ^ 『ハーバート・スペンサー コレクション』p.430
  3. ^ 『ハーバート・スペンサー コレクション』p.450
  4. ^ 『ハーバート・スペンサー コレクション』p.436
  5. ^ 『ハーバート・スペンサー コレクション』p.432
  6. ^ 『ハーバート・スペンサー コレクション』p.90
  7. ^ 『ハーバート・スペンサー コレクション』p.435
  8. ^ 『ハーバート・スペンサー コレクション』p.445
  9. ^ 欧州各学会訪問『懐旧録』井上哲次郎 (春秋社松柏館, 1943)p331

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]